91・記憶というものは
前世が十四歳で終わった俺は、自分が大人になった姿を想像出来ずにいた。
そして今、その十四という年齢が目の前に迫っている。
俺はシーラコークという国の危うさを見たせいか、ブガタリアの平和を守りたいと強く思う。
そして、一度死んだ身である俺が出来ること。
ブガタリアのため、家族やお世話になった人たちのために何が出来るのか。
そう考えることが増えた。
「ヤーガスアか」
「何か?」
俺がボソリと呟くと、ギディが反応する。
「なんでもない」
冬の午後は皆んな好き勝手に動いているので、その日は俺も居間で暖房用の風を動かしながら、本を開いていた。
以前、ピア嬢に送ってもらった周辺国の歴史の本だ。
ヤーガスアを選んでみる。
さすが外相家だと思う内容の濃さだった。
礼状を出したいけど、冬の間はピア嬢に手紙も書けない。
届ける手段がないからね。
早朝の運動もこの雪では思うように出来ず、なかなかテルーの巣にも顔を出せずにいる。
考え事ばかりするからストレスが半端ない。
身体を動かしたいなあ。 やっぱり俺もブガタリア民だなと苦笑いした。
誰かの気配がして顔を上げると、玄関に立ったギディからヴェルバート兄とデッタロ先生が来たことを知らされる。
珍しい取り合わせだな。
以前は勝手に入って来た兄様も十六歳になって、さらにオトナに近づいたようだ。
「ああ、ここはあったかいなあ」
そう言いながら入って来るところは父王に似てる。
俺はクスッと笑ってしまう。
「こんにちは、どうされたんですか?」
俺は膝の毛布を片付けて立ち上がり、ギディがお茶の準備を始めた。
「最近、少し太ったんじゃないか?」
じっと俺の顔を見ていたデッタロ先生が座りながら言った。
この国では「逞しくなった」という意味らしい。
俺に対する誉め言葉なんだろうけど「太る」は違う気がする。
「そうだな、コリルは痩せ過ぎだったからね」
ヴェルバート兄まで、そんなことを言う。
「確かに食事が美味しいから食べ過ぎかもしれませんね」
食事が摂れるようになって、栄養状態が改善されたので現在急成長中だ。
俺はお茶を出し終えたギディに、クオ兄が用意しているおやつを二人にも出してくれるように頼んだ。
本当に美味しいんだから、食べ過ぎて二人とも太ればいいよ。
「クェーオ様に確認してまいります」
ギディは、エオジさんに叩き込まれたという背筋が伸びた騎士の礼をして出て行った。
十五歳になって体格も大人に近づいていて羨ましい。
俺はまだチビのままだからな。 くすん。
「えっと、どちらの御用ですか?」
「すまない、私が王太子殿下にお願いして一緒に来てもらったのだ」
デッタロ先生が難しい顔のまま答え、ヴェルバート兄が頷く。
「そうですか」
で、何の用なのかな。
「ヤーガスアの王族が春にブガタリアを訪問すると聞いた」
「ええ、そうです」
それはヴェルバート兄も聞いているようだ。
「私は……ヤーガスアの者が王都に入るのは危険だと思っている」
重い声が部屋に響いた。
ゴトリと盗聴防止の魔道具が目の前に置かれる。
戻って来ていたギディがギリギリ入る範囲だ。
「お二人にこの件を話すことは、国王陛下の許可も頂いている」
何の話?、なんか怖いんだけど。
俺も自然と姿勢を正す。
「お二人は、前国王夫妻の死因をご存知か」
俺とヴェルバート兄の顔を交互に見ている。
「いえ」
俺が答えている間に、ヴェルバート兄が俺の隣に移動して来た。
「私も詳しいことは聞いたことがありませんね。
確か、陛下が不在の間に襲撃に遭ったとしか」
デッタロ先生は頷いた。
ギディは入り口付近に立ったままだ。
「前国王夫妻、つまり陛下のご両親が襲われたのは王宮の中だ。
しかし、そこにはヤーガスアが絡んでいる」
「は?」
デッタロ先生は苦い顔をしたまま、膝の上の拳を握り締めた。
「今回の状況とよく似ているのだ」
当時の王太子はもちろん、父王ガザンドールである。
「先生も王宮内に居たんですよね」
「ああ、そうだ」
主要部族のうち西の最大部族の出身で、十五歳でイロエストに留学していたほど魔法の才能があった。
「あの頃の私は自信過剰になっていた」
留学から戻ったデッタロ先生は、王宮内で国王陛下の側近として働くことになる。
陛下の引退後に王太子が正式に国王となったら、デッタロ先生は宰相のような地位になるはずだった。
「あの頃はまだヤーガスアとの交流が頻繁に行われていてね」
そういえば、ヴェルバート兄の十歳式にも妹たちの誕生祝いにも、ヤーガスアからは誰も来ていなかった。
元は同じ民族で、同じ脳筋国家。
昔は国境を越えた親戚付き合いをしていたはずなのに。
「当時、ヤーガスア王族はガザンドール様に王女を妃にと申し込んだが拒否された。
私にもその女性を娶らないかと話があったが、まあ、その、とても妃教育がされているとは思えない方でね」
ヴェズリア様が来る前だから、十八年ほど前になる。
ああ、その頃にはすでにイロエストの影響があったのか。
「東の部族と同じ、弱体化した状態だったということですね」
もっと以前からかもしれない。
すでに武人の国でもなく、王族を敬う気持ちも失われた国になっていた。
親に甘やかされて育った王女では、ブガタリアの武人である父王もデッタロ先生も断るわけだ。
「気を付けてはいたが、実は私にはどうしても欲しいものが一つだけあった。
そこに付け込まれてしまったのだ」
デッタロ先生は俯いて、肩を震わせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日、ヤーガスアからの客たちは王宮の奥にある王族の部屋に近い場所で接待を受けていた。
友好関係にある兄弟国が相手である。
ブガタリア王族も王宮の近衛兵たちも和やかに客たちを迎えていた。
「是非、王女をガザンドール殿の妃に」
「返事は王太子が戻ってからになる」
押し問答のように何度も繰り返される同じ言葉。
痺れを切らした客が、突然態度を変えた。
「ではすぐに戻って来ていただこう!」
「な、なにをっ」
高威力の攻撃魔法が放たれた。
悲鳴と怒号が響き、その部屋に居た者がほとんど命を落とした。
両陛下や側近だけでなく、侍女や従者、出席していた高位の貴族や高官まで、ほぼすべての者の命が失われた。
ブガタリア王族を手に掛けたのだから、ヤーガスアの者が生きて帰れるはずはない。
その場で全員が自決した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何故、そんなことに」
ヴェルバート兄の声が震えている。
「無理に争いを仕掛けても勝てないと知っていた」
ブガタリアは防御に長けた国だ。
簡単に攻め落とすことは出来ない。
「彼らはイロエストに操られていた」
イロエストの目的はヤーガスアではなかった。
「ブガタリアの街道、希少な薬草、騎乗出来る魔獣。
どれもが彼らの欲しいものだった」
しかし、イロエストの者がそれらを扱うことは難しい。
だからヤーガスアを操り、ブガタリアを弱体化させて属国にする計画だったらしい。
「妃を娶ることを反対している国王やその側近を亡き者にすればうまくいくと思い込んでいたのだ」
奴らは『ヤーガスア王家の遣い』だと名乗っていたが、本物かは分からない。
俺はデッタロ先生を見ていた。
「先生はその時、どちらに?」
前陛下の側近だったデッタロ先生がそこにいれば、何人かは生き残れたはずだ。
「私は、グリフォンの厩舎にいた」
先生はギリッと唇を噛む。
「どうしてもグリフォンの信頼が欲しかったのだ」
俺とヴェルバート兄は目を見張った。
ヤーガスアの知人からグリフォンを手懐ける魔道具だという品を渡され、まだ若かった先生はそれに賭けた。
王宮に客が居る今なら、厩舎に人は少ない。
それを持ってグリフォンに会いに行った。
「だが、それはグリフォンが助けに向かわないように抑える魔道具だった」
ヤーガスアの策略だったのである。




