44・主というものは(別視点)
ギディルガは商人の息子で、今年で十一歳になった。
先日、父に呼ばれて仕事場である店に行くと奥の部屋に通された。
「ギディ、お前に良い話があるぞ」
黒髪黒目の筋肉質ながっしりとした容姿、黒い髭にはそろそろ白いものが混ざり始めた父。
王都でも大きな部族の長が経営する商店の幹部である。
若い頃、この店に出入りしていたごく普通の商人だった父は、腕っぷしと腹黒さを認められて、出世したという。
その父がいう『良い話』など、ギディルガにはそのまま信じることは出来なかった。
「第二王子のコリルバート殿下を知っているだろう」
噂では聞いている。
優秀で見目麗しい正妃に似た第一王子に比べると、地元民族出身である側妃の血が濃く、小柄で愛嬌のある顔をしていると聞く。
何しろ、父が勤めている商会の長の孫である。
悪い噂など言えるわけがない。
「とても魔獣好きな方だと聞いています」
ギディルガの父はニヤニヤと笑っている。
「ああ、その通りだ。 だがな、あの殿下はそれだけではないぞ」
(確か秋のシーラコークへの大商隊で同行したと言っていたっけ)
「あれは『変わり者』だ」
この小さな国で『変わり者』と呼ばれることは、異端であるという意味だ。
「この国は変わるぞ」
父はうれしそうに口元を歪めて笑った。
シーラコークからの第二王子の帰国を王都の住民は心から歓迎した。
他国での彼の噂話が密かに流れていたからだ。
初日から歓迎の宴で毒を見破り、外相の息子を救う。
ゴゴゴに対して『処分しろ』と迫った外相の息子を威嚇して、撤回させた。
そのどれもがシーラコークという西の主要な国に、ブガタリアの王子が存在を示したものだ。
田舎者だと馬鹿にされることが多い国民にとって拍手したくなる出来事だった。
公女とも渡り合ったというが、そこはギディルガは信じていない。
その噂のどれもが父の主である豪商が故意に流したものだと知っているからである。
ギディルガも大通りで第二王子のその姿を初めて目にした。
真っ黒なゴゴゴに騎乗した、優しそうな女顔の小柄な少年。
どこにでもいる黒い髪に濃い肌の色。
遠くから見るだけでは黒にしか見えないが、パッチリとした丸い瞳は暗い赤。
子供っぽい愛くるしい姿は、とても王を継げる者には見えなかった。
ギディルガの家族は父と、父の妻が複数人、そしてその子供たちが二桁いる。
同じ家に住みながら数も名前も途中から覚えるのは止めた。
父が多くの妻を抱えるのには理由がある。
彼は元は小さな部族の長であった。
今は大きな部族に吸収されているが、父は部族の復興を諦めていない。
だから、旧部族の女性たちを見つけると妻という名目で、必ず保護しているのである。
当然ながら家は狭く、年長者から働きに出て独立していく。
ギディルガも早く出て行きたいと思うが、まだ子供の身ではせいぜいがお手伝いで小遣いを貯めることくらいしか出来ない。
「王宮で働く気はないか?」
父からの提案にギディルガは喜んで頷いた。
王宮で雇ってもらえるなら子供でも相応の給金がもらえるだろう。
「もしかしたら第二王子のところですか?」
「ああ、そうだ」
父は頷く。
「コリルバート殿下は同年代の友人がおられない。
お前には従者となってもらうが、目標は何でも話し合える友人だ」
目標?、目的だよな。
ギディルガは、父の言葉は王子から王宮の情報を引き出そうとしているとしか思えなかった。
第二王子コリルバートの情報は、父の主である老人から隠すことなく何でも入って来る。
しかし、ギディルガは最初どれも信じられなかった。
自分以外の、しかも王子が、夜明け前から走り回っているなんて思ってもいなかったのだ。
「無理しなくていいよ」
息一つ乱さず、コリルバートは薄暗い階段を駆け上がって行く。
「いえ、大丈夫です。 私もいつもこの時間は基礎訓練をやってますから」
ギディルガの家は大家族だ。
自分一人の部屋なんて望めない。
せめて一人の時間が欲しくて夜明け前の裏山で訓練を始めた。
山道を駆け回る。
何も考えず、ただ身体を動かすことが楽しかった。
子守りや家事を手伝って小遣いを稼ぐことよりも、父や兄たちのゴゴゴの世話よりも。
そして、今は王城の階段を駆けている。
ギディルガは心から楽しんでいた。
コリルバートの世話は思ったより楽だった。
朝は起こさなくても起きる。
着替えも自分でやる。
勉強好きで運動好き、一番好きなものは魔獣の世話。
困ることといえば食事の好き嫌いが激しいことだ。
パンと飲み物、そして果物ぐらいしか口にしない。
最近はハムやソーセージなら食べられるようになったという。
なんて贅沢な悩みだろう。
食べたくても食べられない者もいるというのに。
後で知ったが、彼の母親はコリルバートが食べられない物は最初から用意していない。
残すことがないようにしているのだ。
本当に少しずつ食べられる物の種類を増やし、好きな物は多めに用意している。
ギディルガは側妃カリマは侍女としては優秀なのだと改めて思った。
コリルバートを『変わり者』だと父は言う。
そこだけは同意である。
他の富豪や部族長の子供たちのように、一族や親の身分を自分のものであるかのように威張り散らすことはない。
「将来は平民になる」と言い、王宮にはほとんど出入りしない。
それでも王宮の使用人たちとも仲が良く、第一王子や正妃とも険悪には見えない。
まるで悩みなど何一つ無いというように、いつも楽しそうに笑っている。
しかし、それは二人の王妃の出産が重なった日に起こる。
ギディルガは、その日いつものようにコリルバートと離れに居た。
王宮内は今、正妃ヴェズリアの出産でバタバタしている。
側妃であるカリマも出産が近いのに、手伝いに出掛けたまま戻って来ない。
コリルバートの落ち着かない様子を見て、ギディルガも眠れそうになかった。
ガタッと音がして、ハッと目が覚める。
うたた寝をしていたことに気づき、ギディルガは慌てて音がした方に向かった。
「母さん!?」
苦しそうな母親を支えるコリルバートの身体は小さい。
「ギディ!」
「はい!」
ギディルガはすぐにカリマを部屋に運んで、医術者を呼びに行こうとした。
「違う。 今、王宮に行っても医者はもう体力も魔力も使い切ってる。
行くなら、城下の産婆か、手伝える女性を呼んできて」
ギディルガは耳を疑った。
正直、まだ子供のコリルバートの言葉に従うか、無視して王宮に向かうか悩んだ。
しかし結果的にコリルバートの判断は正しかったことを知る。
コリルバートが祈っていた。
強張った身体で今にも倒れそうだった小さな男の子。
母親の無事を祈る姿を、ギディルガは部屋の外から見守っている。
何故か分からないがゾワリとした違和感を覚え、同じ空間にいることが出来なかったのだ。
コリルバートの身体から魔力とも違う、何かが溢れ出ていた。
見ているギディルガの胸が締め付けられるような感情の嵐。
赤ん坊の産声が聞こえた直後。
その想いの強さが魔法となってコリルバートの身体から迸った。
一瞬でギディルガの身体から疲労が消える。
「ギディ、今のは何?」
産まれたことを知らせに来たギディルガの姉が、恐る恐る彼の腕を掴んだ。
二人とも震えていた。
「姉さん、これは絶対に内緒にしてください」
彼は神だ。 神に愛された申し子だ。
ギディルガの本能がそう言っている。
父にも、言えない。
おそらく国王陛下にも、誰にも。
唯一相談出来るとしたら長老ぐらいだろう。
ギディルガは固く手を握り締めた。
自分が主となるコリルバートの近くにいる幸せを噛み締める。
夕方、目を覚ましたコリルバートはいつものヘラリとした笑顔だ。
ギディルガは、この王子の日常をしっかりと守るために一番近い人間になりたいと心から願った。