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ひまつぶしになれば  作者: マヤ
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六章 あめ 4

 お母さんはわたしに「でていけ」と言いました。

 わたしがなにかをするたびに罰を与えるのはいつものこと。ううん悪いことをしたんだから当たり前のこと、です。

 お母さんがそんな風になったのは借金ができてからです。

 その日だって、タイミングが悪かっただけです。

 本当は優しいのですよ。借金のせいで苦しんでいるだけです。きっと。

「でていけ」のあとクツと一緒にわたしは道路に投げ捨てられました。

 転がったクツを拾いながら思ったのは、とにかくお母さんが落ち着くまでここから離れようということでした。夜中に帰るまで、時間をつぶそう。

 行く当てもなく近所の公園についた私は、誰もいないベンチに座り込みました。

 わたしが影を売ったのはこの日です。

 途方に暮れたわたしはしばらく彷徨い続けました。遠くの街に飛び出す勇気もなく、かといって帰るわけにもいかず、ひたすら歩きました。

 時計がなかったので何時頃かはわかりません。周囲に人の気配はなくなっていて、家々からも光が消えていました。

 そんな道路の真ん中に、その人はいました。一見普通の男の人でした。でも、なんていうかその、上手く表現できないのですけど、纏っている空気が違いました。その人の周囲だけ時間が止まっているみたいな。

「キミは自分の影に愛着はあるかい?」

 澄んだ声でした。その人は正面に立っているのに、耳元で囁かれているのかと錯覚するくらい鮮明に。

「もしよければ俺がその影買い取ってあげよう」

 からかわれている、そう思いました。こんな夜中に女が一人です。いかに自分が無防備だったかぞくっとしました。

 それでも借金のせいで苦しんでいるお母さんのことを想うと、わたしはお金が欲しかったのです。

 だからわたしは、深く考えることなく「買ってほしい」と頼みました。

 呆気ないものでした。わたしの返事を聞いた彼は高笑いをしてお辞儀をしただけ。まばたきをした間に彼はいなくなってて、わたしの足元にはお金が入ったカバンが置いてありました。

     ***

「つまらない話でしょう?」

 ニュースでも読むかのようにナツキは語った。

「面白い話、じゃなかったな」

 息苦しかった。飴が欲しくてポケットを探った。

「それでどうなったんだ」

 持ってきてないものがポケットにあるわけがなかった。

「特になにも。わたしは怖いとかよりもうれしいの方が大きくて、急いで家に帰りました。これでお母さんが褒めてくれると信じて」

「でも駄目だった、のか」

 さっきのやりとりがはっきりと答えを出している。

「家には誰もいませんでした。朝になってもその次の日になっても。しばらくたって、冷静になったわたしは自分の変化に気が付きました。影がなくなっていることに」

 それからナツキは、母親がこれまで色んな男と関係があったこと、追い出される数日前に母親の後をこっそりつけて、今の男に会っているのを知ったこと、確信はあったけどこんな自分じゃ会いに行けなかったことを、やっぱり淡々と説明した。

「そこからは前に話した通りです。わたしから影を買った人を探していました」

 改めて聞いても突拍子もない話だった。影のない少女と大金とあの母親。どれかが欠けていたら「未成年のありがちな妄想」だと聞き流していたかもしれない。

「今日は疲れました。もう寝ます」

 少女はそのまま倒れるように寝ころんだ。僕も黙ってそれに倣った。

 信じられないようなことが世の中にはたくさんあるという。

 別に影がないことが信じられないんじゃない。僕は家族が苦手だけど、それは勝手な僕の劣等感だ。そんな僕から見て崩壊的な家族があることでもない。

 僕は少女から目をそらすように寝返りを打った。

 信じられないのは、あの壊滅的な、それでも家族を愛していた少女が「影を買い取る」などという現象に出逢ったことだ。母親も、ナツキも、影がなくなるなんて現象も、全部が全部歪んでいる。それらがなぜ出逢ったのだろう。あるいはみんな歪んでいるから集まったのだろうか。だから僕もタツヤと投合して、あの路地裏でナツキに出会ったのだろうか。

ひたすらに暗い祭壇と天井を眺めていた。三十分もそうしていただろうか。とめどなく続いていた打鍵音は消えていた。いつの間にか、雨は止んでいた。

 静けさに耳が痛んだときだった。こらえるような荒い呼吸音と鼻をすする音が聞こえて僕はぞっとした。恐怖でも寒さでもない。雨の中にナツキが突き飛ばされてから、ずっと聞きたくないと思っていたものだった。

 ナツキが泣いている。辛いときほど感情を殺そうと無表情だったナツキが泣いている。

 信じたくなかった。いつも一歩引いて、冷淡に世界を見つめていた少女の弱い姿を否定したかったし認めたくなかった。

 だって、今の僕にはなにもできないのだから。

 もう僕が寝ていると思い込んでいるのか、もしくは雨音がなくなったせいか、すすり泣く声は次第に大きくなっているみたいだった。

 今さら僕が同情できるような余地はない。彼女を連れてきたのも僕、一人で行かせたのも僕、雨に濡れる彼女を助けることも一緒に濡れることもできなかったのは僕だから。さっきだって、すべてを話した少女に声もかけられなかった。そんな僕が、いったいどんな顔で慰めるというのだ。心を決めて追いかけたはずなのになにもできなかった僕が。

 ナツキの濡れた姿を思い出した。あんな状況でも僕を気遣ってくれた。それなのに僕は自分しか見えてない。

 どんなに強そうに見えてもナツキだって僕と同じだ。どうしようもなく弱くて、誰かに引っ張ってほしい。弱い自分が折れないように必死で強がる。それで精いっぱいなんだ。

 僅かに差し込む光を眺めながら記憶を辿る。

 路地裏で会話してしてから僕の中で止まっていたなにかが動き出した。

 押し殺していた僕の感情を解き放つ決意を与えてくれた。

 不器用な彼女なりに僕を気遣ってくれた。

 いつの間にか、僕は助けられていた。

 だから今はあえて声をかけない。ナツキはきっと、泣いてる姿を誰にも見られたくないだろうから。僕が起きてると知ったら、思いっきり涙を流せないから。

 ただ、これで最後にしよう。もう彼女が泣かなくて済むようにしよう。

 祭壇の前で、ナツキのこらえるような泣き声を耳に刻みながら誓った。

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