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古神道  作者: ATS
2/12

其の二:始まりの夜

―はじまりの夜―


 和田美智子が壁掛けの時計に目をやると、針は後少しで10時を指そうと言うところだった。

「あら、もうこんな時間なのね」

 夕食後、友達の国府田雅美に誘われて、彼女の部屋で紅茶を楽しんでいた美智子だったが、佐久間学園の寮では10時以降は自室に戻っていなくてはならないと言う規則がある。

 そろそろお茶会もお開きの時間なのであった。

 そんな美智子の声につられ、雅美も時計に目をやると

「本当だ……早いよね10時なんて」

 と、未練たっぷりの言葉をはいた。

「でも仕方ないわ、寮規なんですもの」


 私立佐久間学園に通う生徒は、地元の生徒とごく一部の例外を除いて、全員が寮に入って生活をしている。寮には昔ながらの規則があって、生徒はそれを遵守しなければならなかった。

 とは言え、今時の高校生に取って、夜の10時などはまだまだ宵の口にもならない時刻である。雅美にしてみればただでさえ娯楽の少ない寮での生活、寮規の遵守よりも、退屈な時間をいかに過ごすかの方が大問題であった。


「ね、もう少し寄ってかない?別に見回りが来るわけでも無いんだし……」

 そう、寮規とは言うモノの、別に教師達の見回りがある訳ではない。全ては生徒達の自主に任されている。

 よって、規則を真面目に守っている生徒もいれば、そうでない者もいるのだが、和田美智子に関して言えば雅美の誘いに乗る事はまず無かった。

「ごめんね、私ももう少しお邪魔していたいんだけど、少しが少しだけで終わりそうに無いから……今日はもう戻るわ」

「もう、美智子は優等生なんだから」

 雅美はわざとらしく頬を膨らませたが、その実、和田美智子は本当に優等生だった。


 佐久間学園は、各界の有力者や旧華族と言った家柄の令嬢子息が集まる事で有名なのだが、美智子はまさに、その代表的な存在だった。

 美智子の父である和田道広は、経済界では知らぬ者の無い資産家であり投資家で、資産総額は何十億とも言われている。しかも家柄は、江戸時代から続く旧華族と言う格式を持ち、佐久間学園の中でも指折りの中に入っている。

 そんな家に育った美智子は、父親の道広から『自由奔放に育てすぎてお転婆が直らない』などと言われているモノの、どうして、学力は常に学年上位に顔を出すし、お茶やお華はもちろん、礼儀作法などにも一通り精通した立派なお嬢様であった。

 とは言え当人は、そんな事などおくびにも出さず、誰とでも明るく気さくに付き合う。そんな性格の良さは、男女を問わず好かれる要因となっていた。


「それじゃ、また明日ね」

 雅美のわざとらしい表情につられて微笑みながらも、やはり美智子は腰を上げる事になった。

 背中まで届くセミロングの黒髪が軽く揺れる。

「ま、しょうがないか」

 雅美も今度は引き留めなかった。

 雅美は江戸っ子の父親に育てられたからか、こう言った時に、未練たらしい事を引きずるような事は無かった。たとえ一度は引き留めようとしても、他人に無理強いする様な事はしなかったし、気持ちの切り替えも早く出来るのである。

 雅美は美智子の様に財閥の出でも無ければ華族と言う訳でもない。性格も父親の血を引き継いだのか、佐久間学園では珍しくチャキチャキの江戸っ子と言った活発な女の子で、性格の通りに髪の毛も短めにしている。

 こんな正反対の様な性格の二人だが、和田美智子には、そんな雅美の竹を割った様な性格と常識をきちんと持ち合わせているところが性に合うのか、入学してからのつき合いで、既に何年も一緒に過ごしてきた様な親友同士の関係になっていた。


「それじゃまた明日。気を付けてね―――」

 二人の部屋は、空き部屋を挟んで二つしか離れていないのだから、気を付けるも何もないのだが、雅美はドアの外に出て美智子を見送った。

 コレはどちらが遊びに行ってもそうなのだが、お互いが、お互いの部屋の中に入るまで見届けるのが習慣になっていたのである。

 その日の夜も、いつもの様に雅美は美智子を見送った。

 じゃあね―――と、美智子も手を振り返す。

 そして二人は、お互いがお互いの部屋の中へと入るのを見届けたのであった……



「なんだか、外が騒がしいな……」


 雅美が異変に気が付いたのは、明日の予習をしていて、ちょうど一息入れようかと思った時だった。

 寮規が緩いとはいえ、学力試験まで優しいわけでは無い。

 むしろ佐久間学園は試験に関しては厳しい方で、結果如何では直ぐにでも補習などの罰が待っている。それだけは避けようと、雅美は嫌々ながらも勉強していたのだった。

 10時を少し回ってから始めたから、ちょうど一時間。一つの教科が終わり、キリの良い時間と言う事もあって紅茶でも飲もうかと思った時だった。

 紅茶通の美智子からもらった高級な茶葉を使おうと、電子調理器の上にポットを載せた時である。廊下から、何やら人の悲鳴の様な音が聞こえてきたのであった。


「な、なんかあったのかな……」

 学園の寮では大きな声を出して騒ぐことは禁止されている。第一、この寮の中でそんな事をする生徒は居ないはずである。

 雅美はその騒ぎ声が気になって、外の様子を確かめようとドアのノブに手を掛けた――瞬間、今までの様な騒がしさとは違い、緊迫した声が飛び込んできた。


「イヤァ――!!」


 夜の静寂を切り裂くかの様な悲鳴に、一瞬、ドアノブに手を掛けたまま固まってしまったが、次の瞬間、雅美は一気に部屋の中から飛び出した。


「み、美智子!?」

 驚いた事に、そこには、怯えながら必死に何かから逃げ出そうとしている和田美智子の姿があった。

「どうしたの美智子!」

 雅美が近寄ると美智子は、今度は大きく手を振って、何かを追い払おうとしている。

 その激しさは、見ていて異様だった。

 目の前にいる自分の存在には気が付かず、何もない空間に向かってうつろな視線を向けて大きく手を振りながら、何かを追い払おうとしている姿はどう見ても異様としか思えなかった。


 しかし雅美は、辛うじて友人を助けなくてはという思いが働いたのか、まずは美智子を落ち着かせようと、振りかざす手を押さえ込もうとした。

「ちょ、ちょっと美智子、落ち着いて!!」

 しかし、必死で抵抗する人間を押さえ込む事は至難の業である。巧く押さえることが出来ない。


──ど、どうしたって言うの!?


 雅美は、彼女がどうして怯えながら悲鳴をあげているのか解らなかったが、とにかくこのままでは埒があかない、取りあえず落ち着かせようと、美智子の手を押さえ込もうとした……しかし、抵抗が思いの外大きく上手く行かない。

 体格的にはあまり変わらない雅美だったが、美智子の力が思いの外強かったのだ。

 と、とにかく落ち着かせなきゃ……でも手を押さえたのじゃダメだわ―――雅美は美智子の抵抗があまりにも激しかったので、手を押さえる事を諦めた。その代わり、美智子の体を強く抱きしめてとにかく座らせようとした。


「美智子、落ち着いて!美智子!!」

 雅美が耳元で大きな声を出したが、しかし美智子は一向に落ち着く様子を見せない。


「解る?私よ美智子!ね、落ち着いて」

――この騒ぎに、他の寮生達が気が付かないはずはない。しばらくすると、各部屋から何人かの生徒達が顔を出してきた。

 がしかし、美智子の異様な様子を見て状況が掴めなかったのか、誰もどうして良いか解らずに、近づく事も躊躇っている。

 そうこうしている間にも、美智子は何かに抵抗するかのようにうめきながら、大きく体を左右に振り続けていた。


「先生を呼んで来て!早く!!」

 たまらず雅美が叫ぶと、三人の同級生達が階下に走った。

「美智子、解る?私よ、落ち着いて!ね、とにかくもう大丈夫だから!!」

 周りに集まった者の中には好奇の目を向ける者も居たが、そんな事はお構いなしだ。雅美は美智子に向かって呼びかけ続けた。

 すると美智子は、一度体を大きく揺らしたのち、一気に体の力が抜けたかと思うと、そのまま気を失った。


 私は私よ……誰のモノでもない───


「なに?美智子!私は私ってどういう事?」

 雅美は、和田美智子が気を失う直前に、そう呟くのを聞いた気がした。




「以上が、和田美智子の親友であり、今回の騒ぎに居合わせた国府田雅美および、周囲で見ていた生徒達の話をまとめた結果です」


 場所は学長室、赤岡は寮で起きた事件の報告を受けていた。

「その後、生徒達に呼ばれた真鍋まなべ先生が対応し、一端は保健室で様子を見ていたのですが、和田美智子が一向に目を覚ます気配が無かったので、急遽救急車を呼んで友田総合病院へ搬送したと言う事です」

「そうか……やむを得まい、生徒の体の方が大切だからな。で、ご両親への連絡と友田院長へは?」

「はい、ご両親への連絡は友田病院へ搬送された時点で完了してあります。それから院長先生へは、この事が外部に漏れない様に話を付けておきました。もっとも、和田氏と院長先生はお知り合いだとかで、その点は、先生の方が心得て下さいました」

「ありがとう。それで良い」

 赤岡は革張りの椅子に、深いため息と共に身を沈めた。


 報告しているのは、佐久間学園で事務をしている菊池という青年だったが、赤岡が信頼を寄せるだけあって、的確な対応の仕方だった。

 細かい所まで気を遣い、何より迅速に対応するのが良い―――今回の事に関しても赤岡は菊池の対応に満足していた。

 しかし……それで事件の処理が終わったわけではない。

 赤岡はこれからの事を考えると頭が痛かった。


 佐久間学園は古くから続く全寮制の、知る人ぞ知る名門校である。

 各界の実力者や、旧華族と言った家柄の生徒が集まり、それがまた評判を呼ぶのか、決して安くはない入学金や寄付を払っても多くの入学希望者がいた。

 少子化の昨今、名門と呼ばれる私立校でも生徒を確保するのは難しくなっているのだから、そう言った点、佐久間学園は恵まれていた。

 しかし、だからこそ今回の様なトラブルは致命傷にもなりかねない。

 名門と呼ばれる家系が一番に気を遣うのは体面だ。

 それは古ければ古い程に異常なまでの執着を持ち、そしてそれに対しての嗅覚も鋭かった。だからこの様に、事件と呼ばれるモノが一番嫌われるのである。

 噂とは怖いモノで、一度悪い噂が立つとそれは瞬く間に世間に広がる。

 しかも噂は、人々の想像や思惑によって勝手に一人歩きし、ドンドンと悪いイメージばかりが強調されてしまうのだ。

 もちろん、システムの面で不備があるのならば学園側が悪いとも言えるのだが、生徒個人が引き起こした事件でも、学園の責任を問われる事がある。

 なので、今回の様なケースではキチンと原因を究明し、早急にしかるべき対処をしておかなくてはならない。

 赤岡はその点の処理の仕方には自信があった……が、現時点では情報が少なすぎて手の打ちようがない。

 和田美智子が意識を回復するのを待ち、本人から事情を聞くのが一番なのだろうが、それだけでは済まないのではないか───と、赤岡は彼自身の持つ勘がそう囁くのを感じていた。


「それで……和田美智子君の容体は?」

 本来ならば一番最初に確認しなければならない事であったが、だからこそ、聞くのが怖かった。なぜなら、和田美智子が変質者などの何者かによって襲われたのではないか?―――と、そう思ったからである。

 もしその予想が当たっていたならば、学園始まって以来の大事件であるし、正に命取りともなりかねない出来事である。

 全寮制の学園にとって保護者への信頼感を失う事は死に等しい。赤岡が確認するのを躊躇うのも、そんな恐怖感からだった。

 菊池もその点に付いては十分理解しているのだろう、昨晩、美智子が病院へ搬入された時点で直ぐに駆けつけていたし、今日の朝も、病院へまわって彼女の容体を聞いていた。

「はい校長、その点に付いては心配無いそうです。今はまだ、意識を回復していませんが、彼女に外傷らしきモノはなく、昨晩の騒ぎの時には衣服に乱れた形跡がありましたが、それは取り押さえる時のものと言うことです」

「う〜む……」

 赤岡は、ひとまず最悪のケースだけは回避出来たという安堵のため息を付いたものの、事件の事を思うとやはり気が重かった。

「菊池君、それで彼女が今回の騒ぎを起こした原因は、何か分かったのかね?」

「いいえ、そこまでは」

 それもそうだろう、昨晩の事件は突発的な出来事であったし、逆に、短い間でこれまで状況を把握している菊池は、まこと優秀と言って良かった。

「しかし……」

 菊池は、彼にしては珍しく語尾を濁した。

「しかし?―――何かあったのかね」

 そんな菊池の態度に、赤岡の不安が増した。

「いえ、和田美智子が病院へ搬入される時、国府田雅美が彼女の部屋に着替えなどの必要なものを取りに入ったらしいのでが、その時、部屋の窓が全開になっていたそうです」

「窓が全開に?それが何か問題なのかね」

 赤岡は意味が判らず問い返していた。

「はい。まさかとは思いますが、もし犯人がいた場合、窓から逃げた事も考えられます」

「しかし……確か和田美智子君は一年生だろう、部屋は寮の最上階。5階の中央に近い所だと聞いているが、その高さで考えられるのかね?」

「考えられない事でもありません。窓の外には、ちょっとした庇が出ていて、気を付ければ人間が動き回る事も出来ます」

「だが、庇はそれ程幅があるわけでは無いだろう。それに、隣の部屋の庇とは間があいているし、一時的に身を隠す事が出来たとしても、そこから逃げ出すことは困難だと思えるが……」

 赤岡は寮の建設にも関わっていたから、庇の状況が手に取るように判っていた。

 寮の庇はしっかりしていて、一時的に身を隠す程度ならば問題は無い―――ただし、隣の部屋の庇へは、ちょうど50cm程度の間があいているのだ。

 地上での50cmならば大した距離ではないが、5階という高さで、しかも狭い庇の上では並の距離ではない。余程高い所に慣れた者でなければ、とても移動出来る距離とは思えなかった。


「ですが、可能性としては完全に無いとは言い切れません」

 菊池にしても信じられないという思いの方が強かったのだろうが、彼は、問題を調査する上で、どの様な可能性でも考慮に入れなくてはならないと考えている様だった。

「もしも今回の事件を調査するのでしたら、多角的な視点で行うべきだと思うのです」

 確かに、世の中には常識で計れない事もある。

 赤岡のような立場にいると、無意識に常識に捕らわれたり、学園の都合の良い方向で物を考えがちで正しい判断が出来なくなりがちだった。

「うむ、君が言いたいことは解った。どちらにしても、今回の件は徹底的に調査して原因を究明し、何らかの手を打たねばなるまい」

 この時既に、今回の件はこの男に調査させよう―――赤岡はそう思っていた。

 事件が起きてからの対応や処理のしかた、原因に対しての考え方を見る限り、菊池は実に優秀な人間だと評価を新たにしたからだ。

「菊池君、本来の仕事からは外れると思うが、今回の件は君に調査してもらいたいのだが」

 赤岡としてはこれ以上無い人選だったし、菊池にしても望んでいた節がある。


 全力を尽くします―――と、菊池は自信溢れる顔で答えるのだった。




つづく


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