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それで、私は宗教家になった訳ではない。
大学卒業と同時に地元では大きな企業で働き始めた。
営業として、男達と肩を並べている。
糸作りから縫製まで手掛け、ブランド名を掲げている会社だ。
私の仕事は、決まった洋服店に行き、新作の良さを熱く語り、いかに多くの注文を頂くか。
その準備に余念はない。
仕事だからと凰士には勤め先を教えるなと、吹雪や両親、友達にも口止めをして、この三年間、少なくても会社にいる間は、穏やかな時間を過ごせている。
「桜も満開ね。」
のんびり呟きながら、会社への道を急ぐ。
今日から新入社員が入ってくる。
とうとう私も教育係として、新入社員を指導する仕事を与えられた。
気合を入れないといけない。
「おはようございます。」
営業の事務所に入ると、いつもと違う空気。
自分の席に座り、同僚の鎌倉沙菜恵に視線を向けた。
「何かあったの?」
「今日来る新入社員に、社長の御曹司がいるんですって。それも営業配属。」
「へぇ。」
社長の御曹司?どうせ、お坊ちゃまだろう。
もう、そんな者には興味は抱かない。
「それもかなり良い男らしいの。特に、秘書課は気合を入れているらしいわ。」
「なるどほねぇ。まぁ、せいぜい、頑張って欲しいわね。」
「やけに余裕ね。興味ないの?」
「ない。」
あっさり返答する私に、マジマジと顔を覗き込む沙菜恵。
「何?」
「玉の輿に興味ないの?」
「ないわね。もう白馬のおうじ様にはうんざり。近付きたくない存在、ナンバーワンよ。」
「ふぅん?」
納得出来ない表情で頷いている。
「まぁ、白雪には高和さんって、彼氏がいるからいいのか。」
「そうよ。」
そう、今の私には高和聡という恋人がいる。
聡は二の腕が私の太腿位太く、お腹が割れているような体育会系。
お世辞にも美男子とは言えないが、逞しい顔立ちをしていて、なかなかだと思う。
意気投合率は高いし、性格もまぁまぁだと思う。
でも、問題があり、浮気性なのだ。
付き合って三か月ほどだが、もう三度は浮気している。
懲りないヤツだ。
まぁ、それを許している私もどうかと思うが、泣き付かれると弱い。
時計の針が始業時間を報せる。
営業部の朝礼が始まる合図だ。
私と沙菜恵は一番後ろに立ち、部長の公開独り言を聞き流すつもり。
「おはようございます。」
部長の偉そうな挨拶。
一応小さな声で挨拶を返す。
「今日から新入社員五名、こちらに配属になりました。ますます発展してもらうために、新入社員には一刻も早く仕事を覚える努力をして欲しいと思います。前から働いている皆さんには、ますます売上向上の努力をお願いしたいと思います。」
あぁ、欠伸が出そう。
毎日、念仏のように同じような事を呟き、飽きないのかな?
「では、さっそく新入社員を紹介します。私の横から白馬凰士さん。社長の御子息で、勉強のために営業部に配属になりました。」
えぇ?今、何て言った?白馬凰士?冗談でしょう?
あの凰士がどうして、ここにいるわけ?
それより何?社長の御子息?
えっ?ここの社長って白馬って苗字だっけ?
やめてぇ、本当に倒れそうなほど、パニックに支配されているよ。
落ち着けぇ、落ち着け。
でも大丈夫、中学高校の二の舞にはならないだろう。
営業に出れば、顔を合わせる時間は少ない。
まぁ、仕事場で金魚の糞は出来ないだろうし、将来、ここを継ぐ人が私に片思い中だと大声で宣言する事はしないだろう。
やっとどうにか、気持ちを持ち直し、姿勢を正す。
あぁ、前に背の高い男性社員が多くて、よかった。
「教育係に抜擢された方は朝礼が終わり次第、応接室に来てください。」
あぁ、忘れてた。私、教育係だぁ。
まぁ、凰士の担当になるのは、五分の一の確率。
それにきっと部長は気を使って、凰士には営業成績上位の人か、営業部のマドンナを付けるだろう。
「今日も一日、頑張りましょう。」
その声で、解散になる。
あぁ、でも、凰士と顔を合わせるのは、憂鬱。
あのバカ、軽率な行動しないでしょうね?
「白雪、行かないの?」
「えぇ、行くわよ。」
行けば良いんでしょう。
半分自棄になりながら、沙菜恵と連れ立って、隣の応接室に行く。
ここに入るのは久しぶりだ。
私にお客様が来るはずもなく、ほとんど部長の個室だ。
「失礼します。」
男性の影に立つ。
少しでも凰士の顔を合わせないため、でも無駄な足掻きかも。
「白雪ぃ。」
子供が親に縋り付くような甘い声。
あぁ、気付いちゃったよ。
そう呑気な事を思っている間に、私に飛び付く凰士。
「ちょ、ちょっと、凰士。」
冷たい床とお尻が仲良くなり、凰士を引き離そうと試みるが、思ったより力が強い。
「離れて!」
声を荒げるとやっと身体を話す凰士。
あぁ、皆の冷たい視線。
「あっ、ごめん。ここに白雪がいるなんて、嬉しくて。運命というのかな?」
呑気に恰好良い顔に笑みを張り付けている。
あぁ、もう、ダメだぁ。穏やかな仕事場もなくなった。
「凰士さん?姫野くん?」
部長から同僚、新入社員まで唖然と私達を見ている。
あぁ、応接室でよかったわ。
「あぁ、すみません。俺の婚約者なんです。」
「誰がアンタと婚約したのよ。勝手な事を言わないで。付き合ってもいないでしょ。」
「まだそんな事を言っているんだね。白雪好みの男になろうと日々努力しているのに。」
「勝手にしているだけでしょう。私は頼んだ覚えはない。」
「あぁ、そんな風に照れ隠しのために怒ったフリをする白雪も可愛いね。」
極上の笑顔を見せられても大きなため息を零すしかない。
頭が痛くなってきた。
もう、早退してもいいですか?
「こほん。」
冷静さを取り戻した部長がわざとらしい咳払い。
「あぁ、すみません。」
凰士はやっと部長の横、新入社員の列に戻るが、横でにやけた顔を隠しもしない沙菜恵の視線が痛い。
「冗談じゃないわ。」
応接室を出た途端、私は声を荒げた。
理由は皆さんもわかるだろう。
そう、私は凰士の担当を押し付けられたのだ。
その横にいた初々しい女性が本当は私が担当すべき相手だったのだが、余計な、本当に余計な気を回した部長が勝手に変えた。で、色々担当が変わり、沙菜恵がその子をゲットして、満足そうにしているのが、余計にイラつく。
「まぁ、そう言わないで。で、彼とはどんな関係なの?ちゃんと説明してもらいましょう。そうねぇ、お昼にエデンで落ち合いましょう。あっ、もちろん、彼も一緒でいいわ。私も彼女と一緒だから。」
「はい、はい。」
投げ遣りに返事をすると、私のデスクの横に凰士が荷物を置き、にこにこしているのが、視線の片隅に入ってくる。
あぁ、やっと穏やかな時間を手に入れたのに、一気に恐ろしい時間に逆戻り。
転職でもしようかしら?
それとも結婚退社もいいかも。
聡さえその気になってくれればの話だけど。
「白雪。」
凰士の笑顔を見ると、子犬を思い出す。
尻尾を振って、後を付き纏う子犬。
見た目は、大型犬だけど。
「とりあえず、外回りに行きましょう。顔見せよ。あと、これ、読んでおいて。新作の特徴とかを書き記しておいたわ。今日はいいけど、後日、お客様に説明するようだから、ね。」
「はい。」
一冊のノートに写真付きで新作の説明が事細かに書いてある。
教育係になった私の出来る精一杯をまさか凰士にやるようになるとは…。
「行きましょう。」
「はい。」
バッグを持ち、歩き出そうとすると、凰士とは反対の席に腰掛けた沙菜恵が、にやけた笑みを投げ掛けてくる。
「いってらっしゃい。頑張ってね。十二時の約束、忘れないでよ。」
「はい、はい。行ってきます。」
「行って参ります。」
丁寧にお辞儀する凰士を尻目に、さっさとハイヒールを鳴らし、歩き出した。
小走りで私に追いつくと、嬉しそうに私の顔を見ている。
「何?」
「いや、まさか、こんな風に白雪と仕事出来るとは想像してなかったから、嬉しくて嬉しくて仕方がないんだよ。」
「あぁ、そう。」
きっとほとんどの女性なら、こんな甘いマスクの男性に、こんな甘い言葉を掛けられたら、嬉しく思うだろう。
でも、私は違う。
このマスクの下に隠された凰士のバカさ加減を嫌というほど知っている。
「三十五号車が、私が普段使わせてもらっている社用車よ。乗って。」
「俺が運転するよ。」
「凰士、免許なんて持っているの?」
「当たり前。」
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。高校卒業と同時に免許取得して、毎日のようにのっているし、無事故無違反なんだから。白雪に助手席に乗ってもらおうと練習した成果。」
「あぁ、そう。じゃあ、お願いね。あっ、言っておくけど、ヘンな気を起こさないでよ。」
「ヘンな気って?」
助手席に回り込み、車に乗り込む。
助手席なんて久しぶり。
いつもデートのときは私の車だし、三年前の教育期間中に乗せてもらった時が最後かも。
「人気のない場所やホテルよ。」
「白雪がその気になってくれるなら、すぐにでも。」
「冗談でしょ。私、彼氏いるのよ。」
「恋人、いるんだ。」
凰士の声が哀しそうな響きを持つ。
何か罪悪感を覚え、わざと明るく振る舞う。
「凰士だって、いるでしょう?」
「いないよ。」
「でも、いた時期があったでしょう。」
「ないよ。」
「えぇ?嘘?凰士が?」
「俺には、白雪しかいないから。」
長い睫毛を伏せ、憂いの表情。
「凰士…。」
ここで流されてはいけない。
白馬のおうじ様に情けは無用。
「もてるんだから、選び放題でしょう。そんなに理想が高いの?」
「白雪以外の女性にもてても嬉しくない。」
あぁ、まずい。
私、流されてしまいそう。
こんなに恰好良い顔で言われたら、甘い顔もしたくなる。
でも、ダメだ。
「どうして、そんなに私に拘る訳?」
やっと出てきたのは、自分の首を絞める結果になりそうな言葉。
「はっきり言わせてもらうと、私なんて素晴らしい女性じゃないわよ。女性らしさの欠片もないし、気は強いし、かぐやだよ。」
これって、無駄な足掻き?
「違うよ。白雪は素敵な女性だよ。気が強いのも魅力の一つだし、何だかんだと言いながら、色々面倒を見てくれる優しさもある。かぐや姫だって、素敵な女性だから、たくさんの男性が惚れ込んだ。つまり、白雪は素敵な女性なんだよ。」
完全に無駄な足掻きだった、意味なし。
「誇張評価していない?」
「していない。だって、十二年も一緒にいるんだよ。それなのに、ずっと好きでいられるのは、本当に素敵な女性の証だよ。それにね、他の男には負けないほど、色々な白雪を知っているつもりだよ。それは御両親や吹雪には負けると思うけど、ね。」
甘い笑みが真っ直ぐに向けられる。
出会ったころは、格好良い男の子だったのに、いつの間に、こんな大人びた顔をするようになったんだろう?
「身体を鍛えるように言われたから、筋肉も力もついた。嫌いな勉強だって、頑張った。白雪のお蔭で、身体が丈夫になったし、留年もしないで卒業出来た。それにね、なよなよだった性格も少しは逞しくなったと思うよ。全部、白雪のお蔭。」
耳まで熱い。正面切って、こんな風に言われたら、誰だって照れるし、くらくらするはずだ。
でも、私は悟りを開いたんだ。
「私は何もしていないわよ。全部、凰士が頑張って努力した結果でしょう。」
「ううん。白雪が俺の事を思って、ちゃんと言葉にしてくれたお蔭だよ。」
これはかなり美化した言葉だ。
私は凰士の自己開発のために、そんな言葉を言った事は一度もない。
もちろん、私好みの男性に凰士を仕立てあげるためでもない。
確かに、身体を鍛えろとか勉強しろとかは言った。
それは、無理難題を押し付け、凰士を困らせ、諦めさせるためだ。
あぁ、本当にかぐや姫みたい。
「で、何処に向かえばいいの?」
少しだけ凰士に期待し掛けた私がバカだったわ。
ちょっとときめいてしまったのを返せぇ。
「午前中は近場で済ませましょう。お昼から沙菜恵とランチの約束があるの。」
「沙菜恵さん?あぁ、さっき『いってらっしゃい』って言ってくれた人だね?」
「そう、同期入社の友達なの。」
「へぇ。」
凰士がやけに意味深な返事をする。
こういう時は良からぬ事を考えている証拠だ。
「もう一度釘を刺しておくけど、私、恋人がいるの。だから、余計な行動しないでよね。それに、凰士もこの会社を引っ張っていく人なんだから、軽率な言動は慎むように。」
「余計な行動とか軽率な言動って?」
「さっきみたいに私に抱き着くとか、婚約者と嘘を吐くとか。」
「どうして?」
「だからぁ。」
温室育ちのお坊ちゃまは、周りの目を気にするという事を知らないのだろうか?
慣れているにしても毎回苛々させられる。
「自分の気持ちに素直に従っただけだよ。確かに片想いだけど、婚約者のように大切に想っているし、嬉しくて抱き着いただけだ。それの何処が悪い。」
胸を張って、ここまで言い切れる男を私は他に知らない。
いや、知りたくもない。
「余計な誤解を招くだけだし、いらぬ噂を立てられるでしょう?私は辞めてしまえば良いけど、凰士はそうはいかないでしょう。」
「言いたいヤツには言わせておけば良い。」
冗談じゃないわ。
そのせいで私は何度嫌な目に遭ったか。
呼び出しはされるわ、無視されるは、男子は近寄ってこないは。
でも、それを言うと、凰士が哀しそうな顔をするのは目に見えているし、余計な事をすればするだけしっぺ返しは私の元に来る。
「そうもいかないでしょう。何度も言うけど、貴方は経営者側の人間なの。困るのは貴方や社長であるおじ様なのよ。」
「そこまで俺の事を考えてくれているんだ。嬉しいな。やっぱり優しい白雪のままだね。」
おぉい、誰か、このバカが治る薬があったら、少しでいい、分けてくれ。
もう、会話もしたくないほどの脱力感。
「あっ、そこの角を右に曲がって。」
と、言っても真面目に仕事をこなそうとする私。
自分にも呆れるわ。
「そこのブティックよ。」
「はい。」
車を店舗横の駐車場に置き、バックだけを持ち、お店に向かう。
「こんにちは、プリンスです。」
よく考えれば、社名がプリンスなんておかし過ぎる。
あの親バカ、おっと、子供思いの御両親が自分の息子に因んで名付けたとしか思えない。
「あら、姫野さん、いらっしゃい。」
「いつもお世話になっております。今日は、新人が入りまして、ご挨拶させていただこうと思い、伺わせていただきました。」
凰士が私の後ろでお辞儀をすると、店長の中年女性がほほを赤らめている。
あぁ、この年齢の人にさえ、ファンを作ることが出来るのか、この男は。
「白馬凰士と申します。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくね。ずいぶん、素敵な顔立ちをしてらっしゃるのね。白馬くんは、もしかして社長の御子息なのかしら?」
「はい。」
「そう。」
あぁ、店長さんの目がハートマークに見える。
他の店員も見てるよ。
「今日はご挨拶回りですので、また後日、新作のご案内に来させていただこうと思っています。今後ともよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
頬を赤らめた店長を中心に女性店員が外に出て、手を振りながら見送ってくれる。
今までとしてなかった事だ。
こんな感じで六件の店を回ると、十一時四十五分。
そろそろ戻らないと、沙菜恵の御機嫌が斜めになる事が決定する。
「凰士、戻りましょう。」
「はい。」
本当に黙ってさえいてくれれば、ただの恰好良い青年なのに…。
「どう?営業先に行ってみた感想は?」
「皆さん、好意的に迎えてくださるので、安心しました。」
「そう。」
やけに常識的な発言。こんな言葉を使えるようになったんだぁ。
「凰士も大人になったのね。出会った頃は、小さな手をした子供だったのに。」
「当たり前だろう。白雪はいつまでも俺を小さな弟みたいに思っているみたいだけど。」
「それはそうよ。だって、吹雪と同じ年なのよ。私なんて、三歳も年上だし。」
「年齢は関係ないよ。」
そう、凰士はいつもそう言ってくれる。
でも、私には凄く関係する事。
中学の時でさえ、『三歳も年上のオバサンのくせに』と言われた。
中学生にオバサンはないだろうと毒気付きながらも、結構傷ついていた。
「さて、そろそろ、沙菜恵との待ち合わせ場所よ。色々聞かれると思うけど、余分な事を言ってはダメよ。」
「余分な事って?」
「あぁ、もういいわ。」
会社も落ち着いた場所じゃなくなった。
でも、子供じゃあるまいし、陰険な無視とか呼び出しとかはないだろう。
カフェエデンに着くと、沙菜恵が円卓に座り、手帳を見ている。
私達の姿を確認すると、手を上げ、合図をくれる。
「どうだった?」
椅子に腰掛けるより早く沙菜恵が口を開く。
「今までにない見送りをされたわよ。出入り口までとか、中には駐車場まで送ってくれたお客様まで。女性店員限定でね。」
「それは、それは。」
苦笑交じりに笑った。
凰士がメニューを開き、私と沙菜恵に差し出す。
二冊しかないので、私と凰士が一緒に見る破目になるけど。
「何にしますか?」
凰士が私に視線を向けてから、沙菜恵に向ける。
やけに紳士的な聞き方ね。
「じゃあ、エデンランチでいいわ。飲み物はアイスコーヒーかしらね。」
「私も。アイスティーかな。」
私達の注文を聞くと、片手を挙げ、店員を呼び寄せる。
注文を伝えると、テーブルの隅に纏めて置いて行った水とおしぼりをそれぞれに手渡した。
「へぇ、これじゃ、凰士くんがもてるはずよねぇ。で、凰士くんと白雪の関係は?」
感心したの言葉の続きがそれかい?
「それより、沙菜恵の教育を受けている子は、一緒じゃないの?」
「作戦会議があるんですって。」
「作戦会議?」
首を捻りながら、水に口を付ける。
「良い男を捕まえて、さっさと結婚退社する作戦ですって。」
「ぶほっ。」
飲み込むタイミングがずれ、気管に入った水が咳を呼び込む。
凰士が背中を摩りながら、ハンカチを手渡してくれる。
「な、何よ、それ。入社した日に、さっそく、そんな会議っておかしくない?」
「つまり腰掛けよ。ちなみに一番人気はもう決まっているんですって。言わなくてもわかるわよね?白雪さん。」
沙菜恵を睨みつつ、手渡されたハンカチで目尻に溜まった涙を拭いた。
「あぁ、そうです。皆さん、大変なんですねぇ。」
それ以外、どんな返事をしろと言うの?
当の本人に視線を向けると、自覚はゼロ。
それなのに、このモテよう。
世の中は贔屓だ。
「それよりどんな関係なのよ。」
沙菜恵が身を乗り出し、私に問い掛ける。
テーブルに身を乗り出すな、行儀が悪いぞ。
「まぁ、何て言うか、幼馴染よ。弟と同級生で、小等部の頃から家に出入りしていて、本当に弟と同じような子、かな?」
ちらっと凰士の顔を見上げると、懸命に首を横に振っている。
コイツ、何が言いたいんだ?
「ふぅん。凰士くんは否定しているけど。これは、白雪より凰士くんに聞いた方が、嘘偽りない答えをもらえるかしらね。」
沙菜恵は凰士に視線を向け、にっこりと笑みを浮かべた。
私には恐怖の大魔王が微笑む姿にしか映らないけど。
「で、どんな関係なの?凰士くん。」
「俺の完全な片想いです。」
「えぇ、そうなの?いつから?」
「俺が十歳の頃からです。白雪の弟と同級生で、家に遊びに行かせてもらった時に、白雪に一目惚れして、未だにアタック中です。」
「十年以上?」
「はい、十二年ですね。」
もう勝手にして。
一人バクバクと食事を口にする。
が、やっぱり気になる。
耳ダンボで、気のないフリを続けた。
「白雪の何処がそんなにいいの?」
「全部ですね。ルックスも性格も。」
「そこまで言えるって凄いわねぇ。」
沙菜恵のにやついた笑みがこちらに向けられる。
でも、無視よ、無視。
「聞いてもいいしら?」
「どうぞ。」
「白雪に恋人がいるって、知っているわよね?」
「はい、知っています。大学の時も数人いましたから。でも、関係ないです。哀しいけど、白雪が選んだ事ですから。」
「ふぅん。本気で惚れ込んでいるのね。」
「あのね、凰士。そういう事を他人に言わない方がいいわよ。沙菜恵はいいとしても、他の社員が聞いたら、アンタの立場が悪くなるわよ。次期社長さん。」
「アンタ、バカァ?」
沙菜恵、その言い方は、ちょっと…。
「何が?」
「もう会社中の噂になっているわよ。応接室に何人の人がいたと思っているの?」
「本当に?」
頭を抱え、もう泣きたい気分。
「本当、本当。噂好きの人が何人いたかわかっているでしょ?」
「た、確かに、おっしゃる通りです。」
「いいじゃない。凰士くんと付き合っちゃえば。そうでしょう。」
「私、恋人、いるのよ。」
「別れて。」
簡単に答えてくれる沙菜恵。
さすが、他人事ね。
確かに、凰士と付き合っちゃおうかと思った時期もあった。
でも、私は三歳も年上で、地元では大企業のお坊ちゃん、ルックスは極上の凰士が相手じゃ、どう考えても不釣り合い。
今はかぐや姫が気に入られる時代じゃないのよ。
「白雪?」
急に黙り込んだ私を心配そうに顔を覗き込む凰士。
やっぱり格好良い顔。
「さて、そろそろ、休憩終わり。さぁ、午後の仕事も頑張りましょう。行きましょう、凰士。沙菜恵もさっさと仕事に戻りなさいよ。」
勢いをつけ、椅子から立ち上がる。
「ちょっと、待ちなさいよ。お金、置いていきなさい。食い逃げするつもり?」
ちぇっ、やっぱりダメ?
さり気なく奢ってもらおうと思っていたのに。
「わかっているわよ。」
テーブルにお金を置き、店を後にする。
「白雪、大丈夫?どうかしたの?」
本当に心配そうな顔の凰士。
この表情に弱いのよね、私ってば。
「大丈夫よ。身体が丈夫なのは凰士も知っているでしょう。ほら、仕事に行くわよ。」
強情な性格は治っていない。
仕方がないわ、私が背負っている鎧なんだから。
「あっ、ごめん。さっきのハンカチ、洗ってから返すね。平気?」
「もちろん。」
運転しながら、微笑む凰士。
本当に大人の顔立ちしちゃって。
就職してから、あんまり会っていなかったから。そんな事を考えてしまうのかな?おかしな私。




