吉月生「今夜F時、二人の君がいる駅へ。」(メディアワークス文庫)感想
53 今夜F時、二人の君がいる駅へ。
(吉月生/2020年1月/メディアワークス文庫)
主人公の男性は二十歳で、料理人を目指しパスタ屋でアルバイトを続けています。名前は昴。
バイト仲間には、このお店にバイトの後輩として入ってきて知り合った、恋人の女性がいます。名前は真夏。二人は高校時代からの付き合いです。
クリスマスが迫った冬の夜、バイト帰り、二人はいつものように電車へ一緒に乗りますが、口論をして機嫌を損ねた真夏は、発車直前に突然、電車を降りてしまいます。
口論の原因は、クリスマスの予定にやたらとこだわる真夏と、そこまでの熱意は持てない昴との、ささいなすれ違いでした。
そのあとに話は急展開。
何と、動き出した電車は、昴の乗った車両のみが引きちぎられ、五年後の未来へワープしてしまいます。
後ほど判明しますが、どうやら、ベテルギウス超新星爆発の影響でワームホールのようなものが出現し、タイムトラベルをしたようです。
そして、この五年の間に(正確には、駅で最後にケンカ別れをした、その次の夏)、真夏は亡くなっていました。
昴は知らされていませんでしたが、実は真夏は難病にかかっており、余命はわずかだったのです。真夏があそこまでクリスマスにこだわっていたのは、これが最後だと分かっていたから。
さて、時空を飛び越えた車両には、昴以外に四人が乗り合わせていました。
中年男性の勇作は、工場の代表。が、工場はいつの間にか別会社の子会社に。娘は結婚して妊娠中、妻からは離婚を切り出され。
二十代女性の瞳は、派遣社員でしたが、行方不明者ということで職場は退職扱い。同棲していた彼氏は、見知らぬ女性、子供と暮らしていて。
などなど、皆、この五年での生活環境の変化に対応を迫られます。
五人は、当初こそバラバラでしたが、「同志・被害者の会」みたいな感じで集まるうちに、打ち解けていきます。
併せて、タイムトラベルの原理も解明されていきます。
やがて、「危険だし、うまく行く保証もないので試せる者は一人限定だが、ここにいる皆で技術や資金を出し合えば、理論上はタイムマシンを造れて、五年前へ戻れる」という結論が出されます。
では、誰が戻るか。ここで、昴が志願します。
一同は納得します。なぜなら、もし戻れた場合、昴にだけ、はっきりとしたメリットがあったからです。
というのは、この五年で新たな医療技術が開発され、今や真夏の難病も治せるようになっていたのです。
そう、つまり、あの時点へ戻れたら、真夏が電車から降りるのを阻止し、五人でなく「六人」でタイムトラベルをし直せばよいわけです。
もっとも、仮に成功しても、昴が二人に増えるだけ。
すなわち、「過去へ飛んだ昴」は、「助かった真夏」と「もう一人の自分」を、遠くから見守ることしか出来ないわけです。
しかし、それでも構わない、真夏が死なない未来をつくれるなら十分だ、と、昴は決意を固めます。
この計画は「ベテルギウス大作戦」と名付けられ、密かに進められていきます。
本小説を読んで私が強く感じたのは、現象としてのタイムトラベルを作中で起こさせるために、理論的な整合性にこだわっているのだなと。結構、読み応えのある説明が何か所にも出てきましたので。
実際、あとがきによれば、作者は専門の教授を訪ね、研究所でワームホールについて話を聞いたそうです。また、巻末の参考文献にも、専門的な著書名が。要は本格志向なのでしょう。
一方で、人物の設定はラノベ的なんですよね。
ヒロインの難病など最たるものです。
それから、電車に乗り合わせた人が、判で押したように、みんな苦労や不幸を背負っていたり、特殊な能力、独特の癖を持っていたりするところとか、妙につながりがあるところとか。
何と言えばいいのかな。
登場人物はラノベ的にサクサク動くのに、タイムトラベル考察の箇所に入った途端、話が込み入ってきて進まなくなるので、ちぐはぐな印象。
人物の分かりやすさと、考察の分かりにくさとが、ぶつかってしまっています。
一定の速度、一定のテンションで読めないのがストレスでした。
あと、ヒロインの真夏が冒頭で亡くなってしまい、回想シーンにもちょっとしか出てこないため、昴の「自分の幸せは捨ててもいいから、真夏を救いたい」という想いに、余り感情移入できなかったのも残念でした。
瞳など、脇役の恋愛模様を詳しく描いていましたけど、正直、そっちにはあんまり興味がわかなかった。
むしろ、昴と真夏の恋愛場面をもっと読みたかったです。
そうすれば、ラストも更に盛り上がったと思います。
結末は良かったです。
圧倒的な能力を持つ変わり者でも、やっぱり、誰か別の者を見守ることで、実は自分も救われてる、というメッセージを受け取りました。
人物といえば、最後にもう一点。
中年男性の勇作に、リアリティーがありません。
これは、サラリーマンを二十年やった、リアル中年の私が言うのだから確かです(笑)。
ただ、ぞんざいな言葉遣いで威張っているだけで、それでいて急に素直になったり、ロマンチストになったり。
若者が一生懸命「おじさん」を演じている感じでした。
仮にも中小企業の代表を務めてきた人物なのですから、もっと安定した人柄であるはず。そうでなければ、社会人は誰もついてきません。
そこは、人物像を変にひねくらず、普通に書けば大丈夫ですよ。