劉慈欣「三体」(早川書房)感想
50 三体
(劉慈欣/2019年7月/早川書房)
(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ 訳)
(立原透耶 監修)
番外編です。今回はSFを取り上げます。
作品名は、聞いたことある人が多いと思います。最近、あちこちで話題を呼んでいる、中国のSF。
2015年、世界最大のSF文学賞と言われるヒューゴー賞を受賞しました(アメリカの賞。翻訳作品で初。アジアの作家で初)。
各国で絶賛。米国オバマ前大統領、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ氏を始め、著名人も激賞。
そんなにすごいのかと、高まる期待と共に、書店にてごつい単行本を購入。
ちょっとだけ立ち読みしたかったんですが、ビニールできっちり包装されていました。表紙絵は、何だか不明瞭なパラボラアンテナだか船だか。
うーん、大丈夫かしら。私、そこまでSF好きでもないのですよね。私には難しい内容かもしれないなあ。
帰宅して、数日後に封を切り(さあ読むぞという踏ん切りがつかなかった)、パラパラと中身をのぞいてみると、会話こそ多めではありますが、専門用語も散見され、軽く読める感じではない。
よし、まあ、読むとしようか。硬い表紙を、恐る恐るめくります。
最初は、かつて中国で実際に起きた革命の場面から始まります。結構、血なまぐさい。
「ええっ。これ、SFなんだよね。歴史小説じゃなくて?」と、早くも困惑。暴力的シーンを読む「心の準備」が出来ておらず、初っ端からぐったりしてしまいました。
決してオーバーではなくて、この作品がSFであることすら疑わせるほどの、半端じゃない描写。
なるほど、これは中国の方でないと書けないだろうなあ、とは思いました。
もっとも、SFとしてはどうかと言えば、なかなか現実を超越する場面が出ず、心配になってきました。
やがて、舞台は現代へ。
学者や専門家も登場し、何やら国家的、世界的な陰謀が見え隠れし始めます。
それと共に、現実にはあり得ない力も徐々に登場します。例えば、人間の視界に「ある物」を映し込む技術など。
しかし、その超技術を持つ者の正体が、いつまで経っても現れません。
実は裏で宇宙人が命令してました、とか、実はこの人がロボットでした・未来人でした、みたいな展開もない。
中盤は、ハードボイルド小説の雰囲気も。
都市の場面では、私はつい、東京の景色を思い浮かべてしまったものの、実際は中国の都市。ところどころの文化の違いが、面白かったです。
でも、やはり、SFっぽくない。何じゃ、これは。どうなっておるのだ。
そうかと思えば、突然出てきたVRゲーム。
全身スーツを着用し、ヘッドマウントディスプレイを装着する本格的ゲームなのですが、このゲームが何度も登場し、しかもゲーム内の風景描写が毎回、いちいち壮大で凝っているのです。
「ええと、(しつこいけど)これSFなんだよね。ゲーム小説とかじゃないんだよね?」。ツッコミながら読み進める私。
なんか疲れたー。
いや、あれですよ、つまらないか面白いかと問われたら、面白いです。読み応えは抜群です。
確かに面白いんですが、SF的な面白さとは若干異なるようにも感じられて。
気が付けば、厚い本も後半をとっくに過ぎていましたが、ここまで、巨大宇宙船とかを見上げるシーンも、光線銃とかで撃ち合うシーンもなく。
(私のSF観に何らかの偏りがあるような気もしますけど。)
物語は、どちらかといえば地味に、ドライに流れていきます。
そのうち判明してきますが、超文明を持った異星人は、確かに、いることはいるようなのです。
ただし、地球よりはるか遠く離れた場所におり、超文明の高速移動手段を用いても、地球へ到着するには四百年はかかる模様。
なあんだ、ですよね。
じゃあ、物語内において、異星人も超常的な文明も、人類にとっては「推測・憧れ」の域を出ず、大した展開や結末は望めないよなあと。まさか、突然「四百年後」とかは、やらないでしょうし。
ややがっかりしつつも、今さら読むのをやめるのも惜しく、先へ進みます。
すると。
終盤では、しっかりと見事な伏線回収がなされていました。
冒頭の革命は、ある大きな決意へ。
中盤のハードボイルドは、ある大きな決戦へ。
謎のVRゲームは、ある大きな思惑と背景へ。
全てがつながっていったのでした。
ああそうか、なるほど、ここが多くの人の胸を打ったのだろうなと、私も共感しました。
私自身は、感動したというより、その「すごさ」を冷静に納得させられた感じ。
個人的な好みでは、一つ一つの場面が長過ぎる印象を抱きました。
もし、ヒューゴー賞や大ヒットという前評判を知らずに本書を読んでいたなら、恐らく途中で投げ出していたような気もします。
すなわち、先ほども触れたとおり、SFに関して言うなら、私は余り読み上手ではないということなのでしょう。
なお、本書は三部作のうちの第一作目。
続編も、訳されて刊行予定です。