14・別れというものは
今日も俺は朝から魔術の本を開いている。
俺担当の平民学校の中年教師は、思っていたよりずっとすごい人だったようだ。
名前はデッタロさん。
部族の中では頭脳派。
浅黒い肌に黒髪黒瞳だけど、長身で、いつも長衣で隠してる肉体は結構鍛えてるっぽい。
それに若い頃はイロエストに魔術留学してたらしいから、王宮にいる魔術師より優秀なんじゃない?。
「私が魔術の勉強をしたのは、一人でも多くの国民に魔法を、より安全に使ってもらうためです。
一部の高貴な方やお金持ちのためじゃありません」
ふええ、カッコイイ。
でも、そうしたら俺のために王宮に来てもらったのは悪かったかな。
「いいえ、コリル。 あなたの指導は私にも利益がありますよ」
「ほんとですか?」
「ええ、陛下や王宮の役人、それにイロエストがブガタリアの国民をどう思っているか分かりますから」
へっ?。
そんなことが俺のところで分かるなんて優秀過ぎない?。
「コリルは心配しなくていいんですよ。 さあ、今日もがんばりましょう」
ニッコリ微笑まれちゃったよ。
ま、まあ、デッタロ先生が楽しそうだからいいや。
午後、厩舎に向かっているとエオジさんの姿が見えた。
大商隊の準備で忙しいだろうに。
そういえば、確認しなきゃ。
俺は厩舎に入る前にエオジさんを捕まえる。
「ねえ、大鷲は見つかった?」
「お、おう」
どっちなんだよ。
エオジさんが珍しく周りを気にして、「中で話す」というので、俺専用厩舎の奥まで行く。
小型の檻の中で雛さんがバタバタと羽を動かしている。
うん、魔獣はやっぱり成長が早い。
そろそろ檻が狭く感じる。
「うーむ、これはどうしたもんかなあ」
エオジさんが雛さんを見て悩み始める。
「あのー、何かあったの?」
「確認だが、コリルは雛を森に返したいんだよな」
「うん」
それがどーした、と中肉中背の元騎士のオジサンを見上げる。
エオジさんは、あれから森の探索を続けてくれていた。
「コリルの、あの黒いゴゴゴに訊ければ早いんだろうがなあ」
うちの弟たちは優秀だけど喋れないからね、今のところ。
大きな木には間違いないだろうと、暇があれば王宮北門にある見張り台から単眼鏡を覗いていたそうだ。
「あれだけデカい卵だ、親もデカいだろう。 だけど、俺たちは見たことがない」
それで方向を変えてみた。
「北門はグリフォンが出入りしてるから、他のデカい魔獣はいないはずだ。
だけど、北の森で卵だけが見つかった」
俺はエオジさんの推理にウンウン頷く。
「卵を安全に育てるための産卵場所があるのかな」
俺がそう言うと、エオジさんが頷いた。
そこから誰かが持ち出したか、落ちてコロコロと転がったのか。
「北から少し西の崖の中ほどに、ちょうどグリフォンの通り道を避けるように横穴が見つかってな」
穴というより裂け目のようで、左右の壁が迫っていて、グリフォンなどの大きな魔獣は通れないほどの幅。
「そこをな、大鷲がこうスッと縦になって入って行くのが見えたんだ」
おお、野性ってすげえ。
グリフォンがいる地域なら卵を狙う他の魔獣が少ない。
幅が狭い場所ならグリフォンが入れない。
そういう場所を見つけたんだね。
「まあ、あの程度の崖なら俺のゴゴゴでも行けなくはない」
だけど、一度卵を失っている大鷲は警戒を強めているだろう。
「雛を返すのは難しそうだ」とエオジさんは申し訳なさそうに俺の頭を撫でた。
ピィピィピィ ピィピィピィ
身体は成長しても、まだまだ声は可愛い雛さん。
「なあ、やっぱりコリルが飼ってやればいいんじゃないか?」
雛さんは柵の向こうから俺に向かって必死に首を伸ばす。
柔らかだった灰色の羽毛は、まだ薄いもののしっかりとした羽になってきた。
グリフォンがいない時間を見計らって、少しずつ屋外に出して日光浴や羽をはためかせる練習もしている。
俺だって雛さんと別れるのは辛い。
「雛さんも親に会いたいよね」
無条件に愛してくれるのは親だけだって聞いたことがある。
「俺じゃない」
俺じゃないんだ。
冬が近い。
雪が降り始めたら大鷲は移動してしまうかもしれない。
雛さんを返すなら早い方がいい。
「警戒を抜ける方法ならあるよ」
俺は足元に擦り寄る弟たちを見る。
しばらく黙っていたエオジさんは、フウッとため息を吐いた。
「分かった。 コリルがどうしてもというなら、俺はそれを手助けするだけさ」
「ありがとう」
少し泣き笑いの顔になってしまったけど、俺は胸の痛みをグッと堪える。
そして地図を広げて場所を特定し、天候やエオジさんの予定を確認した。
王宮北門の警備兵には、以前と同じようにゴゴゴの餌を取りに行くと目的を告げる。
俺はグロンを連れ、餌を持ち帰るための空箱にツンツンと雛さんの入った籠を入れた。
前回、予想よりたくさん持ち帰ったら、驚いたじいちゃんに「次はこれに入れて来い」と空箱を渡されたのだ。
今回はエオジさんも自分のゴゴゴに騎乗している。
俺より大きな素材回収用の空箱と卵用の鞄を厨房から預かったようだ。
抜け目ないな、王宮料理人。
エオジさんのゴゴゴは全身が薄い茶色で優しそうな顔をしていた。
「崖を登ることになる。 風が強いから、しっかり寒さ対策して来い」
と、言われていたので、俺は母さんにモコモコにされた。
いったい何枚着てるんだろうってくらいに。
エオジさん、そんなに笑わないでよ。
午後早い時間に出発。
今日は目的地が決まっているので、最初からグロンに乗り、防御魔法に包まれている。
餌を見つけては足が止まりそうになるグロンに、エオジさんのゴゴゴから離れないよう指示をする。
先輩ゴゴゴもグロンを気にして、こちらをチラチラ見ていた。
本当に優しいな、エオジさんと似てる。
「ここだ」
かなり速いペースだったが無事に崖に到着。
北門からかなり西寄りだ。
裂け目を見つけて、大鷲に見つからないように、ゆっくりと登って行く。
エオジさんが単眼鏡を覗き込み、俺に止まるように合図する。
近くの窪みに身を潜めて、俺もヴェルバート兄に貰った真新しい単眼鏡を取り出した。
エオジさんが羨ましそうな顔をするけど貸しませんよ。
まだ肉眼では見えないけど大鷲の警戒内だ。
俺たちは声を出さずに合図だけで会話する。
エオジさんが頷き、じいちゃんから預かった魔道具を雛さんに向けた。
淡い緑の光に包まれ、雛さんがウトウトと眠り始める。
俺は雛さんの籠をツンツンに銜えさせると、窪みから顔を出して大鷲の巣がある方向を指差した。
一つ頷くような仕草をしたツンツンは崖を移動して行き、大鷲の巣に近づく。
この時間帯は親鳥がいないことは確認済みだ。
巣にはもう一羽、雛がいる。
息を呑んで俺とエオジさんが単眼鏡を覗き込んでいると、ツンツンはスルリと巣に入る。
ゴゴゴが巣に侵入したことで他の雛が騒ぐかと思ったが、まだ気づいていないようだ。
さすが我が弟ツンツンである。
厩舎内で練習した通り、ツンツンは巣の中に雛さんを下ろした。
その時、サアッと黒い影が巣の上をよぎった。
ツンツン!!。
スゥーと籠が崖を落下して行くのが見えた。
単眼鏡から目を離し、涙目になった俺にエオジさんがゆっくり後退するように合図する。
ノロノロと後退していると、足元を何かが突く。
俺はサッとその身体を掴むとグロンの背中に飛び乗った。
急いで崖を下りる。
エオジさんが俺の後ろに付いてくれて、崖から森の中へと駆け込んだ。
大人の背丈ほどある下草の中で止まる。
エオジさんが後ろを振り返って単眼鏡で様子を見ていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
ハアッと大きく息を吐く。
俺は腕の中でキュルキュル言ってるツンツンを撫でた。
「ありがとう、ツンツン。 ありがとう、グロン」
帰りは、俺もエオジさんもメチャクチャ害獣や害虫を狩って、グロンも卵をたくさん収集した。