窪美澄「夜に星を放つ」(文藝春秋)感想
60 夜に星を放つ
(窪美澄/2022年5月/文藝春秋)
第167回直木賞受賞作。
……という帯に引きつけられ、買っちゃいました。短編集なので、読みやすいかなとも思い。
ハードカバーの小説を新品で購入したのは久々。定価1540円。
収録された5作品とも、「私」や「僕」という一人称で書かれていました。
淡々とした硬めの文体で、一見すると純文学っぽさもあり。これ、直木賞じゃなくて芥川賞でもよかったのでは、とちょっと思いもしました。
ただ、読み進んでいくうちに気づきましたが、どの作品も、「最初はバラバラで、無関係と思われていた複数の事柄が、終盤へ近づくにつれ、徐々に一つにつながる」という手法でした。
そのつながり方が、若干わざとらしいといいますか、「現実は、そこまで分かりやすくはないよね」という印象。どことなく、漫画チックなんです。
(特に、「真珠星スピカ」にそれが顕著でした。直木賞選考のコメントでも、別作家を推した委員が「不思議な現象が起こり過ぎ。軽い」みたいな御感想を述べており、私も同意見。)
この辺が、娯楽風だなと感じました。
面白さより、思想性や芸術性を重んじる(であろう)芥川賞とは違うかなあと、私も考え直した次第です。
まあ、逆に言えば、面白く読んだわけですけどね。
では、書籍の冒頭に収録された2作品を御紹介します。
・「真夜中のアボカド」
主人公は三十二歳の独身女性。
婚活アプリで知り合った男性と付かず離れずの交流を続ける、平凡な会社員。
と思いきや、実は、結構重い現実を抱えていました。
双子の妹を二年前に亡くしており(病死)、その彼氏だった男性とは、未だに友人として付き合いがあります。亡くなった妹と、自分は外見がそっくり。
ここまで書けば御想像が付くかと思いますが、自分の親も、妹の彼氏も、自分を見ると「死んだ妹」を思い出し、複雑な反応をしてくるのです。当然、主人公自身も、そのことにはモヤモヤする日々。
でも、妹とは仲良しだったし、自分も含めたみんなにとって、前向きな展開とならないかなあと模索しているのです。前述の婚活も、その一環なのでした。
途中、主人公が、婚活アプリの男性との仲が進展し、性行為に至る場面があります。
この時、男性のぎこちない態度に、主人公は「まさか、初めてじゃないよね」と心の中でつぶやくのですが、それを読んで、私は、この主人公は何て無礼で嫌な女なんだろうと腹が立ちました。
ところが、こういう部分も、実は伏線だったのです。
結局、周囲はしょうもない人たちばかりだったことが、終盤に判明します。まさに、類は友を呼ぶというか。
考えてみれば、主人公だからといって、立派な人格である必要など、ないわけですからねえ。短編は特に。
(まあ、私は、作者の手のひらの上だったわけですね。)
でも、幻想も失望も飲み込んで、人は自分なりの幸せを生きていくしかないと。
「アボカド」が見事な存在感となって、きれいな幕切れ。
・「銀紙色のアンタレス」
主人公は高校1年の少年。夏休み。
一人で祖母の家へ泊まりに行きます。海沿いの家なので、存分に海で泳げるからです。
数日後、少年の幼なじみの美少女が合流し、海で一緒に遊びもします。
美少女の水着姿にドキッとするなど、定番の青春イベントも。しかも、少女の態度はかなり好意的。
(読みながら、「おいおい、直木賞がラノベかよ」と若干困惑の私。笑。)
ところが、少年は、祖母の家に着いてすぐに出会った、年上の女性に一目惚れしており、この幼なじみには全くときめかないのです。
年上女性には子供も(赤ん坊)いて、恋が実る可能性はほとんど皆無だというのに。
ちょっと、これはあり得ないでしょう。
・手を伸ばせばすぐ彼女になってくれる、水着姿も見せてくれる幼なじみの美少女
・素性もよく分からない、知ったばかりの子持ちの年上女性
思春期男子が選ぶのは、どうしたって前者ですよね。
しかも、直ちに決めなきゃいけないわけでもないのに。
後者も気には掛けつつ、とりあえず前者としばらく遊んでみる、という選択も出来るのだし。
性的な興味・欲望が前面に出てしまう高校生の少年が、こんな変な行動を取るとは到底思えません。何の得にもならないもの。
この少年が、よほど年上好みならば別ですが、そういう描写もなし。
これは、女性作者の限界なんだろうなあと私は思いました。
そりゃあ、理屈で説明の付かない複雑な心境を描き出すのが「文学」なんでしょう。そこは分かる。
だけど、「水着美少女」を目先にぶら下げられても、冷静に飛び越える少年なんて。
まあ、まず、いないと言っていい。
男の性欲がどれほど強烈で、思春期にはどんなに悩まされ、持て余しているか。そのことを、甘く見過ぎです。
もっとも、男性作者が書いた小説に、「なぜか成人男性へ恋しちゃう少女」が、都合よくたくさん出てきた歴史もありますのでね。
それに対する一種のアンチテーゼなのかもと考えれば、分からなくもない気がしますけど。
そういえば、最後から2番目に収録の「湿りの海」も、自己陶酔気味の男性主人公が、現実的でしたたかな女性たちを前にたじろぐお話でした。