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古神道  作者: ATS
3/12

其の三:兆し

―兆し―


「そう、じゃあやっぱり、君もそれ以上の事は分からないんだね?」

「はい……美智子とは10時に別れて、それからあの騒ぎがあるまで会っていません」


 菊池はさっそく事件の調査を開始していた。

 赤岡の信頼に応えたいという気持ちもあったのだが、自身、難しい問題に直面すると逆に闘志がわいてくる性格なのである。それに、問題に対して早め早めに行動しないと気が済まない……そんな性格も手伝っていた。


 そんな菊池が一番最初にした事は、もう一度、あの夜の事を当事者達へ聞き直す事だった。

 人間の記憶と言うモノは面白く出来ている。記憶は、時が過ぎるに比例して薄れて行くモノだが、直前の映像を全て思い出せるかと言えばそうでもない。

 特に学習の為の記憶では、一度時間を置いた方が理解度が高くなる場合もある。それと同じ事かは解らないが、冷静になった今だからこそ、思い出す事があるかもしれない──と、菊池は考えていたのだ。

 しかし現実には、そうそう都合良く行くわけではなく、あまり成果は上がらなかった。

 和田美智子と一番仲が良く、事件の第一発見者でもある国府田雅美なら何か心当たりがあるかとも思われたが、彼女は叫び声に気が付いて飛び出しただけで、それ以前の事は全く知らないと言うのだからしょうがない。

 国府田雅美に期待していた部分もあったのだが、どうも、そう簡単に行きそうになかった。


「最近、和田美智子君が悩んでいるとか、そう言った話は聞いたことは無いかい?どんな些細なことでも構わないのだけれど」

 それでも一応、多角的に情報は収集しておくべきだ。

「美智子が悩むなんて、そんな事は絶対に無かったと思います。確かに誰でも悩みの一つや二つあるかも知れないけど、勉強だって常に上位だったし、経済的な面で悩むような家じゃないし……そんな事で悩むんだったら、よっぽど私の方が悩み事が多くて夜も眠れません」

 雅美は冗談のように言ったが、友人の事が心配なのか顔は笑っていなかった。

 菊池はそれからいくつかの質問を続けたが、結局、収穫になるような話は聞くことが出来なかった。いや、和田美智子がノイローゼになるような悩みを持っていなかった事が分かっただけでも収穫だったのかも知れない。

 つまり、和田美智子が、自身の問題であの様な騒ぎを起こしたのではなく、何かしらの外的要因が引き金になった可能性が高い事が分かったからである……


 しかしそれは、菊池や学園に取って望まない結果だ。

 これはやっかいな事になるかも知れない――この時菊池は、最悪のシナリオも考えなくてはならないと思っていた。和田美智子自身の問題でないとすると、やはり暴漢の説が浮上してくるからである。


 菊池は国府田雅美からの話をあきらめると、今度は和田美智子の部屋の調査をする事に決めた。

 本来ならプライバシーに関わる面からも、菊池自身のポリシーからも気の進む事では無いのだが――菊池は、和田美智子が未だ意識を取り戻さず眠りに付いている時、電話で彼女の父である和田大造に、部屋を調査することの了解を得ていた。

 後々になって気変りをされたり、和田美智子自身が事件の真相を隠してしまわないかを心配してのことだった。

 こういった先々の事を、菊池は時として行き過ぎの様に思われても手を打っておくタイプなのである。


 事件のあと、部屋には誰も入れない様にと鍵を掛けてあった。部屋に入るには、寮の管理人が持っているマスターキーか、菊池自身が持っている鍵を使うしか無い。

「これも調査の為には必要な事だ──」と、菊池は自分を納得させる為か、小さく声に出してから、一呼吸置いてゆっくりと鍵を回した。


 佐久間学園の寮は、寄付金が十分に集まる事もあって生徒一人ずつに個室が与えられている。広さこそそれ程でもなかったが、クローゼットは備え付けのものがあったし、冷暖房はセントラルヒーティングによる集中管理。各部屋にはユニットバスも付いていて、下手なビジネスホテルよりも設備が良い。

 ベッドと机、それから小さいテーブルを入れればくつろげるスペースも限られてくるのだが、部屋に入って一番最初に思ったことは、和田美智子の部屋は整理されていて、手狭な感じを受けない清潔感のある部屋であると言う事だった。

 次に、芳香剤なのかそれとも香水からなのか、上品な柑橘系の香りが漂っていると言う事。

 菊池は罪悪感を感じたが、調査のためだ――と、自らを奮起させて部屋の中へと足を踏み入れた。


 さて、どうしたものか……

 今まで色々な事をやってきたが、この様に、他人の部屋で刑事の真似事をした経験などはない。調査する手順も分からなければ、警察の様に証拠を分析する手段も持ち合わせていない。

 菊池は部屋の入り口で立ち止まり、どこから手をつけて良いものか考えを巡らせた。

 少し、事件の事を振り返ってみるか――菊池は今までに分かっている事を整理する事で調査の糸口を見つけられるかも知れないと、これまでの事を思い返してみた。


 事件が起きたのは昨晩。理由は分からないが、何らかの原因によって突然、和田美智子が騒ぎを起こした。国府田雅美が取り押さえるのにだいぶ苦労したと言うのだから、彼女は相当混乱していたのに違いない。

 薬物かとも思ったが、それは考えられなかった。

 事件の様子を聞く限り、和田美智子の抵抗は激しかったという。

 薬の知識などは無いが、そんな激しい反応を見せる薬を使用したならば、美智子自身、薬を使った痕跡を消す余裕など無かったハズである。

 事件直後、国府田雅美を除けば誰もこの部屋に入っていない。

 和田美智子を庇うために、国府田雅美が証拠を消したとも考えられないが、収容した友田病院では血液検査もしているハズで、嘘は遠からず判明する。


 では何が原因なのか──


 和田美智子が病院に運ばれる際、着替えを持たせようと国府田雅美がこの部屋に入ったとき、彼女の部屋は窓が開いていた以外に変わった様子は無かったと言う。

 それは本当の事だろう。現にこの部屋は良く整頓されていて、和田美智子のきれい好きな性格が伺えた。


 では何が──


 菊池は部屋の中で、仁王立ちになりながら考えを巡らせていた。

 そうだな……やはり薬物の可能性は低いに違いない――和田美智子の性格や状況から考えても確信を持てる。

 しかしそれは、事件が最悪な方向に向かっているに過ぎない。

 なぜなら、ますます暴漢の可能性が高くなるからである。


「一つ……確認しておくか」


 菊池は最悪なシナリオが可能であるのかを確かめるべく、部屋の窓へと歩を進めた。

 窓の庇である。

 部屋の窓を開け、窓枠に手をつきながら身を乗り出してみる。

 見れば、窓枠から足場となる下の庇までは1メートル程の高さあったが、そこに降り立つ事は容易に出来そうに思えた。

 庇の大きさは、窓よりも少し大きめに作られている。

 窓は、比較的大きめに取られていて、横幅は2メートル程だろうか、庇の幅はそれよりも心持ち長い。そして、隣の部屋の庇までは、大体50センチ程度の空間が空いていた。

 庇の出っ張りは約30センチ。人間が立って歩くには十分なスペースに感じられる。耐重性に関しては何も問題がない。建設業者への問い合わせで、庇はコンクリート製で、十分な重さに耐えられる作りになっている事を確認していた。


 しかし……本当にここから犯人が逃げられたのであろうか?

 菊池は改めて五階の窓から庇を眺めたが、半信半疑になってしまった。

 確かに、高所で作業する人達は、命綱もそこそこに狭い空間だろうが自由に行き来している。とは言えこの様な庇を伝い、わざわざ中央部に近い和田美智子の部屋まで行くものだろうか?

 そうだ、もしその様な人間が居たとして、犯人は一体、どこから庇に飛び移ったのだろう?

 考えられるのは、非常階段からこの庇に飛び移る事だが……菊池は窓から顔を出し、左側にある非常階段の方を確認した。

 美智子の部屋はちょうど寮の中央部分に位置していて、非常階段からは結構な距離が見て取れる。

 確かに、非常階段から庇を伝ってこの部屋に飛び移れない事も無いが……菊池はあらゆる可能性を考慮に入れようと考えた。しかし、一方でどうしても納得が出来ない事も事実だった。


 どうして和田美智子の様な、一番中途半端な位置にある部屋に潜り込んだのだろうか? もし襲う覚悟で進入するならば、一番近い場所を選ぶハズではないか?

 たまたま、和田美智子の部屋の窓に、鍵が掛かっていなかったからなのだろうか……

 いや、それにしてもやはり不可解である。

 菊池はもう一度、庇を確かめてみた。

 別に高所恐怖症と言う訳ではなかったが、それでも、五階の窓から下を覗くと高さを感じる。人間が一番恐怖を感じるのは、これくらいの中途半端な高さだと聞いたことがあるが、それを実感できた。

 この高さの中、決して広いとは言えない庇の上を長距離移動できるのだろうか……自分だったなら、隣の部屋に行くのが精一杯だろう。

 菊池は素直な感想を持った。

 するとその時、菊池の中で急速に一つの事が思い浮かんだ。


――そうか、隣か!!


 そう、隣の空き部屋の事であった。

 そうか、もし犯人がいるならば、あの騒ぎをやり過ごす為には隣の部屋に隠れていれば良い。

 あの場合、犯人がいると思う者はいなかっただろうが、もしそうなったとしても、誰も空き部屋の事を調べはしなかっただろう。

 そして犯人は、騒ぎが収まった頃を見計らい、悠々と部屋のドアから外に出れば良いのだ……

 菊池はこれまでの疑問が、全て溶けきってしまったかのような興奮を憶えた。

 思わず握りしめた拳に力が入る。

 が、しかし、それは菊池や学園側が、一番考えたくない事であると気が付いて愕然とした。

 もし、もしも犯人が、隣の部屋から出入りしたのだとしたのならば、それは学園内部の者としか考えられないではないか。しかも、教師や寮の管理人などの犯行だとしたら――この考えに行き着いた瞬間、菊池は膝が震えて立っているのも危うくなった。

 可能性から言えば薬やノイローゼなどよりも断然高い。

 しかもそれが、教師や寮の管理人の犯行であるならば、佐久間学園の存亡に関わる一大事である。

 そう、特殊な学園だけに命取りなのだ──菊池は事の重大さを感じずにはおれなかった。


 しかし一体誰が?


 菊池は窓枠に手を付いてうなだれた。

 すると、どこからともなく、誰かの視線が自分に向けられている気がした。

 今は授業時間中で生徒は誰もいないはずである。しかも寮の窓は、学校の方向とは逆の、裏山の方へ向かって取り付けられている。裏山には確か、小さな社が建っていると言うことだったが……菊池はもちろん行ったためしもないし、生徒達の中には、そんな建物があること自体知らない者が多い。


 しかし菊池は、そんな山の方から視線を感じたのである。

 単に気のせいと言われればそれまでなのだが、どうにも気になって仕方がない。菊池はどうしても放っておく事が出来ず、しばらく視線の元を探していた。

 すると──そこにある一人の男の姿を発見した。


 アレは……宇賀神先生か?


 遠目であることもあって少々ハッキリしなかったが、それでも菊池は、裏山に続くけもの道の様な所から、こちらに向かって視線を向ける男を宇賀神勇うがじんいさむだと確信する事ができた。

「嫌な者を見た……」

 菊池は宇賀神の事が嫌いだった。

 一応「先生」と呼んではいたが、それは生徒の手前からであって、本来ならば名前を呼ぶことすら遠慮したいと思っている程である。

 それには色々と理由があるのだが、一番の原因は宇賀神の性格にあった。

 宇賀神の性格は暗い……いや、暗いだけならばまだ良いのだが、何を考えているのか分からないと言ったタイプだった。自分の意見を何も言わず、影で勝手にひねくれる性格なのだ――菊池は以前にあった出来事を思い出していた。


 その昔、ある期限までに提出してもらわなくてはならない書類があったのだが、宇賀神の分だけがなかなか出て来なかった。菊池は事務処理の為にその書類がどうしても必要だったので、仕方なく宇賀神に書類の提出を促したのだが……それに対して彼は、理由なく逆恨みをしたのである。

 もちろん宇賀神の方に非があるのは明らかである。

 ところが彼には、自分が悪いと言う感覚が全くないのか、提出を促しただけの菊池に、敵意の籠もった視線を送るようになったのだ。

 それも、どこか異様な目つきなので、菊池は今思い出しても気分が悪くなった。

 菊池の中に、あの時の異様な視線を送る宇賀神の姿が蘇ってきた……そして、それと同時に不安の炎で胸が押しつぶされそうな感覚に陥った。


――まさか奴が?


 その考えに思い当たった時、既に、宇賀神に対して先生と言う敬称を使う気も起きなかった。菊池の心の中では、急速に宇賀神が犯人であると言う考えが固まっていたからである。

 何事にも慎重をきする菊池であったが、これだけは自分の直感を信じて良いと思った程、その思いに迷いは無かった。


 いや、絶対に関係しているに違いない──教師なら部屋の鍵を複製する事も簡単に出来るし、たとえ寮内を歩いていたとしても、見回りと言えばどうとでもなる。

 菊池の思考は宇賀神を犯人と仮定したとたん、ドンドンと回転して止まらなかった。

 手にはじっとりと汗をかいている。


 そうだ、そうに違いない――菊池は口にだして呟きながら、宇賀神のいる場所へと視線を戻した。

 すると、もうそこには宇賀神の姿は無くなっていた。


――消えた?


 まるで手品のように姿を消した宇賀神に、菊池は得体の知れない恐怖の様な感覚を憶えた。

 まさか本当に消えてしまったのか?

 そんな馬鹿な……いや、そんなハズはない、きっと考え事をしていたから、奴がどこかに行ったことに気付かなかっただけだ。そうに違いない。

 菊池は不安になる気持ちを抑えるために、そう思いこむことにした。


 そうだ、早急に隣の部屋を調査しなくては……


 何事も即時に実行する菊池が、和田美智子の部屋を出たのはそれから10分も後の事だった。



つづく


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