39・出産というものは
初夏になり、城下の学校が少し郊外に移動した。
学校の敷地のある、その斜面の山の頂を切り開いて、魔獣用施設を造ったんだ。
ついでに学校も施設の側に移ってもらった。
「校舎の老朽化が激しくて。 助かりました」
……なんか、デッタロ先生の策略にまんまと嵌められた感がヒシヒシとするんだが。
何で二ヶ月くらいで完成するの?。
絶対、魔法のせいだけじゃないよね。
あまりにも手際が良過ぎて目眩がした。
王宮から見ると学校は真正面になる。
街中では土地が足りなくて、仕方なく山頂近くになったけど、案外良い場所だ。
夏は涼しいし、冬は風が強いせいで積雪が少ない。
学校へ通うための山登りは城下の子供にとっては軽い運動になってちょうど良いらしい。
ブガタリアの子供って元気過ぎるんだよな。
俺は毎日、学校へ顔を出す。
「はあ、眺めが良いですねえ」
ギディは相変わらず俺の後ろをついて来る。
とりあえず、母さんの育児休暇のために従者は継続中。
今は家に住み込みで家事手伝い状態なのだが、本人にも異論がないようで何よりである。
「コリル様、そろそろ戻りませんと夕食の準備が」
「一人で帰れるよ。 お先にどうぞ」
「それは出来かねます、カリマ様がご心配されますので」
こいつは俺が単独行動をしようとすると、いつも母さんのことを持ち出す。
従者としては正解なんだろうけど、俺は子供扱いされているみたいで反発したくなる。
でも今はもうすぐ出産の母さんのために従うことにした。
「デッタロ先生、またね」
「ああ、気をつけて」
俺は幼獣たちや生徒たちにも軽く挨拶をして、王宮に戻った。
街から王城の南門を潜り、長い階段を上り始めると黒いゴゴゴの姿が見えて来た。
グルッグルッ
グロン、迎えに来てくれたの?、珍しいな。
いや、違うな。
「母さんに何かあったのか!?」
産月が近いので、いつ産まれてもおかしくない状態だ。
グロンが乗れというので俺は素直に騎乗する。
「ギディ!」
「はい!」
ギディも飛び乗ると、グロンが階段を走り出す。
最上段に到着すると、王宮のほうが騒がしい。
「訊いて来ます」
ギディが建物のほうへ駆けて行き、俺はグロンと一緒に家に向かう。
「母さん、ただいま。 何かあったの?」
俺が家に入ろうとしたのと入れ違いに、母さんが外に出て来た。
「あら、コリル。 お帰り。 ヴェズリア様の出産が始まったのよ。
私も付き添うから、留守番お願いね」
「あ、うん」
母さん、自分も産まれそうだって忘れてないか?。
でも、王宮内にいたほうが治癒師や産婆さんもいるから大丈夫かな。
俺はそう思って見送った。
母さんが作って置いた夕食を温めていると、ギディが帰って来た。
「王妃様は難産のようですね」
そうか。
ヴェルバート兄の時も大変だったみたいだし、いくら俺たちが望んだからって命に関わることは断ってくれて良かったのに。
俺は宮内の窓の明かりをチラチラ見ながら食事を取る。
真夜中になって母さんが帰って来た。
「無事にお姫様がお産まれになったわ」
母さんはうれしそうに話す。
でも俺は母さんの顔色が悪いのが気になった。
「母さん、もう休んだほうがー」
ガタンッ
「母さん!?」
俺はフラリとした母さんの身体をとっさに支えた。
「ギディ!」
「はい!」
俺たちの様子を見ていたんだろう。
ギディがすぐに手を貸してくれて、母さんを部屋に運ぶ。
「だいじょ、ぶ、よ」
そんなわけない。
俺はこんな苦しそうな母さんを見たのは初めてだ。
「陣痛が始まったんですね。 すぐに医術者を呼んできます」
俺は王宮に行こうとするギディを止める。
「違う。 今、王宮に行っても医者はもう体力を使い切ってる。
行くなら、城下の産婆か、デッタロ先生を呼んできて」
「え」
ギディが「何を言い出すんだ」という感じで、目を見開いて俺を見る。
俺はギディに構わず窓を開き、厩舎に向かって弟たちに合図を送った。
すぐに黒い影が厩舎から動き出す。
「グロンに乗って行って。
医者が見つからないときはお前の家族でも誰でもいい、出産に立ち会ったことある人を連れて来て」
「あ、はい、分かりました」
俺は寝てた時のままの服装だったけど、ギディはちゃんと着替えてた。
すげえな、あいつ。
そんな変なことを考えながら、俺は母さんの手を握った。
「うふふ、頼もしく、なって」
「しゃべらなくていいよ、母さん」
本当は心臓はバクバクしてるし、母さんに何かあったら、俺はどうなるんだろうと思ったら苦しくて。
でも泣くのは違うと思って必死に口元を引き結ぶ。
足元にツンツンが来ていた。
【ダイジョブ?】
久しぶりに聞く弟の声につい涙腺がヤバくなる。
「ありがと。 もし出来るならエオジさんを呼んで来てくれないか」
ツンツンはペコッと一度顔を縦に揺らすと、入って来た窓から出て行った。
「母さん、母さん、何か欲しいもの、ある?。
えっと、俺、なんか出来ることない?」
そういえば、確か腰を摩ってあげるといいって聞いたような。
お腹を守るように横向きの体勢で寝ている母さんの背中を撫でる。
「ありがとう、コリル」
すごく汗をかいている母さんの顔を、少し水で濡らしたタオルで拭く。
夏だし、ここは盆地だしで、夜中でも暑い。
エアコンなんてないしな。
そか、風だ。
俺は風魔法で部屋の中で風を循環させて温度を下げるため、なるべく外から低い温度の風を引き込む。
「ふう」
母さんの顔が少し楽そうになる。
でも陣痛って定期的に痛みが来るんだよな。
どうすれば母さんの痛みを和げてあげられるんだろう。
ああ、だけどお産は病気じゃないから自然に任せたほうがいいのか。
「おい、コリル、入るぞ!」
エオジさんの声がした。
「こっちだよ」
俺は玄関に向かって声を張り上げる。
「お、ここか。 どうした、って、こりゃあ始まったのか」
「うん、どうすればいいか、分からない」
俺はギディに城下に遣いに行ってもらってることを話す。
「ああ、そりゃあ賢明だな。
王宮内は一段落しちゃあいるが、ヴェズリア様は容態が安定してない。
治療師や医術師は付きっきりだ」
おそらく父王やヴェルバート兄も付き添っているんだろうな。
「呼んで来てやろうか?」
エオジさんはそう言ってくれたけど、きっと皆、疲れてる。
「医術師とかはきっと魔力を使い過ぎてると思うから、ギディが来てくれるのを待つよ」
そして俺は母さんに顔を向ける。
「どうする?、母さん。 呼んで来たほうがいい?」
それだけで分かったのだろう。
母さんは、顔を横に振った。
俺は頷く。
本当は父王に来て欲しいのかを確認したんだ。
でも母さんは俺と同じであまり王宮の世話になりたがらない。
「エオジさん、王宮からまだ体力が残っていそうな女性の使用人を探して来てもらえないかな。
お産に必要そうな物を持って来てもらえるようにお願いして欲しい」
「分かった。 カリマ、もう少しがんばるんだぞ」
母さんの荒い息、苦しそうな声がかなり強くなった気がした。
「うっ、うぐっ、ぐっ、あう」
握っていた母さんの手が痛くて、俺は怖くて仕方ない。
早く、誰でもいいから、早く戻って来て!。
ポタリ
その音に気づいて立ち上がる。
母さんの寝ている足元が、濡れていた。
ポタリ。
いや、これ、血じゃないよね、水か?。
ベッドからシーツを伝って何かが滴り落ちている。
俺は、自分の足元から体温が抜けていくように冷たくなるのを感じた。
「戻りました!、コリル様」
ギディの声と、バタバタと何人かの足音がする。
茫然として立っていた俺の横を見知らぬ女性たちが通り過ぎ、すぐに母さんの容態を確認していた。
「もう大丈夫ですよ、坊ちゃんたちはこちらに」
優しそうな老婆が俺の手を引いて、部屋から出してくれた。
ギディは母さんの部屋を気にしながら俺の側に来て、
「間に合って良かったです」
と、大きく息を吐いた。