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無能探偵とミルトンの仮面怪盗  作者: しまむら
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プロローグ

 人が殺された。

 こんなとき、もしも事件調査を受け持つ機関があれば、我々はそこに連絡を入れるかもしれない。しかし、この世界ではこうするのだ。


「すいませーん! 本日ご宿泊のお客様の中で『探偵』の方はいらっしゃらないでしょうかー?」


 ミルトンという大きな街への旅人が、翌朝の列車を待つためだけの小さな村。事件はその村で唯一の宿泊施設で起きた。

 就寝していた人もいるであろう時間に響いた大声に、いったい何事かと宿泊客が集まってくる。

「夜分に申し訳ございません。少々問題が起きておりまして……」

 客に丁寧に頭を下げている細身長身、曲がった蝶ネクタイの男は、この宿のオーナーだ。長旅の中継点として使われるこの宿には、寝不足で気が立っている客が多い。早速何人かの客は、先ほどの呼びかけに文句を言い出した。

 その様子を一歩後ろで傍観する、紳士帽とコートの男。そんな彼に寝支度も半端な少女がパタパタと駆け寄る。

「ケイ、何かあったのですか」

 問いかけた少女に目も配らず、ケイと呼ばれた男はただつまらなそうに一連のやりとりを見ている。

 少女も仕方なくそれを眺めていた。

「なにが起きたんだ! いい加減現場を見せたらどうなんだ!」

 野次馬の決まり台詞か、なかば何が起きたのかくらい想像がつくであろうに誰かがそう発する。

 その一言がきっかけとなり、客たちは徐々にオーナーが守る部屋に押し寄せる。

「申し訳ありません! もし探偵の方がいらっしゃればご協力を……」

 頼りないその身で入室を制しながらもなお、彼は呼びかけを続ける。

「探偵って……きっと中で何かあったに違いませんね」

 それでも何も言おうとしない男に、少女は詰め寄る。

「……ケイ、返事ぐらいしたらどうですか」

 めんどくさそうにケイと呼ばれた男が口を開いた。

「フィオ、墓穴掘りが呼ばれる理由くらい推測できるでしょう。それと同じことです」

 現状に飽きたようにフィオと呼ばれた少女に向けられた男の声は、ただ嫌味に満ちていた。そのやり取りを聞いてか聞かずか、オーナーは彼らに向かって安堵の表情を浮かべる。

「お客様は……もしや探偵の方では?」

 君のせいで話しかけられた。紳士帽から除くケイの目線はそう訴えている。フィオは慌ててそれを取り繕おうと一歩前へ出た。

「あの、なんだったら町の専属探偵とかに連絡しちゃだめなんですか?」

 オーナーにそう問うた瞬間、フィオの頭を後ろからため息が撫ぜた。

「この町は所詮中継地点でもってる小さな町です。専属の探偵なんて居ないでしょうし、いたらとっくに連絡してるはずですよ」

 地元民の前で、その地域をバカにできる神経の図太さを持ち合わせているこの男は、頭の回転だけは早い。

「なんだなんだぁ? 俺は『探偵』のガルト・ラヴロックだが、どうかしたのか」

 廊下の奥からのしりとやってきた大柄の男は、自身が強調した探偵というものより、ベテラ軍人のような男だった。

「た、助かります! ええとそちらは……」

 オーナーの目線が気まずそうにケイにむかう。仕方がないことに彼らが身分を偽ることは法で禁じられている。

「……私も探偵です。でも事件なのでしょう? その解決であればそこの大木が適任だと思いますがね」

 大木と呼ばれたガルト・ラヴロックという探偵はいかにも不機嫌そうに顔をゆがめ、場に事件とは別の緊張感が立ち込める。

「お前、調査を辞退するなんてほんとに探偵かぁ? 言っとくが探偵業を行ってもないヤツがその職を語るのは重罪なんだぜ? 手帳を見せてみな」

 ケイがポケットをいくつかまさぐり、ようやく取り出した紺色の手帳をガルトがひったくる。そしてそれを眺めると目を丸くし、次に腹を抱えて笑い出した。

「あっはは! これじゃあ俺様に頼りたい気持ちもわかるぜ!」

 手帳のページを開いてオーナーにも見せ付ける。そのページにはひとつのサインと少しのメモが並んでいた。

「あんたも依頼するなら俺にしとけ。探偵の手帳の中身はな、簡単に言えば探偵が事件を解決したって証拠なんだよ」

 ガルト自らも分厚い皮のカバーがかけられた手帳を取り出し、ケイのものと比べるように横に並べる。

「俺のにはサインが6つ。6件もの事件を解決した実力の証だ。だがこいつのはたったひとつだけ。これはこいつより俺のほうが優れているという証拠だ」

 ガルトが乱暴に放ったその手帳は床に落ち、ケイはそれをゆっくりと拾い上げる。

「まぁ、まれに間抜けな探偵がなくしちまうんだが、見る限りそのサインの日付は20年近く前のモンだ。その間一件も仕事できていないって訳だつまり」

 ありったけのにらみをきかすと吐き捨てるように言う。

「――とんだ能無しだ」

 沈黙のときが流れ、みなの視線はその能無しに集まる。紳士帽に隠れたその表情は読み取れず、彼もまた言葉を発することはなかった。

「で、ではラヴロック様にお願いするという事でよろしくお願いいたします」

 オーナーに言われたガルトはフンと鼻を鳴らすと、ケイに背を向けた。


 ガルトとオーナーがなにやらこそこそと話し始めてしまって、野次馬たちは次第に蚊帳の外へと追いやられた。フィオとケイの二人も例外ではない。

「いいんですか、あんな脳みそ筋肉でできてそうな男に任せて」

 フィオが文句をたれている間に、オーナーとガルトの二人は現場である部屋の奥へと消えていった。

「本人が探偵なんだって言うのですからいいんじゃないですか、それより私は部屋に戻って寝ることにします」

 くぁぁっとあくびをしながら歩き出すケイをフィオが引き止めた。

「ちょっと待ってください、真相を確かめなくていいんですか? ひょっとしたらまだ殺人犯がこの中に……!」

 別に興味ないですしとフィオを払いのけ進もうとするが、それをさらにフィオが引き止める。

「第一、あんなボロクソいわれといて言い返さないんですか!?」

「……言い返すも何も全部事実ですから。事実に対して何を言い返せというのですか」

 ケイはケロリとしたもので、はらわたを煮ているのはフィオだけだった。

「それと! 野次馬するなら私にも声をかけてくださいよ」

「かけようとしたがね、君は部屋の鍵もかけずに大口を開けて寝ていたんですよ」

 フィオの手を振り払うと、ケイは上着を整えながら部屋へ歩みを進める。

「とにかく私は戻って寝ます。そんなに気になるのならば、君は真相を見届けるなり犯人に殺されるなり好きにすればいい」

 そう言い放った瞬間、再び現場のドアが乱暴な音をたてて開いた。

「おいおい、女連れのセリフとは思えねぇな」

 上部のドア淵に頭をぶつけそうになりながら、先ほどの探偵ガルトが出てくる。

「生憎そういう関係ではないので」

 体格差を考えると常人であればひと睨みで足がすくみそうなものだが、ケイは一歩も引かない。

「……まぁいい。いいか、殺人犯はこの俺が追い詰めるから覚悟しとけ」

 その言葉はやはり死人が出ていることと、その犯人がこの場に居ることを指していた。

 宿泊客がざわつきはじめたところでガルトは大きく二度手を打ち、もう一度野次馬たちの注目を集める。

「死体は殴り殺されていたがそう時間は経ってねぇ。オーナーはずっとエントランスにいたが、だれも通り抜けなかったらしい」

 一階建てのこの宿で、オーナーのいるエントランスを横切る必要のある客は、彼の監視がある以上、犯行は不可能だ。また宿への進入経路もエントランスを通るルートしかない。

「とりあえず宿の西側、つまりエントランスから向こう側の人間は無関係だ。そいつらはすぐに撤収しろ」

 オーナーと共謀すれば犯行は可能かもしれないが、行きずりの多いこの宿で可能性は低いだろう。

 ケイとフィオの泊まっている部屋もその西側の部屋だった。

「なるほど、戻って寝るとしましょう」

 そそくさと退散しようとしたケイをガルトが引き止めた。

「お前は見て行け、そして俺の勇姿をその目に刻んでその根性すこし叩き直せ」

「……何故私が」

 ケイはそうこぼしかけたが、ニヤリと口を歪め、いいでしょうと言い直した。

 しかし集まった客はただ帰れといわれても納得がいかないようだった。

「こんな遅くに叩き起こされたんだ! 我々にだって知る権利が――」

 言葉はガルトの殴った壁の音にかき消された。

「うるせぇ! 不本意だが探偵には騒ぎを最小限にとどめる義務ってモンがあるんだ! 分かったらとっとと戻りやがれ!」

 怒声とその迫力に気圧されて、西側の客たちは小言を呟きながらも渋々部屋に戻っていく。

「貴方の性格じゃ推理披露会を盛大に開くタイプかと思ってました。まぁ私は理不尽に残されたわけですが」

 あざ笑うかに言ったケイをガルトが睨み付けたが、ケイはその視線を正面から受けとめピクリともしない。

「ところで…………いったい誰がこんなことを……」

 オーナーの声にガルトが振り向いた。

「おいおい、急かしてもなにもいいことはないぞ。そこの腑抜けの言うとおり披露会を開こうじゃねえか」

 ガルトが見渡すとそこに5人の者が立っている。

「オーナー、アンタから自己紹介していけ」

 急に振られた自己紹介だが、これも何かの余興なのだろう。オーナーは戸惑いながらも姿勢を整えた。

 「ここの宿のオーナをしています。デニス・パロットと申します」

 オーナーが丁寧に頭を下げる途中、ガルトはそれを呼び止めた。

「それだけかぁ? なんかあんだろ、趣味とか特技とか」

 それを聞いていったいどうするのか、探偵とは理屈が通ればその場で他人の人生を最悪の方向へ捻じ曲げられる。その権力にも似た何かに酔って、こう横暴になるタイプは珍しくない。

「あ、あの、ここは旅人が翌朝の列車を待つだけの小さな町でして、趣味などと呼べるようなものに割ける時間と余裕はなく……」

 しどろもどろと話をするオーナーに舌打ちをする。

「小さな村にしてはなかなか客室も多いじゃねぇか。何か悪事で稼いでるんじゃないだろうな?」

 確かにこの宿の客室は多いが、今はその半分以上も空室がある。

「いえっ! 5年前の脱線事故で多くのお客様がここに立ち往生されまして、この宿はそれをきっかけに増築したものです」

 必死で目を逸らすオーナーをガルトは強くにらみつける。

「まぁいい。つぎはアンタだ。見た目じゃ一番怪しいんだぜ?」

 ガルトが言ったとおりそこには白い手袋に気味の悪い仮面をした者が立っていた。背はケイと同じくらいだが、人間離れした背筋の伸びが、話し始めるまで同じ人間のものとは思えなかった。

「私はフレデリック・シップマン、大道芸人兼マジシャンといったところで」

 次の瞬間、ガルトの顔面横を数本のナイフが掠めて壁に突き刺さった。

「特技はナイフ投げと暗殺――なんてね」

 中性的ないで立ちでも、楽しそうに語るその声はハッキリと女のものだった。ガルトはその胸倉をつかみあげる。

「この女調子に乗りやがってッ! もし俺に刺さってたら……」

「これが刺さるんですか?」

 ケイが壁から引き抜いた――ように見えたのは切っ先のないナイフ。柄は空洞で重さはほとんどなく、そのすべてを壁との接触面に張られたテープが支えていた。

「あらあら、その仕掛け今までばれたことないのに」

 よほど自信があったのか仕掛けナイフを受け取りながら残念そうに、しかしどこか楽しそうにそう言った。

「芸人か何か知った事ではないですが無駄な時間はかけないでほしいですね」

 道化師はため息交じりのケイの台詞をクスリと笑う。

「その無駄な時間こそが商売なものでね。……ん? あれは誰だい?」

 つきあたりの方から歩いてきたのは、フィオよりもっと小柄な少女。上等な布地に皮の首飾り、なによりもその金色の瞳が皆の視線を集める。

「えっと彼女は確か今回殺害された方のお連れの方で…」

 オーナーは名簿と思われるノートをペラペラとまくるがその名前が出てこない。

「殺害……?」

 彼女は一瞬動揺の色を浮かべると、自室の前に集合空いた一同に向き直りすぐに礼儀を正した。

 オーナーはまだノートを指で追ったり困ったようにあたりをみわまわしたりを繰り返す。

「……私はレイラ・レオノールです。彼が、殺されたのですね」

 ガルトは容赦ない目線を送ると、問う。

「んなこたぁもうここに居る全員がわかってるんだよ」

 客のほぼ全員が最終列車の時刻にチェックインをしたため、ケイたちもその姿はちらりと見ている。

 この少女をつれた男は位の高そうな太めの中年男性だった。

「レイラ・レオノール、お前は何で部屋にいなかったんだ?」

 ガルトがそう詰め寄ると、レイラという少女は大男に怯みながらも話し始めた。

「どうやら部屋のシャワーが故障したらしく……別室を借りて入浴していたのです」

 レイラの二つに括った髪は、まだ濡れていて、寒さか恐怖かその凛とした態度とは逆に小刻みに震えていた。

「彼女の仰る事は本当です」

 オーナーが震えるレイラを庇うように付け加える。

「確かにシャワーの故障で別室の使用許可を出しました。そこで後々故障の確認に私が伺ったところこのような事態に……」

 うむ。と頷くとガルトはケイを指差した。

「貴重な体験だろ、お前も一応紹介しておけ」

 ケイは意外にも素直に自己紹介を始めた。

「私はケイゼル・クラーク。隣町への移動途中です。こっちは金魚の糞のフィオナ・ランバート」

 金魚の糞と呼ばれたフィオの方に視線が集中する。

「不愉快な言われ方ですが否定はしません。が、やっぱり不愉快です!」

 また話がそれそうな流れだったのでガルトがわかったわかったと制止した。

「お前らの話は時間の無駄だ。どうせ関係ない」

 どうせ関係ない。その一言で場が凍りつく。

「も、もう犯人がわかったのでしょうか!?」

 詰め寄ったオーナーの右手をガルトは半ば強引につかみ、8の字状の簡易拘束具をつけた。

「え……?」

 呆然とするオーナーの左手にもその拘束具を通す。

「アンタしかいねぇんだわ」

 オーナー自身はまだ信じられなそうに自分の両手を眺めている。

「な、なんでオーナーさんが……!」

 静寂を破ったのは被害者の連れのレイラ・レオノールだった。

 床にへたり込みそうななるオーナーを乱暴に立たせながらガルトは得意げに笑みを浮かべる。

「今回の被害者はラッセル・マクドウェル。奴はちょっとした有名な金持ちだ。こんなちっぽけな宿すぐにやめられるくらいの金は持ってる」

 その言葉にフィオは首をひねる。

「……有名なのですか?」

「マクドウェル姓といえば有名な工場主ですよ。この村の何十倍もの敷地が彼の所有物です」

 ケイは目深に被りなおした紳士帽の縁から、レイラと目線を合わせる。

「……悪い噂も多々聞きますがねぇ」

 そんなケイの呟きにガルトは嘲笑を漏らす。

「殺されたのが悪党かどうかなんて関係ねぇな。俺の仕事は今ココで起きた事件の犯人を捕まえる。それだけだ」

 拘束具が擦れる音にオーナーの痙攣のような震えが一層強くなる。

「そんな……私は何も……」

 恐怖で強張った喉はそれ以上何も紡ぐ事ができない。

「いい加減あきらめろ。何も動機だけでお前を犯人だと決め付けた訳じゃない。被害者は甕でこめかみを殴られてんだ。しかもただの甕じゃねぇ。水入りの重てぇ甕だ。お前らの部屋にもあったろ?」

 この宿の全部屋には水の張った小さな甕が置いてある。小さなといっても片手では到底持ち上げられない。

「あれを素早く振り回すのは男じゃないと無理だ。しかも背丈のある奴じゃないと相手に立たれたら頭になんて当たらねぇ」

 場に反論が生まれないことを確認しようとガルトが周囲に視線をやると、元気よく一本の手が上がった。

「……何だ」

 ガルトに立ちはだかるそのフィオナ・ランバートの姿は、はたから見るとまるで獰猛な獅子と子兎のように見える。

「こんな良い人が犯人の訳ありません! きっと通り過ぎた犯人を見落としていたのです!」

「それは無理よ」

 フレデリック・シップマンはわざわざ高身長を屈め、フィオの身長で諭すように話しかける。

「私はオーナーの次にここへ来たのだけど、まだ彼しかいなかったわ。レイラちゃんがシャワーに行っているのって長くても数十分でしょ? 私たちが犯人と遭遇してなきゃ辻褄が合わない」

 オーナーは二度も犯人を見落としていたことになる。

「で、でも! 窓を出て館の外を回れば、後から駆けつけたかのように登場することもできますよ!」

 苦し紛れに言ったその屁理屈に、ガルトがなるほどなどと頷いていた。

「つまりどこからか部屋を出れば誰にでも犯行が可能ということか……俺の前に現場に来た奴は誰だ?」

 オーナーはわらにもすがる思い出で記憶を探る。

「た、たしか今居るメンバーでは私が最初で、その後シップマンさんが通りかかったんです。そのあとはええと」

 オーナーはなかなか引き出せない記憶に焦りの色を濃くする。

「ああそうだ。そのあとは順にケイゼル・クラークさんにフィオナ・ランバートさん……ですよね?」

 フレデリックは音も無く再びその高身長を伸ばすと、フィオとケイを交互に見る。

「あなたた達よねぇ」

 その言葉にフィオはあわてて両の手をすばやく振る。

「わ、私は違いますよ!? か弱い女の子ですし、凶器を扱えないです! やったとしたらケイですっ!」

 その主張に視線はケイへと集まる。

「君は私に犯人であってほしいのですか」

 そういうわけでは……と、しどろもどろに言い訳をするフィオをよそにケイは得意げに歩み出た。

「いいですか、各部屋に瓶が置いてある理由でもありますがこのあたりの気候は昼間極度に乾燥し、夜になると急激に冷え込む上、水分を大量に含んだ空気が流れ込みます」

 ここまで言ってもガルトとフィオのは呆けた顔をしている。

「まだ理解できませんか、今このくらいの時間、外に少しでも出れば露で足元が濡れるのですよ。そこの彼女のように」

 皆の視線がフレデリックに集中する。が、本人はそれを隠そうともしない。

「まぁ、何故こんな時間に外をウロウロしてたのかは、聞かないですけどね」

 その仮面の下の表情はピクリとも動いた気配がしない。

「んじゃ、やっぱアンタだな。幸いここは交通の便がいい、すぐに要請した捕縛隊も来るだろう」

「ま、待ってください! 私は何も……!」

 連行してどこかに捕らえておくつもりなんだろう。ガルトは懇願するオーナーを乱暴に引きずる。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだぁ?」

 それを引き止めたのはレイラだった。

「……あのなちびっ子。こいつは人殺しだ、どうせ貴族の持ってる金に目がくらんだんだろ」

 違う! と叫びながらオーナーはガルトを振り払おうとするが彼の鍛えられた腕がそれを許さない。

「誰か! 助けてくれっ! 私は何もしてない……! 何でもする…………どうかっ……!」

「……何でもする……ねぇ」

 頭をかきながらケイはガルトとレイラの間に割って入った。その表情は薄ら笑いを浮かべていてまるで悪役のそれだった。

「あの男はいったい何をするつもりなんだい?」

 フレデリックがフィオにそう問うと、あきれきった顔で答えた。

「あれは条件がそろわないと動けないのですよ、不憫な生き物だと思ってください」

 その言葉の指し示す意味を理解したのかしてないのか、フレデリックはなるほどねと一言だけ返した。

「おい腑抜け、何のつもりだ。それ以上邪魔するとお前も同罪だぞ」

 その気迫にもケイは動じる気配はない。ガルトは最初から不思議であった。この男には怒気に反応がなさ過ぎる。

「宿のオーナー、デニス・パロット。貴方に残された道は二つだけです。じき来る捕縛隊に黙って拘束されるか、今ここで私の依頼主となるか」

 言葉が理解できないのか返事は返ってこない。そんな哀れな男のためにケイは分かりやすく言い直す。

「貴族の殺害は重刑です。夜更けに呼び出された捕縛隊も、さぞイライラしていることでしょうね」

 オーナーの体がピクリとはねた。

「やったと吐くまで拷問にかけられその後は……」

 ケイがまるで子供を脅すように吐くその台詞を、ガルトが遮る。

「ハッ! お前がこの状況を覆せるってのかよ」

 しかしさらにケイはガルトの言葉を無視して、続ける。

「依頼金さえ払えば私があなたを容疑者からはずしましょう」

 ガルトの眉が一瞬ピクリと動き、オーナーはその怯えた顔に涙を浮かべ懇願した。

「お、お願いします、いったいいくら払えば……」

 んー、とケイはあたりを見回す。

「客足が少ないですし、この宿の売り上げ向こう五十年分ってとこですかね」

「……五十……年……?」

「あぁ、この宿とこの土地を売り払って半分免除でもいいですけどね」

 明るい口調を崩さないケイとは対照的にオーナーの顔色はさらに悪くなっていく。

「そん……な。それでは私はどう生きていけば」

 震える手を振り払うとケイは軽く笑った。

「そんなこと知った事ではないですし、無理にとは言いませんよ。依頼するかどうかは貴方次第です」

 ケイゼル・クラークはもとよりこういう人間で、言い換えれば困っている人から金を巻き上げる悪人なのだ。

「私は善悪を問わない。貴方がもし真犯人でも金を詰まれれば探偵から逃がしましょう。さぁ、どうします?」

 金のある人間なら即答する。しかし今回は寂れた町の、小さな宿のオーナーだ。

「そのお金、私が出します」

 そう言い放ったのはレイラだった。自分の同行者を殺された恨みはないのか、オーナーを哀れに思ったのか。確かにそう言った。

「ほうあなたが……うん、いいでしょう」

 ケイの視線がレイラの胸元から首筋を執拗に攻める。

「しかし、もし払えなかったときは……君に責任を取らせますよ?」

 その視線とレイラの間にフィオが割り込み、ケイの顔面を両手でつかんだ。

「ケイがゲスなのは知ってしましたが首フェチとは知りませんでした。ただそれとこれとは別問題です」

 意味のわからない言葉を発しながらフィオは両手に力をこめる。

「おいおい、盛り上がってるとこ悪いがな」

 ガルトは現状を見てため息をついた。

「お前たちが何物かは知らんがこの件の探偵は俺一人、『一般人』のお前らは現場に入ることすらできないんだぞ? まぁ国家公認の探偵ならともかく、お前らが認定証持ってるとは思えないしな」

 ガルトはケイがうっすらと笑みを浮かべているのを見て、悪寒を感じた。

「それより自分の身を案じてはどうですか? 捕縛隊は呼ばない方がいい、貴方の推理はじきにに崩れますよ」

 この男にいったい何ができる。現場すら見ていないのだ、すべてはハッタリに決まっている。自分に言い聞かせるもガルトの額には汗が浮かんだ。

「……フン! ふざけおって。俺は宿の電信を使って捕縛隊を呼んでくる。そいつ逃がすんじゃねぇぞ!」

 そう吐き捨てるとガルトは逃げるようにその場から去った。

「……本当に大丈夫なんですか?」

 レイラが一連のやり取りをみて不安そうに声をかける。

「心配かい? そうだろうね、君は心配だろうね」

 ケイはレイラのことを横目で見ると、すぐにオーナーに問う。

「助かりたければ部屋の中の光景をできるだけ詳しく話してください」

 そういう間もケイの口はほんのり笑みを浮かべている。それはまるでこの状況を楽しんでいるかのような……。

 レイラはたまらずフィオに話しかけた。

「あの方は一体どういう方なのでしょうか……。私にはもう彼が善い人なのか悪い人なのか……」

 フィオは困ったように笑うと言い切る。

「あれは悪人ですよ?」

 レイラにはそれが何を意味するのかわからず、どういった反応をしたらいいのかわからない。

「ケイ本人も言ってたじゃないですか、彼の行動に善悪は関係ないと」

「善悪を問わないとは言いましたが、悪人を名乗った記憶はありませんよ」

 メモもとらずオーナーに数項目の質問を浴びせると、ケイはそう言い放ち早々に立ち上がった。

「も、もういいんですか?」

 レイラはどうにもこの男が信用しきれていないようで、ひどく分かりやすく疑いの眼差しを向ける。

「あの男には十分過ぎる情報を掴めました。これくらいでいいでしょう」

 オーナーはケイの質問が終わってからというもの、両手をつながれたまま救ってくれるかもわからない神に祈っている。

 それからどれくらい過ぎたか、地響きのような音が遠くから近づいてきた。

「おそらく捕縛隊でしょう。さすがに隣町から高速列車だと到着が早いですね」

 捕縛隊は隣の町から線路を使い駆けつけたようだ。帝国ご自慢の高速列車とはいえ、僻地であれば到着に数日かかる場合もあるので今回は幸運と言える。

「本当に大丈夫なんですよね……?」

 レイラにはこの細身であの体躯に立ち向かえる姿がどうしても想像できなかった。

「心配無用です。彼の無罪を証明できる材料は最初から揃っていましたからね。オーナーにはただ確認をとっただけですよ」

 その材料というものが理解できる者が居ないのか、リアクションはない。その光景にケイがため息をついたとき、背後に巨大な影が迫った。

「おう、さっき捕縛隊が到着したみてぇだな。さっさと推理妨害でお前もつまみ出してやるからよ」

 ガルトは自信を取り戻して帰ってきていた。そこはさすが探偵というべきか、ともかく自信喪失状態の人間を相手にするのではつまらない。ケイはそう思っていたので少し安心した。

「いいでしょう。それでは貴方の推理、崩しましょうか」

 そういうとケイは先ほどの野次馬の誰かが忘れていったであろうグラスを手にとった。中には赤ワインがグラス半分ほど揺れている。

「フィオ、このグラスで私を殴ろうとしてみてください」

 フィオはまさか自分に振られるとは思ってなかったのか、一瞬驚きの表情を見せた後、珍しく頼りにされたことにテンションがあがった。

「よしきたぁ――ひやぁっ!?」

 グラスからこぼれたワイン頭をいっぱいにかぶってフィオが悲鳴をあげ、後ろで道化師が腹を抱えて笑っていた。

「――まぁ、本当にやるとは思いませんでしたが、事実水の入った甕を振りかぶっても同じことが起こるわけです」

 うーとうなり声を上げながらフィオはハンカチで頭を拭いている。

「はぁ? お前はなにを言ってるんだ、それはそこの女がバカだっただけでもっとグラスを傾けりゃこぼれないだろうが」

 ガルトはフィオのこぼしたもう中身の入っていないグラスを傾け、振って見せた。

「確かにそれだと調整次第で水は頭に落ちない。でもあなたは知っているはずですよ? 被害者は甕のどの部分で殴られたのか」

 現場の甕に血がついていたことはオーナーとガルトの両方が確認している。

「そりゃ甕の一番硬い角の……」

 そこまでいってガルトは言葉を失くした。

「つまり甕の底付近だったのですよね? おやおや、さっきみせた貴方の殴り方だと説明がつきません」

 ずいと歩みを進めるケイにガルトは気圧されて一歩後退した。

「か、甕に蓋をするだとか、後から水を入れるだとか考えれば方法はいくらでもあるだろうが!」

「そのために先ほどオーナーに確認をとりました。話によるとこの甕に合う蓋などないそうですよ?」

 ねぇと目で合図をされ、オーナー震わせながら口を開く。

「そ、そうです。もともとこの甕は昼間の乾燥を防ぐために水を張るもので、蓋をする用途はないです……」

 ガルトの睨みにひるんで、言葉は尻すぼみになっていく。

「水を後から汲んだというのも納得できませんね。そもそもオーナーは何をしに来たんでしたっけ?」

 そこまでいってフィオとレイラの二人はああっと驚嘆の声をそろえた。

「そうあの部屋はシャワーをはじめとした水が一切使えない状態だった。それはレイラ・レオノールが確認していますね」

 レイラは強くうなずいた。恐らくその事実はガルトも確認しているのだろう、彼らに言い返す言葉は無かった。

「……………」

 ガルトは完全に手詰まりだった。それを場に居たすべての人が感じることができるくらい彼は追い詰められていた。

「そもそも水の入った甕で人を殴る? 突発的な犯行でもそんなことはしない。凶器は別のもので、甕はカモフラージュでしょう」

 顔面蒼白になったガルトに追い討ちをかけながらケイは追い詰める。それは正義の味方などとはとても言いがたい。レイラはフィオが言っていたことを少しだけ理解できたような気がした。

「じゃ、じゃあいったい誰が殺したってんだっ!」

 その問いを待っていたといわんばかりにケイは不気味な笑みを浮かべると、推理劇の主人公にあるまじきひとことを言い放つ。

 「――そんなの、わかりませんよ」

 ガルトがあっけに取られている間に、ケイはあせるまでもなく言葉をつむぐ。

「わかっていても私にそれを言い当てる義務はありませんがね。なにせ『探偵』はあなたですし」

 ケイはただそこに立っているだけだが、言い攻められているその雰囲気に、ガルトは思わずさらに後ずさる。

 それと同時に、エントランスに複数人の物々しい足音が響いた。

「さぁ、あなたが要請した捕縛隊の到着です」

 サバイバルでも行うかのような格好をした捕縛隊が十人前後到着した。推理は探偵の仕事、抵抗するかもしれない凶悪犯を捕らえるのが彼らの仕事なのだ。

「ガルト・ラヴロック氏はどちらに?」

 捕縛隊長と思わしき男は皆にそう問いかけ、目線から一人の男を絞るが、そこには見慣れた探偵など居なく、床に尻をつけうなだれた男が一人いるだけだった。

「事件があったと聞いて我々は駆けつけたのですが……」

「なら振り出しだよ」

 そう声を発したのはフレデリック・シップマンだった。彼女は冷静に事のあらましを説明してみせた。

「――で、そこの男の人が推理を全部崩しちゃったわけ」

 夜もふけた時間、自分達が無意味に呼び出されたことを知り、徐々に捕縛隊員たちがざわつき始めた。

 隊長格の男は目配せをするだけで規律を取り戻し、再びこちらを振り向いた。

「なるほど、その上未だ真犯人も分かっていない、と。探偵ガルト・ラヴロックの活躍は本部にしっかり報告するとしよう」

 捕縛隊が背を向け、撤退しようとしたとき、ガルトが立ち上がり叫んだ。

「ふざけるな! この事件で探偵を名乗ったのは俺だけだ! 一般人の茶々で探偵の推理が崩されるわけがねえ……!」

 隊長はもはや何の信用も置いていないという目をガルトから離し、その目をケイに向けた。

「なるほど、報告において君の素性も聞いておかねばなるまい。何か身分を証明できるものを提示しなさい」

 ケイは面倒くさそうに全身を漁ると、上着の外ポケットから一枚のカードを手渡す。そのカードには国家の紋章の上に純白のパイプが描かれていた。それを目にしたとたん、フィオは叫んだ。

「あーっ! どうせなくしたと思ってたのに、それ持ってるなら現場に入れたじゃないですか!」

 もっと楽に推理を進められたであろう事実にフィオは激怒する。それほどの効力があるものを彼は所持していた

「国家探偵……」

 ガルトが力なくそうつぶやいた。

「これはこれは、帝国直属の探偵様だったとは」

 隊長とともに捕縛隊の面々が仰々しく敬礼をする中、ケイは眠そうな顔をしているだけだった。

「私はミルトン隊舎捕縛隊長のアーロン・レイという者だ。……その奔放ぶり、グラディス総指揮が『探偵殺し』を呼んだといううわさは本当でしたか」

 探偵殺し、そのふたつ名にケイが反応する。

「まだそんな物騒なあだ名で呼ばれてるのですか」

「しかし今回の活躍を見る限り、間違っているわけではないでしょう。次はその活躍をこの目でみたいですな」

 その後、死体を引き取っただけで捕縛隊は引き上げて行ったが、有名人に会えたということで少し機嫌がよかった。




 ケイはエントランスを出てすぐのところに腰掛けながら、パイプをふかしていた。そこへ月に照らされた小さな人影が近寄ってくる。

「先ほどはありがとうございました」

 話しかけてきたのはレイラだった。死体があった部屋もどうかとオーナーが新しい部屋を用意したらしいところまでは聞いたが、あれきり口を利いていない。

 ケイはパイプから口を離すと、その火皿を覗き込む。

「ところで、誰でも簡単に扱えてすぐに火も消せるパイプを発明したら、帝国栄誉賞ものですよね」

 脈絡のない話題にレイラは、思わず疑問の声を上げた。

「まぁ私はあまり吸わないのですがね」

 そういえばこの人は少し変わっているのだった。それを思い出したのかレイラは軽く笑いながらケイの隣に腰掛けた。

 こう座っていると道行く人からは親子のように見えるかもしれない。

「ここで星を見ていたのですか?」

 レイラの問いにケイは火皿の燃え残りを地面にまき、足でもみ消す。その後ゆっくりと、まるで今星が出ていることに気がついたかのように大きく天を仰いだ。

「ここに居るのはですね、部屋で寝ていたところをフィオに襲われたからなんです」

 返す言葉に困ったのかレイラは首を少しひねったところで固まってしまった。なのでケイはうそじゃないですよ。と付け加えた。

「ははは、そうなんですか。そのフィオさんは今どちらに?」

 冗談だと判断したのか、レイラは軽く笑った。

「ああ、彼女なら私の作った罠に引っかかって気絶してますよ。毎晩のことだからこちらも手馴れてきてしまって」

 それも冗談かと笑い飛ばし、レイラは急に今日の事件を思い出し、俯いた。

「今日はオーナーさんを助けてくださってありがとうございます。そうだ、約束のお金を……」

 突然ケイは立ち上がり、レイラの頭に手をポンとのせた。

「そのお金でここに家を借りるといい。しばらくは宿の従業員として雇ってもらえるようにオーナーに頼んでおきました」

「え、え? ちょっと!」

 館内に戻ろうとするケイをレイラが呼び止めると、あぁ、と気づいたように立ち止まり、振り返った。

「それでは私の取り分が無くなってしまいますね」

 あさっての方向を見ながら悩むケイにレイラが詰め寄る。

「そうではなく! 私がここに家を借りるって、働くって、一体どういう……」

 そこまで言うとレイラは今、問うている自分よりも不思議そうな顔をするケイに気がついた。

「ここで働くほか当てがあるならいいですけど、まさか奴隷に戻る気も起きないでしょう?」

 レイラはそういわれ、ケイの背後に広がる闇に身を一歩引いた。

「たしか殺されたラッセル・マクドウェル氏は古流の貴族で、廃止されたはずの奴隷を裏取引していたそうですね。そして君のその首柄下げている袋、獣の陰嚢から作られるある民族伝統の持ち物だ」

 その民族は山の奥にひっそりと暮らす少数民族だった。特殊な民芸品がコレクターの間で人気が出て、特にその村固有の輝きを放つ鉱石に糸を括って、首飾りやお守りにした物などが資料として今も大切に保管されている。人権の確立された市街地から遠いため人買いが横行した暗黒の歴史をもつ。

「それにオーナーはあなたの名前だけ記録していなかった。チェックインのサインをみても、だ。――つまりあなたは字が書けない」

 文字の教養は一般的になってきたとは言え、いまだ市民の半分にすら行き届いていない。人里はなれた山奥で育てばなおさらだ。教養の行き届く貴族の連れが字が書けない事はありえない。

「……ひょっとして、本当は事件の犯人もわかっているんですか……?」

 レイラの視線は決してケイを捕らえないように、空をさまよう。そして、できればその言葉すら聴けないように両の耳をふさいでしまい衝動に駆られた。

「もちろんです」

 ケイはレイラの小さな体がびくりと跳ねるのを見たにもかかわらず、むしろ楽しそうに続ける。

「被害者が殴られていたのは即頭部、後ろから殴れたにもかかわらず横に回り込むなんて道理から外れているんですよ。凶器としてはたとえば……」

 真後ろに立って側頭を打つ必要があるもの。そして力の弱いものでも衝撃を十分に与えられるもの。

「――あなたのその首から提げた袋ですね。それに何か硬いものを入れてこう投げ縄のように振り回すとちょうど今回のような外傷を負わせることを確認しました」

 くるくると何かを振り回してみせるそのジェスチャーはまずで子供のように無邪気だった。

「……じ、じゃあ本当にわたしが犯人だと決めていたのに言わなかったんですか?」

 レイラの両手は震えは治まる気配がなく爪同士がぶつかる音が澄んだ夜によく聞こえる。

「あー最初に行ったとおり私にはそんな責任も義務もないですし」

 レイラはいつからですか? と小さく問う。

「最初からですよ。あなたが持っている首飾りを以前見たことがるんです。……もちろんあなたのそれが、裏表逆ということもわかります。ためしに今、開けてみてもらえませんか?」

 それは偶然手に入るような代物でもない。持ち主やコレクターであれば裏表を間違えるなんて事もない。

 するすると自らの首飾りを首から抜きながらレイラは大きく息を吐いた。

「べつに自由とかを求めたわけじゃないんですよ」

 裏返された袋からゴロリと出てきたのはひとつの鉱石と、すっかり染みになってしまった本来外側である面。浴場で洗ったのだろう中身の鉱石は変色していた。

「私、今日あの貴族に買われたんです。奴隷なんて何されるか位分かってたのに、バスルームに無理矢理連れて行かれそうになった時、急に家族の顔を思い出して……」

 しかし偶然シャワーは壊れていて、その隙を突いて撲殺をした。凶器を甕に偽造したのは、非力な自分が容疑者から外れるため。

 これだけ冷静な工作を、声を震わせる少女がやり遂げたのだろうか。

「私は別にそれを咎める気も、その資格もない。代わりに君を攫った奴隷商を捕まえる気もない」

 しばらく両者が黙り、本当に何もない時間が過ぎた。

「私、ここにいていいんですかね」

 その問いにケイが口を開くことはない。

「ここで雇ってもらって、友達もできて、お金ためてそのうち……」

「――故郷に帰る?」

 話を割ったケイはレイラをにらみつけるように見ていた。

「貴方の推理に、ひとつだけ間違いがあるんです」

 その箇所を聞くでも反論するでもなく、ただケイはレイラの目をまっすぐにみつめている。

「私は攫われて奴隷になったのではなく、家族に売られたんです」

 徐々に開発が進む山奥の地を売り、故郷を捨てるものが多くなった。狩りの場は狭まり、それしか生活の手段を持たない民族は飢餓に苦しむことになった彼らは、やがて町の銀貨というものを知ることになる。その円盤があれば街に行き、十分な食料を得ることができる。集落の民は売れるものを何でも売った。獣の角や工芸品は高値で買い取られ、一時的に飢餓が和らいだ、そう一時的に。

 その次の年からは売れるものがなくなった。必要以上に狩った獣は居なくなり、材料がないので工芸品も生産できない。それでも生きていかなければならない。集落の長が何か売れるものはないかとあたりを見渡したとき、心当たりが目に留まった。

 ――それがレイラだった。

「帰るなんてできるわけないじゃないですか! 私はここで、罰を受けずに生き延びてっ! ……一体何をするためにっ!」

 目的がない。人はそれだけで心まで失ってしまう。

 しかし安易な励ましは駄目だ。この少女を集落に帰してはいけない。過酷な環境でも家族の下のほうがいく倍かましかもしれない。しかしそういう問題ではないのだ。もしも彼女が数十年で貯めた金で故郷に帰ったとき、彼女の人生は本当にそこで迷子になってしまう。彼女がどれだけの間奴隷商の元に居たかは分からないが、最新の情報は入っていないようだ。


 ……………彼女の故郷であるその集落は、もうどこにもない。


 家族も、知り合いも、自然も切り開かれ生まれ育った環境も今はもうないだろう。

「話は飛びますが、フィオナランバートには家族はいません」

 レイラは高揚した心からかうまく状況を理解できない。

「ウィリアム・ロジャースという人間を知っていますか?」

 今度の問いにはしっかりと首を横に振って答えた。

「では、シャルロット・ラン…………いえ、シャルロット・ロジャースという名に聞き覚えは?」

 その名は聞き覚えもなにも、悪い意味で有名人だ。マクドウェル姓よりも有名かもしれない。

「歴史上最悪の殺人鬼……ロジャース夫妻」

 そろって十数年ほど前に町の人間のほとんどをその手にかけていた。歴史に名を連ねる正真正銘の殺人鬼だ。

 ケイは帽子を引き下げると、深く呼吸をしすこし間をおいた。

「そうです。残念ながら夫のほう、ウィリアム・ロジャースは刑の執行寸前で逃亡されました」


「フィオナ・ランバートは彼女の連れ子なのです」


 レイラにはその言葉だけが異様に浮いて聞こえた。いままで自分の関係のない歴史の勉強をしていたのに、急に世間話へ切り替わったかのように話についていけない。

「で、でもなんであなたが彼女を……」

 親子には見えないにしても兄妹くらいには見えたかもしれない。逆に言えばそうでないとすれば彼らの関係は実に不可解だった。

「まぁいろいろありあましてね。彼女でもあれだけ笑えるんですよ」

 そこまできてこの男が不器用にも励まそうとしていることが感じ取れた。苦労話を聞かせて、お前もがんばれよと。それは普通の人よりも話のスケールがだいぶ違うが確かに人の心があると思った。

 ケイは背を向けて館に歩き出す。その背中に礼を投げかけようとしたが、ケイの台詞のほうが幾分か早かった。

「君もやり切れなくなったら私を死ぬほど恨めばいい。なんなら殺しに来たってかまわないですよ」

 重い扉はその台詞を残して閉まってしまい、残されたレイラにはその扉が重たすぎて、しばらく中には入れそうもなかった。




 翌朝、深緑の一枚着に、白のエプロンとまにあわせではあるが宿の正装らしい服装に着換えたレイラの姿がエントランスにあった。

「あ……おはようございます」

 ふらふらと這い出てきたフィオに挨拶をした瞬間、頭の包帯に気がついた。

「フィオナさん!? どうしたんですかその怪我……!」

 そういえば昨日あの男は確かに凶器でできる傷を確認したと言った。動転して聞き流していたが、一体何で確認したというのか。もし彼女がその実験台になったとすれば、軽傷であるわけがない。

 フィオはよろめきながらなんとかカウンターにもたれかかった。

「うう、そんなことよりレイラさん、ケイの馬鹿を知りませんか」

 昨日の話の影響か、レイラは一歩後ずさってしまう。

「ケイさんならとっくに朝の電車で行きましたけど、ただあなたは寝かせたままでいいと言って……」

 なにぃ!? と声を上げようとしてフィオは痛みにくぐもったような声を上げる。

「……ッ。あの人でなしは本当に私をおいて行きやがりました! 次の電車はいつですか!?」

 距離を縮めずとも彼女の切迫とした雰囲気が伝わってくる。レイラはカウンター下から一枚のボードを取り出すとそれを必死に指で追い始めた。

「えっと、戻りの列車はあるのですけど、ケイさんの行ったミルトン行きの電車は明日まで待たないと……」

 えーっとカウンターに伏すフィオに、そこまでしてあの男と共にいようとすることを再度疑問に思う。

「あ、あのっ」

 ひょっとしたらとても余計な、しかも第三者が口を挟むべきでない領域に踏み込もうとしているかもしれない。しかしレイラは止まらなかった。

「昨夜聞いたんです。フィオナさんのこと、何故そこまでしてあの人を追うんですか……?」

 問われた彼女は一瞬目を大きく見開いて、場違いな照れ笑いをもらす。

「ま、まぁ一時期目もあてらないくらいだった事がありましたよ。でもそれは自分の中では軽く黒歴史というか、なので追求されると少し恥ずかしいというかぁ……」

 ゆるい包帯がほどけかかるたびに不器用に抑えるその姿は、見ていられないくらいとても痛ましい。

「今は仕方なかったことだと思っています。……本当はまだやり切れていませんが」

 詳しい経緯を聞いていないせいで話はうまく飲み込めないが、どうやらひどい目にあってきているような口ぶりだ。

 ひょっとしたら彼女とは仲間になれるかもしれない。

「……フィオさん、あんな男追うのやめて私と一緒に暮らしませんか?」

 驚きの表情、期待の表情と予想していたが、レイラが見た彼女の表情はただ困ったように笑う顔だった。

「好き……なんですか?」

 ため息混じりに吐いたその言葉にもやはり、少し紅潮した同じ表情で彼女は返す。

「たとえ私がケイの事を好いても、それは報われないです……とんでもなく強力なライバルがいますから」

 その瞳はどこかとんでもなく遠い誰かの背中を眺めているようだった。それよりもと彼女は急にあたりをうかがった。

「本当なのですか、昨日の事件……犯人は…………」

 それが彼女の優しさなのか最後までは口にしない。レイラはそれに答えるかのように頷くのを見て、フィオはさらに言葉を詰まらせる。

「……私にはよく分かりませんが、過ちと言い切るにはとても……」

 近づく足音にフィオは話をやめた。

「どうですか? 少しは馴れて――あれ? 貴女は確か昨日のお連れ様の……」

 落ち込んだ雰囲気を壊すように、二人の前に現れたのはオーナーだった。昨日あわや冤罪をきせられそうになったとはとても思えない営業スマイルだ。その陽気に答えるようにフィオも先ほどの話題は出さない。

「フィオナですよ~。置き去りにされたのです」

 ある程度ケイの性格を把握していたのか置き去りにされたという事実よりも、オーナーはその頭に巻かれた大掛かりな包帯に驚いた。

「そ、その怪我は大丈夫なのですか?」

 フィオは頭の包帯の端を遊びながら、二度目のやり取りに深いため息をついた。

「これは大丈夫です。それよりもケイを追いかける術を知らないですか~?」

 長年ここで働いていれば、この時間から彼を追いかける術はないことくらいはすぐに分かる。

「追わなくとも部屋は空いていますので、恩人のお連れ様を一晩お泊めすることくらい……」

 そこまで行ってオーナーは何かに気づいたようだった。

「あ、そういえば知り合いの貨物列車が、ミルトンへ運搬の途中でここによるんです。交渉しだいでは乗せてくれるかもしれません」

 ミルトンはその町だけで繁盛しているので普段は深夜以外貨物など行きかわない町なのだが、どうやら近々大規模の催し物があるらしい。なのでこの時期は物資などを載せた貨物車が日中にも数本走っている。

 それを聞いたフィオの顔は途端に明るくなった。

「十分です! 貨物でもなんでもありがたいので、即ケイを追います」

 荷物をまとめるため、部屋へと走っていくフィオ。その後ろ姿にオーナーは呼び掛ける。

「乗り心地は保障できませんが、あと一時間ほどで到着すると思います!」

 ありがとう、と走りながら答えたフィオだったが急に立ち止まるとクルリとレイラの方を振り返った。

「レイラちゃんそれすごい似合ってます!」

 グッド。と親指を立ててレイラの制服をほめると、廊下の奥へと消えていった。レイラは戸惑い返事もできなかったことを悔やみ、できるだけ大きな声でありがとうございます! と言った。


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