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出題編

 プロローグ

 その部屋には静かに、しかし確実に、死の足音が近付いていた。低く聞こえる機械音が、それを具現化しているかの様であった。白を基調としたその個室に、数人の、年齢に幅のある男女が詰めかけ、窓際のベッドに横たわる初老の男性を見詰めていた。やがて、そのうち一番年嵩の女性が進み出、ベッドの傍らに中腰となる。

鷹見たかみさん…」

妻の優しい、幾度かの呼び掛けに、男性はうっすら、目を開けた。

「…ああ、保奈美ほなみか…どうした?」

掠れ、弱々しい声。窶れ、窪んだ眼窩の底から、しかし光を失ってはいない目で見返してくる。

「…ううん、みんな、急に会いたいって」

背後にチラ、と視線を送る。それを合図に、長男、長女、次男の三人はベッドへと近付いた。

「そうなんだ、この所なかなか顔を見られなかったし」

痩身の長男が、変わり果てた父親の顔を覗き込む。

鷹安たかやすよぉ、少しは真面目にやってるか?」

「…うん」

「アーティストなぞというものは、たいてい自称に終わるんだぞ?」

「判ってる…」

長男は僅かに視線を逸らした。

「あら、結構調子良さそうじゃない?」

長女は微笑を浮かべ、励ます様に声を掛けた。

「そうか…日羽里ひばりよ、そうか…お前は、男を見る目が無い。気を付けないと」

「ははは…」

苦笑するしかない。

「お父さん…」

視界から外れそうな程控え目に、次男が男性を覗き込んでくる。

保奥やすお…すまない」

「何で、謝るの?」

「お前には、余り時間を掛けてやれなかった…すまない」

語尾は、殆ど聞き取れない。皆、理解していた。この男性が、余命幾許もない事を。今日家族がこの病室に集まったのも、病院から危篤との連絡を受けたからであった。病院に到着し、小康状態を保っているとの説明を担当医から受け、今こうして家族水入らずの時間を持てたのであった。

 暫くは、静かな時間が過ぎた。やがて男性が、再び口を開いた。

「…そこに、手紙が」

右手で、ベッド脇のサイドテーブルを指さす。妻が引き出しを開けると、手紙が一通、入っていた。

「よく読んで、北上きたかみさんに連絡して。後は、彼女から聞いて」

それだけ言うと、力を使い果たしたかの様に、再び目を閉じた。

 男性が亡くなったのは、その数日後の事であった。そして遺族には、遺言状と共に、一篇の短編小説が残されたのであった。


 第一章 ~短編小説~

 大切な日

 その日は、彼、一文字いちもんじ 数八かずやにとって大切な日であった。つまり、誕生日である。二十五回目の大切な日。四半世紀を生きた証となる日。

「うぅ、寒い!」

ハンバーガーショップを出ると、冷たい夜風が彼を急襲した。あと何週間かでソメイヨシノが咲き乱れるというのに、日が暮れれば雪がちらついてもおかしくはないこの寒さ。数八はトレンチコートの襟を立て、帰宅の道を急いだ。

 上京以来七年余り腰を据えているアパートの階段を上がる。学生から社会人になっても都合の良い立地であった。既に八時を回っている。ドアノブに手を掛けると、滑らかにドアは開いた。

「ただいまー」

奥に向かい声を掛けると、小さく「お帰りー」の声と共に、横のダイニングから顔を出した者があった。

「食事にする?お風呂にする?それとも、わ、た、し?」

十代の、可愛らしい少女である。左足を戸口から突き出し、大人びた口調を真似てはいるが、かなりの無理がある。数八は苦笑した。

「イヤミ、寒いよ」

妹への容赦ないダメ出しであった。一文字いちもんじ 一野美ひのみは、頬を膨らませた。

「もぅ、せっかく可愛い妹が労おうとしてあげてるのにぃ!それと、その呼び方やめて、って言ってるでしょう!?」

名をもじったその渾名を、一野美は昔から嫌っていたのであるが。

「いやいや、口の悪さは正にぴったりだろ?」

廊下に上がりながら。

「そんな事言って、こんな可愛い妹がいる事に対して感謝が足りない数兄には、きっと天罰が下るであろう!」

舌を出し、引っ込む。いや、そういう事を言うから、と、数八は胸中で指摘した。

 一旦自室に寄り(和室の六畳で、一野美と共同である)、ワイシャツ姿となった数八はダイニングにやって来た。手にはカラフルな紙袋を携えている。丁寧に、リボンまで掛けられていた。ハンバーガーショップで仕上げたのであった。

「宿題中か」

テーブルの上で教科書とノートを広げている一野美は、チラと兄を見上げた。

「食事済んだら、そのままで良いから」

数八の指定席には、焼き鮭や肉屋で購入した鶏の唐揚げ、コロッケ等が並んでいる。「いただきます」と小さく合掌し、ご飯茶碗を取り上げる。

「英語か…」

コロッケを箸で割りながら、妹の開いた教科書をチラ見する。

「お兄ちゃんの仕事、別に必要なかったよね?良かったよねぇー、成績悪くても出来る仕事があって」

ノートに訳文を書き付けつつ、一野美は言った。数八は苦笑せざるを得ない。学生時代の成績表を見られた事があったから。

「だからイヤミって言うんだぞ?」

「はいはい、月の名前間違いまくってた人に言われても、全然口惜しくありませーん」

先程はやめてと言っていた癖に、と数八は微笑した。

「いつの話だよ?もう間違えたりしない」

分けたコロッケを一欠片、口に運ぶ。

「本当?じゃあ、三月は?」

呑み込むのを見計らい、問題を発する。

「マーチだろ?」

「綴りは?」

「M、a、r、c、h」

「へぇ、じゃあ、一月」

「ジャニュアリー、J、a、n、u、a、r、y」

「五月」

「メイ、M、a、y」

「九月」

「セプテンバー、S、e、p、t、e、m、b、e、r」

少々得意げな数八に。

「こんなの当然。じゃあ、マーチ+メイは?」

「何だ、今度は計算か?…オーガスト、A、u、g、u、s、t。三+五で八、だろ?」

満面の笑顔で、鶏の唐揚げを一つ頬張る。

「まだまだ。フェブラリー+オクトーバーは?」

「ははは、デセンバー。D、e、c、e、m、b、e、r。二+十で十二」

他愛のない言葉遊び。この兄妹にとって、至福の一時であった。

「ま、この辺にしておいてあげる…ところで、さっき何か持ってなかった?」

一野美は教科書に視線を落としながら、紙袋を見逃してはいなかった。

「目敏いなぁ」

箸を置き、傍らの椅子に置いた紙袋を差し出す。

「はい、バレンタインデーのお返し」

「わぁ、嬉しい!」

勉強の手を止め、わざとらしい笑顔で受け取ると袋を開けた。中から出てきたのは、ミントキャンデーの袋。

「えぇー、これだけー!?」

「百円のチョコに対して、キッチリ三倍返しだろ?」

不満げな妹に対し、してやったり、と言う風の兄。やがて、二人の口から笑い声が漏れる。それは、お決まりの儀式であった。

「ま、しかし、毎年思うけど、何で誕生日に贈り物を貰うんじゃなくて、あげてるんだろうな」

「自業自得。この日にお母さんのお腹から飛び出したんだから」

「そう言われてもなぁ…」

「去年は良かったじゃない。バレンタインデーは休日だったし」

「まぁね。一昨年は休日絡みで遅れてお返ししたけど」

「オリンピック記念のグッズも付けたよね?」

「そうだっけ?正直、印象にないなぁ」

「えぇー!?じゃあ、今年のも印象薄かったぁ!?せっかくパッケージとか、工夫したのに!」

冷たい視線を向けてくる妹に。

「いや、知ってるだろ?この季節のは、余り興味がないからさ。今年だったら、まだサッカーの方があるよ」

「はぁー、贈り物のし甲斐が無いよねぇ。将来が思いやられるわぁー」

がっくり肩を落としてみせる一野美。

「いらないお世話だね」

数八は口を尖らせた。

「あぁー、そういう態度、取るんだー」

少し意地の悪そうな表情を浮かべ、一野美は立ち上がった。冷蔵庫へ向かい取り出した皿の、その上に載せられていたのは…。

「うわ、特製パンケーキ!」

六層となったパンケーキの間にはたっぷり生クリームが盛られ、天辺にはキウイフルーツやパイナップル、イチゴなどがあしらわれている。一野美手製であった。チョコレートソースで『Happy Birthday』と書かれている。

「せっかく貴重な青春の一時をこれの為に割いてあげたのに、そういう態度取られたらなぁー」

拗ねた様に、流しへと足を運ぶ。

「え、ちょっと、どうするつもり!?」

「数兄は要らないんでしょ?勿体ないけど、生ゴミ」

「早まるな!日本人はもっと食料を大切にすべきだぞ!?」

流しの前で立ち止まった一野美は、くるり、振り返った。

「欲しい?」

「欲しい!」

あかべこの様に何度も頷く。

「だったら、早くご飯済ませちゃって」

「がってん!」

数八は急いで料理を片付け始めた。

 料理が占めていたテーブル上は、今やパンケーキの一人舞台となっていた。勉強道具は傍らの椅子に退避させられていた。パンケーキ中央には小さな蝋燭が一本、突き立てられている。ハッピー・バースディ・トゥ・ユーを一野美が歌い終えると、数八は蝋燭の火を吹き消した。ささやかな、しかし暖かい拍手。

「そういえば、大学入試が終わって、調子に乗って誕生日に彼女を連れて来たよね?」

不意に思い出した様に一野美。

「…そうだっけ。今、そういう話するかなぁ」

ケーキを切り分ける手を止める数八。軽く一野美を睨む。

「あ、ひょっとして古傷だった?優しそうな人だったけど」

「まぁ、ね」

ヘラでケーキを皿に取る。一野美に渡す際、少し意地悪をした。

「ああん。名前は何て言った?三山、三島?」

ケーキを確保した一野美は、早速フォークを手にした。数八は今度は自分の分を切り分け始める。

三山みやま 愛理あいり。進学を機に自然消滅、かな」

「大切な人だった?」

兄の落胆ぶりを見れば、明白であった。

「それでも…男女の間には、色々あるのさ」

「数兄が甲斐性無しだっただけじゃない?」

「だからイヤミなんだよ」

睨む様にしながら妹の額を軽く小突く。しかし、次の瞬間には笑顔となっていた。

「もう、やめてよぅ」

左手で額を押さえつつ、右手のフォークは止まらない。

「今はとりあえず、この生活で充分」

幸福そうに、数八は切り分けたケーキを口に運ぶのであった。


 第二章 ~依頼~

 その短編小説を読み終えた清田きよた 登士満としみつは、一つ溜息をつくと上体を起こし、テーブルの上に原稿を置いた。たっぷり贅肉のついた腹部は、上体を曲げ続けていると気持ち悪くなってくる。一息つくとその向こう側、ソファに腰掛けた二人の男女を見据えた。右側の女性はアラサーであろう。テーブル上の名刺には『白眉社編集者 北上きたかみ 凍子とうこ』とある。左側には、所在なげに書斎内を見回している少年。

「いかがですか?」

北上は、清田を見据えつつ訊ねた。

「うーん、何というか…O・ヘンリーの現代版、といった」

「小説の出来を伺っているのではありません。キーワードは読み取れますでしょうか?」

「キーワード、ねぇ」

A4コピー用紙の原稿の横に開かれた便箋を取り上げ、再読する。その内容とは。


  愛する子供達へ

   お前達にこれを託す頃には、私は現世を旅立つ間際となっている事だろう。

   父親として、お前達に残してやれる物は大して無いが、最後に、私の魂を託す。

   サーバ上に、セキュリティを設定したフォルダがある。それを開く為のキーワードを探せ。

   そのヒントは、私の最後の短編小説にある。

   注意点:キーワードを試せるのは一人一回のみ。ログインには指紋認証が必要で、

       ごまかしはきかない。三人ともキーワード入力に失敗すれば、私の魂は

       永遠に失われる事となる。

   私の魂を発見した者に、その処分を全て委ねる。

  南條 鷹見


「その、これが、なんじ あやしの遺稿、なのですよね?」

「はい。私が口述筆記致しました」

「まぁ、推理作家らしい、というか…」

「他社刊ですが、他に岩座いわくら たもつ名義で官能小説も手掛けていらっしゃいましたが」

「はぁ、存じています」

私も少なからずお世話になりました、と胸中で付け足す。

「あの!」

今まで口を噤んでいた少年が、勇気を出して会話に加わる。

「はい?ええと、保奥さん?」

「はい。あの、吉川よしかわ君の、親戚の方ですよね?吉川君から、相談してみたら、って言われたんです。もう僕しか残ってないんです。僕が失敗したら、お父さんの魂が、消えるんです」

「そういう事です。鷹安さんと日羽里さんの入力したキーワードはエラーになりました」

「なるほど…ところで、キーワードについて、前提条件を確認させて下さい。キーワードは文字数も使えるキャラクタコードも不明、という事で宜しいですね?」

「そうですね。全てはその文章の中にある、という事でしょう」

「うむ…ちなみに、失敗したお二人の入力したキーワードはご存知ですか?」

「はい。入力時には立ち会っておりますので」

「それで、内容は?」

「長男の鷹安さんはメイマーチ。M、a、y、M、a、r、c、h、ですね、長女の日羽里さんがアイリミヤマ、A、i、r、i、M、i、y、a、m、a、でした」

「理由については?」

「最初に挑戦された日羽里さんは『大切な人、と書いてあるから』、次の鷹安さんは、『八文字で丁度良いから』と、言っておりましたが」

「ふぅん、でも、八文字なら、ディセンバーも八文字ですよね?」

小説を読み返しながら、清田が問いを発すると。

「あの、何で八文字なんでしょうか?」

控え目に、保奥が問い返してくる。

「それはきっと、お兄さんの名前からだろうね。一を取れば、文字数は八、と読める」

「なるほど、そうなんですか?」

「うーん、どうなんだろう?あるいは、一と八を足して九が正解なのかも知れない。だからセプテンバーがキーワードの可能性もあるし…とにかく、キーワードに関する全ての情報がここにある以上、それもあり得るだろうね」

「話の続きを宜しいでしょうか?鷹安さんも最初迷われたそうですが、捻りを利かせたこちらの方だろうと、選ばれた様です」

強引に割って入ってくる北上。

「なるほど…」

清田は両手を組むと額に当て、考え込んだ。

「いかがでしょう、この案件、お受け頂けますか?」

北上の問い掛けに、両手を解くと見据える。

「はい。面白そうですし」

「面白そう、ですか?」

北上は不満げであった。しかし清田は意に介した風もなく。

「はい、非常に」

「そうですか…ところで、期日ですが…」

「そうですね…ひとまず一週間、頂けますか?」

「承知しました。判り次第、連絡をお願いします」

あっさり了承されたのは、もちろん信頼されているからではない。期待されていないのである。

「はぁ…」

「それと、これは申し上げるまでもないかも知れませんが。この原稿を関係者以外に見せたり、預けたりしないようお願いします。本件について口にする事も慎んで下さい。もしその様な事実が確認された場合、法的措置をとらせて頂く可能性がありますので」

「承知しました」

苦笑するしかない清田であった。

「と、こんな所でしょうか…」

そそくさと退散の準備に入る北上。手紙を鞄に仕舞い込む。せき立てられる様に席を立った保奥は、小さく頭を下げた。のそのそと清田も立ち上がる。

「それではこれで。宜しくお願いします」

「はい、また連絡を」

挨拶もそこそこに、北上達は清田を尻目に彼の書斎を後にしたのであった。

 さして広くもないアパートの一室である。扉を開けダイニングを横切れば、玄関であった。

「ご期待に添えるよう、努力します」

「そうですか、お願いします」

「本当に、宜しくお願いします」

北上より遥かに、保奥の方が清田に期待を掛けている様であった。二人を見送ると、とぼとぼと書斎へ引き返す。 本棚には、様々なジャンルの本が並んでいる。大半は娯楽小説であり、中でも推理小説が目立つ。十八禁ものの雑誌に掲載される連続小説(余談ではあるが触手もの)の次号分が上がったばかりで、少々眠い。本棚には何冊か汝妖名義のものもあり(岩座保名義のものは理由あって隠してある)、その中の一冊を手に取る。『汝 妖短編傑作集』とある。傑作集、と銘打っているが、彼の知る限り汝妖名義の短編小説、エッセイ等は余り多くはない。ほぼこれ一冊分であろう。やはり真骨頂は長編サスペンスものである。しかも、内容的にはおおよそ件の短編小説などとはかけ離れた、ダークでバイオレンス、シニカルな。

「まさか、一志かずし君の友達がねぇ」

ソファに寝転がり、本を読み始めた。


 清田の甥である吉川一志が清田の元を訪ねたのは、二学期中間試験期間中の事であった。

「こんな事してて良いのかい?テスト勉強する為の時間だろう?」

高校野球のレギュラー争いをしている、いがぐり頭の一志はソファに寝転がったまま、顔をコミックの上から上げた。

「大丈夫だって。俺、文武両道だからさ。叔父さんと違うって」

「偉そうだなぁ。いつも地区予選敗退の癖に」

ペットボトルのアイスコーヒーを注ぎながら、清田が笑い混じりに言うと。

「叔父さんの、暗黒の高校時代よりずっとましっしょ」

ページを捲りながら一志。清田は苦笑した。姉が色々と吹き込んだのであろう。

「そんな事言ってると、ここでサボってる事、姉ちゃんに言うぞ?」

「どうぞ御勝手にー。ちゃーんと、結果は出してんだからさ」

「結果?地区予選敗退が?」

「俺だけの問題じゃないっしょ!?」

さすがに少しむっとした様であった。

「そういうイヤミだから、三十六にもなって独身なんじゃねーの!?」

「今時珍しくもないね。独身を楽しんでるんだ。一志君こそ地区予選敗退じゃあモテないだろ?」

「しつこいよ!」

叫んで、あっ、と呟く。

「そういえばさ、叔父さん、推理小説とか好きだったっけ?」

ソファに座り直し、アイスコーヒーを注がれたグラスにガムシロップを注ぎ出す。

「ああ。まぁ、それほど詳しくはないけれど」

「南條鷹見って、知ってる?」

「ん?汝妖だろう?先月だったか、惜しい才能が失われたよ」

スツールに腰掛けブラックで傾けていたグラスを、そっとテーブルに置く。

「汝妖ってペンネーム?」

「ああ。南條をもじったそうだ。でもまぁ、作品内容にぴったりだと思ったね」

「へぇ、どんなの?」

「んん?まぁ、一時的ではあったけれど、ダークでグロテスクな描写の目立つ、サスペンスものだね。代表作に『鳥シリーズ』と呼ばれるものがあって、例えば『カッコウの巣はカラッポ』だと、ある、どこにでもある様な幸福そうな一家四人が惨殺されるんだ。主人公の刑事が捜査してゆくうちに、その一家がかつて関わったと思われる事件が浮上してきて、っていう内容だけど、後半で再現される惨殺事件の現場シーンが、まぁ、かなりキてるんだ」

「そうなんだ…」

「僕的には、『鳥シリーズ』の頃が絶頂期だと思ってる。それ以前は、まぁ、余り読んでいないけれど、古くさい探偵ものだし、以後は社会派というか、僕にはペラく思えるものだし。シリーズ再開を希望してたんだけどねぇ」

「結構辛辣なの。ところで、その『鳥シリーズ』、読んでたのっていつ頃?」

「ええと、高一、高二頃かな?少し時期的にはずれるけれど」

「暗黒の高校時代…」

ボソリ、一志が呟く。

「うるさいなぁー、それなりに充実してたんだよ」

「はいはいと。ところでさ、その息子で保奥っていう友達がいるんだけど、何か困ってるらしいんだよね」

「ええっ?その子も野球部員なのかい?」

「違うけど?まぁ、色々あってさ。ともかく、もし相談に乗って、とか言われたらどうするよ?」

「僕で役に立つならもちろん」

「ま、一応当てにしない様に、って言ってあるけど」

「全く、君はもう!」

語気は強めであるが、怒っている訳ではない。内心、むしろハードルを下げておいてくれて感謝さえしていた。

「じゃ、携帯の番号、教えて良いよね?」

「ああ」

「うん。じゃあ、帰るわ」

残りのアイスコーヒーを飲み干すと、バッグにコミックを詰め込み立ち上がる。

「また来るから」

「今度は答案用紙を持ってくるんだね」

「ふふふ、俺の才能に嫉妬しても知らねぇよ?」

「早く帰れ!」

笑顔でしっしっとやる清田。これが叔父と甥のコミュニケーションであった。


 第三章 ~解明~

 北上らの訪問より二日後、清田は新たな訪問客を迎える事となった。

「清田、登士満さんのお宅ですね?」

玄関扉の前に立っていたのは保奈見であった。美人ではある。しかし、華やかさを感じない。

「はぁ、私ですが」

「先日、保奥が参ったそうですが」

「…保奥さんの?」

「母です」

清田を見詰める双眸には、感情が見えない。

「つまり、鷹見さんの奥さんですね?」

「はい」

小さく頷き。

「宜しいでしょうか?」

促されて、慌てて清田はチェーンロックを外したのであった。

 ソファに腰掛けた保奈見は、酷く小さく見えた。身長なら清田とほぼ同じであるのに。肉体的に、というより存在感そのものの小ささであろうか。

「あの、今日はどの様なご用件で?」

「…息子が、依頼した件について、どこまで進展していますでしょうか?」

要するに、進捗状況の確認に来た、という事であろうか、と清田は不審感と共に考えた。なぜ、あの場に居なかった人物が、それをしに来たのか?直接の依頼人は保奥であり、北上は後見役であった。連絡もこちらからすると、言ってあった筈である。

「はぁ、まぁ、幾つかキーワード候補はピックアップしてありますが、まだ本命を絞り込めていない、という所でしょうか?」

「それは、どの様な?」

「色々です。英単語であるとか、オリンピックやFIFAワールドカップの開催地名、あと幾つか日付も」

「そうですか…」

感情の読み取れない表情で、保奈見は暫く黙考し。

「…なぜ、本命を絞り込めないのですか?」

「うーん、そのキーワードになぜしたのか、その意図が」

「キーワード自体に、その様な意図があるか、疑問ですが?」

「それはそうかも知れませんが…ただ、あの手紙を読む限り、そうとは思えないのですよ。『私の魂を託す』とまで書いているのに、何の意味もないキーワードというのは…」

「あの人は、そういう所がありますから。作品の中でも、本筋と無関係な所に力を注いだり」

それはミスディレクションの為では、と清田は思った。

「アレが単なる一小説であれば、別に問題は無いのでしょうが。実際には現実に影響を及ぼす物ですし…ところで、ご主人の本を読まれるのですね?」

保奈見は初めて微笑を見せた。

「本になる前から読んでおりました。担当編集者でしたから」

「え、そうだったんですか!?」

無言で頷く。

「それは、いつ頃で…」

「九十三年半ばから、九十八年一杯まででした」

「あ、『鳥シリーズ』の頃の」

「ご存知ですか?」

「はい。そうでしたか…確か、その前に一年半程、作品を出していない時期がありましたね?」

「はい…前の奥さんが亡くなられて、スランプと言いますか、気落ちしたのでしょう」

目を伏せる。

「前の奥さんとの間にお子さんは?」

「鷹安さんと日羽里さんです。私の子は保奥だけです」

なるほど、少々事情は複雑な様であった。話題を転換しようとして逡巡していると。

「実は、お願いがあって来ました」

顔を上げ、清田を見据える。

「何でしょうか?」

「実は、この件から手を引いて頂きたいのです」

「はい?」

「報酬はお支払いします。今回の一件は無かった事に」

ハンドバッグを開き銀行の封筒を取り出すと、テーブル上に置き差し出す。

「いえ、別にお金はいりません。なぜですか?」

封筒をテーブル上で突き返す。

「この件で部外者に関わって欲しくは無いのです」

「いえ、ですから」

「保奥は何も判っていないのです。あの人の大切な物を手に入れるのに、部外者を介在させたのでは兄姉から横槍が入りかねません」

「ですが、北上さんは」

「あの人は汝妖の残した物が手に入れば良いだけです」

その語調には、嫌悪感らしき感情が込められていた。自分の後輩編集者であろうに。

「なるほど…ですが、やはりお断りします」

「!なぜでしょうか!?」

「依頼人との信頼関係の問題です。保奥君から中止を申し入れられたなら、これは仕方ないでしょう。しかし貴女からでは、信頼関係に悖りますから」

「私はあの子の母です!」

「親であろうと、保奥君とは別人格でしょう?私がキーワードを特定出来たとしても、決して部外者が探し当てたと判らないよう注意します。お約束しますから」

真剣に見詰め返されると、保奈見は何も言えなくなってしまった。

「…保奥が、断われば、良いのですね?」

「仕方ありません」

つと、保奈見は立ち上がった。書斎を出て行こうとする。

「あ、奥さん、これっ!」

テーブル上の銀行封筒を掲げるが、無視して出て行ってしまった。慌てて追うが、一切無視し保奈見は清田宅を出て行ったのであった。

「困ったねぇ」

溜め息混じりに銀行封筒を暫く見詰め、書斎にとって返し机の引き出しに放り込むと、鍵を掛ける。


 翌日、吉川が清田宅を訪れた。書斎に入ってくるなり、得意げに鞄から答案用紙を取り出す。

「中間テストの結果だぜ!」

清田に突き付けられたのは、英語の答案であった。”83”と点数が。

「へぇ、かなり平均点が高かったんだろうねぇ」

「言ってろ!」

更に何枚か答案用紙を掲げる。どれも七十~八十点台であった。

「言ったろ、文武両道だって」

正しく鼻高々、である。

「うーん、まぁ」

何か言い返そうと答案を見詰めていた清田は、突然。

「あっ!」

「どうしたの、叔父さん!?」

しかし清田は答えず、机に向かった。引き出しから件の原稿を取り出す。

「そうか、何で気付かなかった!?」

ぶつぶつと呟いている。こうなると、もう何を言っても聞こえていない事を承知していた甥は、そっと退散する事にしたのであった。

 その夜遅く、清田は北上にメールを送った。それには、彼が探し出したキーワードが記されていた。二日後返信があり、セキュリティが解除され、汝妖の残したものを入手出来たと、保奥から感謝のメールが来た。ついてはお礼に伺いたいと。清田は、一つの条件を付けたのであった。


キーワードは判ったでしょうか?別に難しくもないとは思いますので、感想で頂ければ幸いです。

一応の解答編はエピローグにて。

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