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無能探偵とミルトンの仮面怪盗  作者: しまむら
2/3

ミルトンの仮面怪盗

 法と正義の町、ミルトン。

 正義と呼ばれる所以は捕縛隊の隊舎がここに存在するからだ。捕縛隊の仕事は探偵が突き出した犯人を拘留し、法の下で正しく裁くことである。


「御招待客のケイゼル・クラーク様で?」

 そう問われたのは、列車を降り町に入る門に近づいたときだった。

「そうですよ」

 ごそごそとポケットの奥から探偵の国家認定証権身分証明書を提示した。埃と染みだらけのそれを、門番らしき男は多少時間をかけて確認すると、どうぞと道を開いた。

「ようこそお越しくださいました。グラディス総指揮が見えるまでお屋敷でお待ち頂くよう伝えられております」

 他にも屈強な男たちの姿が見えるが、どれもが門番なのだろう。立場上この町は恨みを買う事が多く、入街にも厳重な警備が必要なのだ。

「ところでグラディス総指揮殿はいつごろお見えになるのですか?」

「昼頃には視察を終えますのでそのくらいかと思われます」

 その瞬間、ケイは大げさに額を押さえるポーズを取る。

「昼? いくら大きな屋敷でもそれは退屈してしまう。私は町を見て回ることに決めました」

 え? と、戸惑う門番をよそにスタスタと歩いていったしまう。ちょっと! と呼び止めるも忙しい時期の入街者は多数が列になって待っている。総指揮の客人を非常事態として追いかけるわけにもいかない。

「お昼頃にはグラディス総指揮のお屋敷に向かいますので、心配なさらないでくださーい」

 ケイはそういい捨て街に入ると、思ったよりも祭りの色が濃いことに

驚いた。あちらこちらで準備がラストスパートに入っていてどこの飾り物も今夜に間に合わせようと必死だ。

「さて、まずは質屋にでも……」

 そういって取り出したのは変色した鉱石。レイラ曰くもう必要のないものとのことで、報酬の代わりに受け取ってきた。

「にしてもまず、この色を戻すところからですかねぇ」

 そのほうが高く捌けるだろうし、今は止めた。

 街の中心部へと向かううちに人の姿も増えてきた。何よりも目立つのがいたるところに書かれたメッセージ。

「仮面怪盗……様……?」

 そう描かれた旗を見たときについ口走ってしまった。そういえばこの祭りは怪盗の名をよく見かける。奇妙なシャツや時計、菓子までもが怪盗キャラクターものだ。

「どうしたの? あんたきょろきょろして、この祭り見にきたんでしょ?」

 そう声をかけたのは作業エプロンを油で汚した二十も行かないほどの娘だった。彼女は長い髪を後ろで縛るとケイに近寄る。

「いや、私は別件で来た者で、祭り気分だとは聞いていましたが……」

 不思議そうに遠くを眺める目線の先に、娘が旗を割りこませる。その旗にもまた仮面怪盗様と書いており、裏面には『私の心も奪って!』と書いてあった。

「この祭りはミルトンの仮面怪盗が予告状を出されたから行われているのよ! みんな彼のファンなの」

 そこまで聞いて合点がいった。この街の怪盗という名のアイドル的存在なのだろう。屋台はこの期に儲かろうというやからが出しているのか。

「余程のイケメンなんでしょうねその、仮面の……怪盗?」

 正義の街のマスコットが怪盗だなんてジョークもいいところだが、この行き遅れたお堅い街も時代が変わってきたのだろうか。

「仮面してるから顔は分からないけど……そこがまた夢を与えるのよ!」

 要するにその怪盗が名乗ってないのか。愉快犯なら自分のキャラ作りくらいしっかりやってほしいものだ。

「しかもね、今回はいつもより盛り上がるのよ? 捕縛隊のグラディス総指揮様が国中から探偵をたくさん集めて、いよいよ捕まえようというの。ああ、大勢の探偵の推理を軽やかにかいくぐるその姿……ステキ……!」

 目の前の娘の豹変振りにケイは乾いた愛想笑いを漏らした。

「なるほど、おかげで呼ばれた理由が大体分かりました」

 よく見ると祭りのときだけではないだろう。怪盗博物館やらコスチューム館など一種の観光スポットとして活躍していそうな建物も散見される。

「これは?」

 ケイの指先にはかごいっぱいの手帳があった。

「手帳のフェイクよ。あの方は予告状に手帳の切れ端を使うの」

 ふーんと興味なさげに手帳をひとつ手に取る。

「でも予告状が切れ端なら手帳のフェイクなど意味が無いでしょう?」

 娘は、夢が無い人ねと、手帳をケイから取り上げる。

「本物の手帳はあそこの歴史館に保管されているわ。デザインはそれの模倣よ。……それと、この街のほとんどの人が彼のファンなんだから、あまり上げ足を取ってばかりいたら追い出されるわよ?」

 その忠告に、ケイは、気をつけると空返事をする。

「そういう態度が問題なの。ファンでないにしても、せめてこれもって行きなさいよ。安くしとくから……っていっても聞くようなタイプじゃないわねあんた」

 あきれた目で手帳を引き下げようとしたが、ケイがそれを受け取った。

「いや、もらっていこう」

 一瞬彼女は驚いた表情を見せたがすぐに商売人のまいどっ、と気前よい返事が返ってきた。


 次にケイが向かったのは怪盗の物品が並ぶという歴史資料館だ。先ほどエリカが指した建物で、外見は古めかしい建物を再利用しているせいかそれほどよくない。案内板によるとかつて怪盗はこの地で追い詰められ、一時期死んだのではないかといううわさが流れたらしい。

「やれここまでやるとどちらが悪者なのか……」

 館内には歴史を記した書き物の他に出現地やらが事細かに記録されている。街ぐるみのストーカー状態だ。ひょっとしたら探偵の調査よりも資料が充実しているのでは、と思わせるほどだ。

「ようこそいらっしゃいました」

 そう声をかけてきたのはここの館長らしき人物だった。小奇麗な格好をしているがどうやら民営の資料館らしい。

「意外に人がいないのですね」

 町内はそれなりの賑わいを見せていたが、館内はケイを含めての数人といったものだった。

「ええ、普段は観光のお客様がいらっしゃるのですが、どうにもこのような行事となるとここ以上の知識を持っている人々が多いので、本物だと言い張っているだけの資料館などあまり人気が無いのです」

 なるほど町全体がこんなだと客はかぎられるのか。普段は外貨を落としてくれる貴重な収入源だろう。

「この手帳は、例の……」

 白々しくショーケースに手を伸ばす。

「あ、触れるのはだめですよ!」

 分かってますよと数歩後ろに下がると、

「あの辺虫ついてません? 喰われちゃいますよ?」

 再びケースに近づく。

「ついてないです、駄目ですってば! グッズがほしくてもレプリカで我慢してくださいよもう!」

 はははと愛想笑いをしながらも追い出されてしまった。

「さて……」

 あの手帳は三分の一ほど破り取られていた。

「敗れ方からしても、怪盗は左利きか」

 先ほど買った自分の手帳も取り出し、同じほど破り捨てる。あとは道端の埃をつけていい具合に手でクセをつける。

「あんたそんなとこにゴミなんて捨てないどくれよ」

 振り向くと大柄なおばちゃんが、獣も仕留められそうなぶっとい針を持って後ろに立っていた。

「捨ててるわけではないのでご安心を」

 それならいいんだがねと婦人は言う。

「ところでその物騒なものは?」

 分厚い皮手袋に持った人も貫通できてしまいそうな針を指差す。

「ああ、これはね。チャクルっていうここ伝統の絨毯を編んでいるのさ。興味があるならついてきなよ」

 近づいてみると年配の女たちがなにやら数十メートルもある絨毯を引いている。

「これをメイン通りに敷くのが仕来りなのさ。言い伝えじゃなんでも最初に踏んだ奴は一生笑顔で居られるんだと! アンタ無愛想だから踏んでみなよ!」

 アッハッハと大きな声で笑いながら背中を叩いて来る。このノリは少々ケイにはやりづらいところがあった。

 仕方なく足元の絨毯に片足を置こうとしたとき、

「ならーん!」

 どこからか鼻をつまんだような声が聞こえてきた。何事かと顔上げると、旧式自動車の上にふんぞり返る何者かの姿があった。

「よそ者にその由緒正しき絨毯を踏ませるなんて断じてならんっ!」

 鼻から息をしない生物なのか太りすぎなのか鼻声なのは先ほどと変わらず、そして誰もがその存在にため息を漏らした。

「誰ですかあの見苦しい生き物は」

 ケイが周囲に問うと誰もがアホ息子と小さく返した。

「お、お前らぁ! 聞こえたぞ、この僕はアホではない! なんたってベンフィールドの名を継ぐもの! 現総指揮の息子なんだぞ!」

 ハイハイと流しながら作業にもどってゆく婦人たち。どうにもこの権力者の息子は市民に人気が無いことが分かった。

「ぼ、ぼっちゃん~。あまり暴れないでくださ~い」

 見ると乗っている車の運転席には小柄な使用人が乗っていた。

「何を言う! せっかく技術があるからとお前を使ってやっているのに! バカ! このバカ!」

 なにやら始まった。もともと興味が無い上今回の依頼主であるグラディス総指揮の息子だ。ここはほうっておくべきと背を向けたとき、聞き覚えのある声が聞こえた。

「ちょっとホプキン何やってんの! その子女の子でしょ!」

 車上の男は詰め掛けた女に一瞬たじろぎ、よるな! と怒鳴る。

「僕の名前を呼び捨てにして何様のつもりだお前!」

 見てみろといわんばかりに運転席の従者の頭に手を置き、呼びかけた女へと視線を向かせる。

「あんな女とこの僕が話す必要はあるか?」

 従者は頭を抑えられながらも涙目で顔を横に振る。

「もう頭きた! 昔はあんただってねぇ!」

 女はつかみかかる勢いで車へと近づいていく、その続きを忌避するように、ホンプキンと名乗った小太りの男は、白手袋越しに女を指差した。

「安い汚れた布に身を包んで爪の中まで油まみれじゃないか! かわいそうに育ての親が悪かったなぁ!」

 その暴言は一線を越えた雰囲気を持っていた。女が殴りかかるかと思われたその瞬間、ホンプキンの顔面横を分厚いブーツが通り過ぎていった。

「あんたこの娘の気も知らないで! とっとと帰っちまいな!」

 そう言い出したのは絨毯を縫っていた中年女性たちだ。最初の靴をきっかけに糸玉やらが車に投擲される。

「も、もどるぞ!」

 運転手へそう告げ、車は逃げるように引き返していった。婦人の中の一人が今度はその巨躯を暴言を吐かれた女に向けると哀れむ視線を向ける。

「あんな馬鹿息子のこと真に受けるんじゃないよ。今に怪盗様が懲らしめてくれるさ」

 そういわれた女性の戸惑うようにに笑う横顔が見えた。そんなことよりも先ほどから気になっていたことが、

「貴女ですか」

 今までこの町の有権者の子息に噛み付いていたのは、先ほど街の入り口付近で出会ったあの怪盗ファンの町娘だった。

「あー。あんた。いや、変なとこ見せた。あいつとは昔からの知り合いなんだよ」

 頭をかきながらそういう町娘がグラディス総指揮の息子とつながっているようには見えない。

「いったいどういう事です?」

 一瞬迷ったかのような間があって、

「あいつ、実はグラディス総指揮の養子でさ。昔は町で暮らす凡人だったの。それが何の間違いかあんな風になって……」

 いけないいけないと、言い聞かせる。

「これも何かの縁ね、あたしはエリカ・ハートソン」

 そう名乗った彼女は左手の皮手袋をはずし、握手を求める。

「……ケイゼル・クラーク。呼び方はケイでいいです。さっそく買った手帳役立ちそうですよ」

 それはよかった。と笑うと、皮手袋を差し出した。

「ケイ、踏まないなら縫ってく? これ以外と力仕事なのよ」

 力仕事ならなおさらケイには向いていない。

 そう言おうとしたとき、エリカはしまったと頭を抱えた。

「ああでもこれ左利き用だ! まあいいや、縫えないなら踏んじゃえ踏んじゃえ」

 ここの町民はみなこういった押しの強い性格なのだろうか。そう思いながら何気なく足を見たとき、ズボンに草の実がついていることに気づいた。

「せっかくですけど止めときます」

 その草の実を取ると、先ほどの婦人が声をかける。

「あーその種! あんた南の街門から来たね? ぬかるんでたろ、回り道だろうけど次から朝は東門を使いなよ」

 そう言うと作業に戻った。

 この種は湿地に生息する植物の種で、予想通り、靴の裏は乾いた泥で詰まっていた。危うく出し物の絨毯を汚してしまうところだった。

「どちらにしろ、踏まなくて正解のようです」

 べつにいいのにと笑う一同をよそに、ああそうだとケイは鞄の中からレイラの鉱石を取り出す。

「これの変色を元に戻したいのですが、この街にそういった技術者はいますかね?」

 エリカはケイから石を受け取ると太陽に透かすよう見上げる。

「地味な石ね。そこまで価値のあるものなの?」

 ええ、とケイが返すとエリカは少し悩んだ後、

「そうだ、元には戻せないけど、削れば色は戻るんじゃないかしら」

 帝都に持ち帰ってもどちらにしろそうなるだろう。削るか石ころとして売るかなら、返事は決まっている。

「それではその削る方法でお願いします。金額なら言い値の請求でかまわないです。急ぎますので」

「それは太っ腹ね。ま、紹介料はとるけどぼったくらないであげる。じゃあこれ預かるわよ、明日には間に合うように掛け合ってみる」

 エリカはそういうと鉱石をハンカチで包んだ。

「これ高価なものなのよね、代品はどうしようかしら。戻れば何か渡せるんだけど」

 代品は彼女が依頼品を受け取ったまま、どこかに消えるような盗人でないことの証明になる。

「別にいいですよ、あなたの顔も覚えましたし」

 その言葉に彼女は顔をひきつらせる。

「逆に不安よ。うーん、これでどう?」

 そういうとエリカは胸元から銀色の懐中時計を取り出した。

「これは……」

 確かエリカの出していた出店にも似たような模造品がたくさん積まれていた。ただしその外見はそれらよりもくすんでいて渋みがあり、一見するとそれなりのアンティークに見える。

「怪盗グッズとして似たようなの売ってるけど、そこらへんの安物でもないわよ。あんたには関係ないんだけど、それおじいちゃんの形見なんだ」

 時計の錆付いた蓋を開くと、針は止まっていた。

「ということはこれは本物……? それをあなたの祖父が?」

 その質問をまさかとエリカは両手を振って否定する。

「ウチこう見えて時計屋なんだ。それもおじいちゃんが自分で作ったんじゃないかなぁ。直そうにも裏蓋が開かないんだ」

 ケイが裏蓋につめをかけるも蓋はびくともしない。しかし錆付いているようでもない。

 そんな仕草を見ていたエリカがニヤリと笑う。

「そうだ、それ壊さずに開けたらさっきの仲介料タダにしてあげる」

 そう言い出すということは時計屋の一般的な方法では開かないということだ。ためしに蓋を回してみるがびくともしない。しかし手のかなで転がしてみるとどこか違和感を感じる時計だ。

「ここだけの話だけどね、おじいちゃん中に何か隠してると思うのよ。私が子供のころそれの整備してるときに行ったらあわてて隠してたんだ……もしかして宝の地図だったりして」

 顔を寄せ声を潜めるエリカをうっとうしそうに避けると、ケイは自分の時計を取り出し、見比べる。

「そこまでいうのであれば壊せばいいと思いますがね」

 思い出の時計だからか、負けた気になるのがいやなのかうーんとエリカは結論を出さずに悩みこむ。その長考にケイは、

「……いいでしょう。これを明日までに開ければいいのですね」

 その言葉にきょとんとしたエリカは次に腹を抱えて笑い出した。

「あっはは、あんたも相当負けず嫌いだね。まぁ期待しないでおくよ」

 エリカの時計を再び手の中で転がすとどうにも使いにくい。単純に使い慣れていないだけかも知れないが……。次に自分の時計へと持ち替え、蓋を開けてみる。時刻を確認すると、正午まであと一時間ほどあった。

「では、そろそろ用事がありますので」

 そういうとケイは見送られながら再び博物館に戻った。




 博物館の館長はため息と露骨に嫌そうな顔で再びケイを出迎えた。ケイはどうも、と言いながらポケットをまさぐり、一枚のカードを取り出す。

「実は調査で来てまして、そのガラスケースを開けてほしいのですが」

 主はまじまじと提示されたカードを見ていたが、あることに気づくと急にかしこまった礼をした。

「た、探偵様だとおっしゃっていただければ…! どうか数々の非礼をお詫びさせて下さい」

 客室にでも通そうというのか一度奥へと促される。

「いや、気遣いはいらないですよ。そういうのが嫌いなので。それより礼ならこのケースを開けてもらえると助かります」

 館長はすぐに鍵を取り出し、この手帳は大変貴重なものでして、と、資料にあった通りのことを言いながらケースを開けようとする。

「ああ、もう少し待ってください」

 その言葉に館長がケイをみると、彼は時計とにらめっこをしていた。

「どうかなさいましたか?」

 そう聞くがにらめっこをしたまま微動だにしない。念のためもう一度問おうかと思ったとき、

「そろそろでしょう。開けてください」

 そういわれたのでケースを開けた。直に見てもそれほど古いものではない。

「この館の要となっていますのでくれぐれも扱いには……」

 そこまで話したとき、何やら打ち鳴らされる鐘の音に館の外が騒がしくなり、館長は一瞬表口を見た。

「どうやら捕り物のようですな」

 あきれた顔で館長が振り向くと、ケイがガラスケースを元に戻していた。

「もうよいのですか?」

「ええ、十分です。ご協力ありがとうございました」

 館長は手帳が入ったガラスケースの箱を満足げに施錠した。




 館から出ると、大掛かりな鎧を着た男たちが総出で北門に向かっていた。この警鐘が鳴るということは非常事態宣言であり、たかが偽身分証を持った小娘一人にでも鎧を着ていくことになるのだ。

「その方待たれよ」

 ケイは門の前で案の定呼び止められた。

「ただいま不審人物の取調べ中につき通行ご遠慮願いたい」

 2メートル近い大男がそう言う。

「でもだね、君。その不審人物とやらは偽のパスを持っていただけなのでしょう? 危険ってわけではあるまいよ」

 何故その情報を知っているのか、ひょっとしてどこぞの上官殿なのかと彼の思考が表情に出るのつかの間を楽しんだ後、門の向こうからでも聞こえる大きなわめき声にため息を漏らす。

「ついでにいうとその人物、実にアホそうな女の子なのでしょう? 連れなんですよ。通してもらえますかね」


 本日3回目の認定証提示でようやく門を抜けることが出来た。

「昨日の一件といい最近コレを使いすぎですね。よくないことです」

 街の中心へと向かうその後ろを、少し離れでフィオがついて回る。これが殺す、絶対殺すなどとつぶやいているのだから物騒極まりない。

「指揮館邸にはいったら普通どおり頼みますよ」

 ケイは手帳をみながらフィオにそういう。

「なぁにが普通どおりですか。置いていくだけでは飽き足らず偽の身分証まで持たせて超嫌がらせですか」

「まぁ嫌がらせではありますが、出来れば検問に引っかかるところをこの目で見たかったですね――おっと」

 言葉の途中フィオがケイの背にタックルをかまし、手帳を取り落とした。まったく何を、と手帳の埃を払いながら振り返ると、フィオはぐおおお、と声にならないうめき声を上げていた。

「……貨物車がこんなにお尻を痛めるものだと知ってましたか?」

 なるほど、さっきから文字通り手も足も出ないのはそういうことか。ケイは貨物車の床に座るフィオを想像して噴き出しそうになる。

「貨物車がこんなにお尻を痛めるものだと知ってましたね!?」

 少し控えめに追いかけ少し控えめに蹴ろうとしてやっぱりやめる。その一連の行動が面白すぎた。

「まあまあ、君のおかげで貴重な情報も手に入りました」

「貴重な情報?」

「ええ、この街には怪盗が出没するらしいのですが、今回私たちが呼ばれた理由はおそらくそれがらみです」

 ケイはそういいながらどうやら本物らしい手帳を開いてフィオに見せた。彼女は不思議そうな顔で、

「その手帳はなんです?」

「どうやらその怪盗の持ち物だったそうですよ。貴重な資料らしいですが現在は、まぁ拝借しているといったところでしょうか」

 フィオは大体ケイのやったことに想像はついた。

「それよりこれはサインの後ですかね」

 フィオの指差す先には先ほどの埃で紙の凹凸が浮かび上がっている。

「ええ、この紙はその怪盗の予告状に使われていたらしいです。筆圧の具合といい、この破られ方といい、怪盗は左利きだったと……これが本物であれば、ですね」

 ふむふむとフィオは手帳を覗き込む。

「ではそのドロボウを捕まえることがミッションなのですかね」

 ケイは手帳をポケットにしまうと、くるりと向きを変え、街のはずれに向けて歩き出した。

「事はそんなに単純ではないでしょう」

 フィオは焦ってその後を追う。

「あ、あれ? メインのお屋敷にいくのではないんですか?」

 ケイは紳士帽の端を掴むと目深にかぶり直す。

「騙くらかし合いはもう始まっているんですよ、色々仕込んでおかなければ」

 楽しそうな表情を浮かべるケイをフィオは必死に追って回った。



 今回ケイ達を呼び出した、つまり依頼主となるのは全国に何万と散らばる捕縛隊のいち隊舎をまとめるグラディス総指揮そのひとだ。

 指揮総本部は指揮官の自宅とひとつになっており、それはまだ明るい今の時間からガス灯に照らされていた。

「さすが町長も兼任してるだけあって豪華な屋敷に住んでいるんですね」

 ケイはそうこぼしたがフィオはただ見上げるだけだった。二人は門番に促されるがままに屋敷に入る。

「これはすごいですね! 私もここに住んでみたいです!」

 キョロキョロをあたりを見渡すフィオをおいてケイは二階へと歩みを進める。

「あ、待ってください、階段はきついですって!」

 ひょこひょこ足を上げながらフィオが階段を追ってきている最中、ケイは応接間に通された。

「待ちくたびれたぞ」

 それもそのはずフィオが道中出店にいちいち気を取られるものだから、昼時をとうに過ぎている。

「いつどこへ行こうが私の勝手です」

 グラディス総指揮に向かってこれほどの暴言を吐けるのはは、ケイと王族くらいなものだ。

「はぁ、待ってくれと言ったのに待たないとは思いましたけど」

 ケイの後から入ってきたその客に、グラディス総指揮は眉をひそめる。

「それは誰だね?」

 日が落ちてきたので居合わせた使用人がランプをつけた。

「フィオナ・ランバートですがなにか」

 なぜかフィオは胸を張って答えた。

「一応紹介しておきましょうか。彼女はギャグ担当です。私が、ケイゼル・クラークあなたが呼び出した探偵崩れですよ」

 ギャグ担当といわれフィオは誇らしげに胸を張る。

 しかしそんなフィオを無視して総指揮の男は続ける。

「グラディス・ベンフィールドだ。噂の『探偵殺し』にあえてうれしいよ 。聞くに昨晩も早速やらかしたらしいじゃないか」

 そういいつつケイと握手を交わした。

「『推理崩し』で通しているのですが、どうにも物騒な名が広がりますね」

 ベンフィールドということは昼間のあれは本当にこの男の子なのだろうか。

「どうぞおかけください」

 高級そうな椅子に勧められるがままに座ると高級品らしい、いいにおいがした。

「どうぞ?」

 まだ立ったままのフィオをグラディス総指揮は促す。その光景にたまらずケイが再び噴き出す。

「私はケイにお尻をいじめられたので遠慮しますっ」

 その眼光はきつくケイを捕らえているが当の本人は見向きもせず足を組む。

「否定はしないですよ」

 グラディス総指揮は、その光景に何を理解したのか感嘆の声を漏らす。

「早速なんだが、君らの遅刻は実に都合がよかった。実は今回の依頼は」

 そこでフィオは得意げに話をさえぎった。

「あの怪盗をとっ捕まえればいいんですよネッつああ!」

 フィオの発言をケイはその尻を思い切り叩くことで遮った。

「街の名物となった怪盗、法と正義の街という名目、予告状が届いたことによる祭り、そしてその祭りに探偵たちが集められている」

 一息つくとケイはグラディス総指揮という男の目をまっすぐに捉えた。

「依頼内容は探偵たちから怪盗を守ること、でいいですかね」

 街は盛り上げなくてはならない。泥棒は捕まえなくてはならない。ここではその二つが矛盾するのだ。そこで万が一探偵が怪盗を追い込む可能性をつぶすため保険。それが今回の依頼だった。

「……なるほど、噂にたがわぬとみた」

 グラディス総指揮が頷くのを見てフィオは尻をさすりながら叫んだ。

「えーっ! 泥棒を助けろってどういうことですか! 正義の街なのに!」

 その言い分はひどく筋は通っているものだった。だからこそケイが呼ばれたのだ。この事実がそれなりの実力がある探偵に知れれば、摘発されその探偵のいい手柄となるに決まっている。

「それはもっともな意見だが……」

 グラディス総指揮の言葉を遮りフィオが続ける。

「探偵は見世物のために存在しているんじゃないんです!」

 真の悪を暴くため。己の偏見と理論を納得させるのが探偵の仕事だ。この娘がそれを語ると痛く胸に染みる。

「フィオナ・ランバート、少し席を外しなさい」

 ケイの言葉に納得できない様子のフィオだったが、鼻を鳴らし無理矢理自身を制すると応接間から出て行った。

「すまない。私がしっかりしていればこの街はこんなのことには……」

 グラディス総指揮とはもっと自信に満ち溢れた高飛車な人間だと思っていたので、ケイには張り合いがなかった。

「いえ、あれはバカですので」

 今頃それに見合う行動を取っていないことを祈る。




 フィオは追い出された扉の外にキリリと立っていた。

 グラディス総指揮の態度にイラつく分もあったが、彼女にはそう気合を入れる理由があった。

「どうせ今頃私が問題を起こしているとケイは思っているにちがいないのです。せめてもの反抗に何も問題を起こさずに突っ立っています!」

 そのとき視界の隅に何かが動いた。

「……?」

 長い廊下の向こうに見えた特長のある人影と仮面の姿。宿で見かけた大道芸人と同じ姿だった。

しかし彼女が何故こんなところに? そういえば今回の怪盗も仮面をつけているらしい。あの人も仮面を付けている。

「……あやしいです」

 人影が消えた曲がり角まで走ると、こっそりと先を覗いた。やはり彼女だ。声をかけようと身を乗り出した瞬間、彼女は男子便所の扉を開けた。

「ええっ!?」

 昨日聞いた声は確実に女性のものだった。

 彼女はフィオに気づいたようで一瞬こっちを見ると、しーっと仮面の唇に人差し指を当てた。

「だ、だって女性のはずではっ……!?」

 彼女が消えていった扉を不思議そうに眺めるフィオ。ひょっとしたら男だったのか。確かめたくてドアに手を伸ばすが、自分はよく考えると女であった。正義の街で変態として捕まるのは非常にまずい。

「いいことを思いつきました」

 そういうとドアに耳をぴたりとつけ、中の音を聞き始める。その姿がさらに変態じみていることに本人は気付いていない。

 ドア越しに耳を澄ますと衣擦れの音が聞こえてくる。一枚、二枚その音がだんだんと近づいてきて……ドアが急に開いた。

「いだぁっ!?」

 軽快な音と共に転げるフィオ。

「え、ええっ!? 何で女の子が!?」

 戸から出てきたのは従事服を身にまとった男の子だった。

「た、大変だ! 僕のせいで頭を怪我してる!」

 包帯を大げさに巻いたままの頭を見て少年は手荷物を取り落とす。

「いや、この怪我はもともとですから!」

 フィオはどことなく自分と同じ空気を感じつつ、少年が取り落とした手荷物を拾う。それは黒い布に包まれたハットと仮面。誰がどう見ても怪盗の衣装だった。

「か、確保ぉーっ!」

 そう叫ぶとフィオは少年に飛び掛った。

「な、何するんですか!」

「うるさいですよ、どこからどう見ても怪盗に間違いないのです。新聞の大見出しは美少女フィオナ大手柄ぁああ!?」

 そう叫びながらフィオは前方に転がっていった。その背中には靴のあとがくっきりと残っている。

「騒ぎを起こしてるとは思ったのですが君は何をしているんですか」

 蹴りの正体はやはりケイだった。しかしこの騒ぎには正当な理由がある。

「ケイ! そいつ仮面を持ってます! きっと怪盗に違いないです!」

 まったく信用のおいていない瞳でケイはフィオを見下すと、少年に手を貸し立ち上がらせた。

「アナタがクーバさん?」

 ケイが問いかけると男の子はしどろもどろ肯定した。

 その光景をいまだ立ち上がれずにフィオは見上げている。

「あ、あのこれは一体……」

 フィオが言葉を発するとクーバと呼ばれた男の子はケイの後ろに隠れた。

「フィオ、君は男子トイレから出てきた男の子を押し倒して一体何をしていたのですか……?」




「いやぁ、まさかクーバさんがいざ怪盗が現れなかったときの偽者役だったなんて」

 そう笑うフィオと呆れ顔のケイは用意された部屋にクーバの案内で向かっていた。

「といっても祭りの間だけ雇われた使用人なんですけどね。どうやら御子息に気に入ってもらいまして」

 アハハと困ったように笑うクーバ。不意に心配そうな顔でフィオを振り向いた。

「ところで頭の怪我は本当に大丈夫ですか……? 僕にやられたんじゃないにしろ心配なので、後で治療キットを持ってきますね」

 フィオは大丈夫ですと跳ねて見せた。

「この通りピンピンですので、大丈夫です!」

「……君はもう何もしなくていいので大人しくしていてください」

 あきれ返るケイにそうはいきませんとフィオが続ける。

「こうなったら片っ端から手荷物剥いで行けば、いつしか犯人に当たるのではないですかね!」

 爛々と目を輝かせるフィオは本気だ。

「犯罪ですよ、それ。第一さっきの事だってクーバさんが訴えれば明日の朝には痴女フィオナとして知れ渡っていたところです」

 そのやり取りに先頭を歩いていたクーバが申し訳なさそうに笑う。

「僕のほうこそ悪いんですよ、あんな荷物もってうろうろしてましたし。フィオナさんも悪気があったわけではないですし」

 フンと鼻で笑うとケイはフィオを指差しながら続ける。

「悪気があるかどうかなんて関係ないんですよ。ただこれが捕まれば少なくとも私まで飛び火するのですよ」

 そのあともあーだこーだといい合いしている二人に苦笑いを返しながらクーバは客室に案内した。

「探偵の方々の皆さんには各部屋で夜までお待ちいただいております。夕食時に一度お呼びしますので」

 豪勢な食卓に招かれるのはいいが、同時にそこは職場でもある。

「食事会場に今回の怪盗のターゲットである『使い手睨みの仮面』を展示します。さすがの怪盗といえど近寄りもできないことでしょう」

 ケラケラと笑ってクーバは夕食への招待状を二人に手渡した。

「形式上はパーティーなのでお召し物はこちらで用意します。それではお時間までごゆっくりおくつろぎください」

 丁寧に頭を下げると、クーバは廊下の奥へと消えて行った。

「おわあああああああ――ッ!」

 となりで突然大声を上げたフィオにケイは疲れたきった声をあげる。

「……一体なんだっていうのですか」

「いい、今重要なことを思い出しました……! 昨日宿屋で会った大道芸人がさっき居たんですよ、この屋敷の中に!」

 なんで忘れていたんでしょうか! と頭を抱えて部屋のベッドへと飛び込むフィオ。

「ケイこの布団ふかふかで気持ちいいですよ」

「そういう頭の構造しているから忘れるんだと思いますよ」

 その言葉にフィオはハッと起き上がる。

「あの宿に泊まるのは大抵この街行きの客です。逆方面の列車はその日のうちにくるので宿に泊まる必要はありませんし。大方彼女もこの街の祭りで手品でも披露しに来たのでしょう」

 『彼女』という言葉になにか引っかかりを感じたフィオはさらに重要なことを思い出した。

「そうです! 『彼女』じゃ無いかもなのです。男性用の厠に入っていくのをこの目で見ました! あやしくないですか!?」

 詰め寄るフィオをよそに、ケイは部屋のドアを全開にしたまま、ドアに一番近い椅子に座りこむ。

「彼女自身一度も女だといってませんし、常に裏声でしゃべっている男なのかもしれません。どうせ貴女があやしいというのも仮面つながりだからでしょう?」

 その問いにうぬぬと言い返せなくなったフィオはふたたびベッドへ飛び込んだ。

「大発見だと思ったんです。褒められると思ったんですよぅ」

 枕に顔面を押し付けたままそう嘆くフィオ。ケイはその様子にため息をつくと、自らの手荷物を漁りだした。

「……確かに疑わしい相手を問い詰めてみるのもいいでしょう。成功するかどうかは貴女次第ですが」

 フィオが期待にケイを覗くと、その手にはよく手入れされたナイフが握られていた。

 



 辺りの日がだいぶ落ちてきた。といってもグラディス総指揮邸以外のガス灯の明かりは未だ灯らず、人の目が暗闇に慣れるよりも前。

 クーバが部屋のドアが全開のことに気づき、その戸を軽くノックする。

「そろそろ夕食会の準備が整いますので、お召し換えを……」

 覗き込むように見ると、ドア際に座ったケイと目が合った。

「あ、どうも。お時間のほうをお伝えに……?」

 クーバの目に入ったのは僅かな物陰から見える髪、そして包帯。誰が倒れているかを判断するには十分な情報だった。

「ケイさん、あなたまた……!」

 にやりとけいの口元がゆがむ。

「また? またなんだというのです? アナタと私は合ったばかりでは?」

 その言葉にクーバが表面上の笑顔だけ取り戻す。

「いえ、フィオナ様はどうなされたのですか? どこか具合の悪いところでも……」

 言葉の途中でケイはクーバの荷物を蹴り落とした。ケースの中から布や、蓋が合いてしまったのかアルコールのにおいが立ち込める。

「ずいぶん本格的な医療セットですね、縫合用の糸と針まである」

 取り落とした荷物を拾おうとしながら

「フィオナ様が頭に打撲をされていたようなので、救急セットをお持ちしたのですが、すいません余計な気遣いでした」

 しおれるクーバからケイは2、3歩距離をとる。

「そうですね、昨夜の死体と同じ方法で殴られたら今も生傷でしょうしね。どこかで盗み聞きでもしていたんでしょうでも残念ながらフィオの包帯は……」

 途中でクーバが話を割る。

「すいません先ほどから何がなにやら……僕はただ祭りで歩き回ったあなたたちを労ろうと思っただけなのに……どうしてこんなことを」

 その言葉にケイは目を細める。

「歩き回った? 私たちは直接ここに来ましたが」

 そんなはずはないとクーバは無造作に置かれた銀時計を指差した。

「僕はその時計を買っているあなたを見たんですよ! そう街の高台、青い屋台で……」

 その台詞を聞くケイの顔はどんどんと落胆の色に染まっていった。やがてため息をひとつ吐くと、その後ろで倒れているはずの少女の名前を呼ぶ。

 しかしそれはピクリとも動かない。

「!」

 クーバが背後に踏み込みの音を聞いたときはすでに遅かった。

 全くの後方、そして油断状態で食らった当身は、強烈に上半身を仰け反らせ体制を整えられない。踏みとどまるために出そうとした足は左手と共にロックされている。

「くっ!」

 右手を受身に使ったがこれが失敗だった。斜めに崩れた体は右手を下敷きにする格好で床に倒れた。

「どうです! まいりましたか!」

 声から察するにおそらく上に乗っているのはフィオナ・ランバート。上半身に置かれた体重を外すには転がるか起き上がるしかないが、自重につぶされた右手一本ではどれも不可能そうだった。

「いやはや、どこかで勝手に覚えたらしいのですがね」

 冗談じゃない。下手に倒れていたら肩が外れ手首が砕けていた。

「ちなみに包帯の真相はこんな感じです」

 手鏡を差し出されると押さえられている自分の姿と、腰まであった髪を肩に切りそろえたフィオが映った。

「注目すべくは額なんですがね。南の民族がボディペイントに使うという染料です。なかなか落ちませんよこれ」

 フィオの額には薄いがハッキリと第三の眼が描かれていた。

「わ、笑い事ではありません!」

 クーバはフィオが上に乗ったまま暴れることで我に返った。

「ぼ、僕が何をしたっていうんですか!」

 クーバはそのままの体制で必死に叫ぶ。

「まだシラをきりますか。私はこの時計を買ってなんかいません。これは借り物です。街に入ってからすぐの屋台で、もちろん青い色の屋台なんかじゃない」

 ケイはクーバを見下ろせる位置に腰かけた。組伏せられた彼は実に苦しそうだ。

「まっすぐ来たというのは嘘なんですね……僕も嘘をつきました。……実は人伝に聞いただけなんです。僕が運転する車とケイさんも会っているじゃないですか、あの後です」

 ケイは諦めが悪いと笑う。

「人から聞いたと言うのはどうやら本当のようだ。さらに言うならあなた、ポップコーン屋で私のことを聞きましたね? そのときは『長身の女性』だった」

 クーバはなにかを察したように目を大きく見開き、やがて面を伏せた。そこへケイが畳み掛ける

「アナタはフレデリック・シップマン、昨夜私たちにそう自己紹介したでしょう?」

 そうだそうだとフィオが喚く。

「ついでに私が無駄に怒られたことについても謝罪がほしいですね!」

 私怨を含んでか左腕は実に正確な方向へギリギリと捻られる。そして最後の一言をケイが付け加えた。

「第一先ほどこれをフィオナと呼んだでしょう? 彼女の怪我が打撲だということも決め付けていたようですし、会ったばかりの『クーバ』がそれを知るはずはないのですよね」

 フィオ自身もこの青年の出会ってから自身のことを紹介した覚えもなければ本名で呼んだ覚えもない。

「ご主人にお聞きした……といっても無駄でしょうね」

 声の雰囲気が徐々に変わっていく。

「グラディス総指揮であればこれには興味なさげでしたし、あとで確認すれば分かることです。まぁ名前すら覚えてないと思いますけど」

 クーバはため息をつき体の力を抜いた。

「そうかそうか、街中に罠を……これまた手間のかかることを……」

 声と口調と雰囲気までもが元のクーバのものではなくなっていた。ケイは『こういう人が訪ねてきたらこう答えてくれ』と街の人それぞれに依頼していた、それこそ彼女が言うように無数に。そしてそのパターンを全て記憶している。

「二つ聞きたいことがあります。それに答えれば別に貴女をどうこうするつもりはありません」

 実際姿を隠して近づいただけで、それ自体は何の罪にもならない。

「ひとつ、例の仮面怪盗は貴女か。ふたつ、貴女は我々に不利益をもたらすために近づいたのか」

 ん~と少し考えた後に彼女は答えた。

「仮面怪盗ではないよ。あと不利益……もちょっとちがうかなぁ」

 そう話しながらフィオがなにやらクーバの脇をまさぐっていることに気づいた。

「また痴女行為ですか?」

 クーバの声で痴女と言われ、赤面しながらも一層左腕を強く締め上げる。

「ち、違います! こう、声を聞いていると男なのか女なのか一層気になってですね」

 立派な痴女じゃないですか。とケイがつっこんだ。

「それで? どうだった?」

 クーバもといフレデリックの問いにフィオは首を捻った。

「柔らかくはあったのですが……。いや、男性でもこのくらいの柔らかさなのでは……? 正直男性の胸など触ったことないので分からないですね!」

 ケラケラと控えめに笑うと押さえられている左腕の方向を少しだけ変えた。

「傷つくねぇ……。それではその仕返しにこんなのはどう?」

 締め付けていた腕に一瞬力が加わると、ボゴン! と鈍い音を立ててクーバの左肩が限界駆動域を超えた。

「フィオ! 離してはいけません!」

 ケイは叫びながら自らのカバンに手を突っ込む。

「う、うわわそういわれましても嫌な感触が!」

 緩んだ腕を抜き、半身を捻るとフィオの頬骨を右手の付け根で軽くこずく。変なうめき声を上げながら脳を揺さぶられたフィオは床に倒れこんだ。

「いきなり物騒な事をしますね」

 フィオを静かに寝かせて振り返ったクーバは顔を引きつらせる。

「ちょっとそっちの方が物騒なんだけど、ていうかそれ本物?」

 ケイは小型の拳銃をクーバに向けていた。

「貴族か王族か捕縛制圧部隊くらいだってそんなの持ってんの、一体そんなおもちゃどこで拾ったのさ」

 ケイはその問いには答えず銃口を向けたまま言う。

「無駄話はせずに両手を上げてくれませんか」

 緊張が満たしていたため忘れていたがフレデリックの左腕は上がらない。

「とりあえず腕戻してもいいかな」

 ケイが頷くと左腕を再度鈍い音をさせてはめ直し、両手をゆっくりと肩の高さまであげる。

「…………私を騙す為にわざわざ彼女の髪を?」

 どこか遠くを見るような威圧的な態度に変わった。歩を進めようとしたのでケイは銃を向けなおしてけん制する。

「髪はまた生えてくる、何も手足を切り落としたわけではないですし。わかったなら早く出て行ってほしいんですがね」

 その言葉を無視して、どこか軽く笑いながら続ける。

「実は私は少女達をモノのように扱うあんたたちのような男が大嫌いでねぇ、危害をを加えるつもりではないのだけど、気になって色々調べたんだよ」

 ケイの表情が変わった。

「探偵の推理に横槍を入れては失脚させる、あの『探偵殺し』に誰だって興味は湧くよね? 君のやっている事に悪い事なんてないよ。私にもない」

 犯人を逃がしているといっても実に論理的に弁護して冤罪の可能性を指摘しているだけだ。それと性格の問題とは別問題だが。

「基本的に君は真犯人の追及をしない。もちろん依頼人が本当に犯人のケースもあるからだと思うけども、君が犯人を捕縛隊に引き渡したのは過去一件だけ」

 ニヤニヤと笑い続けるクーバ、じらすように間を空ける。

「……一体、どこまで知っているんですかね」

 ため息混じりに吐き出された言葉に、クーバは弾けるように話し出した。

「全部だよ! 君が連続殺人犯の夫婦を捕縛隊に引き渡した事、その娘を連れまわしていること! 最初はただの変態なのかと思ったんだけど、あってみるとそういった雰囲気ではなかった。彼女は君と進んで行動をともにしていたんだ」

 クーバは銃を突きつけられているにもかかわらず、雰囲気だけは先ほどとは全く逆の形勢を感じていた。

「彼女は実に正直で悪を疎む。まるで自分の両親は無実かのごとく、ね。実際そんな事はない。君の推理は今でも崩されていないのが何よりの証拠だ」

 資料に残されていない資料も必死でかき集めた。おかげでこの男が何をしているのかは分かった。だけどいくら調べても、何を考えているのかは分からない。

「ケイゼル・クラーク、彼女に何か吹き込んだんじゃないの? おそらく、『君の両親、本当は悪い事なんてしてないんですよ』とか一言」

 狙いは分からない。少女が哀れだったのか、命を狙われたいドMだったのか。

 しかし重要な点はそこではない。どちらにしろ彼はこの事を彼女に秘密にしている。そこを突いて揺さぶればいくらでもこっちが有利になる。この男の使い方も今から頭に浮かぶようだ。

「まぁ、あれだよ、この事を彼女にバラされたくなけれ――」


 ――おもちゃのような破裂音が部屋に響いた。


「さっきからよくしゃべりますね、どうせよけるならもう少し早く撃ってもよかったんですけど」

 クーバは何がおきたのか分からない。硝煙の立ち上る拳銃。その拳銃にケイは弾をこめ直している。自分は、たぶん生きている。

 思い返すと照準が若干頭に定め直されたのを感じて、とっさに背けたのだ。

「不都合なんですよ」

 フレデリックも駆け引きは得意なほうだが、この状況で撃発砲することは予想していなかった。

 人の集まってくる気配は無い。このことが分かっていた? しかし避けなければ弾は当たっていた。その場合の死体の処理は? とてもこの男がリスクを考えているようには見えない。

「それではさようなら。流石に二回目は避けられないでしょう」

 ……本気でことの真相が漏れるくらいなら、自分が殺人者になった方がマシだと考えている。

「わ、分かった。この事は他言しない」

 助かるための算段をする時間稼ぎのセリフのつもりだったが、ケイは驚くほど素直に銃を下げた。

「分かればいいんですよ。さぁそこに寝てる間抜けを起こしてやってください」

 口外しないという口約束がそれほど大切だったとは思えない。やはり事の真相はもっと深い所にあり、それを予防、隠蔽するための牽制だったと考えるのが妥当か。

 フィオは数回頬を叩かれ、うめき声を上げた。

「うあ、何がどうなったんですか……?」

 まだ体の自由が効かなそうなフィオを無視し、ケイは上着を羽織る。

「問題は解決しました。彼には従者として本来の仕事をしてもらいます」

 えー。と漏らしながらフィオはクーバの肩を借りて立ち上がると、気絶の後遺症からか軽くえずく。

「もう暫くすれば気分も冴えるでしょう。そうしたら更衣室にご案内します」

 クーバの額には汗が浮かんでいた。




 気持ち悪いやら頭いたいやら文句を垂れていたフィオは、衣装部屋をみるなり駆け出していった。それからもう数十分は経つ。

 適当な服を選んで着るだけで何故そんなに時間がかかるのか。ケイは普段着に正装のつもりのジャケットを羽織っただけで済ました。タキシードなんて着たら自分で笑い死にしてしまう。

 先に会場に向かおうかと思ったが、場所を聞いていない。闇雲に歩き回るのも非効率だと歩みを戻す。

 その時、重そうな扉が開き、クーバの姿が見えた。

 「遅い、一体どれだけ待たせれば……」

 フィオかと思ったが人違いだった……そう思うほど見違えていた。髪を切ってしまったのが惜しいと感じられるほど、見れば見るほどあの人によくにている。ケイは随分長いこと見いってしまった気がした。

「いや、それがですねこんな服着るのは久しぶりだったので勝手がわからずですね……」

 言い訳をするフィオの横からクーバがひょっこり顔を出した。

「僕がお手伝いしました」

 その言葉に複雑な思いを寄せていると、フィオも同じ顔をしていた。

「私も最初はどうかと思ったんですが、」

 クーバはその二人の様子にケタケタと笑いを漏らすと、途端に艶やめかしい声に切り替えた。

「あらぁ、あたしが手伝うのに何か不都合があって? 額の悪戯を隠すのだって髪を切りそろえるのだって苦労したんだから」

 その声はあの道化師のものでも、ましてやクーバのそれとも違った。

「気持ち悪い真似は止めてください」

 その反応に再び笑いを漏らすと、クーバの声でかしこまった。

「この渡り廊下の先がパーティー会場となります。ボクは用事があるので失礼しますが……どうぞおくつろぎ下さい『探偵殺し』様」

 笑い声に見送られながらも、その言葉に反応することなく、ケイはパーティーの会場がある廊下へと歩き始めたが、フィオに気付かれぬよう振り返る。

「実は正体をばらさない代わりにちょっと手伝ってほしいことがあるのですが、ロープなどありますかね? そうですね長さは四、五メートルくらいで」

「ロープ? それをどうするんですか?」

 クーバは不思議そうに聞き返す。

「何かに結んで窓から外へ垂らしておいてくれませんか? ただし会場の真上にあたる部屋からです。例の怪盗を逃がすのに役立つと思いますよ」

 もしもクーバが一枚噛んでいるなら断る理由はない。予想通り彼は具体的な内容も問わず快諾した。




 会場につくとフィオのテンションが一気に上がる。壁に掛けられた名のある画家の絵画たち、見せびらかすように壺や皿、夜には動き出しそうな甲冑などがそこに並んでいた。それらを高い天井からつりさげた大きなシャンデリアが照らす。

「おおーっ。やっと悪役にふさわしい部屋が登場しましたね」

 物語にでてくる様な光景とは裏腹に、室内には緊張が満ちていた。

「な、なんだか近寄りがたい雰囲気なのですが」

 引き下がったフィオを腕で退けながら当たり前ですとケイが言う。

「会場はパーティーでもここにいるのは皆探偵、報酬が貰えると聞いてなけなしの財産を路銀にした者もいるでしょう」

 まぁ恐らくは報酬以外が目的だと言う者はいない。

 ケイが躊躇なく歩みを進めると、フィオはおずおずとそれに続く。

「ど、どうしてだか私たち浮いてませんかぁ……?」

 一同の目線を浴び、囁きが何処からともなく聞こえる。こんな大勝負の場に遅れてくる人物は一体どう見られているのかを考えれば当然のことだった。

「グラディス総指揮は私が来ている事を漏らしてはいないはずなのですがね」

 風の便りは壁の小さな穴さえすり抜ける。ケイはため息をつくと帽子を取り出し少し深めに被った。

 あたりを見回すと、どうやらケイ達以外にも孤立してる人物がいるようだった。その大柄な男は周囲に人がたからないのをいいことにテーブルの料理を次々とをつまみ食いしている。

「まぁ何処かで合う事になると思ってましたが」

 その光景にフィオが「あっ」というと向こうも気づいたようで料理を喉に詰まらせる。

「な、なんでお前がここにいるんだ!?」

 ガルト・ラヴロックはそう叫んだ。

「フィオみたいな事を言わないで下さい。ところで私の方が不思議なんですが、『探偵殺し』にボロ負けした負け犬の貴方が、何故このような場に?」

 周囲にどよめきが広まるが、ここにいる探偵が既に探偵として殺されたことに対するものだ。思惑どおり周囲の注目からケイは外れた。

「人数が必要らしくてな会場には入れてもらえたがこの様だ。どこから漏れるのか信頼もがた落ちよ、いまじゃ捕縛隊を呼んでも来てくれるかすらわからん……だがまぁいい。だからこそ俺はここで汚名挽回しなくてはならんのだ」

「汚名なら挽回しなくとも貴方のモノじゃないですか」

 その言葉に首を捻るガルトだったが、ケイに説明してやる気は無かった。

「んーどれもなかなかイケますね」

 フィオがガルトと同じく誰もまだ手をつけていない料理をヒョイヒョイとつまんでいた。

「だろ? これなんか何の肉かわかんねぇのにウメェウメェ」

 頭を抱えるケイにガルトが肉の乗ったさらをつき出す。

「まぁお前のせいで偉い目にあったが、もう過ぎた事だ。俺は過去の事にこだわらねぇ大きな男よ」

 ケイはその皿を躊躇いがちに受け取るとすぐにテーブルの端に置いた。

 この能天気グループに身をおいているお陰か、周囲の注目はだいぶ逸れた。どうやら例の『探偵殺し』が来るという噂だけが一人歩きしているようで確証を持っている人物はいないようだ。

 ケイは自然を装い会場を観察してみる。集まった探偵は五十もいないだろう人数だ。しかし異国から来たような風貌も散見される。

 フィオに同調するわけではないが、この屋敷の趣味がいいとは思えない。恐らくグラディス総指揮とその息子が来るであろう二階席には、巨人が座るのかと思うほどの椅子が備え付けてある。

「あれが気になりますね。あのオッサン一人だけの特別メニューなんて許さないですよ……!」

 フィオの目線が向く二階席のもっとも手前、一番皆に見える位置になにやら布がかけられている。

 ……なるほど、あれが今回の目玉って訳ですか。

 ご馳走を目の前に食い物のことしか考えられなくなったフィオを、とりあえずはたいておいた。

「やあ、気分は如何ですか」

 料理を運ぶ使用人に紛れてクーバが会場に現れた。

「ガハハッ! 料理は美味いしパーティーとしては申し分ないな!」

 そう発した大男を見上げるクーバはふとその視線をこちらに寄越した。

「随分な顔触れかが揃ってしまいましたね」

 よくわかっていないようなガルトを差し置きケイはまぁ、そうですねと気のない返事を返する。

「あれ、落ち着かないですか」

 ケイの受け答えは大体素っ気ないもんだが、クーバはその差を敏感に感じ取った。

「あの人たちと違って私は仕事できてますので」

 ため息混じりにそういうと、ガルトとフィオがなにやら抗議している。

「俺だって仕事で来てんだよ。街の張り紙に一攫千金を見つけてな」

 なるほど、一般の参加者はガルトと同じように集められたのか。

「私だって遊んでいるようなモンですが仕事なんですよ!」

 フィオはクーバの運んできた料理をつまもうとしてはスルリとかわされる。

「彼女はともかくガルトさんは仕事なんて出来ないでしょう、至るところで陰口叩かれてますよ」

 クーバにそう言われると、さすがの二人も当初より雰囲気は和らいだが、やはり差別的な空気が漂っていることを意識せざるを得ない。

「バカが移る訳でもないのに、不思議な人たちなのですね」

 フィオが呟くと心なしかガルトの表情が緩んだ。こうしてバカは伝染していくことをこの二人は知らないのだろうとケイは思う。

「私たちの他にグラディス総指揮直々のご招待を頂いたのは?」

 警戒するのであればやはり腕が立つ者に絞った方が効率がよい。ケイにそう問われたクーバは目線だけで示す。

「あそこにやたら着飾った女性がいらっしゃいますでしょ?」

 そう言われても全員がパーティーの衣装をレンタルしているのだ。着飾るかどうかではほぼ区別がつかない。

「まぁ一番偉そうなお嬢様ですよ」

 そういえば立食形式のパーティーにもかかわらず、会場の中央に大きな椅子を運ばせふんぞり返っていた者がいたのを思い出した。

「あぁ、あれのことですか」

「貴族の身分にして探偵と言えば聞き覚えもあるでしょう? 財力はこの中で間違いなく一番。なにせあの衣装は彼女の私服ですから」

 道中の衣装と現在のものが同じだとは考えにくいが、なるほど普段着もきっとあのような格好なのだろう。彼女は容姿も端麗で衣装も鮮やかな緑の生地が映える、素敵なものではある、が。

「ふ、普段からあれはちょっとなあ。俺らとは違って高級な道中なんだろうが、あれで街中『ごめんあそばせ』とか言われたらビビるな」

 ガルトはフィオと目が合った瞬間、裏声でごめんあそばせとポーズをとった。

「アハハハ! アホみたいです!」

 指差して笑うフィオに背後、貴族の探偵は振り返る。

「あ」

 フィオはテーブルの影に隠れ、ガルトは姿勢を正したが、遅かった。彼女は従者の制止を振り払うと、ガルトの元につかつかと歩み寄る。

「初対面ですわね?」

 その言葉にガルトは視線を反らしながら「恐らくは」と肯定した。

「浮いていることはわかっているわ。ただそれは負け犬のアナタと同じことよ」

 やはりガルトのしくじりはそこかしこに広まっているようだ。しかしガルトも易々と引き下がる男ではない。突きつけたれた指を払いのけ、ずいと前に出る。

「あ? 言ってくれるじゃねぇか。負け犬呼ばわりするなら、俺より先に犯人を捕まえてから言うんだな、お姫様?」

 その言葉に彼女は切歯すると、大男に怯みもせず言い放つ。

「私はアネット・エンライト。あなたみたいな無骨な男性に姫と呼ばれるいわれはありませんわ」

 そのままぐるりとケイたちのほうを振り向くと、そちらもやはり指差しにする。

「そして負け犬とその引き連れなどに遅れはとりません」

 プライドがあるわけでもないのに、いつの間にか胸を張っていたフィオがその発言に噛み付く。

「フフフ、それは勝負を受けてたつという事ですね?」

 腕組をするその横を素通りすると、アネット・エンライトはケイの顔を覗き込む。

「……何か?」

「『探偵殺し』はもっと屈強で聡明な方ですわ」

 何のリアクションもとれずにいる面々の変わりに、クーバが小さく噴笑した。ケイはそれをごまかすためにもさらに質問をぶつける。

「あの、失礼ですが噂の彼とはどういうご関係で?」

 瞬間、アネットはその気品に量増しされた年齢にはとても似合わない無邪気な少女の顔を見せた。

「彼は……私の婚約者ですの」

 そう言われたケイにはまったく心当たりがない。訝しそうなフィオの目線に小刻みに首を横に振る。ケイのほかにも探偵の推理を妨害した探偵はいくらでもいるが、特定の誰かをイメージしているようにも見えない。

「顔はご存じなのですか?」

 もしも身元が割れていればそれだけ面倒なことになる。アネットはその問いに首を横にふった。

「エンライトの一族はもともと巫女の家系で、占いで婚約者を導くのよ。彼がやっているのは正式な活動じゃないもの、調べ上げたところで顔もわからなければ名前もわからないわ」

 それを婚約者というのかどうかは別として、没落する貴族の多い中、彼女の代までその方法で栄えてきたのは事実だ。

「私は一族の跡取りとして、必ず婚約者と結ばれなくてはならないの。しきたりに背くのはそれだけで重罪よ」

 使命感はあっても絶望というものは彼女の表情から感じ取れない。それは理想の婚約者像が彼女の中で出来上がっているからかもしれない。風貌、名前は大量の噂話にまぎれ割れることはなさそうだが、ケイにとっては不都合でしかない。

「屈強ならあの男なんかどうですかね」

 急に話を振られたガルトはしばし呆けていたが、「話にならないわ」とアネットがいうと、憤りをあらわにする。

「聡明な部分がまるで欠けているじゃない」

 実際のところ欠けているガルトは一瞬ケイに目線をやると怪しく笑う。

「よぅし、なら勝負にスリルを加えようぜ。先に怪盗を捕らえたほうの言いなりになるってのはどうだ?」

 アネットはガルトを一瞥するといいわよと嘲笑しながら、自分の派手な指定席へと向かう。

「あなたに四つ足で歩くよう命令してあげるわ」

 ガルトに加えなぜかフィオまでも鼻息を荒くしている。

「これは絶対に勝たなければなりませんね!」

「ああ、頼んだぜ!」

 二人はケイのほうを見てそう言い放つ。

「……まさかさっきの話ですか? 嫌ですよ私は依頼を受けている最中に他の依頼は受けません。これは依頼主本人も同様です。何せ信用問題にかかわる部分ですから」

「そこをなんとかッ」

 ガルトは完全に依存する気だったらしいが、懇願されたくらいでケイに折れる気はさらさら無い。

「ひとつだけアドバイスをするならば、四足歩行の練習しといたほうがいいですよ」

 がっくりとひざを落とすガルト。そうこうしてるうちに照明がいっそう明るくなり、二階席から声がかかった。

「やぁやぁ皆の衆! 僕の登場を待ってご苦労なんだな」

 現れたのは小太りの若者。従者の手を借りて歩くその姿はホンプキンベン・フィールドだった。グラディス総指揮の登場と思っていたばかりに会場の探偵たちは一人残らず呆気にとられていた。一部では悪ガキが侵入してイタズラしているのではといった空気にさえなる。

「あれでもグラディス総指揮様唯一の跡取りなんですよ」

 クーバがガルト達にこっそり事実をを伝えると、ケイ以外は嘘だとそれぞれ笑い飛ばした。

「流石ですね、ケイさんはご存知でしたか」

 まぁ、と力なく答え偶然とは言わなかった。

「マジですか私あんなの聞いてないですよ」

 フィオはひきつる顔を隠しきれていない。一方のケイもこの場をグラディス総指揮本人が取り仕切らないというのは初耳だった。

「グラディス総指揮の姿が見えませんね」

 ケイはそう呟くが、クーバも状況は知らされていないようだった。

「パパなら急な仕事が入ったからそれが片付くまでは僕が代理だ」

 相変わらずの鼻声にまだ会場の半数が呆気に取られる中、各テーブルでは使用人達が料理を勧めはじめていた。

「泥棒がくるならそろそろでしょうか」

 クーバが適当に料理を取り分けながらそう言った。

「まぁまだ本物を見せられてもねぇんだ」

 ガルトは目の前の肉に堂々とかぶり付く。ガルト程でもないが周囲の雰囲気もいくらか弛んでいる。

「皆さま二階席にご注目下さいませ」

 従者の中の誰かがそう言うと同時、二階席の中央がライトアップされた。

「むふふぅ。今日のメインディッシュ『使い手睨みの仮面』の御披露目だぁ!」

 そう言いながらホンプキンが指をパチンと鳴らすと、従者がすばやくそれにかかった布を引く。

 厳重そうな一つのショーケースの中には1割ほど水が敷いてあり、その底にはいくつもの宝石が脇役として輝いている。ここにいる者の殆どが宝石に対する学などないだろうが、だれもがその姿に惚けた声を上げた。

 無色透明の仮面が、宝石たちの色を借りて綺麗に輝いている。またその色は微妙に揺れる水面によってゆらゆらと不規則に揺れているのだった。

「さすが見事なものですね」

 そうこぼすケイとは反対にフィオは興味すら無さげにそれを見つめる。

「キラキラして綺麗ですけど、なんであれがまた『使い手睨みの仮面』と呼ばれるのでしょうか」

 仮面は透明な事以外別段変わったようすはない。表情も特に睨んでいるということはない。

「それはあれが裏だからでしょう」

「…………えっ?」

 ガルトとフィオは同時にまの抜けた声を上げた。

「その通りですよ。真裏から見ても表に見えるんです。ほら、こうして斜めから見るとよくわかりますよ」

 クーバの丁寧な説明に二人は感嘆の声を上げながら走り回る。

「そんな事も調べないで来たのですか」

 ケイは呆れながらも再びケースを眺める。

 分厚いケースはガラス製か、上面には幾種もの鍵が掛かっている。

「どうですか? あれならば持ち出し様がないですよね」

 クーバはどこか持ち去られることに期待をよせているようだった。

「俺ならケースをぶち破るがな」

 ガルトは顎を擦りながら何故かしてやったりの表情だ。

「相当な厚さなのでそれは無理ですね。万一ガルトさんがとんでもない馬鹿力を持ってたとしても、二階席からやっと届くあの箱に渾身の一撃とはいかないでしょう」

「柄の長いハンマーの様なものだったらどうだ? ここにはいくらでも代わりの道具はある」

「どこまで筋肉馬鹿なんですか、それでは怪盗というより強盗で……」

 ――ケイがガルトを窘めたその瞬間、照明が消えた。

 会場は流石その筋の集まりだけはあり、パニックには陥らない。しかし一角だけは違った。

「のおあああっ!」

 叫びの後、フィオがドレスの裾でも踏んでこけたのであろう食器の割れる音が続く。

「クソッ現れたのか! 何処だ!」

 ガルトは恐らく闇雲に歩き回って壁にでもぶつかっている。

 そんな喧騒のなか、ケイはただひたすら役に立たない目をつぶり、耳をすます。今すぐ静寂を求めて二人を殴りたいが、怪盗を逃がすという本来の目的を考えるとこちらの方が都合がよい。

 微かに水のはねる音がした。

「絶対に盗ませたらいかん!」

 そうホンプキンの声がしたあと、扉の音がする。

「あのバカ逃げやがった!」

 誰かがそう叫ぶ。従者のうちのひとりかと思うと妙に面白い。

 少し遅れて二階席に従者のうちの誰かが点けたのだろうランプの明かりが見えた。それとともに人々が驚嘆する。

「おいおいおい、仮面だけが綺麗にねぇぞどうなってんだ!?」

 薄ら明かりに照らされたケースにはしっかりと鍵がかかっている。しかしそこにあった仮面の姿がどこを探しても見当たらない。

「驚くのも無理はないねぇ! しかし仮面は戴いたよ無能な探偵諸君?」

 声の方向をランプが照らすと、そこにその姿があった。全身黒の衣装に黒の仮面、何から何まで祭りに登場する怪盗と同じ。その怪盗が二階席の窓に佇んでいた。一階からでは届かない。二階の従者が意を決し、怪盗に向かい駆けた瞬間、怪盗の姿は窓の外へ消えた。

 ガルトをはじめ会場の探偵たちは一階にある窓に駆け寄る。

「落ちたのか!? くっそ開かねぇ!」

 横にも上にも奥にも手前にも、もともと開く仕様になっていない窓はびくともしない。

 ガルトは手ごろな丸テーブルの足を引っつかむと、獣のような雄叫びとともに思い切り窓にブン投げた。もちろん常人には投げられるようなものではなく、怪盗の出現と同等位にその行為は目立っていた。

 ガルトが割れた窓から下を覗き混むと、そこには結構な速さで川が流れているのが見える。この建物自体がいくつかの支柱で川へせり出すように建っているようだった。深さは先ほどのテーブルが飲まれるくらいの深さはあるようだ。

「くそったれ! 逃がしてたまるかよ!」

 ガルトは踵を返すと通用口へと駆け出す。

「奴は川に飛び込んだ! 濡れたままではそう遠くまで行けないはずだ、人手を集めて隅まで探すぞ!」

 ガルトの気迫に感覚がマヒしたのか、彼の後には次々に人が続いていく。

「あなたは行かないのですか」

 ケイが月明かりを便りに輪郭を探ると、貴族探偵アネット・エンライが立っていた。彼女はこの馬鹿騒動につられなかったらしい。

「無駄足が嫌いなもので」

 彼女は単に動かず根性で残ったのか、意図的にこちらを監視していたのかが少々気がかりではあった。

「ケイ、これをみてください!」

 フィオほどの短絡思考ならばガルトについていくと思っていたため、ケイは彼女が居ることに少々驚いて、窓に身を乗り出すフィオのその視線をたどる。そこには壁を這うように何かが垂れ下がっていた。

「縄梯子ですね」

 梯子は地面には届くかなりの長さがあった。しかしフィオは地面ではない方向を指差す。

「問題は上なのですよ」

 梯子は今ケイらがいる三階よりも一階分高い位置から掛かっていた。よくみるとその窓に足形が残っている。

「怪盗は上に逃げたに違いないです!」

 その叫びにケイが頷くと今回の依頼も忘れているのかフィオは駆け出す。それをみてようやくアネットも続く。

「もう少し落ち着いてほしいものですね」

 名のある探偵の動向を伺っていた残りの探偵もアネットを追っていき、会場にはケイだけが取り残された。

「ま、今回フィオは陽動としていい仕事をしてくれましたよ……ねぇ?」

 二階席窓際、月明かりで部屋の闇が一層強まっている空間。

「貴殿が残ってはいい仕事とは呼べないのではないかね」

 やれやれと怪盗が歩み出てくる。

「私は構いませんよ。貴方を無事探偵から逃がす依頼をうけているので」

 ケイはグラスにワインを注ぎ、アネットの椅子に腰掛けると、月を見ながら休憩を始めた。割れた窓からはガルトの怒号が聞こえる。

「それでは私が戻って来ることを予見していた、と?」

 怪盗は話をしながら空のガラスケースに歩み寄る。

「そうですね、貴方の仕事はそれを盗ることなのでしょう?」

 怪盗の足がピタリと止まる。

「それ、とは」

 相手の近くにあるモノを指す言葉。

「そのケースの中にある仮面ですよ」

 薄ら笑いを浮かべながら怪盗はケースに取り付けられた鍵を手に取り、針金を差し込んだ。

「何故見破られたのかね」

 カチヤリと音を立てて一つめの鍵が開くと、それを投げ捨てる。

「何故もなにもその箱には鍵がかかっていて取り出せないでしょう? だったら仮面はまだ内側にあるのが当たり前じゃないですか」

 探偵が怪盗に当たり前を説くかと怪盗がくすりと笑ったとき、二つ目の鍵が開き、またそれを放った。

「やめた方がいいと思いますがねぇ」

 ふとケイが言葉を発したのは、最後の鍵が開いたのと同時だった。反射的に怪盗の手が止まる。

「いや、それのことではなくて」

 ケイは怪盗の雰囲気を察して否定した。

「では何を止めろと言うのかね?」

 鍵をなくしたガラスケースはいとも簡単に開いた。怪盗は右手の手袋を外すと、青白い細身の腕に今度はゴム製の手袋を通し、ケースの中の液体に腕を差し入れる。

「予測可能なんですよ。貴方がの正体も、この後、貴方がやろうとしている事も」

 怪盗はなにも言わず水から手を引き抜く。その手には仮面があった。

「戯言だな。すべてを知るには時間が無さすぎる」

 そう言いながら手帳にさらさらと書きなぐると引き破り、器用にそれを折りたたみ始めた。

「貴方――消えるつもりでしょう?」

 その言葉に反応も示さず、窓とは反対の通用口へ向かう。

「分かっているんですか、この町から怪盗が消えたら」

 観光は廃れ、一般人は離れていくことだろう。ケイの言葉の、その続きを遮ると怪盗は楽しそうに叫んだ。

「このような出会いでなければ、良き友になれたであろうな! 私を逃がす依頼を受けていたそうだが、見事だった」

 そういうと怪盗はメモを高く投げ込んだ。器用に折られたメモはモミジの種子のようにくるくると回りながらゆっくりケイの居るフロアへと落ちてゆく。

 メモが着地した頃には怪盗の姿は闇に消えていた。ため息を付きながらケイはそのメモを拾い上げる。

「畜生がぁッ!」

 突然ケイのいるホールのドアが破壊されるかの勢いで開いた。

「お帰りなさい。怪盗なら先ほど逃げましたよ」

 ガルトは悪態をつき、やっぱりかとテーブルへ乱暴に座った。

「下で怪盗の捜索をしていたはいいがな、途中でお前が居ないことに気付いたんだよ。やっぱただの物ぐさじゃなかったのか」

 それを聞くとケイは二、三度手を叩いた。

「なるほど貴方にしてはいい推理です」

 バカにしやがってと喚くガルトを無視しながら、ケイはフィオでもこのくらいは気付くと思ったのですがと顎をさする。

「またガルト・ラヴロック氏の推理は空を切ったわけかな」

 闇のなか歩み出てきたのは仕事を抱えているはずのグラディス総指揮だった。その姿を見た瞬間、ガルトは訓練された兵士のように素早く立ち上がると敬礼の格好で硬直してしまった。

「怪盗には惜しくも逃げられたところです。しかしグラディス総指揮、怪盗が残したメモが見つかりましてね」

 ケイは一枚のメモをグラディス総指揮に手渡す。先ほど怪盗が置いていったものだ。それをみてグラディス総指揮の顔から余裕の色が消えた。

 ガルトは小声であのメモはなんだとケイに問うがそれは無視される。

「この町にとって怪盗がどんな経済効果をもたらしているかは分かっているつもりです。しかし、そうなった以上、どちらかを失うことになります」

 その言葉にグラディス総指揮は頭をかかえる。

「選択を問うということは、君ならば両方可能ということなんだな……?」

 ええ、とだけケイは言う。実際、怪盗の正体に目星はついていたからこその返事だった。しかし内心では、今までどおりグラディス総指揮が怪盗と街の安泰を取ってくれないかと思う。

「どちらをとっても貴方は責められないでしょう。しかしそれはどちらを取っても責められる事と同義です」

「……選択もなにも答えは決まっている」

 グラディス総指揮はメモをケイに返すと一度天井を仰いだ。

「怪盗を捕まえてくれ」

 向き直ったグラディス総指揮は正義というよりも父親の顔をしていた。

「一つだけ条件が。もしもの場合は捕まえなくともいいと許可をいただきたい。ただし今回の予告は必ず阻止しましょう」

 どちらにしろこの男に頼るしかない。

「……? 構わんが、この事はなるべく外部に漏らしたくない。君たち以外の探偵は早々に引き上げさせる。ああ、しかし依頼するのは君たち二人に、だ」

 グラディス総指揮は持っていたメモをガルトに手渡し、足早に立ち去る。

「汚名返上のチャンスだ」

 ガルトが小さくあっ、と言った。それを見過ごさなかったケイと目が合う。

「全くなんだってんだ茅のそとかと思えば急に参加に……」

 ガルトが畳まれたメモを開く。それは怪盗の予告状に使われているもので、すなわちそこには次に盗まれるターゲットが書いてある。どんな美術品かと目を走らせたガルトは、思わずその名を声に出した。

「次のターゲットは――ホンプキン・ベンフィールド……?」




 部屋へと戻ってきたケイはため息とともに腰を下ろした。グラディス総指揮の元で急ぎ追加契約の打ち合わせをするうちに時刻は深夜をまわってしまった。

「不眠が堪える歳になりましたかね」

 顔でも洗おうと浴室の扉を開けたとき、フィオではない女性がそこに立っていた。

 部屋を間違えた訳でもなし知り合いだろうか、しかし濡れた髪では印象が違いすぎて特定は無理だ。他の身体的特徴を探して目線を顔から下へと移す。

 しかし女性の裸などで判断できるわけはなかった。

「…………ふむ」

 そう、彼女は全裸だった。

「――き」

 相手が悲鳴の一旦を放つと同時、何故かケイの反射神経は前げりを放った。

「うおああっ!?」

 隠すものも隠さず吹っ飛び、どこかに頭をぶつける音がしたときにはもう扉は閉めることに成功していた。

「フィオ、これはいったいどういう事ですかね」

 ケイは扉を背にしながら、姿を現したフィオを睨み付ける。

「…………いいですか、こういうラッキーを棒に降る事がですねアダッ!?」

 濡れた靴をフィオに投げたケイの後ろ、ドアの向こうからサイズの合わないシャツを来たあの町娘が出てきた。エリカ・ハートソンだ。

「……なるほど貴女でしたかまさかこんな巡り合わせとは」

 わしわしと頭をタオルで拭きながらケイの目の前まで歩み出る。彼女はおそらくフィオが勝手に渡したであろうケイのシャツを身に纏っていたが、その下着の色が染め物のように浮かんでいる。

「あんた探偵だったのね。それにしても普通あの場面で女の子蹴り飛ばす?」

 ケイは冷たくただの自己防衛ですと言い放つと二人に目線をやりながら、

「そんなことよりも貴女、フィオとはどんな関係なんでしょうね?」

 フィオとエリカの面識は無い。そもそもたかが町娘の彼女がどうしてここにいるのかが分からない。フィオは怪盗を追いかけに行ったきりだったのが、それが何故ここにいるのか。

「そ、そんなこととは何よ!」

 彼女では話にならない。フィオに目線を配るとやはり目を反らす。

 なるほど、いもしない怪盗を追いかけたはいいが一人道に迷い、ここに忍び込んだエリカに出くわしたと。その後はどうせフィオは下らない感情で彼女を匿っているのだろう。

「まさかケイとエリカが知り合いだとは思いませんでした……。で、ケイは一体どうしたのです? ケイが部屋に戻ってこないせいで、私は好き勝手やりほうだいだった訳ですが」

 フィオはエリカに衣装部屋から拝借してきたであろう控えめのワンピース服を手渡しながら問う。

「……仕事が増えたんですよあの迷惑怪盗のせいで」

 そういいながらケイは自らのカバンを漁る。もう一度グラディス総指揮との契約を確認しておかなくてはならない。

 そこへすっかり着替えの終わったエリカが、何かを思い出してフィオに問いかける。

「そういえばフィオナ、アレ見せなくていいの?」

 おおそうでした、となにやら一枚の紙切れをフィオが持ち出して生きた。

「実は怪盗から予告状が届いていまして」

 ……予告状? 二通目にあたるそれに不信感を抱きながらもケイはそれを手に取り広げた。

『大広間のどこかに爆弾を仕掛けた』

 書いてあるのはたったその一文だった。

「これをどこで?」

「私が激しいバトルの末惜しくも怪盗を取り逃がした時にですね、エリカが見つけたらしいのです」

 怪盗はパーティーの会場にいた。おそらくフィオが怪盗を取り逃したのは嘘で、エリカが見つけたというのは本当だろう。

「どう思いますか?」

 エリカの問いにケイはメモを投げ渡しながら鼻で笑う。

「偽物ですね」

 その返事に何故とエリカは声を大にする。

「紙だって本物っぽいし、もう一度厳重警備を敷くべきよ!」

「その手紙の筆跡は、今の怪盗のものとは違います。どちらかというと初代怪盗を真似た左利きの筆跡ですね」

 その言葉にフィオが首をひねる。

「初代って、怪盗が二人いたということですか?」

「ええ、初代怪盗はおそらく、もうこの世にいないのではないかと思います。そこから間を空け、乾いた街の観光を潤すように、第二の怪盗が現れた。彼の筆跡は前怪盗真似てはいますが、右利きのものです」

「で、でも! もしかしたら本当かもしれないし!」

 必死に訴えるエリカのその腕を払うとケイはいう。

「偽物です」

「…………そ、そんなの分からないじゃない!」

 勢いだけで間近に迫ったその表情にあきれ、ケイは胸ポケットから一枚の紙切れを取り出す。

「爆弾騒ぎなど起こさずとも、もう一度向こうから現れるそうですよ。もちろん不法侵入を犯した挙句、虚偽の予告状を書いてしまう左利きのファンに会うためではありませんがね」

 エリカはメモを受け取った瞬間、硬直した。

「なによ、これ……。何で怪盗がホンプキンを狙ってくるのよ!」

「あぁ、あなたとホンプキンは知り合いでしたね」

 エリカはケイに紙を奪われたことでやっと我に返り、ケイを押しのけその足でフラフラと戸に向かう。

「どうしようというのですか? それこそとっくに厳戒態勢ですよ。あなたは彼に会うことすらできません」

 その言葉に諭され、エリカは尻餅をつくようにベッドに座り込んだ。

「…………ホンプキンは本当に大丈夫なの?」

 その瞳は何かを捕らえることなく空を彷徨う。

「馬鹿なことは考えないでください。あなたは明日、探偵たちが帰るのに紛れて表から出るといいと思いますよ。こんなところに忍び込んだとあっては、ただじゃ済まされないでしょうから」

 冷たく言い放ったケイは、自らの鞄を引き寄せようとする。そのときフィオがもうひとつ荷物を寄こした。

「これは旅用のカバンなので今はいらないのですが」

 次に上着と帽子を投げて寄こす。

「え、まさか女の子が二人もいる部屋に帰ってくるつもりですか」

 確かによくよく考えてみると危険だ。エリカはアレ以上の事故は起こらないだろうが、フィオが同室となると昨日の仕返しに何をされるかわからない。もっとも昨日のは仕返しの仕返しなのだが。

 しかもエリカには明日まで待って脱出するように言ったのはケイの口だ。彼女はそれまで身を隠さなければならない。

「……わかりましたよ。ただし騒ぎは起こさないように」

 よくよく見るとフィオは多少不機嫌だ。エリカの頼みを邪険にしたというところだろうか。ケイはまだ何かいい足り無そうなフィオに、面倒だと早めに戸を閉めた。




「――おや」

 部屋からそんなに離れていない距離で、角から曲がってきたクーバを見つけ、ケイは声をかけた。

「これはこれは、またお手柄だったそうじゃないですか。さすがですね」

 クーバのそのほめ言葉に感情がこもっていないのは誰でもわかる。

 空の笑顔をみせるクーバは上着にカバンと、どうやらこれから外出するかの様な格好だった。

「盗品を売りさばきにでも行くんですか?」

 盗品? さて、と何もわからないような仕草をする。

「白々しい。突き出すわけでもないですし、それともまた荷物をけり落とされたいですか?」

 その言葉を聴いてクーバは一歩後ずさりながら荷物を背後に隠した。

「まったく、そんなことされたら割れちゃうじゃないですかー」

 ケタケタと笑うクーバにケイはため息を漏らす。

「いままで、こうして直接じゃないにしても怪盗に関与していた訳ですね」

「そうですねぇ~アシスタントといえば~、アシスタントですぅ~」

 クーバは再び声を変えてどこかで聞いたような甲高い女の声を出す。それはホンプキンを乗せた車を運転していたあの小柄な使用人だった。

「あの年で運転技術があるとはたいしたものだと思ったんですよ。何人もの役を演じて入り込んでいたとは。……一度使用人を洗い出すことをグラディス総指揮にアドバイスしておきましょう」

おそらく彼女はこういう仕事を過去にも繰り返している。

「あははっ、無駄だよ。これが最後だもの」

 声はフレデリックに戻っている。最後に含みを持たせる言い方だったが、ケイはそれには食いつかなかった。

「そういえば、他に部屋は空いてないですかね」

 話題の切り替わりにクーバは一瞬きょとんとした。

「空いてないですよ。ちょうど満室ですので。ああ、でもてきとうにでっち上げて事情を話せばグラディス総指揮が探偵の一人や二人放り出して部屋を空けてくれるんじゃないですかね」

 真顔でそう話すので冗談かどうかも判断がつかない。

「……遠慮しておきます」

 すれ違いながらクーバに背を向け歩いていくと、途中で呼び止められた。

「あのですね、ひとついい忘れたことがあるんですよ」

 ケイは振り向いたが言葉を返そうとしない。

「実のところ、探偵というのは自分の都合のいい妄想で現実を補完している生き物だよね。君はそれらの綻びを見つけることを仕事にしてるみたいだから私の言っていることも分かるだろう?」

 明らかに先ほどとは違う異質な声、おそらく相手の精神を押しつぶすのに一番いい声を使い分けているのだろう。

「でもさ、私は仕掛ける側の人間なんだ。探偵より多くの事実を知っている。そんな私が忠告するよ。君のその自信はいつか身を滅ぼす。……近いうちにね」

 全てを聞き終わると、ケイは言う。

「私が行っているのは周りの人間を、世界を疑う仕事です。自分くらい信じないと一体誰が信じてくれるというんですか」

 振り向き、先に進もうとしたがその足を止めた。

「私からもひとつ聞きたいことがあるのですが――いいですかね?」




「その流れでどうして俺の部屋番号を聞けるんだ」

 ドアの前で散々押し問答をしたのに、いまだにガルトはどうも納得が言っていない様子だった。

「ですから最初に言ったとおり、私の部屋には帰れないのです。一度私に負けたんですから、素直に言うことを聞くものですよ」

「だからってなんで俺のとことに……」

 ケイは来ていたシャツをベッドの上に脱ぎ捨て、上半身裸になっていた。その光景を見てガルトが二、三歩後ずさる。

「……私にそんな趣味はないです。顔洗わせてもらいますよ」

 その一言に安堵するとガルトはベッドに腰掛け、それを許可した。

「すまん。昔姉に妙なものを見せられたのだ」

 震えるガルトにはぁ、などとケイが気の無い返事をしながらたたむ上着から、何かがこぼれ落ちた。

「あぁ、すっかり忘れていました」

 ケイはそのくすんだ銀の懐中時計を手の中で転がす。

「なんだ、その時計がどうかしたのか?」

「私の部屋にいるそのエリカ・ハートソンからの預かり物です。なにかカラクリがあるようで開かないのですが、本人曰く中には宝の地図があるのではないかと」

 宝と聞いてガルトがどれ、と時計を間近で見る。

「そんなん壊しちまえばいいじゃねぇか」

「珍しく同意見ですが、どうやら彼女の祖父の形見らしいのでそう簡単にはいかないのですよ」

 それをガルトは腕を組み唸りを上げる。どうやら彼なりに精一杯カラクリを推測しているようだ。

「よし、それ開けたら俺の手柄だよな。一晩あれば何とか解いて見せるぜ」

 この男に預けたら最終的に力に訴えることは目に見えている。

「残念ながらもう心当たりはあるのですよね」

 ケイはそういうと、室内にある小棚の上にその時計を置いた。すると時計は裏面中央を支点とした見事なバランスで静止する。

「この時計に違和感は感じていたのですが、どうやら裏面が普通の時計より山なりになっていて、バランスにも何か意図的なものも感じます」

 ほほうと聞きながら何もわかっていなさそうなガルトの前で、はじくようにその時計を回転させる。

「確かにスゲェ回るが……だから何なんだよ」

「遠心力ですよ。中には蓋を固定するための杭がたくさんあり、時計を回転させることによりそれらのすべてが外れる仕組みになっていたんです」

 その言葉通り、回転をやめた時計の裏蓋は指でそっとつまむだけで簡単に開いた。その蓋に貼り付けてあったのは宝の地図というよりも、

「こりゃ家族写真だな……おいおいこりゃどーいうことだ……?」

 まだ幼い孫を抱く老人、おそらくこれエリカとその育て親だろう。問題はその隣に移っている母親に手を引かれている男児は、ホンプキン・ベンフィールドの面影が残っている。写真の下には小さいながらにもしっかりと『私の家族』と彫られていた。

 ガルトは混乱のあまり頭をかく。

「いいところのお坊ちゃんと撮った集合写真が、いったいなんで町の時計屋から出てくるんだ……!?」

「ホンプキンはグラディス総指揮との血縁はなく、養子だそうです」

「つまり養子になるまでは…………」

「エリカ・ハートソンと暮らしていたのかもしれません」

 しかし彼女の口から語られたのはホンプキンがグラディス総指揮の養子だという事だけで、兄妹だとは聞いていない。単純にエリカの祖父が身寄りの無いホンプキンを引き取ったのだろうか……?

「それはそうと少しは鍛えたらどうなんだ」

 ガルトの指すケイの体は弛んでいることも無いが鍛えている様子も無い。いともたやすく拳がめり込んでしまいそだ。

「今の世の中、体よりもココを鍛えるほうが大切だと、私たちの差を見るだけでも歴然ではないですか」

 嫌味をこめながら自らの頭をコンコンと突き、嘲笑しながらケイはバスルームへと入っていった。

「チッ! 会場から一歩も動いてないだけだろうが」

 悪態をつくガルトの台詞はケイまで聞こえていたようで、水音とともに言葉が返ってくる。

「ですから、動くだけでは解決しない事件もあるんですよ」

 ケイの言葉にガルトはふと気になることがあった。

「そういえば、俺についてきたのはほとんどだったが全員じゃねぇ。残りの探偵はどうしてたんだよ」

「フィオが壁の外に上の階への縄梯子を発見して、うまく誘導してくれたのですよ。本人にそのつもりは無かったでしょうが」

「梯子ぉ!? そんなもん無かったぞ」

 水音が止むとケイはタオルを首に下げた状態でバスルームから出てきた。

「それは私が陽動のためあそこからロープを垂らすように依頼して、ロープの代わりに梯子を……」

 ガルトは気が抜けたように笑いとばす。

「なるほどな、俺が見たときには片付けられてたってことか」

「………………変ですよ」

「あ? 何が変なんだよ。お前の依頼どおりに準備されたんだろ? ロープか梯子の違いを気にするなんざみみっちすぎるぜ」

 ケイはガルトを指差しにすると声を大にした。

「そこです。都合よく縄梯子があり、窓枠に足跡までついていた。第一私が指示したのは三階から上に逃げたと錯覚させるためのロープです。地面につくほどの長さは必要なかった」

「だからそりゃ全部手違いでだな」

 ――もしもあの梯子がエリカの為のものだったら。

 フレデリック・シップマンが手を引いていたならエリカが安々と進入できたことも納得が行く。そして爆弾騒ぎも怪盗に会いたい訳ではなく、むしろ今は……。

 ケイは服を着ながらガルトの手荷物を投げる。

「支度をしてください。爆弾魔を捕まえにいきます!」

 ガルトは勢いにおされ部屋を飛び出した。

「しかし本当にただの町娘が爆薬を仕掛けたってのか?」

 通路を駆けながらガルトは上着を羽織る。

「ええ、入手経路はおそらくフレデリック・シップマンでしょう」

「は? 宿にいた奇妙な奴か?」

 ガルトは走りながらも驚きの表情を見せる。

「クーバに化けて館に侵入してましたが、盗品買い取りと今回の爆薬の手配、二重に噛んでいたようです」

「あいつがこの館にいたのか!?」

 ガルトに詳しく説明する時間もなく、ケイたちはエリカのいる部屋へ到達した。ドアを乱暴に開け放つと、そこに二人の姿はない。

「遅かった! すぐに追いますよ!」

 ケイは再び駆け出すが、ガルトがそれを引き止める。

「追うったってこんな広い屋敷じゃ無理だろうが!」

「二人の上着がありません。しかし門外に出たという報告もありません」

 ガルトが外に目をやると深夜にもかかわらず多めの門番が立たされている。おそらくホンプキンへの誘拐予告が届いたからだろう。

「屋敷の中で上着が必要つうと…………」

 その場所は否が応でも外の冷たい空気にさらされる場所、その原因を作ったのはガルト自身だ。破壊された窓はおそらく修理されていないはずだ。

「あれ? あなたたちはいつぞやの失礼な……」

 先を急ぐ二人の通路をふさぐ形で、アネット・エンライトが立っていた。

「ああ、先刻はどうも」

 会釈をするケイの横でガルトは見るからに悪態をつく。

「結局怪盗の正体はわからなかったみてぇだな!」

 それをみてアネットも負けじと言い返す。

「あ、貴方だって最初からとんちんかんな方向に走っていったじゃない!」

 彼女の目線はケイに移った。

「……だいたい怪盗を目撃したのがこの男だけなんて、しかもそれを取り逃がしたですって!?」

 迫るアネットの間にガルトが割り込む。

「あぁちょっと待て、今それ所じゃねぇんだ。昨日の会場には近づくなよ」

 ガルトを盾としながらケイは足早に先を急ぐ。その際に振り向きながらアネットに伝える。

「グラディス総指揮に皆を会場から遠ざけるようお願いしてください。私からの伝言だとも忘れずに」

 何事か理解できずに喚いている彼女を尻目に二人は駆け出す。ケイは走りながら何かを思い出したように再び振り返った。

「ああ、それとできれば早めにホンプキン・ベンフィールドにも同じことを伝えてください!」

 そうしてアネットは何がんだかわからないまま取り残された。

「なんなのよ! もうっ!」




「…………エリカ・ハートソン。先程はないがしろにしてすいませんでした。大人しく拘束されてください」

 先ほどのパーティ会場に着いた二人が見たものは、フィオを後ろから羽交い締めにして、その喉元に小柄のナイフをあてがうエリカの姿だった。

「この子の喉裂かれたくなければ今すぐここに怪盗を呼びなさい。アナタが彼の正体に目星を付けていることはこの子から聞いているわ」

 フィオはううと呻きながらも抵抗する様子はない。その喉もとのナイフは軽く引くだけでいつでも鮮血を吹き出させることが可能だろう

「怪盗を呼び出すのはいいですが今の貴女の状態で、彼に危害を加えないと約束出来ますか?」

 彼女は答えることをせず、ただ沈黙が流れた。やはりホンプキンの誘拐予告を知ったときから、彼女の目的はこれだったのだ。

「どーなってんだ。お前の話じゃ怪盗のファンだってことだが、ただのファンじゃなく熱狂的なファンなのか?」

 ガルトは冗談を飛ばしつつも額に汗を浮かべる。

「もとより爆弾が本物だった時点で恋する乙女ではないですね。おそらく最初は怪盗の人気を落とすのが目的、そして今は……殺したいほど憎んでいるはずです」

 彼女は怪盗ファンの振りをしていたが、変わっていく人々と町に疑問を抱いた結果、取り残されたひとりの人間だった。

「ガルト、彼女を捕らえてください」

 ケイの一言を聞くと今までおとなしかったフィオが騒ぎ始める。

「このっ! なんてこと言うんですか人でなし! 私が人質になってることを忘れたんですか!」

 しかしそのケイの言いつけどおり、ガルトまでもがエリカたちに近寄ってくる。ガルトの体躯に怯えたエリカが持つナイフが、よりいっそうフィオの首に食い込む。その瞬間ガルトの歩みは止まってしまった。

「やっぱ俺には無理だ!」

 その言葉にケイはため息を漏らす。

「なぁ、嬢ちゃん。俺たちに脅しなんて効かねぇ。大人しく投降してくれ」

 人質騒動が茶番だとわかっていてもガルトにはもうこれ以上踏み込めない。それはフィオを傷つけたくないやさしさでもあり、エリカが本当に人を殺めるかもしれないという厳しさでもある。

「全く貴方はそういうところがダメなんですよ。勢いで少しナイフが動いても死にはしませんよ」

 そう言いながらケイは手持ちの鞄に腕を差し込む。

「威圧にはさらなる威圧をぶつければ……ん?」

「おいどうした。切り札があるんだろ」

 ガルトは少なくともそう聞かされていたし、おそらくそれがあったからこその先の行動だった。

「その切り札ってこれのこと?」

 エリカはケイの単発銃をこちらに向けていた。

「はは、まぁそれですね」

 ケイは鞄から両手を離すと、それを肩の位置にまで上げた。

「部屋に居たときにちょっと拝借したの。私だって使い方くらいわかるわ」

「……お前いつも肝心なとこでこんな間抜けすんのか?」

 ガルトもケイと同じように両手を挙げる。

「まさにお手上げですね」

 エリカはナイフを捨て、ケイに照準を合わせる。

「さぁ、この子だけじゃなく今度は自分たちの命を握られているのよ! 怪盗の正体を教えなさい!」

 ケイはその声には耳を傾けず、エリカに腕一本で抑えられているフィオと目線を合わせる。

「フィオ、その間合いからだったら可能です。取り押さえてください」

 そういうとフィオの目線はケイから逃げるように空を彷徨う。

「えぇ~、これには事情がありましてぇ、怪盗と話をさせるくらい……」

 ケイはもとよりフィオに期待はしていなかった。エリカの目線が彼女に反れたその一瞬エリカへと駆け出す。

「来ないでっ!」

 寸での所でエリカは照準をケイへと戻す。

「貴女には撃てません」

 今撃たないのが何よりの証拠だ。ケイならば足に打ち込み問い詰めているだろう。距離はあと数歩か、ケイはゆっくりと歩みを進める。

 今完全に視線はケイへと向いている。しかもケイが前に出たことにより、ガルトを牽制する余裕はエリカにない。ケイが後ろ手にガルトに合図を送るが、ガルトはそれよりよほど前から摺り足でエリカの視界から出ようと動いていた。

 しかし今一つ決め手に欠ける。ガルトは巨体故に初動の差でエリカに制され、最悪本当に引き金を引くかもしれない。そうしたら最後、捕縛隊も彼女を無傷で捕らえることはないだろう。

「おかしいじゃない……ここは正義の町で、私は怪盗を討とうってのに! もしかしたら……ホンプキンはまたっ……!」

 エリカの瞳が涙で滲み、視界が奪われたその一瞬をガルトは見逃さなかった。駆け出したガルトの手は、あと一歩でエリカから銃を奪える。彼女はまだ反応しきれていない。

 ――その時だった。

「貴方たち一体なにをしているのっ!?」

 声の主はおそらくアネットだった。あの時説明を渋ったばかりに。様子を見に来てしまったのだろう。エリカの滲む視界では姿は捉えられずとも、声の方向へ銃を向けることは容易だった。

「やめろ!」

 撃つ保証も無ければこの一発が当たる保証もない。次の一歩を踏み出せば銃を奪える。しかしトリガーに乗った彼女の人差し指に徐々に力が加わっていく。……ガルトの経験が語る。撃つと。

 ガルトは前には踏み出さず、アネットを庇う形で横にとんだ。

「……!」

 弾丸はガルトの右腕に見事に命中していた。アネットは倒れたガルトに駆け寄ろうとする。

「馬鹿野郎逃げろォ!」

 あまりの咆哮にアネットはビクリと身を震わせる。それでも一瞬ためらい、来た通路を走って引き返していった。ガルトはその様子を見ると、顔を歪めながらも手馴れた様子で自分の上着を使い止血をする。

「…………もう引き返せないわね」

 エリカはそういいつつまだ煙の上る単発銃を床に落とした。

「えぇ、じきにここへ制圧部隊が来るでしょう」

 ケイはこの騒ぎの中なぜか窓際に立っていた。そしてさっきまで妨害していたフィオの姿も見当たらない。

「引き返せないということはね、死んでも実行するってことよ」

 エリカは上着の中から先に小さな四角い箱のついた棒を取り出した。

「……ガルト、あれは何です?」

 エリカはそれについていたピンを抜くと、渡り廊下へと放った。

「手投げ弾だ! 伏せろ!」

 豪快な爆発音と共に渡り通路は見事に瓦礫に埋もれた。

「あの道化師、とんでもないものを渡してくれましたね」

 ケイは立ち上がりながら肩に積もった塵を払う。

「ああ、しかし今の爆発は軍事用の手投げ弾よりはるかに協力だぞ、あんなん一体どこから仕入れたんだよ」

 煙が晴れるとそこにはナイフを再び手に取ったエリカが立っていた。

「仕掛けた爆弾は今のよりも強力よ、あと三十分そこらで爆発するようになってるわ。それまでに怪盗がここにこなければ全員あの世行きね」

 エリカは何かが吹っ切れたのかその表情には笑みさえ浮かべている。

「道連れになることなんかないぜ、そこの窓から飛び降りちまえばいいんだ」

 窓の外を覗いたガルトを、黒いマントが襲った。

「来てしまいましたか」

 ケイは驚きもせず黒い訪問者を見据える。

 一方訪問者もガルトに巻きついた外套をスルリと引き離し、ケイの目前へ降り立った。

「あれは来いというメッセージと受け取ったが、違ったかね? ……まさかとは思っていたがやはり貴殿にはバレていたようだ。やれ、最初から知っていればあのときあんなことは言わなかったものの」

 昨日も町中を騒がせたその怪盗がそこにいた。

「な……なんであんたがここに!」

 ようやくその一言を発したエリカに、怪盗は振り向き彼女を指をさす。

「私の名で騒ぎを起こしたのは君だろう、エリカ・ハートソン。私が爆弾騒ぎを起こせばさすがに捕縛されると思ったのかね?」

 エリカは驚きの表情を徐々に憎しみへ染めていった。

「……えぇ、最初からあんたがこの町をおかしくしたのよ。だから私がみんなの目を覚まさせてあげるつもりだった……。でもね事情が変わったわ、あんたホンプキンをどうするつもり?」

 その質問を嘲笑すると怪盗は、

「私の盗んだものが、この町に還ってきたことはあるかね?」

 その一言にエリカはナイフを拾う。

「させないわ! 悪いけどここで私と心中してくれるかしら」

 涙で瞑った目で一直線に走ってくる。怪盗は最初それを眺めていたが、エリカがナイフを振り上げた瞬間、身を翻してかわした。

「案ずる事は無い。彼は二度とこの街に帰ってはこないが、何も殺すというわけでもない。どこか遠くで二度と会うことは無い……それだけだ」

「おいおい……あれ止めなくていいのかよ」

 ガルトが腕の痛みをこらえながらケイに訴えるも、何の反応も示さない。エリカは当たらなかったナイフを腹元に構え、一思いに突く。

「絶対に連れて行かせない!」

 思いのほかナイフは易々と怪盗の腹に突き立った。

「え、あ……」

 生まれて初めて味わう、意外と硬い奇妙な手ごたえ。エリカは赤く染まった両手をナイフから離した。

 薄く笑いを携えた仮面の隙間から喀血する。

「……これで望みどおり怪盗はいなくなる。君が討ったのだ」

 その黒い外套が、さらに鮮やかな黒に染まってゆくのを、一同は呆然と見守るしかない。

 よたよたと窓辺に腰掛けた怪盗は苦しそうに続ける。

「私がいなくなりこの街はまた廃れるであろう。悔しければ、立て直してみよ。これから先も皆が笑顔でいられる町を作ってみよ……たとえ悲しい事が訪れようとも」

 その上半身はゆっくり窓の外へと吸い込まれていく。

 ガルトがそれを防ごうと走り出すが、到底間に合う距離ではない。ケイはゆっくり背を向けた。

「――ッ!」

 瞬間。誰もが予想しない出来事が起きた。エリカが怪盗の腕をつかみ、落下を防いだのだ。

「……え、私……なんで……?」

 自分で何故怪盗を救ったのか分からないエリカ。いや、理由は分かっている。しかし分からないのだ。

「な、離さないか!」

 怪盗はそう叫ぶが、エリカはもうその手を離すことができない。

「あなたの負けですよ」

 ケイが笑いながらそう話したとき、怪盗の抵抗がふと止んだ。エリカは怪盗の仮面に手をかけ、そっと外した。

 今まで怪盗の正体など興味無かったが、そういうわけにも行かない。

「……ホンプキン、でしょ」

 顔が露になるその確実に前、エリカはそう口にした。

 そしてその結果は伴った。いつもの彼とは打って変わるが、確かにホンプキン・ベンフィールドがそこにいた。

「頬には詰め物、腹には巻物、よくもまぁ十年近く耐えたものですよ」

 ケイの表情にホンプキンは少しあきらめたように笑った。その口元には先ほどの血がまだへばりついている。

「お、おい! まずいんじゃねぇのか!? 早く止血してやらねーと!」

「そ、そうだあたし、なんて事を……!」

 ガルトは駆け寄るが腕の怪我が原因で満足にホンプキンを支えることができない。変わりにケイが苦しそうな彼の体を支える。

「おい、ナイフは抜くんじゃないぞ。大量出血の恐れがある。あとはこのクロスで止血を……」

 ケイは慌てふためくガルトを一瞥もせず、怪盗の腹からナイフを引き抜く。途端外套のには黒光りする液溜まりができた。

「ば、バカヤロウ! 何やってんだ!」

 ガルトとは対照的に、エリカは声にならない悲鳴を漏らす。

「馬鹿野郎はあなたですよ馬鹿野郎。エリカはともかく、あなたまで分からなかったんですか?」

 ケイは外套を外した内側の布を、ナイフで裂いた。

「板!?」

 そこから出てきたのは外套に縫いついけられた板だった。そこに開いたナイフの穴を中心に、赤に染まっている。

「ナイフが振り下ろされたときにだけ避けた理由はこれです。一突きにしてもらえないとトリックは使えないので」

 見るとホンプキンの腹には傷ひとつついていない。それを確認するとエリカは乱暴にその体を抱きしめた。

「……ずっと、演技だったのね」

「誰も町一番の嫌われ者が、町一番人気者だなんて思わない……もっとも一人だけはいつまで経っても嫌ってくれなかったがな」

 ホンプキンは震える足で何とか立ち上がると、窓辺に手をかける。

「行かせてくれないか。エリカが言うように私がいればこの町は駄目になる。これが最後の仕上げなのだ」

「嫌よ! なんで……アンタまで消える必要ないでしょ!?」

 エリカはホンプキンの顔を直視し、懇願する。

「何も分かっていない……! それでは駄目なんだ! 私は――」

 喉の奥に風切の音が聞こえたと思うと、ホンプキンは目をむき、背中を丸めた。咳き込むと同時に先ほどの何倍もの血を吐く。

「あまり出歩かないのは変装した体系にうまく隠れていましたが、盗品を売り払った金がどこへ消えるのか、不思議だったんですよ。しかし今確信が持てました。……あなた、肺を病んでいたのですね」

 激しく咳き込むと、その度に血飛沫が床に散る。

「ちょ、ちょと、それも演技……なんだよね……?」

 倒れこみそうになるその肩をケイが支える。

「肺に血糊が仕込めたらいいのですけどね。一度横にさせます。エリカ、手伝ってください」

 床に寝かせられたホンプキンの咳は止んだが、呼吸がままならない。

「…………各地の名医を尋ねたが、私は……もう長くないそうだ。このまま死ぬより……消えたほうが……義父のためでもある。恨まれ屋の探偵よ……君になら分かるだろう……?」

 ホンプキンの伸ばした手はケイとは正反対、窓の外へと向かっている。

「分かりませんね。私は私以外の人間を信じませんから」

 その言葉を聞いてか聞かずか、彼はゆっくりと目を閉じた。呼吸はあるが隙間風のような音が続く。

「酸欠を起こしています。早いところ医者に見せないとまずいですね」

 会場の出入り口はさっきの爆発で崩れていて、人の気配は無い。

「――無理よ。あと数分で爆発するわ」

 エリカはそっとホンプキンの手を床に置いて、立ち上がる。

「……あんたたちだけでも窓から逃げてよ。私は無理……。ホンプキンを残しては行けないわ」

「じゃあ失礼して」

 その言葉にケイは荷物を引っつかみ窓辺に向かおうとするが、その肩をガルトが押さえ、親指を立てる。

「俺らは諦めないぜ。仕掛けた場所を教えるんだ」

 問い詰めるガルトを指差しエリカは険しい表情を見せる。

「あなた、探偵よね?」

 ガルトはそう問われ胸を張った。

「まぁ、一応な」

「ココから脱出して、当然真実を報告するわよね?」

「……ああ、そういう規則だからな」

「どうせ助かったところで私はテロリスト。ホンプキンは泥棒よ? 助かっても何の望みも無い」

 エリカの言うとおり怪盗は消え、街の収入と共に人が減り、グラディス総指揮は探偵はおろか自分の息子への信頼まで最悪の形で失うことになるだろう。

 ガルトは頭を掻き毟るとその場にドカッと座り込んだ。

「――じゃあ俺も死ぬか!」

 その突拍子もない行動にエリカは呆然と立ち尽くす。

「え、何言ってんのよ……」

 ガルトは座り込んだまま腕を組み、目までつぶってしまった。

「あんたが死んだってどうにもならないわ! 引き止めるつもりなら失敗ね!」

「俺には嘘をつくこともしたくない。お前たちを見殺しにすることもしたくない。俺なりのけじめだ。気にすることは無い」

 子供の駄々のようなそんな姿を見てケイは深いため息をついた。

「二択です」

 ケイはエリカを諭すようにその前に歩み出る。

「ホンプキンは自らの大病を知り、怪盗が攫ったという名目で希望を残しながらもこの町を去るつもりだったが、それは失敗しました。貴女が妨害したからです」

 でもと言いかけるエリカの言葉を遮り、ケイは続ける。

「このままあなたたちが心中したところでいいことは無いですよ。瓦礫に埋もれるとしても、二人分の破片くらいは出てくるでしょう。怪盗は消えて町の収入は冷え込み、グラディス総指揮は愛する息子を失う――そして貴女は爆弾騒ぎの犯人だ」

 エリカが息を呑んだのが分かる。半分勢いで行動してしまった彼女にとって、未来の自分の死のイメージは冷静を取り戻させる。

「だがもし、爆弾が解除できれば貴女はホンプキンともう少しだけ、一緒にいることができます」

 横たわるホンプキンの呼吸は浅く、唇の色が紫色に変色している。なぜ誠実な彼が突然傍若無人に振舞ったのか、そこにあるすべての謎がようやく解け今までどおりの関係に戻れる、そう思ったばかり、エリカの心は揺れた。

「……わかったわ。どうせ止められる訳無い。でもひとつだけ約束して」

 エリカは怪盗のマスクと外套を拾い上げ、それを強く胸に抱いた。

「怪盗の正体は私だと証言して」

 少し間がありガルトが汗を伴うにが笑いを浮かべながらエリカに言う。

「こんなときに冗談言っちゃいけねぇよ」

「うるさいわねっ冗談分けないじゃない!」

 ガルトに叩き付けたはずの外套は、虚しく二人の間を舞った。

「……ホンプキンにはまだ守るものがたくさんあるのよ。条件が飲めないなら爆弾の場所は言わないわ」

「し、しかしだな、そんなことを言ったらお前さんだって……」

 その会話をケイが割る。

「――いいじゃないですか」

 その瞳はここにいる当事者ほど冷め切っている。まるで遠い会議室から現場を眺めているかのようだ。

「お前何を勝手に……!」

「簡単なことです。どちらにしろ怪盗がホンプキンだと知っていたのは私で、貴方は彼が怪盗だと証明できない。……加えてその状態での彼女の行為は自告に値します。探偵はそれを棄却する場合、具体的に証明をしなければなりませんが、貴方にはその頭もない。そうでしょう?」

 バリバリと頭をかくとガルトは苦悶の表情を浮かべた。

「頭はどうのはともかくだな……確かに俺には譲ちゃんの申し出を拒否することは、できない」

「と、言うことですよ」

 実質自分が怪盗の身代わりとして捕まるという彼女の条件は飲まれた。これからすることは何一つ彼女の為にならない。それでもエリカはほっとした様子で一番の笑みを浮かべた。

「………………ありがとう」

 目に浮かべた涙を拭うと、エリカは表情を引き締める。

「爆弾はちょうどあんたが割った窓の下よ。梯子でもなければ届かないわ。爆発前まであと……五分前後ね」

 ガルトが思わず外を覗き込むとそこには、ずぶ濡れのまま俯き歩いているフィオの姿があった。

「はあ!? お前嬢ちゃんに何したんだよ!?」

「再び邪魔をされないように窓から放り出したんですよ。貴方がドンパチやっている間にね」

 信じられんと喚くガルトを押しのけるとケイは、外のフィオに届くようにありったけ叫ぶ。

「そこから何か見えますか!」

 彼女はどうやらこちらに気づいたようですさまじく怒っているようだ。

「ケイ! あなた乙女を窓から投げ捨てるなんて一体……」

「この下に何かないですか!」

 フィオはケイの表情を読み取るや、視界一杯どこかおかしなところを探しそこを指差した。

「ケイ、ちょうどその右手のしたの柱に何か箱がくくりつけてあります!」

「よっしゃそれだ! ……なにかたまってんだよ」

 ガルトは何かぶら下がれそうなものを探すが、ケイは微動だにしない。

「……運がよければ半壊くらいですむかもしれませんよ。隅に固まれば三割くらいの確立で生き残れると思います」

 一か八かの勝負に出るより堅実だとケイはガルトに伝えた。

「爆発の前に止めりゃ十割だ……特に足場もつかまる物もなし。こりゃ一人じゃとどかねぇなぁ。足持ってろ」

 身を乗り出すガルトにケイが頭を抱える。

「私がですか? あなたの体重を支えるなんて冗談でしょう?」

「時間がねぇんだよ! じゃあ俺が支える!」

 ガルトはケイの足を左脇に抱え、そのまま放り出した。ケイの視界には明るくなり始めた空と、川の水を砕く巌が映る。

「……! せめて両手で持ってください!」

「無茶いうな、怪我してんだぞ! で、どうだ。それっぽいの見えるか」

「あぁ。これですね。さっきの爆弾が数個ほど固定してあります」

 耳を寄せるとブリキでできた箱からは、歯車の回る音がする。

「さすが時計屋の娘といったところでしょうか。指定時刻になると起爆用のピンが抜ける仕組みですね」

「そんなんが爆破したら間違いなくおれらは即死だな。解体できるか?」

 箱の隅には金属の杭が撃ちとめてある。これは工具でなければ作った本人でも外せないだろう。

「肝心の機構部分が箱に覆われていますので素手では無理ですね。とりあえず丸ごとでいいなら何とかなりそうです」

「よし、慎重にはずせ」

「私はいつだって慎重です。あなたこそ揺らさないように」

 柱にくくりつけてある針金を緩め、本体だけをずらすようにはずす。全体の重量は結構なものがある。

「よし、こっちに上げろ」

「……………………」

 ケイはぶら下がった姿勢のまま小刻みに揺れるだけで一向に爆弾を渡そうとしない。

「おい、どうした」

「……貴方が引き上げるという手もありますよね」

「まさか力がなくて上がれねぇなんて情けない話じゃないだろうな。だから鍛えとけって言ったんだ!」

 叫んだ拍子にケイの足が脇からわずかにすべる。

「あ」

「次はなんだ!」

「今の揺れでピンが抜けそうです」

 振動で抜けかけたピンがわずかに震えている。

「上がれ!」

「無理です」

 ガルトはクソッと悪態をつく。

「川には捨てられねぇのか」

「爆発した瞬間、大小の石が散弾のように飛ぶでしょうね」

 ケイはその姿勢のままため息をつくと、視線だけをガルトに戻す。

「ガルト、私が今からこれをそちらに投げます。受け取ってください」

「だから今右手は」

 イラつきながら言うその台詞をケイが遮った。

「私の足は離して構いません」

 ぶら下がりながらもその表情はいたって冷静で、引きつらせているガルトが馬鹿の様に見える。

「お前……流石にそこからまっ逆さまに落ちたら、ただじゃすまねえぞ」

 ケイは首をもたげると心底嫌な笑みを浮かべる。

「運がよければまた会いましょう。いいですか、受け取ったらその衝撃でピンが外れる可能性があります。空に向かって投げてください……聞いてます?」

 ちらりと見える爆弾からは今にもピンが抜けそうだった。

「――クソがぁああっ!」

 ガルトは止血帯を食い破ると、右手を添えて思いきり引き上げる。止血してあった傷口からは、再び鮮血が噴き出した。ケイが逆さになりながら面食らうが、その体はわずかしか引きあがらない。

「ったくしょうがないわね!」

 見かねたエリカがガルトのその腕を支える。

「一気に引き上げるわよ! せーのっ!」

 ケイの体はところどころ手すりに擦りながら、かろうじて引き上げたれた。ただその衝撃で、起爆用のピンは既に外れている。

「空にぶん投げてください!」

「ぐふんぬぅぉっ!!!」

 利き手が使えなくてもやはりガルトのその投力はすさまじい。爆弾はあっという間に遠ざかり、放物線の弧を描く前に破裂した。

「……少しは鍛える気になったかよ」

 まだ息切れを起こしているガルトは、ケイの隣に腰を下ろした。

「まぁ、ほんの少しは……」

 ケイが落ちた帽子を拾い上げようと体制を変えたとき、頭のあった部分に皿ほどもある歯車が飛んできて、床に突き刺さった。

「………………本当になんとかしちゃった」

 エリカは破片が落ちてい様子を呆然と眺めていた。




 しばらくすると、崩れてふさがれていた入り口に、小さな隙間ができた。

「ご無事ですか!?」

 隙間からのぞくは捕縛隊らしき装備を付けた男だった。遠くにホンプキンを呼ぶグラディス総指揮の声も聞こえる。

「ああ、そうだ。救護班を呼んでください」

 ケイはそういいながら怪盗の仮面と外套を拾い上げ、外へほおった。瓦礫に開いた小さな穴は徐々に押し広げられ、やがて警備隊が乗り込んできた。

「そこにホンプキン・ベンフィールドが倒れています。大至急医師に手当てをさせてください」

 ケイ指示で数人がホンプキンに駆け寄りその姿に驚きの声を上げる。

「一体何があったのですか」

 ケイに問いかけたのはあの捕縛隊長、アーロン・レイだった

「どうやら、怪盗が仕掛けた爆弾騒ぎのようです。ホンプキンは無事保護しましたよ……まぁ多少姿は変わっていますが」

「やはり怪盗の仕業でしたか。いま奴はどこに?」

 その言葉にエリカはハッとする。

 ケイは目深に帽子をかぶりなおすと、その人差し指をエリカのほうに向ける。

「…………」

 約束どおりの事実が突きつけられるのをただ待つエリカの目線の先に、担架で運び出されるホンプキンの姿があった。どことなくさっきより落ち着いたその顔をみて、一歩前へと歩み出る。ガルトは拳を震わせ、その光景から目を背けた。

「――先ほど逃げましたよ。あの窓から」

 ケイはそれをさらりと言ってのけた。

「………………は?」

 ガルトもエリカも突然のことに、まるでその言葉が聞こえなかったかのような表情をする。

「本低東側の捜索を!」

 アーロンのその掛け声に、よく訓練された捕縛隊員はすぐさまに行動に起こす。

「ちょっとまて! 一体どういう……。なんで外に逃げたなんて嘘をつくんだ!?」

 ガルトはケイの胸倉に掴み掛かった。

「――嘘とは一体? 貴方が私を嘘吐き呼ばわりをするのですか」

 嘲笑混じりにケイは捕縛隊長に目配せをする。アーロンはガルトの肩に手をかけると、冷たい目線を浴びせる。

「ガルト・ラヴロック。グラディス総指揮に情けをかけてもらった身の上でこれ以上暴言を吐くのであれば、推理妨害で現場捕縛する」

 ガルトが言葉を飲み込んだのを確認し、アーロンも現場を去った。ケイはガルトのその手を払う。

「あ、あんた一体どういうつもり!?」

 次にエリカが食ってかかった。

「そうだ。嬢ちゃんと約束したじゃねぇか。大体それだってお前が」

 ガルトの頭を指差しケイは不敵に笑った。

「相変わらず頭が悪いですね。ガルト、私は怪盗を逃がす仕事を依頼されてここにいるのですよ?」

「……じゃあ最初からこうするつもりで…………」

 エリカの目は信頼を失ったようにも見えないが、ケイを今までのように親身に捕らえる事できなくなっていた。

「……何か勘違いをしているみたいですが、約束をしたのは貴女と私ではありません。約束を守れなかったのはこの男の方ですから」

 その後捕縛隊の成果は怪盗のものらしき外套を回収したことのみで、通路の補修と割れた窓の応急処置にと大変だったようだ。


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