其の八:敵
―敵―
「で、これからどうするの?」
午後の授業が全て終わり、教室に残る人影もまばらになった頃、雅美と雨宮は今後の方針を立てるべく話し合いをしていた。
「やりたい事はいくつかあるけど、出来る事には限りがあるからな……」
「何よその、やりたい事と出来る事って?」
「ん?あーなんて説明したらいいのか、まあ、現状いくつかのやりたい事があるとして、その中で、俺たちに出来る事って限られているんだよ」
「むぅ〜で貴弘、そのやりたい事ってなんなのよ」
雅美は我慢できないと言った風だった。
「はぁ〜、雅美って本当に江戸っ子だよな」
「な、な、何よその憐れみの籠もった目は!!」
「いやなに、俺の率直な意見をだな……って、ぐぅで握り拳を作るな、ぐぅで」
雨宮は一つため息をつくと、気を取り戻して話を続けた。
「別に江戸っ子が悪いってわけじゃなくて……まあ、その話はおいとくとして、一番最初にやりたい事って言うのはさ、お前と美智子の間の部屋。あそこを調査したいんだけど、こんな時間じゃおいそれと俺が女子棟に行ける分けないだろ。これがやりたいけど出来ない事」
「まあ、この時間じゃ絶対に見つかるからね……」
「それに、部屋の鍵もどうにかしなくちゃならない」
「そうよね、部屋の鍵が無くちゃ結局開けられないわけだし」
「ま、鍵の方は何とかなるとしてもだ」
「何とかって……あんた、まさかして開けられるって言うの?」
「まぁ〜最後の最後には、キーピッキングって手もあるけど、マスターキーを手に入れる方が現実的かな」
「キーピッキングって……貴弘、あんたさりげなくとんでもない事言ってない?私、あんたが犯人なんじゃないかって思えてきたんだけど」
ぶっ―――
「じょ、冗談はよせよな。俺がそんな事をする分けないだろ」
「どうだか……そう言えば最近、お気に入りのブラ、一枚見つからないのよね〜」
「くっ、さっきの仕返しか?」
「さぁ、何の事だか。で、本当にこれからどうするのよ……貴弘」
雅美は今までの軽口とは違い、真剣な顔つきになった。
「ああ、まず俺たちがやらなくてはならないのは、美智子の容態を聞く事。あいつが目を覚ましたんなら、酷な話だが、何か聞き出せるかも知れないし、それに、俺たちが犯人を捜し出して良いのかも、美智子に確認をしておかなくてはならないし」
「そうね……もう一日経とうとしてるんだし、美智子も目を覚ましている頃よね。じゃ、今からすぐにでも?」
「そうだな、それも良いかも知れない」
「?」
「何だ雅美」
「それも良いかも知れないって、他にもやれる事があるの?」
「いや、この場合美智子の病院に行くのが一番だ。とりあえず、部屋に荷物を置いてから直ぐにでも行こう。病院はそれ程遠くないとしても、ここを一端おりてから、また戻ってこなくてはならない訳だし」
「うっ、そうか、この時間だと麓までは徒歩だし、帰りはタクシーでも拾わなくちゃ交通手段がない」
「ま、タクシー代については心配するな。それよりも、ここは早く行こう」
「むっ、ちょっと引っかかるけれど、背に腹は代えられない……か。一端部屋に戻ってから、正門の前で落ち合いましょ」
「正門はよそう」
「どうして?」
「いや、学校側が、美智子の病院に見舞いに行く事を良くは思わないだろう。裏から抜けて麓まででよう。今からならバスも残ってる」
「……ね、貴弘って、こういう状況になれてるでしょ?」
「なんだそれ。俺は別に」
「……」
「それより、行くぞ雅美」
「ま、いっか」
雅美は江戸っ子らしく、拘る事をしなかった。
「さてと赤岡君、乃亞を学園に向かわせるとして、君にやっておいて貰いたい事が二つ程ある」
「?」
「いやなに、それ程難しい事ではない。一つは和田美智子君の面会許可を取っておいて貰いたい。どうせ、面会は禁じられているのじゃろう」
「はぁ……確かに、関係者以外面会謝絶になって居ますが、未だ目を覚まさない彼女になにか?」
赤岡のその問いに翁は、笑うだけで答えなかった。
「それで万笙先生、二つ目は」
「それがもう一つの事。乃亞には、明日にでも学園に向かわせよう」
「明日……ですか?」
「うむ、乃亞には明日向かわせる。それでだ、赤岡君にはその手続きを行って貰いたい」
「はあ、そちらの方も何とかなると思いますが……その、乃亞君の準備は大丈夫なのでしょうか?」
「その辺は大丈夫だが、その時、乃亞には和田美智子君と、それから国府田雅美君と言ったかな、彼女達の間の空き部屋を充てて貰いたい」
「あの空き部屋を、ですか?」
「うむ、何はともあれ倒れた本人を観る事と、何より、その部屋を調べるにはこれが一番良いと思うでのう」
「……分かりました。入学の手続きと、部屋を和田美智子君の隣の空き部屋にすれば良いのですね」
「別の場所に部屋が空いておって、どうしてもそちらに変わると言うのならばそれも仕方がないが、その場合、空き部屋の鍵を乃亞に渡して貰いたい」
「いえ、部屋の方も何とかなるでしょう」
「ならば問題はない。乃亞には明日、直接病院へ寄ってから学園へ向かわせるとしよう……」
「分かりました。それでは、私は直ぐにでもここを立ち、手配を済ませておきます」
そう言うと赤岡は、厚くお礼を述べた後、早速上社を後にした。
「さて乃亞よ……聞いておったかな」
「はい、お祖父様」
返辞と共に、隣のふすまが静かに開かれた。
「これは退魔士としての仕事になるが、乃亞よ、お前には生徒として学園に行って貰う」
「お祖父様、お祖父様なら別にこの様な事をなさらずとも……」
「乃亞よ……学園と言う隔離された場所に、わしの様な者が行けば、敵に気付かれると言うのは嘘ではない。被害を最小限にとどめるには、わしよりも、お前さんに任せた方が良い。これは退魔士としての判断じゃて」
「……お祖父様がそう言われるのならば」
「さて、乃亞にも準備があるだろう。必要なモノがあれば後で送るとして、まずは病院に行って、和田美智子なる娘を看てやるが良い」
「分かりました」
「後の事は、お前さんに任せよう」
……
裏庭で待ち合わせた二人は、共に、無言に成らざるを得なかった。
「聞いた……貴弘」
「そっちもか」
「じゃ、やっぱり」
……
「あんなのは噂話だ」
「そんなの当たり前じゃない!美智子が薬をやるなんて、そんな訳ない」
「当然だ、美智子がそんな事するわけ無いだろ」
……
「誰が、あんな噂を」
雅美と貴弘が寮に帰ると、そのうわさ話で持ちきりだった。
―――和田美智子は、やっぱり薬をやっていた。
―――美智子の部屋から薬が発見されたんですって。
―――そうじゃ無いかと思ってたんだ。
無責任な噂は、既に既成事実として広がっていたのである。
「行くぞ雅美」
「貴弘」
「今は、それを詮索する時じゃない」
「だけど……」
「俺だって気に掛かるさ、今回の噂話は前と違って具体的だ。それに、噂が広まる速度が尋常じゃない」
「じゃ、誰かが意図的に流した?」
「そう考えるのが妥当だな」
「一体誰が?」
「それを探し当てるのは無理だ。噂話の出所なんて、どうやったってたどり着ける訳がない」
「でも」
「さっきも言っただろ、それを詮索するのは今じゃない」
……
「それよりも、美智子の病院へ急ぐぞ―――」
雨宮貴弘の横顔には、殺気が籠もっていた。
「貴弘?」
「今回の事で分かった事がある」
「それは?」
「敵がいる」
―――敵
雅美は貴弘の言葉に身震いした。
何者かは分からないが、少なからず美智子を襲った『犯人』がいた事は分かっていた―――が。
隣に居る男は、『犯人』ではなく『敵』と言う言葉を使った。
最初から悪意があった事は確かだろう……しかし、噂話を広めた事で、『犯人』から『敵』へと変わったのだ。
これで身震いしない方がおかしい。
敵は、倒すモノである―――
今までは犯人を突き止めるだけだと思いこんでいた。
それが敵となり、倒すモノとなれば、戦わなくてはならない。
犯人を見つけだすだけではない、それをうち破らなくてはならないのだ。
実際に殴り合いだのをする訳ではないのだろうが、この意識の切り替えは、雅美にとって劇的な変化だった。
「貴弘、私に出来る事……ある?」
「おう、雅美には、雅美にしか出来ない事が必ずあるさ」
「そ……なら私も、戦わなくちゃね」
―――そして、勝たなくちゃね、美智子
雨宮貴弘と国府田雅美は、無言のまま、和田美智子の病院へと向かった。
和田美智子が入院している友田総合病院は、駅から歩いて10分程度の場所にあった。
ほぼ全ての診療が出来る友田総合病院は、街にある病院の中では群を抜いた規模の大きさだった。そして、友田の名前を冠しているとおりに、経営しているのは友田と言う男だった。
この男は、和田美智子の父親である和田道広をはじめ、各界にも色々と顔の利く男で、そのパイプを利用する代わりに、多少の問題事も面倒をみていた。
菊池が和田美智子をこの病院に入院させたのも、その点にあるのだが、友田は今回の事では頭を痛めていた。
友田は当初、和田美智子は何者かに襲われて、そのショックで意識を失っただけと軽く考えていた。血液検査の結果を見ても、何らかの薬物を投与された形跡も診られなかったし、襲われたとはいえ、身体に外傷らしきモノも見つけられなかったからだ。
ところがである、いくらショックを受けて意識を失ったとはいえ、事故からまるまる一日が過ぎた今に至っても、和田美智子が意識を回復する様子が見られなかったのである。
確かに、精神的なショックなどで何日も意識を回復しない者もいるのだが、今回の患者は財界でもかなり実力があり、また、個人的にも付き合いのある和田道広の娘、和田美智子である。
別に、友田総合病院に非があった訳ではない。
倒れた場所は佐久間学園の寮の中であったし、運ばれてきてからの処置や検査にも手落ちはなかった。
しかし、ここまで意識を回復しないのは些か問題だった。
友田は和田道広に対して、『心配は要りません、意識もじきに回復するでしょう……』と、答え、一通りの検査以外の精密検査を行わなかったのである。
外傷は見あたらなかったとは言え、精密検査を行えば、何か違った原因が見つけられたかも知れない。
和田道広から、その点を問いただされたならば友田としては立場が無い。
それにしても、和田美智子が意識を回復しない原因は、一体何があったと言うのだろうか……
友田は院長室の深い椅子に腰を掛けながら頭を悩ませた。
今からでも―――友田は精密検査を行なおうと思った。
明日にも、和田道広が病院に到着する。その前に、尤もらしい答えを出す為にも、和田美智子の精密検査を執り行なっておいた方がキズは浅くて済む。
友田が、和田美智子の精密検査を決めたとき、ドアをノックする音が聞こえてきた。
コンコン―――
院長先生、例の患者さんに面会の方が訪れていますが……
声の主は、友田が気を許す看護師の一人だった。
少々問題のある患者や、病院内でも秘密裏にしておきたい事などを任せるため、多少鼻薬を効かせている看護師の一人で、例の患者とは、もちろん和田美智子の事をさしている。
学園の関係者ならば和田美智子が未だ目を覚ましていない事を知っているのだから、直接自分の所に来るはず……それを本人に面会したいと言う事は、大方学園の同級生か何かだろう。
「お見舞いならば、事前に話している通りに帰って貰いなさい」
和田美智子の意識が戻らない今、別に病室に入れるくらいは問題ないのだが、学園の生徒なら、帰った後に彼女の様子を語るだろう。変な噂でも流されて、彼女が学園に復帰する際、居づらくなる事はなんとしても避けたい。
友田は最初からそう考えて、学園の生徒などのお見舞いは全て遠ざけていた。
「あの、それが……」
その事を知っている筈の看護師が、まだ何か言いよどんでいた。
「何かあったのかね。とにかく入りたまえ」
「はい……失礼します」
その看護師は、院長室へと入ると少し緊張した面もちだった。
「どうしたのだね?」
友田は看護師に尋ねた。
「はあ、あの、学園の生徒だか分かりませんが、この様なモノを携えてきまして、面会させて下さいと、言ってきています」
「これは?」
友田は、看護師から一枚の手紙を受け取った。
「和田大造氏が特別に会わせるように?」
なんだと言うのだ一体?
「はい、それでどうしたモノかと院長先生に取り次いだのですが」
「しかし……」
「あの、和田氏に電話で確認されてみては?」
「そんな事は分かっとる!」
友田は知らず、声を荒げていた。
「いや、すまん。そうだな、とにかく確認してみよう。その……」
「はい、女性の方です。まだ15・6の高校生の様ですが」
「そうだな、その娘には、応接室で待たせておいてくれないか」
「分かりました」
看護師は、これ以上友田の機嫌を損ねたくないのか、早々に部屋を後にした。
「君が和田美智子君に面会したいと言う娘かね」
「はい」
友田は、看護師が去った後、早速和田大造へ連絡を入れていた。
「和田氏に確認を取ったが……しかし、未だ美智子君は目を覚ましていない状態でね、病室に入ったとしても会話などは出来ないのだが」
「それで結構です。それに、先生にご迷惑をおかけする事はいたしません」
「いや、別に迷惑がかかると言う事はないのだが……」
言葉とは裏腹に、友田は目の前の娘に警戒心を抱いていた。
「今はショックから目を覚まさないだけで、彼女には別に危険は無いのだが、少しデリケートな状態である事は事実なのでね」
「ええ、先生の危惧も充分承知いたしております。彼女に、特別何をすると言う訳ではないのでご安心下さい」
……
正直な事を言えば、和田美智子が意識を回復するまで、外部の者と面会させる気はさらさら無かった。当初の考えと違い、あまりにも美智子の意識が戻らない状態が続き、状況が把握できない時点でこれ以上何らかの失点はなんとしても避けたいと思っていた。
とはいえ、和田大造との話では、目の前の少女を会わせない訳にはいかない。
「―――ですが、未だ目を覚まさしていない状態で、娘さんに会わせるのはどうかと……」
「それでも構わん。榊乃亞と言う女性が来たら、娘へ面会させて貰いたい。別に君の事を責めている訳ではない。原因は学園の寮で起きた出来事だ」
「……分かりました。では、その榊乃亞と言う娘が来たら、美智子君に面会させればよろしいのですね」
「そうしてくれたまえ」
「面会の時間はそれ程長く取れないが、それでも構わないかね」
「はい、5分ほどいただければそれで」
「……それでは案内しよう」
「お願いいたします」
友田は、重い腰をあげた。
つづく