三話 妹の才能
あの公布から七年が経過した。
ミリの懸念通り、世界が求める女性像は大きく変わった。その影響は約束された世代のみならず、現在舞踏会を廻り婚活を進めている女性にすら少なからず影響をもたらしていた。
求められるのは、一世代前とは全く異なる強くて賢くて美しい女性。
その情勢を読めなかった貴族達は少なからず苦難を強いられ、逆に対策を進めていた貴族等は、順調に良い相手に恵まれていった。下級の貴族が上級の貴族に気に入られたとの報告も幾度か挙がっていた。
またこの年の始めに、グレイラット竜国から二度目の公布が成された。
内容は次期国王の妻、すなわち最強の女性を決める為の学園が建てられたとのこと。十四歳から十八歳までの四年間で選定。
王妃選定の為に建てられた施設だったが、ひとまずは通常の学園として門が開かれたところ、各地で名を馳せている貴族が殺到し、たちまち世界で最大の倍率を誇る学園になると思われる程に人が集まった。
本来、学園と呼ばれる施設は男性がほぼ全てを占めるのだが、この学園だけは男性三割、女性七割という異常な比率を叩き出した。
激しい移り変わりに世界が惑わされる中、ミルロット家は変わらずレアに剣を仕込んでいた。
春の優しい日差しに照らされた新緑映える芝生で、旦那様は七歳になるレアの剣を受けていた。
「よし、いいぞ! そう、そこを攻めるんだ!」
旦那様は嬉しそうに手を痺れさせながら剣を受ける。
七年前のあの日、ミリに進言された為に彼女が四歳となった頃から剣を仕込み始めた。
最初は剣術指南で家庭を支えていた父親も「レアがするものではない」と嫌々始めたものであったが、世界の情勢が変化した今、レアに才能を見出した父親は息子を差し置いて指導するようになった。
「………っと!」
レアの剣が弾き飛ばされる。
旦那様が子供相手にする剣術指南ではありえない光景だ。基本子供には受けきって教える旦那様であったが、レアを相手する時だけは、相手を大人に見立てて戦っていた。
「よし、今日はここまでにしようか」
「やっぱりお父様は強いわ」
木剣を鞘に収めると俯くレアの頭をごしごしと強く撫でる。レアを撫でる力強い手のひらには強い喜びと哀愁が毎度篭っている。
(もうじきお前の方が強くなるさ。日に日に適わなくなるビジョンが見えてきている)
頭から手を離し、父親は本来の仕事へと向かう。
レアは落とした木剣を拾い上げ、その場で素振りを始める。
その光景を廊下の窓々から、奥様の部屋へと向かうミリが横目で眺めていた。
カチャリ、と扉を開く音がする。
「奥様、昼食のお時間です」
「もうそんな時間なのね、今行くわ」
「………旦那様は今日も昼食抜きで行って仕舞われました」
ミリは深く深く溜め息を吐いた。それはお嬢様と若様に対する旦那様の愛の違いについてからなる溜め息だ。
「ここのとこ毎日ねぇ。フレイの時は昼食優先だったのに」
「ええ、その所為で日々勉強を拒む傾向にございまして。どうも妹に対して劣等感を抱いてるようです」
「私もなるべくフレイと関わりたいけれど、それはそれで不機嫌になるのよねぇ…… ま、考えても私は可愛い我が子を等しく応援することしか出来ないわ」
奥様は家計簿を閉じるとミリと一緒に廊下へと出た。
◇
旦那様は剣術指南役として、貴族の子供達に向けて建てられた学校へと足を運んでいた十歳前後の子供達に剣術を仕込む為の学校だ。
五年前は男の子しかいなかったが、この学校も時代の流れで女性が半分を占めるようになった。
「よし、準備運動は済んだな。基本の型百回繰り返せ」
旦那様は木剣を担ぎ、等間隔に並び素振りをする門弟達を見回りだした。十数回繰り返したところで型が崩れ始める者を咎め、守れている者は褒め、やる気のない者は無視をする。
そうして見回っている門弟達の中には、フレイの姿もあった。無駄に力んでばかりで、ぎこちない動きになっている。
「おいそこ、何度言ったら分かる。脱力しろ」
しかし父親が注意すれば、更に力が篭る。
「だから肩の力を抜けと言っているだろう。一度やりすぎるぐらい抜けばいい」
更に力は篭り、半ば自暴自棄な素振りだ。父親は呆れて視線を切り、フレイの目前を通り過ぎた。
直後、フレイは地面へと木剣を強く叩きつけ、校内で痛々しい音が反響し、門弟達の動きが止まる。
父親はゆるりと振り返り、フレイを見やった。凹んだ床の近くには先端で折れた木剣が転がっていた。理解した父親は鬼の形相を浮かべ、右手で勢いよくフレイの首を掴む。
「お前、何のつもりだ?」
「………分かるか?」
フレイは首を掴まれ脅えながらも必死に声を振り絞り、父親を睨んだ。首に加わる力が徐々に強くなる。
他の門弟達に続けてろ、と命じてフレイを外へと引きずり出した。
「分かっているのか? お前はもう十歳、意思を持つ子供として何年経った? 七年。それでいてなお道具を一時の癇癪で壊せる程お前は偉いつもりか?」
フレイは黙り込むも、目から反抗の意思は消えない。
「お前が剣を叩きつけたことで家がどんな目で見られるか分かるか? 後ろ指差されて『暴力的な、品のない子しか育てられない家』と貶されると分かってるのか? ……おい、何か言ってみろよ」
「────分かってるよ」
静かな声から、フレイの怒りは再び爆発する。両の瞳から大粒の涙を流しながら、なるだけの大声を放つ。
「分かってるよ! 父上が如何に子供を道具としか見ていないか! 暴力的な子? 上等だね! 父上の品位が落ちたところで僕の心はこれぽっちも痛まないからな!」
喉が掠れ、フレイは涙を袖で拭いながら学校を飛び出した。父親も後を追い連れ戻そうとしたが、指南役の立場が思いとどまらせてしまった。
指南役として、一人の門弟にかまける訳にはいかなかった。伸ばした右手で強く握りこんだ。
「何の為に育ててやってると思ってるんだ……」
今すぐにも爆発させたい衝動を押さえ込み、校内へと戻った。
先ほどの巨大な癇癪は校内にまで響いていた。心配、恐怖交じりで向けられる門弟の視線に対し指南役は───
「さ、続けようか」
下手くそな笑顔を浮かべた。
◇
時刻は夕方、学校も終わる頃、癇癪を起こし逃げ出したフレイは校舎の影で膝を抱え泣きじゃくっていた。
幼いフレイは、この感情が一時の爆発だということを本能的に分かっていた。一度落ち着けて戻ろうとしたフレイだったが、戻れるような心の状態ではなく、近くに戻りつつも見つからないような場所に隠れていた。
「分かってるよ……」
何が、とは表現出来ない。表現したくなかった。言いたくても、喉でつっかえていた。
うずくまるフレイにコツコツと影が忍び寄る。顔を覆う腕からチラリとフレイが見たのは侍女、ミリの姿だった。顔は上げられず、顔を隠すように下を向いた。
「やっぱりここに居たのですね」
ミリはフレイの視線までしゃがみ、ゆるりと語り始めた。
「大丈夫ですよ、若様は間違ってません。旦那様は子供に愛情を向けない、最低な父親…… そう思っている」
同情するように語り掛けられたそれは、フレイが否定しようとしていた事柄だった。否定しようと、顔を上げ必死に喉から声を絞り出す。
「………ちが」
「そしてそれが違うということを、知っているからここで泣いているのでしょう?」
フレイの両目には、ミリの顔がおぼろげに映っていた。よく見えなかったがフレイにはそれが笑顔に見えていた。
「自分へ向けられてた愛情より妹へ向かう愛情の方が深い。それが悔しいだけなのでしょう?」
ミリの胸に飛び掛る。胸元に涙を押し付けられたミリは優しく両手で抱きかかえた。
「正直に言えなくても大丈夫ですよ。そうです、お父様をあっと驚かせることを企画してはどうでしょうか?」
「………頑張る」
そうして泣き止むまでフレイを抱きかかえていたミリは家へと連れ戻った───
◇
「───と、いうことがあったんですよ。旦那様には内緒にしてくださいね」
その見つけてから連れ帰るまでの経緯を説明していたミリは、わざとらしく口元に人差し指を付けて奥様へとお願いをした。
「で、どんな企画をしたのかしら?」
「えーと、聞かれていると不味いので……」
ミリは後方の扉が閉まっていることを確認すると、小さな声で奥様に耳打ちをした。
「最近出来たあの学園に入って、父親の度肝を抜いてやりましょうって約束したのですよ」
ミリは跳ねるように一歩下がってウインクするミリに、奥様は込み上げる笑いをかみ殺した。
「抜け目ないのねぇ?」
「ふふ、賢いと言ってくださいよ。では若様のとこに行きますかね」
軽快なお辞儀をして、ミリは軽快な足取りでくるりと廊下へ飛び出した。




