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古神道  作者: ATS
1/12

其の一

―往く者―


 街は都心から離れているものの、意外と利用客の多い駅を中心としてそこそこの賑わいを見せていた。とは言え、大都市の様な不夜城の街という訳でもない。

 賑わいを見せる地域は駅周辺の一部だけで、少しでもそこを外れれば、途端に喧噪とは無縁の静かな住宅地に出る。

 そして、さらに車を走らせれば、10分も経たない内に山間の寂れた風景へと変化する、そんな多面性を持つ街であった。


 しかしそれは街の一つの売りでもあった。

 駅から15分という手軽さで雄大な自然の残る山々を満喫する事が出来ます ───という宣伝文句の通り、手軽に山へと出られるからである。


 山は街を北側からぐるりと取り囲む様にして連なっていて、春には新緑が目にまぶしく、秋には紅葉が燃える様に鮮やかで、それを楽しみに散策に来る者も少なくない。


 ただし、それらを楽しめるのは山の入り口付近だけで、山の麓まで来ると、実際に登ろうとする者は少なかった。

 それは、山にどこか人を拒む気配があったからだった。


 確かに遠くから見れば山は綺麗であった。山間を、ゆったりとしたカーブを描きながら流れる清流も見る者の楽しみの一つである。

 しかし、山に近づけば解るはずである。いかにこの山々が険しいかが。


 雄大な自然を湛える緑の山───は、言い換えれば光すら通さぬ程の森深き地であり、整備されていない場所も多くて人を拒む黒き樹海のごときであった。


―――不気味


 とは違うのだが、どこか容易に近づく事をためらう……そんな雰囲気を湛えているのだ。


 そんな山々へ抜けるには、清流と平行して走る道を行く。


 清流は街のもう一つの象徴となっているだけあって、豊富な水量と透明度の高さは相当のものがあった。

 途中、何度か支流に分かれたり合流したりと、幾筋かの流れが絡まりあうのだが、それがまた自然の妙を醸し出していて美しい。


 そんな清流は大きく分けて三本の流れから成り立っていて、それぞれに車が通れる道が平行して走っていた。


 まずは一つ目の道。

 この道は途中何度か道幅が狭くなってすれ違いに苦労する場面があるのだが、都内の外れへ直接出られる利便さからか、まあまあの交通量がある道であった。


 二つ目は都内へ抜けるそれとは正反対に伸びていて、隣の市へと抜ける唯一の国道であった。この道は他の二つとは違い、国道と言うだけあって格段と交通量が多い。しかし、街と街をつなぐ重要な産業道路は交通事故も多く発生し、悩みの種となっているのも事実である。


 そして三番目の道だが、これは前出の二つとは少々毛色が違っていた。

 一応舗装もされ、バスなどの大型車同士では苦しいが、狭いながらも乗用車同士ならばすれ違う事も出きるきちんとした道であるのだが、その道を利用する者は極端に少なかった。


 それもそのはずである。道は、前述の二本の様にどこか他の地域へと抜けられる訳ではなく、純粋に山の麓へと出るだけの道だからである。

 その昔、街は林業が盛んな時代があったのだが、その時はまだ木材などの搬出で大層な賑わいを見せていた。しかしそれも、林業の衰退と共に街そのものも寂れていった。


 私立佐久間学園は、そんな道の終点から登る、山の中腹に位置していた。


 学園のある山の高さはどれ程であろうか。一応学園の前までは舗装された道路が整備されていて、学園前にはバスの転回所も用意されているのだが、頂上を目指すならばそこからは徒歩になる。

 山の麓から学園までは車で10分ほど。

 そこから頂上まで歩く場合、健脚の者でも小一時間程度はかかると言う。それ程の高さと言う訳でも無いが、さりとて簡単に登れる様な山では無い―――と言う山だった。


 周囲の山などでは建材用の杉が植林されていたが、学園を中心とした三つの山では落葉樹が多く、それこそ紅葉の時期には観光登山者がカメラを片手に結構な賑わいを見せる。

 ただし、大概の者が学園前のバス停まで来ると、さらに上を目指す様な事は無く、そのままバスに乗って帰っていった。

 バスで10分と言う道のりではあるが、実際に歩くと、斜面のキツさに音を上げる者が殆どであるからだった。

 そんな山であるから、佐久間学園の生徒は誰一人として徒歩で通う者はいない。もっとも、一部の地元生徒などを抜かして全寮制を取っている学園なので、通学の心配は無かった。

 ただ、土日を利用して麓の街や実家に帰っていた者が、終バスに乗り遅れて仕方無く歩くケースはあった。

 それこそ昔は、材木問屋やそこで働く者の為にバスの路線が多少なりともあったのだが、今では利用客の大半が学園の関係者で、山の麓のバス停止まりの便はいくつかあるモノの、学園前まで来る便は数本しか無い。

 よってそれを逃した生徒などが徒歩で登る事になるのである。

 これは地元の人間や、学園の関係者ならば誰でも知っている事であったが、不意の来訪者に取っては全く知らされておらず、生徒同様に後悔する羽目になる。

 佐久間学園は私立の有名学園と言う事もあって転校して来る者も多いのだが、それらは必ずと言って、学園までの道のりを徒歩で歩かされることになる。


 そして今日も一人、そんな山道を徒歩で行く少女の姿があった。


 五月の始めだと言うのに日差しが強く、山道を行けば直ぐにでも汗が噴き出して来るほどの暖かい日、少女は額に汗一つ浮かべるでも無く、楚々とした表情のまま学園へと向かって歩いていた。

 年の頃はちょうど高校生くらいだろうか、吸い込まれそうな程の漆黒の瞳と、同じく艶のある長い黒髪が、知的な雰囲気を醸しだしていた。

 少女は少し、年齢よりも大人びて見えるタイプだった。

 何かの習い事でもしているのか、スッ───と伸ばされた姿勢の良さが、大人びた雰囲気に拍車を掛けているのかも知れない。


 きっとあの娘も、知らずに来てしまったんだろう……

 男は過去の経験から、そんな少女の姿を見てとった。


 男は学園の購買へ納品している業者なのだが、年に何度か、この様に徒歩で登る者を見てきた。大概は転校してきた生徒とその親と言う取り合わせで、後は背広を着たセールスマンらしき者、登山者風の者、それぞれである。


「佐久間学園へ向かうんかい?」


 男は少女の隣に車を止めると「ここから学園までは結構あるんだ、良かったら乗っていくかい?」と、声を掛けていた。

 何度かこうやって徒歩で登る者を助けた事がある。

 大概の者が半分も行かない内に後悔するのを知っていたし、車の者が徒歩の者を乗せていくのが、地元では半ば暗黙の了解の様になっていたからだ。

 声を掛けられた少女は歩みを止めると、声の主へと向き直った。

 見れば、額に汗の一つもかいた様子がない。季節は春を過ぎたばかりで爽やかな気候とは言え、かなりの上り坂を徒歩で来たとは思えない程であった。

 少女はその顔と同様、涼やかな微笑みをたたえると

「ありがとうございます。ですが今日の様に清々しい日には、こうして森の間を歩きたいと思います。どうぞお構いなく」と言った。


 最近の若者にしては丁寧な応対をするものだ―――男は丁寧な受け答えに感心すると同時に、凛として良く通る声に、一瞬、背筋がゾクッとする様な何とも言えない不思議な感覚を覚えた。

「だ、だけど、ここからだとまだまだ遠いよ。見た目はなだらかで良いけど、学園へ着く頃にはこれが結構疲れるんだ」

 実はこの男もまた、山の麓から佐久間学園まで一度歩いたことがあった。

 これでも普段から歩く事には自信をもっていたハズなのだが、以外とこの先からが長い――男はその時の事を少女に語った。

「ご心配ありがとうございます。ですが、足には自信がありますので」

 しかし少女はそれでも大丈夫だと男の申し出を断っていた。

「そうかい? それじゃ無理にとは言えないな……ところで君は転校生?」

「はい、今日から佐久間学園へ転校して参りました」

「やっぱりそうか……いやね、佐久間学園は私立だから結構転校生とかが来るんだけど、中にはこの山道の事とか知らない親子がいてね。バスで下の雑貨屋までは来るんだけど、そこから歩かなくてはならないのを聞いて、わざわざタクシーを呼ぶ人もいるんだ。俺も何度かそんな親子を乗せたことがあってね、君もその口かと思ったんだよ」

 男がそう言って気さくに笑うと、少女もつられたように微笑んだ。

 それは近頃の女子高生の様に、大きな口を開けて所構わず下品な笑い声をあげるモノとは違っていた。少女は軽く口に手を当てると、愛想笑いとも思えぬ微笑みで答えるのである。

 いかにも絵になった。

 男はそんな少女の微笑みを見ていると、なぜだか清々しい、不思議な感覚に陥る。

 佐久間学園には金持ちの令嬢子息が多いって事だが、きっとこの娘はそう言う家の育ちなのかも知れない―――男は、少女の立ち居振る舞いに、どこか普通とは違ったモノを感じとっていた。


 しかし……どこかの令嬢にしても、余程礼儀作法に厳しい家に生まれているのだろう。普通の高校生ならば丁寧な物言いが逆に不自然に見えるものだが、この少女は全く自然で清々しい。スッキリとした美人顔に、黒く、癖のない長髪が大人びて見えるが、それがいかにも似合っていて好感がもてる。

 そして何よりも、真っ直ぐ見つめて来る瞳が吸い込まれそうなほどに―――男は一瞬、我を忘れて少女を魅入っていたが、五月の、一陣の爽やかな風に救われた。


「さ、さてと、それじゃ俺は先に行くけど……そうだ、君の名前とか聞いても良いかな? これから、学園で会うかも知れないしね」

 男は少女に魅入ってしまった事を誤魔化すかの様に、少し大きな声でまくし立てるようにしゃべっていた。

「ええ、かまいません」

 少女はそんな男を気にするでもなく、相手の瞳を真っ直ぐに見据えながら答えた。


 私の名前は―――榊、榊乃亞と申します。



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