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 雲一つない青空、暖かな春の風。

花々が咲き始め、木々の緑も濃くなる。

真新しいスーツに身を包んだ初々しい新社会人。

あぁ、こんな爽やかな朝のはずなのに、私の気分はどうよ?

凰士がプリンスに入社して、私と共に行動して一週間。

会社にいれば針のむしろに座らされ、外に出れば熱い視線を横に感じつつ、疲労を背負い込む。

あぁ、私の寿命はきっと短いわ。

「おはよう、白雪。今日も綺麗だね。」

 ご機嫌な登場の凰士を横目で見ながら、大きく溜息を零した。

「おはよう。」

 今までこんなに長く一緒にいる事はなかった。

休憩時間も入れ一日九時間以上、新入社員歓迎会や飲み会などの参加、奢るという言葉に負け食事に行った事もあり、心身ともに疲れは最大ピーク。

確かに学生の時は、学年が違ったから一緒にいても数時間。

休日に付き纏われてもそれは二日ほど。

連休に引っ付かれた時もあったが、これほど冷たい視線を浴びる時間が長くはなかった。

「出掛ける前にちょっと行ってくるわね。」

「行ってらっしゃい。」

 始業のチャイムが鳴る前に、私は席を立った。

相変わらず、呑気な凰士の声に送られながら。

「姫野さん。」

 女子トイレには、秘書課の面々。

確か、こっちのトイレは秘書課から遠いはずなのに、何故?暇なの?

一番偉そうな態度で私に声を掛けてきたのが、森美人もりみと

名前の通り、モデルをしていた本当の美人。

「何ですか?」

 私より二歳年長だから、一応敬語を使ってみたけど、嫌な態度。

無駄な気を使ったかしら?

「随分、凰士様と仲がよろしいみたいね。」

 あぁ、この人も凰士のファンなんだ。

「それが何か?」

「凰士様に近付かないで。凰士様も困っていらっしゃるわ。貴女にしつこくされると。」

「あら?貴女に困っていると凰士が言ったのかしら?初めて聞きました。直接言ってくれればいいのに、凰士ってば。」

「聞かなくてもわかるでしょう。」

「さぁ、今までと変わらないですよ。」

「それともこれに興じて、玉の輿を狙っているのかしら?」

「笑えない冗談は止めてもらえます?貴女方が狙ってらっしゃるんでしょう。私が邪魔だとはっきり仰ったらどうです?」

 何度もこんな因縁を付けられたかわからない私は、こんな事で負けていられない。

「でも、邪魔だと言われても私も困るんですけど。教育係を申し渡されましたし、幼馴染としての付き合いもあります。それでも近付くなと命令したいのなら、私じゃなく凰士に仰ってください。それに、こんな小細工しないと凰士に振り向いてもらえないのなら、さっさと諦めた方が宜しいんじゃありません?じゃあ、失礼します。」

 ここまで言われたら、私を止める事はしないだろう。

舐めるなよ、私はこんな事には嫌というほど慣れているんだよっ。

「あっ、白雪、遅かったね。」

 私の隣の席で無邪気な笑みを見せる凰士。

苛立つが、八つ当たりはしないぞ。

「トイレに煩いハエがいたのよ。」

 凰士が首を傾けながら、コーヒーを口に運ぶ。

あぁ、こんな大人ばかりの会社の中にさえ、あんな事をするバカがいるとは思わなかったわ。

こう考えると、凰士も可哀想なのかも。

小学校の頃からファンクラブがあり、凰士様なんて呼ばれて、アイドル扱い。

黄色い声援に囲まれ、日常茶飯事に熱い視線に晒されて…。

「白雪、もしかして、寝ている?」

 私の顔を覗き込む凰士。

あぁ、やっぱり同情なんてするんじゃなかった。

そんな事を気にするヤツじゃないんだ。

「寝てないわよ。」

 始業のチャイムが鳴り、部長の毎度同じ念仏を聞くようなのね。

「今日も元気に仕事を頂いてきましょう。」

 朝礼が終わった途端、凰士に手を取られ、半分引き摺られるように外に出る。

もう、どうでもいい。

好きにしろ。

「あのね、白雪。」

 きらきらと瞳を輝かせ、真っ直ぐに私を見つめる凰士。

「何?」

「最近、疲れているみたいだね。大丈夫?ちゃんと栄養摂って、休息しないとダメだよ。」

 アンタのせいでしょう。

って、毒気を吐く気力もないわ。

「あっ、そうだ。今日、家に寄りなよ。マッサージしてあげるよ。」

「何、マッサージ師がいるの?」

「あぁ、俺、一人暮らし始めたんだよ。」

「凰士が一人暮らし?料理とか掃除とか出来るの?大丈夫なの?」

「色々、教わった。大体の事は出来ると思う。」

「そう。随分、頑張っているのね。」

「白雪にそう褒めてもらえるのが一番嬉しい。だから、少し寄ってくれない?」

「本当にマッサージ、上手いんでしょうね?じゃあ、そのお礼に、凰士の好きなお好み焼きを作ってあげる。」

「本当?」

 瞳を一層煌めかせ微笑む凰士は、やっぱり小さな頃から変わらない表情。

「仕事が終わったら、ね。」

「うん、約束だよ。」

 こういう顔をされるとついつい甘くなってしまう。

ここが実の弟と違う可愛いところ。


 午後は内勤の仕事。

営業事務なる人がいる会社も多いが、私達はそれもこなさないといけない。

それを教え込むのも私の仕事。

煩いハエは用もないのに、何度も凰士の元にやってきて、余程暇だと見える。

仕事しろよ、仕事。

「仕事中ですので、プライベートな事は後にしてもらえますか。」

 凰士への間接的なデートのお誘いや直接的な食事の誘い。

趣味や特技を聞き出し、共通点から好意を引き出そうとする人も。

はっきり断るなり対応をすればいいのに、凰士は微苦笑を零すだけで、曖昧な返事ばかり。

仕事に支障が出ると追っ払うのも教育係の仕事なのか?

そう文句の一つも出るよね?


「帰ろう。」

 チャイムが鳴り、手早く片付けを済ませた凰士は、嬉しそうに私の顔を見つめる。

「はい、はい。」

 私ももう周りの目なんて気にしないわ。

堂々と凰士と帰ってやるわよ。

自棄になると私は強いわよ。

別に友達として、一緒に出掛けて、誰かに文句を言われないといけないわけ?

それも恋人でも友達でもない人達に、よ。

そうでしょう?

「買い物しないと、ね。」

 凰士が嬉しそうに私の横を歩く。

頭一つ上から私を見下ろしながら。

「そうね。」

 でも、そこら中から視線が突き刺さる。

痛いです、かなり。

どうして、凰士は平然としているわけ?どんな神経?

「ただいまぁ。」

 やっぱり想像した通り、凰士の一人暮らしの部屋は、高級感たっぷりのマンション。

部屋数は二つだけど、広さは私の部屋の倍以上。

でも、さすがに荷物は必要最低限にしたらしい、無駄な調度品はないわ。

「ねぇ、白雪、来て。」

 凰士がジャケットを脱ぎ、ベランダの前で無邪気な笑みを零す。

「何?」

 私の手を引っ張り、ベランダへ。

そこには、夕日が西の空を真っ赤に染め、東の空からゆっくり闇に落ちていく様子が広がっていた。

「綺麗だよね。」

「うん、綺麗ね。」

 無言のまま、並んでしばらく見つめていた。

そこに涼しくなりだした春風が二人の間を吹き抜けていく。

「はっ、はっぶしゅん。」

 さすがに寒くなってきたかな?

春とはいえ、まだ朝夕は涼しい。

「中に入ろう。」

 凰士がさりげなく私の肩に触れ、中に入るように促す。

何?何でちょっとときめいちゃうのよっ?

あり得ないでしょう。

だって、凰士の手がやけに大きくて温かくて、男らしく感じたから。

…あっ、違う。

男として意識したときめきじゃなく、ほら、小さな頃から見ていた子が大きくなったのを感じた近所のおばちゃんの心境よ。

私はおばちゃんじゃないけどね。

って、何?動揺してんだ?私。

「夕食、作るね。」

「うん。」

 ベランダに続く扉の鍵を閉めている凰士の背中に話し掛け、キッチンに歩き出す。

これ以上ここにいたら、私、ヘンになってしまいそうだよ。

「あっ、白雪。」

「うん?」

 振り返るより早く手を引っ張られ、クローゼットに押し込められる。

凰士も一緒に入ってきて、ドアまで閉めてしまう。

「急に何なのよ?」

「忘れていたんだよ。今夜、吹雪に部屋を貸すって約束したんだ。」

 小声で話す凰士に、つられる私。

「だからって、何で隠れるのよ。」

「新しく出来た彼女だから、恰好良いところを見せたいらしくって。」

「何の関係があるのよ。」

 そんな事を言い合っている間に、鍵が開く音。

明らかに人がいるのがわかるでしょう。

私のバッグも靴も置きっ放しだし、電気も点けてあるのよ。

「この夕日を見せて、良い雰囲気に持ち込みたいんだって、さ。」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それが終わるまで、私達、ここにいなくちゃいけないの?」

「そういう事になる。」

 えばるな、バカ。

「でも、貸出時間は二時間だけだから、大丈夫。」

「何が大丈夫なのよ?」

 小声の会話をしている間に、吹雪と女性の声が近づいてくる。

狭い中を二人で隙間から覗き込む。

私達に気付いている様子もない。

真っ直ぐにベランダへ向かい、何かを話している。

うん、これで完全に出るタイミングを失ったな。

「彼女、それほど興味がないみたいよ。」

「これからじゃないか?」

 覗かれているとは知らない吹雪は、そっと彼女の背中に腕を回した。

振り払われないし、そのままにしているって事は、本当に恋人なのかも。

「ちょっと、凰士。狭いんだから、もう少しあっちに行ってよ。」

「俺だって精一杯だよ。」

 吹雪が振り向いたので、二人同時に息を潜め硬直。

私達に気付いた訳ではなく、ただ単に部屋の中に戻ろうとしているだけ。

「ふぅ。」

 溜息が狭いクローゼットで重なり合い、顔を見合わせた。

すぐ近くに凰士の顔があって、少しびっくり。

顔だけじゃない、身体全体がすぐ傍にある。

知らない間に逞しくなった腕を私の顔の横の壁につき、体重を支えている。

「…ちゃん。」

 クローゼットの外から吹雪の声が聞こえ、我に返り覗き見る。

彼女の顔に近付いていく吹雪の唇。

「えっ?」

 まさか、このまま、始まっちゃうの?

冗談じゃないわよっ。

弟のそんな姿、一生見たくないのにぃ。想像さえしたくないのにぃ。

「…ちゃん。」

 名前は聞き取れないけど、彼女を呼び、そのままベッドに彼女を押し倒した。

「あっ。」

 私達は同時に小さな声を上げただけで、身動きさえ出来ない。

息をひそめ、外を見つめるだけ。

クローゼットの外で伸びやかな二人は、ベッドの上で見つめ合い、もう一度口付け。

吹雪の手が彼女の胸に伸びていく。

「どうしよう。」

 掠れた声が零れ、助けを求めるように凰士を見上げた。

凰士も私の視線に気付き、見つめ返す。

やばい、私も流されかけてる?

完全に流されてしまった凰士の手は、壁を握っていたはずなのに、私の肩に回っている。

狭い事もあり、力に逆らえない。

ぎゅっと抱き締められてしまった。

「やっぱり怖い!」

 外で大きな声が聞こえ、隙間に視線を向けた。

そこには彼女に拒否られ、ベッドに尻餅つく吹雪の姿。

「ごめんなさい。」

 彼女の言葉に続いて、バタバタと走る足音。

あぁ、可哀想に。

なんて同情して振り返ったら、間近に凰士の顔。

えっ、ちょっと、待って。

何?本気なの?

慌てようにも逃げようにもそんなスペースさえない。

いいや、このまま…。

そっと瞳を閉じ、凰士を受け入れようと、流されてしまう準備を整えた。

が、その途端、狭さに任せていた身体が宙に浮く。

「えっ、あっ。」

 変わりにカーペットに口付け。

顔を上げると、仁王立ちの吹雪の姿。

「よっ。」

 見上げたまま、片手を挙げるが、吹雪の表情は崩れない。

あちゃぁ、やっぱり、ダメ?誤魔化せない?

「一体、どういう事だ?」

 怖い顔の弟の顔を見ながら、凰士と二人カーペットの上に正座。

怒っている吹雪は、ベッドに腰掛け、腕組み。

「あの、ですね。」

 凰士が事の次第を説明して、謝罪。

私も一応覗き見の事だけは謝る。

「まったく。」

 呆れながらも苦笑を零す吹雪。

さすが、少しの事で動揺しない我が弟。

「情けない事に見た通りだよ、俺は。」

「仕方がないんじゃない?最初は怖いモノよ。特に女は痛いとか言うし、色んなプレッシャーがあるからね。」

「さすが、白雪。一応、性別上は女。」

「煩いわね。まぁ、そのヘンは良いとしても、間違っても彼女を責めちゃダメよ。」

「わかっているよ。」

 何故か三人でお好み焼きを食べている。

おかしな事になっているモノだ。

「で、彼女と何処で出会ったの?」

「えっ?」

 吹雪が微かに頬を赤らめ、手元にあった烏龍茶に手を伸ばす。

「サークルで会って、一か月位前から付き合っていた。」

「ふぅん。」

 にやけた顔で頷く私。

吹雪の顔からはい苛立ちが見受けられる。

うん、からかうのはこのヘンでやめておこう。

「で、白雪と凰士は何をしようとしていんだろうな?それともしちゃった?」

「えっ?」

 反撃を予想はしていたが、頬が赤くなってしまう。

「なっ、何もしていないわよ。」

「キ、キスしようとしたけど、未遂だ。」

 言葉が重なるが、吹雪がにやけたって事は、凰士の言葉が優先されたらしい。

バカ凰士、正直に答えなくてよろしい。

「ふぅん。とうとう白雪も凰士の手に落ちたか。よかった、よかった。」

「そうじゃないわよ。私、彼氏いるのよ。」

「別れて付き合っちゃえばいいじゃん。」

「そんな簡単じゃないのよ。」

 凰士が横でシュンと肩をすくめる。

「あっ、ねぇ、飲まない?」

「俺、車。」

 吹雪の一言で、話題を変えようとしていた私は挫かれてしまった。

沈黙が重く流れる。

「私、帰るね。」

「あっ、白雪。」

 さっさと立ち上がり、歩き出す。

そんな私の腕を掴む凰士。

「何?」

「送っていくよ。」

「いいわよ。」

「でも…。」

「じゃあ、お疲れ様。男同士で盛り上がって。」

 力なく手が離れると、私はさっさと部屋を出た。

私、どうして、凰士とキスしようとした?

ただ、雰囲気に流されてしまっただけだよね?

深い意味はないよね?


 ハイヒールの音だけが私の後を着いてくる。

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