虻川枕「パドルの子」(ポプラ文庫)感想
45 パドルの子
(虻川枕/2019年6月/ポプラ文庫)
第六回ポプラ社小説新人賞受賞作。
よく作り込まれており、大変面白く読みました。
劇的なラストにも興奮し、夜中に頭がさえてしまい「寝る前にラストまで読まなきゃよかったかな(苦笑)」と後悔したほどです。
舞台は中学校です。
主人公の水野耕太郎は二年生。なかなか友達が出来ない、少し内気な少年。
が、三輪くんという親友が出来、悪くない学校生活を送ります。
ある日、三輪は自らのつらい過去を耕太郎に教えます。
幼い頃、雨の日に母を交通事故で失ったというのです。
この打ち明け話だけがきっかけというわけでもないのですが、耕太郎は徐々に、三輪の深く複雑な内面へ、どことなく畏敬の念も抱くようになります。
三輪のことは友として大好きなのに、つい、聞きたいことが聞けず、うやむやにしてしまうことも増え。
(思春期あるあるですよね。私にも少年時代に覚えがあります。)
そんな中、何と三輪の転校が決まります。転校の予定は一か月後。せっかく出来た友人なのに。
間の悪いことに、それ以来、三輪とはすれ違いがちになってしまい、ついにはお別れのあいさつすらしないままに、三輪は転校していきます。
耕太郎は自己嫌悪に陥り、もう、ぼくは一人で生きていこうと屈折した思いを抱くのですが。
ここまでが序章。数ページです。
奇妙なシーンは全くないですよね。
ところが。ここから、一気に話はおかしくなります。
まず、物語全体の世界です。非常に特殊な設定があります。
それは「水源」です。
地球上を、大半の海水が大移動し、大西洋のとある一点の巨大な穴へ吸い込まれるのです。
やがて、大量の水はまた穴から吐き出され、海水や淡水に分かれ、再び世界中へ循環していくのです。
これが定期的に繰り返される世界。人類も、水の動きには常に警戒し、何とか共存しています。
これは未来の世界かなあ、などと思いながら読み進めます。
壮大な世界観に圧倒されつつ。
一方、耕太郎個人も、不思議な体験をします。
旧校舎の屋上にて(普段は施錠され立入禁止)、耕太郎は、水着姿の美少女が水たまりでバタフライをしているのを目撃するのです。
そう、ただの大きな水たまり。
屋上には、泳ぐためのプールなどありません。あくまで、単なる水たまりです。
変ですよね。泳げる深さなど、あるわけがないのに。
しかし、私は、ああそういうことかと納得もしました。
恐らく、前述の水源と(大西洋の穴と)この屋上は何らかのつながりがあるのだろうなと。
そういえば、耕太郎も余り驚いてないし。
さて、バタフライをしていた美少女は、他クラスの二年生、水原でした。
水原は、このことは私たちだけの秘密にしてほしいと耕太郎へ頼み、耕太郎も了承します。
「このこと」とは、「旧校舎の屋上に、泳ぐことが出来る特別な水たまりが存在すること」のみを意味しているわけではなく。
そのうち、水原によって少しずつ明かされていくのですが、この水たまりには更なる驚くべき秘密があったのです。
それは、深く潜って「こんなふうに世界を変えたい」と具体的に強く念じると、それがかなう、というもの。
願いは、個人に対してでも、普遍的な事象に対してでも可。
例えば、
・母親を穏やかな性格に変えたいので、「昔、クラスで孤立して苦労した過去を持つ」という生い立ちへ変更
・風邪という病気をなくしたいので、進化やウイルスの仕組みを変更
(新たなその仕組みは、自分で考える)
など。
ただし。
これは、具体的、物理的な一つの設定や条件を、矛盾がないように細部まで考えなければ、かないにくいのです。
今の例で言えば、「母親の性格が穏やかになりますように」とか「風邪がなくなりますように」とか念じても無効となってしまいます。
水たまりに願いが「採用」されると、世界はその通りに更新されます。
それに関連したあらゆる歴史も構造も法則も、併せて更新され、自動的に全てのつじつまが合わされるのです。
つまり、願った本人さえ、予想外だった結果になることも多いわけです。
この行為は「パドル」と呼ばれます。
なお、パドル前の記憶が残る(更新された事柄と、それに関連する情報)のは、パドルを実行した本人のみ。
水原は、偶然この秘密を発見したそうです。
そして、旧校舎はそろそろ取り壊されるため、もはや、パドルはそう何度も出来ないと水原は言います。
そもそも、パドルは一日に一回しか出来ません(水たまりが干上がり、翌日にまた出現する)。
加えて、学生という立場上、旧校舎屋上へこっそり入るのは、放課後か休み時間か、授業をサボるか以外は無理ですしね。早朝とか夜はリスキーですから。
実際、パドル自体の場面は少ないです。
耕太郎の中学校生活の場面を幾つも挟みながら、パドルの件は小出しに判明していくわけです。
どうやら、水原はパドルを使って大きな目標を達成したい様子なのですが、それは果たして何か。
一方の耕太郎にも、パドルを使って何かを変更できないかという思いが芽生え、検討を重ねた末に実行へ移すのですが、さあ、どう変わりますか。
授業や家での場面は、正直、もう少し縮めてすっきりしてほしかった気もしますし、登場人物の名字も区別しにくく(水野と水原、それに水源ですもの。まあ気持ちは分かるけど)、全体的な読みづらさは感じました。
でも、青春期の少年の成長物語としても良く出来ていましたし、むやみとお色気もなく(わずかに、耕太郎が水原の水着姿に目のやり場に困るシーンが出てきたくらい)、安定した内容。
何より仕掛けが周到で、満足しました。
この小説も、いわゆる「セカイ系」の一種なんですかね。
自分の青き使命感や恋心が、ダイレクトに世界へ影響を及ぼすという。
あるいは、適度に挟み込まれた、ファンタジーやゲーム的な雰囲気。
これらには、今どきの若いセンスも感じました。
ただ、終盤でしっかりと種明かしや伏線回収がなされ、更には「ここまで読んできた読者へごほうび」とでも言いたげな、ラストシーンの驚き、ガツン!
恐れ入りました。
読後の興奮には、懐かしさもありました。
例えるなら、子供の頃、夏休みに読んだ本の余りの面白さに、「早く二学期にならないかな。この本を、クラスメイトにも担任にも教えたい!」とウズウズしたあの気持ち。
存分にそれを思い出させられた、長い梅雨明けの夏の夜でした。