40・赤子というものは
エオジさんの指示で、王宮から侍女が何人かタオルや桶を持ってやって来るのが窓から見えた。
離れである俺の家は、今、人で溢れている。
俺はギディに二階の自分の部屋へ連れて行かれた。
母さんの部屋は一階だけど、今は何も出来ないから邪魔だってことだろう。
身体が強張っている俺をギディはベッドに座らせた。
「カリマ様はもう大丈夫です。
うちの母と、産婆と、医術の魔法が使える姉を連れて来ましたから」
俺は焦点の合わない目で頷き、ただぼんやりと座っていた。
何をしていいか分からない。
そうだ、祈ればいいんだ。
俺が出来ることなんて、それくらいじゃないか。
俺はベッドから崩れ落ちるようにして床に降りる。
驚いたギディが助けようとして手を止めた。
膝立ちになって、俺は手を組み、目を閉じる。
口の中はもうパサついて声は出そうになかった。
「何か、飲み物を取って来ます」
ギディは俺を一人にしてくれた。
心の中で母さんの顔を思い出す。
苦しそうな息も、声も。
きっとヴェズリア様も同じだったんだろうな。
俺は馬鹿だ。
前世の世界とここは違うのに、浅はかな考えで『弟か、妹が欲しい』なんて願ってしまった。
出産は女性にとっては死んでもおかしくない大仕事じゃないか。
病気じゃない、なんて、俺の前世の記憶のせいで母さんが死んでしまったら、俺はどう償えばいいんだ。
この世界の神様、確か、御先祖様でしたよね。
俺が間違ってました。
もっとちゃんと、この世界のことを勉強します。
だから、まだ母さんやヴェズリア様、それに妹たちを輪廻の輪へ連れて行かないで。
オギャアオギャア
ああ、元気そうな声がする。
そうか、ちゃんと産まれて来てくれたんだな。
俺はもう泣いてもいいだろ。
頬に流れる涙の温もり、身体に体温が戻って来るのを感じる。
助けてくれた人たち、皆に感謝を。
『王宮にいる全ての人を癒してあげて』
俺の魔力なんかでいいなら、全部持っていって。
ああ、俺自身が治癒師に回復してもらった時に意識があれば、治療魔法が使えたかも知れないのに。
「コリル様?」
ギディの声が遠くに聞こえ、俺はそのまま意識が途絶えた。
目を覚ましたのは、夕方だった。
憮然とした顔の父王がベッドの側に座っていた。
「お前たち親子はどうして俺を呼ばないんだ」
少し怒ってる?。
俺は答えようとしたけど喉が張り付いて声が出ない。
「失礼します」
ギディが俺の上半身を起こして、温いお茶を飲ませてくれた。
「ありがとう」
身体がだるい。
父王に気を使うことが出来そうもない。
「でも間に合ったでしょ?」
エオジさんが王宮に行ったら、父王に伝わらないはずがないんだから。
「……ああ、まあな」
じゃあ、それでいいじゃないか。
突き放す言い方しか出来そうにないので言葉は飲み込んだ。
「それで、回復魔法を使ったのはお前か、コリル」
俺は首を傾げる。
何のこと?。
チラリとギディを見ると、ため息を吐かれた。
「確かに、赤子が産まれた直後にコリル様の部屋に入った時、魔法を使った気配がありました。
ですが、本人にはその自覚は無いみたいですね」
「そうか」
父王はこめかみに指を当てて顔を顰めた。
「まあ良い。
それでもあの時間、魔法を使えるほど魔力が残っていた者は他に居なかった。
コリルバート以外には、な」
ん?、魔法なら俺も使ってた気がする。
「俺も使ってました。 母さんの部屋の温度を下げるために風魔法を」
ググッと音がしそうなほど父王の顔がますます顰めっ面になる。
「とにかく、あの時、この場所で広範囲の回復魔法が使われたのは確かだ。
そのお蔭で、カリマやヴェズリアをはじめ、治癒師や医療術師、王宮内で働いていた者全ての体力、魔力が回復した」
エッ、ナニソレスゴイネー。
ポカンとしていたら、父王に頭を撫で回された。
「起きれるなら赤子を見に行くか?」
俺がゆっくり頷くと、ギディが着替えを持って待っていた。
一階に降りると、昨夜のことはまるで無かったかのように、いつも通りのままだった。
「お、起きたな。 おはよう、コリル」
居間にエオジさんだけが座っている。
「もう夕方だけだどね」
俺がいつものように、そう言って軽口を返すとうれしそうに笑っていた。
父王と一緒に母さんの部屋に入る。
母さんのベッドの横には、すでに赤子用のベッドが置いてあった。
俺はまず母さんの側に行く。
だいぶ顔色が良くなってる。
安心して涙が出そうになった。
「コリル、お兄さんになったわよ」
「うん」
俺は母さんの手を握る。
昨夜より暖かい。
「とても愛らしい姫様ですよ」
ギディが小さなベッドを覗き込んで、俺を誘う。
そうか、妹か。
確か、ヴェズリア様も姫様だったな。
後でお祝いに行かなきゃ。
「娘が二人か、これからが大変だな」
父王は俺を母さんから引き離し、代わりに母さんの手を握る。
俺は仕方なく赤子のベッドを覗き込んだ。
前世では一人っ子だったせいか、あまり自分より小さな子は好きじゃなかった。
年上はいいんだ。
甘やかせてくれるからね。
でも小さいのはさ、うるさいし、世話が焼けるし、……可愛いし。
「うわぁ、ちっさ」
黒い髪も、目も口も、手の指まで小さい。
眠ってるから瞳の色は分からないけど、何となく母さんに似てる気がした。
これは、俺には抱っこなんて無理だな。
触ったら壊れそう。
「父様、ヴェズリア様の姫様は大丈夫ですか?」
「うむ。 さっきまでずっと様子を見ていたが元気そうだ。
ヴェズリアに良く似た美人顔だぞ」
そか、良かった。
きっとヴェルバート兄も喜んでいるだろうな。
「ヴェルバートもさっきまでここにいたんだ。
お前が目覚めるのを待ってたんだが、一旦王宮内に戻った」
そうなんだ。
やっぱりヴェルバート兄も自分の母親が心配なんだろうな。
「コリルが起きたら連れて来いと頼まれてな」
うーん、一人で行きたいけど、ま、いっか。
どうせギディも一緒だしね。
「分かりました、行きます」
母さんの側に女性が一人付き添っていた。
俺が不思議そうに見ていると、
「ご紹介が遅れましたが、私の姉です。
陛下から許可を頂いて、しばらくの間、カリマ様とお子様のお世話をさせていただきます」
ギディとその姉だという女性が軽く礼を取る。
俺は頷いて「お願いします」と頭を下げた。
そして父王とギディと三人でヴェルバート兄のいる王宮内に向かう。
王妃様の自室にいるというので、俺は初めてヴェズリア様個人の部屋に入った。
「コリル!、大丈夫だったか?」
ヴェルバート兄は大袈裟なくらい俺を心配してくれた。
「はい。 もう大丈夫です」
まだ少し身体がだるいけど。
俺はヴェズリア様のベッドの側へ近づく。
そしてまずはヴェズリア様の顔色を見る。
「ヴェズリア様、体調はいかがですか?」
「ええ、ありがとう、コリル。
何故か以前より良いくらいよ」
ベッドに上半身を起こしたヴェズリア様は、何か言いたげに俺を見ている。
「それは良かったです」
確かに、ヴェズリア様の顔色は悪くない。
出産直前より良いくらいだ。
俺はそっと胸を撫で下ろす。
このまま元気になってもらえたらいいな。
以前のように長期に渡って体調が戻らないとなると、ヴェルバート兄も心配するだろうしね。
俺みたいに後悔して欲しくない。
赤子は濃い茶に近い黒髪と、眠そうに開いた瞳が緑色だった。
肌の白さによく映えそうだな。
将来、美人間違いなしの顔立ちをしている。
「そうだわ、ヴェルバート、コリルバート。
一ヶ月後に姫二人の誕生祝いをするわ。
あなたたちは兄なのだから、しっかりお手伝いしてね」
あ、そうか。
誕生祝いは産後の母親の大事を取って、身内のみで行われ、周辺国に対しては手紙で知らせる事になっている。
「分かりました。 何でも言いつけてください」
ヴェルバート兄と俺は簡易な礼で応えた。




