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ひまつぶしになれば  作者: マヤ
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六章 あめ 1

期間限定公開です。 

長編の一部ですが、消した後再度改稿するものです。まだ不十分なものですのでそれだけ了承していただきたいです

その日は珍しくナツキから僕に声をかけてきた。いつにも増して暑い日で、彼女から話題が出なければ、僕は一日中部屋から動かなかっただろう。

「アイハラさん、アイハラさん。お願いしたいことがあるんですけど」

 何十回も旅してきた『不思議の国のアリス』の世界から抜け出すと、いつものように眠そうな目つきでナツキが座っていた。一応正座までしているのは頼みごとをする引け目からか。

「無理のない範囲でなら協力するけど」

 僕はわざとらしく首筋の絆創膏を撫でた。

 少し悩むような間が空き、やがてナツキはそっと息を吐いた。

「そうですか。では車を出してほしいのです。なるべく早急に」

 遠出したいのか。なんとなくだけど、今までの彼女からしたら意外だなと思った。彼女は移動くらいのことで他人に頼らない気がしていたからだ。素直にそのことを告げると「昨日のことで、少し考えが変わりました」と返された。

昨日のこと、か。ただ僕の痴態をさらしただけにしか思えないが。曲がったものを正そうとして、けっきょくキレイには終われなくて。一体あれが彼女にどう影響したのかはわからない。

「それで? 僕はどこへ連れて行けばいい?」

「わたしの」

 ナツキは一度言葉を切った。

「わたしの?」

 僕が訊き返すと、ナツキは少し迷うようにポケットを探った。

「わたしの母のところです」

 そう言って少女は僕にスマホを突き出した。丁寧なことにルート案内まで済ませてある。

 ……なるほど。

「なあ居候さん、この情報によると車で二時間以上かかるらしいぞ」

 いわゆる移動予測時間は二時間四十分となっている。僕がスマホの画面をナツキに見せると、すかさず彼女の指が画面に伸びてきた。

「徒歩だと一日と九時間かかりますね、家主さん」

 誰が家主さんだ。

「一緒に歩こうか?」

「いえそれは求めてないので」

 僕だってこの炎天下で歩きたくはない。真顔で返してくるあたり、彼女には冗談が通じなさそうで怖い。

「わかったよ。別に無茶なことでもないしそのくらいなら協力する」

 ナツキは安堵したみたいに口元を緩めてからパタパタと動き出した。僕はそんな姿を横目に見ながらノロノロ立ち上がる。僕の方は特に用意するものもない。精々、ホコリを被った車のキーと財布をポケットに突っ込むくらいだ。

 部屋の中でちょっと動いただけで汗が流れた。太陽をから少しでも逃れたくて、玄関で座りながらナツキを待った。

 煙草三本くらいの時間が過ぎて、ようやくナツキは現れた。

「なあ、そのカバンには何が入っているんだ?」

 あきれたことに、彼女は例の重そうなカバンを持ちながら向かってきた。

「なんだっていいでしょう、別に。これから使うものです。」

 ナツキは眉一つ動かさずにクツを手に取った。

「そんなことより」

 小さいクツだな、と眺めていた僕の背中をナツキが押す。

「外の様子はどうですか」

「どうもなにも、今年一番の暑さと連日リサイタルしてるセミの合唱であふれてる」

「そんなことではなくて」

 ナツキは一瞬暗い顔をして、ようやく彼女の言わんとしていることを悟った。これだけ元気に太陽が仕事をしているのだ。夜中より影の有無は鮮明になる。

 僕がドアを開けて一歩踏み出すと、一気に汗が噴き出した。まとわりわりつく熱気はそこら中にあふれているし、遠くの景色は揺れて見えた。

「安心してほしい。この炎天下に外へ出ようなんてアホはいないみたいだ」

 僕が振り向くと、ドアの隙間からナツキの首だけが覗いていた。そのまま首だけが周囲を見回し、ようやくナツキは歩き出した。そのまま少女の警戒心が解けることなく、アパートの階段を降りたところで僕はため息をついた。

「さすがに神経質になりすぎじゃないか。疲れるだろ」

 数歩歩いてはキョロキョロをを繰り返す姿は不審者そのものだった。何も知らなかったら僕だって通報したかもしれない。

「どんなにやってもやり過ぎ、ということはありませんから」

 そういってナツキは歩き出す。

 重そうなカバンを持っているうえにあのペース。このままでは車に着く前にどれだけかかるかわからない。

 僕は歩く速度をゆっくり落とした。

「? 何のつもりですか」

 横に並んだ僕をナツキが見上げる。

「僕の影であんたの影を隠す。このままのろのろしてたら暑さで倒れる」

 自分のアパートで熱射病なんてぞっとしない。そんなことでニュースにでもなったらそれこそ恥ずかしくて帰ってこられない。

 ナツキは一瞬立ち止まって、またすぐに一歩踏み出した。

「変な人」

 ナツキも僕に合わせるように少しだけ歩幅が大きくなっていた。

*****

 昼の大通りは混雑していた。最初は窓を開けて我慢していたものの、助手席の少女が睨んでくるものだから冷房を入れた。そもそも窓を開けさせたのは彼女なのに。

 車に乗り込んだ直後、ナツキの第一声は「煙草臭い」だった。僕が黙って窓を開けると、続けて「汚い」と苦言を漏らした。でもそれに関してはどうしようもない。後部座席にはぬいぐるみやおもちゃがごちゃごちゃと積まれているのだ。

 自分でもあきれてはいるのだが、乱雑に転がるそれらは僕だけの責任ではない。

 今からちょうど一年ほど前。大学二年の夏の頃だった。タツヤと付き合いだしてからの僕は適度に授業をサボることを覚え、夜のドライブが楽しみになっていた。不良になったつもりはなく、良い意味で大学生らしく、浪費する生活から消化する人生になっていた。翌日に授業がない夜は二人で街に繰り出す。飽きるまでの間、恒例となったイベントだった。

 僕たちは意味もなく海へ行き(タツヤが一人で海に飛び込んだ。車にびしょびしょのタツヤを乗せるのが嫌だったから僕はタツヤをビニール袋に突っ込んだ)、繁華街でどっちが先にナンパを成功させるかを争い(僕は気乗りしないかったからタツヤがビンタされるのをこっそり見て笑っていた)、タツヤの友達の家で賭けポーカー(タツヤがイカサマで僕からばかり巻き上げてきたから置いて帰った。二日後にヒッチハイクでタツヤも帰ってきた)をしたりした。

 あちこち飛び回り、その中でも長続きしたのがゲームセンターだった。きっかけは覚えていない。どうせカップルの女のほうが彼氏にねだった景品を先にとりつくしてやろうとかそんなことだろう。

 最初はとにかく成功しなかった。ただひたすらに筐体と両替機を往復した。そのうちどっちもコツをつかみ、一月も通ったらどっちが多いかで競うようになっていた。

 ただ一つ誤算だったのは、僕もタツヤもプレイするのが目的であって景品自体には一切興味がないことだった。結果、日々の成果は僕の車に放置され、タツヤの「そのうち俺のだけでも回収する」という羽毛よりも軽い約束のもと、今に至るのだ。

 果たされていない約束の積み重ねが、今も後部座席に溜まっている。

 混んでいる道路を走るのは久しぶりだった。道の端を歩いているのは小学生ばかりだが、周囲の車は家族連ればかりだった。

 彼らから見たら僕らは異質だろうか。気怠そうな大学生と、終始つまらなそうな顔をしている少し年下の女の子。しかも少女は自分の姿を隠すようにぬいぐるみを抱えている。後部座席に突っ込まれていたうちの一つを。

「この暑いなか外出する人がこんなにいるなんて思わなかったな」

「みんながみんなあなたみたいに引きこもりじゃないんですよ」   

  助手席からの返事は冷たかった。

「そんなもんかね」

 その後しばらくは静かなドライブだった。四回目の赤信号で止まったとき、僕は助手席の少女に頼んだ。

「悪いけどダッシュボードの中身取ってくれないか」

「煙草はやめてくだ……?」

「どうした?」

 突如黙ったナツキを見る。あそこにはアレしか入れてないはずだけど。

 乱雑に突っ込まれたそれらを、彼女はまるで初めて見たかのように眺めていた。

「いえ、その、すみません。てっきり煙草を吸うのだと思って」

 ああ、なるほど。確かにタツヤならこんなときに吸うだろうな。

 僕はようやく合点がいった。でも、

「僕は煙草を吸わない」

 むしろ吸えないと言い換えてもいい。なぜあんなものを皆が好むのか理解できない。そもそも、この車の煙草臭はあいつが原因だ。

 タツヤが車に乗るようになってから抵抗するように車に常備したのが、

「飴ですか」

「そう。ずっと健康的かつ個性的」

 僕は棒付きのキャンディーを咥えてから、前の車に続くようにアクセルを踏み込む。

「いつもはポケットにも入れてたんだけど」

 口から落とさないように注意する必要もない。舐めながら話すのはとっくに特技になっていた。なんなら履歴書に書いてもいいくらいだ。

「あの時もぞもぞしてたのはそれだったんですか」

 いつのことだろうと思ったがすぐに思い当たった。出会った日のことか。今頃僕を殴ったやつらの栄養になっているか、あるいは蟻たちのエサか。どうせまとめ買いしたものだから惜しくもないが。

「あんたも一つ舐めるといい」

 僕の善意を差し出す。

「けっこうです」

 残念。口の中で飴と歯がぶつかる。

「でも飴を舐めている間は黙っている口実になりますね。やっぱりいただきます」

 素直じゃないのかひねくれているのか。両方かもしれないけど図りかねる。ただ、僕も似たような理由で舐めていたことがあるから彼女の気持ちが理解できた。

 袋を漁る音、続けて何かを破る音、最後に飴と歯がぶつかる軽い音がした。

「適当に選んだのは失敗でした」

「え? なんて?」

 僕の問いに返事はなく、ただ「ガリッ」と何かを砕く鈍い音が響いた。かすかにミルクの匂いが広がる。

 もし僕が能天気に聞き流していなければ、あるいは散々人の顔色を窺ってきた僕なら横を向けば、すぐに彼女の真意に気が付いてこのドライブを中止していたかもしれない。

 そこそこのスピードで鉄塊を走らせる僕は、車外の様子にしか注意を向けていなかった。

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