餓鬼道(前編)
餓鬼道とは
六道の一つ。
餓鬼と呼ばれる子供のような大きさの鬼ばかりがいる界で、餓鬼は常に空腹であり、満たされる事の無い苦しみを持ち続ける。
地獄に最も近い道である。
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そこは砂漠の様に砂に塗れた場所であった。
常にどんよりと曇った天気で、砂は真っ白でサラサラとして空気中に舞い、所々に枯れた木々が生え、誰が建てたのか木造のボロな平屋が無造作に点在していた。
そんな平屋の一つにその餓鬼は居た。
その餓鬼は多くの餓鬼がそうであるように、黒い髪は斑らに生えており、目のまわりは窪み、ギョロリと目が浮き出ており、歯はギザギザで所々欠けている。
手足はガリガリだが爪だけは尖っていて丈夫、肋は浮き出て下っ腹だけがポッコリと出ているといった見た目だ。
ただ、その餓鬼は空腹に喘ぐ他の餓鬼と違い、目には理性の光が宿っていた。
その餓鬼は平屋の縁側で頭を腕で支えて横になり、周りの風景をぼんやり見ながら愚痴をこぼしていた。
「あぁ〜……失敗したぁ〜………地獄まで一気に行こうと思ってたのに…なぁんで餓鬼なんだよ〜…。」
その餓鬼は周りで建物を齧ったり、木を齧ったり、時には餓鬼同士で喰い合いをしている他の餓鬼を見てため息を吐いた。
「餓鬼道の善悪の判断って薄いんだよなぁ…他の餓鬼を食い殺しても悪行にならないし、他の殺し方ならなるんだけど力がないからナイフ持てないし…てかナイフ自体無いし…。
一旦上の界に行くにしても何も口にしない事が善行にあたるから特にやる事なくなるんだよなぁ…。
餓鬼道の鍵は揃ってるし…。
失敗したぁ…失敗したぁ……一人殺して、自殺もしたのに…やっぱあのお嬢さん助けたせいかぁ?」
その餓鬼は外道の男であった。
その外道の餓鬼はブチブチと何度もそんな愚痴をこぼしてはため息を吐く、を繰り返していた。
そんな奇異な餓鬼を陰から見ていた餓鬼がいた。
その餓鬼は拳をグッと握り締め、意を決した様に外道の餓鬼に近づいき話かけた。
「あのっ!!貴方は餓鬼ですか?!」
外道の餓鬼は話しかけられたことに驚き、浮き出た目を更に見開き話しかけて来た餓鬼を凝視した。
その餓鬼は他の餓鬼と対して変わらぬ見た目をしており、強いて違いをあげるのであれば、他の餓鬼より一回りほど小さいくらいである。
そんな小さな餓鬼は外道の餓鬼と同じように目には理性の光が見て取れた。
外道の餓鬼はそんな珍しい餓鬼の存在に『いい暇つぶしが来た!』と思い、ヒトの良さそうな態度で接する事にした。
「勿論、餓鬼だよ。そういう君も餓鬼らしく無いねぇ?本当に餓鬼かい?」
「うん!そうだよ!!ボクは生まれてこのかた餓鬼さ!!」
ココにいるんだからそりゃそうだろう、と思ったが特に突っ込む事もなく外道の餓鬼は小さな餓鬼の要件を聞くことにした。
「そう。それで俺に何か用かな?今丁度暇してたから話しくらいなら聞くよ?」
実際は餓鬼道に生まれてからずっと暇ではあったが、小さな餓鬼はそれに気づくわけもなく、目を輝かせて外道の餓鬼に更に近づいた。
「本当に?ありがとう!!ボクずっと、ずぅっと心細かったんだ!!他の餓鬼に近寄ると問答無用で食いかかられるし、そもそも話しも出来ないし、何でボクだけ違うんだろうとか、何でボクはココに生まれたんだろうとか考えちゃって…でも答えは出ないし、誰かに相談も出来ないし、なんかボクこのままずぅぅぅっと独りなのか、とか思ったら怖くって怖くって!!!でも君を見つけてほんっっっとうに安心した!!!ボクだけじゃ無いんだって!!独りじゃ無いんだって!!良かった!本当に良かった!!」
握り締めた拳を振り回し、勢い込んで話す小さな餓鬼に若干引きながら、外道の餓鬼は小さな餓鬼を静かに観察していた。
理性のある餓鬼には二通りの場合がある。
一つは外道の魂が入ってる場合。
外道の魂は浄化されていない為、経験や記憶が蓄積されている。
その為、餓鬼の本能に負ける事なく意思がしっかりしている。
もう一つは界渡りが近い場合。
餓鬼の生を何度も繰り返し、その過程で善行を蓄積していけば上の界に渡れるというものである。
そういった餓鬼は理性を取り戻し、会話も出来るほどになるのだ。
因みに、餓鬼道では地蔵は餓鬼の姿でなくそのままの姿で降り立っている。
閑話休題
(う〜ん..お仲間...って訳ではないかな?)
外道の餓鬼は観察の結果、この小さな餓鬼は後者であると判断した。
前者であれば、鍵の奪い合いになるので注意しなければならないが、そういったドロドロとした欲望が見て取れなかったので、外道の餓鬼はそう判断した。
そんな外道の餓鬼の考察など露知らず、小さな餓鬼はなおも喋り続けた。
「ねぇねぇねぇ!!君は他にも喋れる餓鬼を知っているかい?あとボクたちが何故他の餓鬼と違うのかわかるかい?これはボクが考えに考えた答えなんだけど、ボクたちはきっと特別なんだ!!きっと何か使命があってその為に喋れる事を許されていると思うんだ!じゃあそれがどんな使命かっていうと、やっぱり餓鬼たちの解放だと思うんだよね!!!」
「餓鬼たちの解放?」
外道の餓鬼は半分聞き流していた小さな餓鬼の話しに尊大な言葉を聞き取り、つい聞き返してしまった。
小さな餓鬼はそれを待ってました、と言わんばかりに目を輝かせ、外道の餓鬼に詰め寄り、話しを続けた。
「そう!!餓鬼たちの解放!!餓鬼たちはいつも飢えに苦しんでいるだろう?かく言うボクも常に腹が減っている。今にも君に齧り付きたくてしょうがない訳だけど、そんなことはしたくないんだ。だって、噛まれると痛いしね!!そこでボクは思ったわけだ、『他の餓鬼も誰かを傷つけるのは嫌なんじゃないか』ってね!!それを解決する為には、空腹を満たす術を見つけるか、次点として空腹に耐える術を教える。それで空腹に苦しむ事もなく、誰も傷つけずに済むわけだ。そうすれば餓鬼たちは苦しみから解放される!!ボクたちはそれを見つけて教える為にこうして話す事が出来るんだと思うんだ!!!」
小さな餓鬼の話しを聞いて、外道の餓鬼は鼻で笑いそうになった。
そもそも餓鬼道は悪行を重ねて来た魂への罰であり、空腹はその為に課されている苦行である。
解放などされてはいけないのだ。
(…ふむ……だけど面白いね。これは羅刹への嫌がらせにはなるかな…。)
外道の餓鬼はもし、苦行を達成せずに餓鬼の魂が解放されたら魂の管理をする方は多少焦るかもしれない、と思いニヤリと笑って小さな餓鬼の思い違いに乗ることにした。
「ああ、そうかもしれないね。だとしたら何て素晴らしい事だろう!よし、それじゃあ早速探しに行こうか。解放される為の方法を!」
小さな餓鬼は大仰に返された返事に一瞬ポカンとなったが、すぐに気を取り直し、大きく頷いた。
「うん!!!よし!行こう!!絶対やり遂げてみせよう!!二人で!!」
そう言って小さな餓鬼は大志を抱いて歩き始めた。
外道の餓鬼も軽く頷き、その後ろに続いた。
(まぁ、ほぼほぼ無理だろうけど。)
外道の餓鬼にとってはただの暇つぶしだったが。
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少し開けた場所で二匹の餓鬼が喰い合いをしていた。
一方は相手の肩に噛み付き、もう一方は相手の腕に噛み付く。
するとたちまち噛みちぎった部分が砂に変わり、噛み付かれた部分からは血が噴き出した。
双方とも痛みを感じていないのか、そのまま喰い合いは続く。
そんな二匹を陰から見つめるのは此方も餓鬼二匹。
外道の餓鬼と小さな餓鬼である。
「や、やや、やばいよ....!ととと、止めないと!!!」
小さな餓鬼は喰い合いをしている二匹の餓鬼の中に今にも飛び出そうとするが、外道の餓鬼が小さな餓鬼を掴んで止める。
「やめときなよ。行っても無駄だって。」
「でもこのままじゃアイツら死んじゃうよ!!!!」
小さな餓鬼は勢いよく振り返り、外道の餓鬼にくってかかった。
そんな小さな餓鬼の態度に対して、外道の餓鬼は悲しそうな顔を作って答えた。
「いいかい?いまここで出ていったところで俺たちにはアイツらを止める力も、あの怪我を治す術も無い。寧ろ俺たちが死んでしまうよ。俺たちが死んでしまったら誰がみんなを解放するんだい?...残念だけど今は見捨てるしか無いよ。」
「・・・」
小さな餓鬼は外道の餓鬼の言葉に俯いて拳を握った。
「そうだね...今はどうしようも無いけど、みんなを助ける為だもんね!!!!よし!!助ける方法をさがすぞぉーーー!!!!!!」
小さな餓鬼は顔を上げ、笑顔でそのまま駆け出して行った。
外道の餓鬼はポカンと口を開け、その後ろ姿を見つめていたが、被りを振って気を取り直した。
そのあと、喰い合いをして、ほぼ血と砂だけになっている餓鬼達の残骸を見やって呟いた。
「みんなって便利な言葉だよねぇ...。
みんなの為なら少数は見捨てても許されるんだから。」
その場所に向けて一瞥し、皮肉げに鼻で嗤ってから外道の餓鬼は小さな餓鬼に追いつくために歩き出した。
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しばらく二匹の餓鬼は共に過ごし、餓鬼達の解放策を話し合った結果三つの策を実行することにした。
<第一案>
二人がかりで押さえて説得を試みる
外道の餓鬼と小さな餓鬼は足を引きずる一匹の餓鬼に目をつけた。
二匹は頷き合い、作戦の実行を開始した。
まず小さな餓鬼が囮として足を引きずっている餓鬼の前に出た。
すると足を引きずっている餓鬼は足の不調など無かったかのように小さな餓鬼に襲いかかった。
その瞬間に外道の餓鬼が足を引きずっている餓鬼の背後から襲いかかりその餓鬼を抑え込んだ。
その上から小さな餓鬼も押さえ込み説得を試みたが、足を引きずっている餓鬼は呻き声と奇声の間の様な声で叫ぶばかりで小さな餓鬼の声は聞こえていないようだった。
それどころか、足を引きずっている餓鬼は手足の関節が外れても、骨が折れても、手足が千切れそうになっても二匹の餓鬼達を喰わんと暴れ続けた。
「...コレはダメだねぇ.....。」
「うぅ...すごい力だよ...。腕痛い...。」
出会ってからの声量からは考えられないほど弱々しい声で小さな餓鬼が呟いたのを聞いてこの案は没となった。
<第二案>
目の前に餓鬼が居ても襲いかかっていない餓鬼に説得を試みる
二匹はまずは他の餓鬼を襲わず、ぼんやりしている餓鬼の目の前に立った。
襲って来ないことを確認し、小さな餓鬼が説得を試みる。
「こんにちは!!!!ボクは餓鬼だよ!!君は?」
「...」
「調子はどう?お腹空いてない?ボクは空いてるよ!!!って、勿論君も空いてるよね!!!!そんな君にとっておきの話があるんだけど...」
(何かのセールスみたいだな...。悪徳な方の。)
そうして話しかける二匹にぼんやりしている餓鬼はなんの反応もせず、うんともすんとも言わなかった。
やがて他の餓鬼たちが集まって来て二匹はその場から逃げざるを得なかった。
因みにぼんやりしている餓鬼は逃げもせず、そのまま喰われてしまった。
<第三案>
満腹になる食べ物を探す
「なあ、…。」
「何かな?」
小さな餓鬼はあっちこっちと動きながらキョロキョロと首をふり、食べ物を探していた。
対して外道の餓鬼は小さな餓鬼の後ろをダラダラと歩きながらこの暇つぶしに飽き始めていた。
「君は本当に俺たちが食べられるものがあると思っているのかな?」
「当然だろう!!!だってボクらは喋れるんだ!きっとみんなを救うために喋れるんだ!!なら、みんなを救える為の何かがあってもおかしくないじゃないか!!!!」
「……救うねぇ…。」
小さな餓鬼は自らの両掌を見て何かを掴むように拳握った。
「ああ!!!あるはずなんだ!!!!みんなを救うはずの鍵が…鍵が!!!!!」
外道の餓鬼はたいした成果もなく、この後も期待出来なさそうだと見限り、どうやってこの餓鬼から離れようかと考えていた。
だから気づかなかった。
小さな餓鬼の変化に。