四話 レアの誕生日、フレイの合格発表
公布から十年、もはや女性は慎ましやかな者という風評は消え去り、政治に軽く関与する女性もほんの僅かではあるが増加の傾向が見られていた。
ミルロット家には数多くの縁談の誘いが来ていた。本日でようやく十歳に達するレアに対する縁談の誘いだ。多くは子爵男爵から、まれに伯爵侯爵からも来ている。
旦那様の仕事は、毎朝そんな誘いを処理することから始まる。
デスクに座り、紅茶で乾いた喉を潤す。
一呼吸整えたのち、右手の山から手紙を抜き取る。
素早く一通一通目を通し、業務的な手紙は左へ、『お断りします』と含んだ定型文で返す縁談の誘いは正面の山へと軽く放り投げていた。
「………ん?」
ピタリ、と旦那様の手が止まる。
その時持っていた封筒は娘でも自分宛てでもなく、息子フレイに対する封筒だったからだ。そして差出人も個人からではなく、現在最難関と云われるグレイラット学園からだった。
不思議に思いながら中身を拝見した旦那様は、手元のベルを鳴らした。
少しして、紅茶のポットを乗せたワゴンと共にミリが扉から現れる。
「お呼びですか、旦那様」
「これは何だ?」
疑問と共に突きつけた書類、それはフレイの合格通知だった。
「………見なかったことにしてください」
額を押さえ項垂れるミリは薄ら笑いを浮かべながらも懇願する。
「なるほど、全部説明しろ」
「まぁ、隠していても仕方ないですね」
ミリは合格通知が届くまでの事の成り行きを、順を追って説明した。
「つまり、私が娘に関心を奪われてる間にこれを手にして驚かせようという算段だった、と」
「ええ、あの出来事以来若様と話しづらそうにしてたので」
隠すのが簡単でしたよ、と嫌味ったらしくミリが付け加えると、旦那様は苦笑いを浮かべながら書類を封筒に戻した。
「色々迷惑をかけた。私は見なかったフリをしておこうか」
「上手く驚いてあげてくださいね」
ミリは空のティーカップに少し冷めた紅茶を注ぐと、合格通知をワゴンに乗せ部屋を後にした。
「そうか、フレイがか」
すっかり手つきが遅くなってしまった旦那様は一部の手紙を処理出来ないまま昼からの仕事へと馬を飛ばす。かすかな嬉し涙を流しながら。
その時家ではミリと奥様の間で行われる昼間の報告会が行われていた。
「えーと、ということでバレてしまいました」
「ガーナの驚いた顔見たかったのに」
奥様は頬を軽く膨らませ、小さく呟いた。
「えー、今は若様の合格を喜ばれた方が良いかと」
「……そうね。お祝いパーティでも開こうかしら? いや、フレイは嫌がりそうね」
傾げる首を右手人差し指で抑える。奥様は豪勢に祝ったところで、恥ずかしがり屋なフレイが逃げ出したりしないか懸念していた。
「まぁそういうお年頃ですからね。私から祝いの言葉を伝えておきましょうか?」
「いいわよ、私から直接伝えて…… いえ、タイミングが掴めないわね」
直接祝いたい親心で頭を悩ませる。二人共に悩んでいると、ふとミリが軽く手で音を鳴らした。
「でしたら、今日行われるお嬢様の誕生日と一緒に祝ってはどうでしょうか?」
「それは名案ね。急な話だけど準備頼めるかしら?」
「かしこまりました、ではまた今夜」
弾む足でミリは奥様の部屋を出る。合格通知を受け取ってソワソワしているであろうフレイを思い浮かべながら、倉庫へと向かっていった。
◇
その夜、レアの誕生会が行われた。
十歳という年の節目というパーティ
レアはレンタルのドレスを纏い、夫妻は去年の舞踏会で使っていた服、フレイは舞踏会デビューの為に新調した燕尾服を着ていた。ミリはいつも通り侍女の服だ。
そして、旦那様と奥様がそれぞれ呼んだ総勢四十人程の友人もいた。
今は特に仲のいい夫妻の友人、夫妻、フレイ、ミリがお祝いの言葉を壇上で述べていた。
「───少し長くなりましたが、本日は誕生日おめでとうございます」
ミリがお祝いの言葉を述べ終わると、祝われるレア以外の家族全員で同時にクラッカーを鳴らした。最近発明された、魔法で一瞬の幻覚を見せるだけの散らからないクラッカー。
会場全員の視線が向けられる中、レアは予め用意しておいた謝辞の言葉を述べ始める。
「皆様、本日はお集まり頂きありがとうございます。お陰様で私も生誕十周年のこの日を迎えることが出来ました。本来なら一人一人に謝辞を述べるべきなのですが、この場でお礼を申し上げたいと思います。
んー…… みんな、皆様から頂いたお祝いの言葉……、を頂き、喜ばしい気持ちで一杯一杯です。本日は────」
最初の一文こそ一息つかずに言い切ったものの、緊張の所為か何度も覚えた筈の台詞を忘れてしまったレアは、たどたどしい口調を介した後、メリハリのない声で用意していたカンペを読み始めた。
まだ十歳だから仕方ない、と会場の人々は微笑ましく見るが、父親は少し恥ずかしそうに顔を伏せていた。
「改めまして、本日は真にありがとうございます」
最後の一文はしっかりと感情を込めるとレアは顔を赤らめながら壇上を降りた。
「はい、お嬢様に拍手~。さて突然ですが、ここで若様がこの場を借りて発表したいことがあるそうです。若様、どうぞ」
コツコツ、とカンペと合格通知を胸に抱えて壇上へと登る。
「えー、誠に勝手ながらこの場を借りてお伝えしたいことがございます。私、フレイは本日、無事グレイラット学園から合格通知を頂きました」
掲げられる合格通知と共に発せられた簡潔な告白に会場が一瞬固まる。会場の中の何人かが目を凝らして見る合格通知に押された判子は本物だ。
父親も驚こうとしたがそんな器用な真似は出来ず、チラチラと視線を向けてくる息子を、視界の端に入れて見ていた。
結局、フレイは妹から純粋な気持ちで祝われたものの、父親からは声もかけられないまま夫妻の友人達に囲まれるのだった。
◇
夜にはベッドにぐったりと倒れこむフレイの姿があった。ギラギラとした視線を終始向けられ心身共に疲労困憊していた。
「あんなとこで言わなきゃ良かった……」
「直接話しかけてくれなかったようですが、旦那様も息子の話題を振られた時嬉しそうにしてましたよ」
「それは嬉しいけど、一言何か言われたかったね」
「照れ屋な旦那様の代わりに私が祝いましょうか?」
ミリは両腕を広げてフレイを迎え入れようとする。ミリの方へ向けてた顔を反対方向へと向ける。
「別にいい。硬いだけだし」
「はいそうですか。ではお休みなさい」
顔を顰めながらカップを片付けると、ミリはそのままレアの部屋へと向かった。
部屋には、ベッドに座り、元気に足を揺らめかせながら、父親から貰ったアダマンタイト製の剣を眺めていた。
アダマンタイトは剣にするにしては、切れ味は鈍く、魔力も通しにくく、重くと欠点が三拍子揃った鉱石だが、耐久力だけは優れているのでレアの訓練には向いているだろうと両親とミリが考えて特注した剣だ。
普通なら木剣で事足りるのだが、レアはこの三年で木剣を何十本も潰していた。
「嬉しいのは分かりますが、そろそろ寝ないと体に毒ですよ」
「あっミリ、素敵なプレゼントありがとう! えっと、ちょっとこっそり試し振りしてきたんだけど、今までの木剣なんかとは振り心地が段違いで ……凄かったの!」
足りない語彙を誤魔化しながら喜ぶレアを微笑ましく思うミリだが、その笑顔の裏では乾いた笑いを浮かべていた。
「かなり重く作らせた筈なんですがね……」
ミリは自分にも聞こえないような声で小さく呟いた。
将来的に軽々振れるようになるのを目標とする為に作らせた筈の剣だったのだが、レアは軽々と振っていたかのように発言していたからだ。
もしかすると、とミリは期待を込めて発言した。
「………お嬢様は、王子様と結婚したいとか思ってますか?」
「うん、その為に強くなるの。私が強くなれば、お金に困らなくなるし、シャクイ? ってのも上がって家族が喜ぶんでしょ?」
「ええ、お嬢様ならなれますよ」
淡々とした手つきで食器を片付けると、眠る気配のないレアを背に部屋を出た。