13
「あぁ、失恋かな?」
自然に口から零れた声。
苛立ちから哀しみとも淋しさともわからない、沈んだ気持ちに支配される。
「飲もう、飲まないとやってられないわ。」
明るさの欠片もない声を無理矢理元気良く吐き出し、視線を挙げた。
こんな私だから、可愛げがないと言われちゃうのかな?
まぁ、いいわ。聡なんかもう忘れるんだ。
そうだ。ここから凰士の部屋は目と鼻の先。押しかけちゃおう。アルコールとおつまみを買って、行っちゃおう。でも、いるかな?電話してみよう。
「あっ、白雪。」
三コール目で繋がる電話。
「おう、凰士。今、何処?」
「自分の部屋だけど。」
「じゃあ、今から行くから。グラスと小皿を用意しておいて。」
「えっ?」
「じゃあ、よろしくねぇ。」
さっさと電話を切って、コンビニに寄る。ウイスキーと烏龍茶、氷、数種類のおつまみを買い込んで、凰士の部屋へゴー。チャイムを鳴らすとすぐに中に通される。
「おう、お待たせ。」
両手に提げた袋を見せながら、笑みを作り出す。
「飲もう。付き合ってよ。」
「それは構わないけど、明日も仕事だよ。」
「わかっているわよ。だから、二日酔いの薬も用意してあるから。」
「そういう問題じゃないと思うけど。」
「嫌なら帰るからいいよ。」
「嫌じゃないよ。どうぞ、奥に。」
「はぁい、お邪魔します。」
さっさとリビングに入ると、テーブルの上には小難しそうな本とパソコン。
「あれ?仕事してた?」
「違うよ。繊維やデザインとか会社の事、何も知らないから、少しずつ勉強しなくちゃと思って。」
「偉い、凰士。」
凰士の肩をポンポンと叩きながら、陽気に笑って見せる。本当は頭をなでなでしたいけど届かない。
両手に袋を提げた凰士は嬉しそうに微笑む。
「何か遭った?」
キッチンに向かい、氷やおつまみを用意している凰士は背中越しに訊ねてくる。
「何もなかったら、凰士の部屋に来ちゃダメ?ただ飲みたくなっただけよ。」
言いながら、少しだけ瞼が熱くなる。
どうして、凰士の声って、涙腺を弱くさせるんだろう。嫌だな、人選間違ったかな?
「相変わらず嘘が下手だね。」
苦笑を零しながら、両手におつまみをも持って、こちらに歩いてくる。
「何よ、嘘って。」
「って言うか、強がらなくてもいいんじゃない?俺で良ければ話を聞くよ。」
「強がってばかりで可愛くないって言いたいの?どうせ、女らしくないわよ。」
引っ手繰るようにグラスを奪い、ウイスキーを注ぐ。ストレートのまま、口に運んだ。喉が焼けるように熱くなり、ちょっとだけ痛い。
「白雪は誰よりも可愛いし、女らしいよ。それは俺が保証してあげる。誰かにそんな風に言われたの?見る目のないヤツだから、気にしなくてもいいよ。」
そう笑いながらさらっと言い切って、私の手からグラスを奪い取る。薄い烏龍茶割を作り、私の手元に置いてくれる。
ズルイよね?こういう優しさ。だから、私、凰士の元に来ちゃったのかな?他の誰でもなく、一番に思い浮かぶのかもしれない。
「振られちゃったんだ、私。」
凰士がくれた烏龍茶割の入ったグラスを揺らしながら、言葉が小さく零れた。
「えっ?」
「恋人だと思っていた男に『俺達、付き合ってないよな』って言われちゃった。そんな風に言うのって、別れ話よりキツイ。」
「白雪…。」
「可愛げがなくて、女らしくない私と付き合うなんて、有り得ないとまで言われちゃった。それこそ本当に有り得ないでしょう。」
グラスを口元に運び、少しだけ含む。
でも、訳のわからない気持ちが胸の奥でもやもやしていて、苦しい。
だから、ウイスキーで流してしまいたい。一気に飲み干し、注ぎ足そうとボトルに手を伸ばす。凰士が無言のまま、私の手を握り締めた。
「凰士?」
「作ってあげるよ。」
苦しそうな笑みを零し、ボトルを手に取った。ほとんど烏龍茶のウイスキーが手元に届く。
「これじゃ、烏龍茶のウイスキー割じゃない。私はウイスキーが飲みたいの。」
「ダメだよ。白雪、あんまり強くないんだもん。解放するのは俺なんだからね。」
「別に頼んでない。それに潰れないもん。いいじゃない、今日くらい。」
「ダメ。もう真っ赤な顔しているから。」
「バカ凰士。」
「はい、はい。」
小さな子供の駄々を宥める口調。普段なら苛立つのに、今日は安心する。
「白雪は、男を見る目がないね。」
「え?」
「女を見る目はあるのに、どうして、男はダメなんだろう。」
「な、何よ。それ。」
「だって、白雪の好さをわかろうとしないヤツばっかりだろう。本当に理解出来ていたら、俺みたいにずっと傍にいたいと願うものだろう。だから。」
「じゃ、じゃあ、凰士は見る目があるの?」
「もちろん。」
満面の笑み。この自信、何処から湧いてくるんだろう?
「私なんて、気が強くて女らしくないじゃない。」
「強く生きようとしているだけだろう。女らしくないなんて事は絶対にないし。」
「バ、バカじゃないの?」
「照れている白雪、凄く可愛い。」
語尾にハートマークがチラつく口調。
「凰士って、ズルいよね。」
「何が?」
「だって、私が知らない間に変わっちゃったんだもん。それって、凄くズルくない?」
「変わっちゃったって?」
グラスの中でカラカラと高い音を立てる氷に視線を落とす。
ちょっとだけ恥ずかしいけど、言わないと気が済まない。
「肩幅とか広くなって、身体全体が逞しくなって、声変わりとかしちゃって、もう立派な大人の男性になっちゃっている。小さなころは頼りなくて、優しいだけの男の子だったのに。優しいのは変わらないのに、しっかりして、頼り甲斐があるなんて思わせたりして…。とにかく、そういうのって、ズルい。」
「白雪?」
嬉しそうというより戸惑っている表情。それが、ますます恥ずかしい。きっと耳まで赤くなっているかも。
「時々、知らない人みたいに感じる。」
「バカなのは、白雪だろう。」
少し照れた顔で笑って、逞しくなった腕を伸ばしてくる。抱き締められるってわかっているのに、このままその腕に包まれるのも良いかなって思うのは、酔っている証拠かも。
「俺は白雪の知っている俺だよ。」
「本当に凰士はズルいよ。私を置いて勝手に変わってしまうんだもん。」
凰士の胸の中は温かくて優しくて、ほっとする。私、ここ、好きかもしれない。
「ずっと傍にいるよ。」
甘い台詞にも酔っているかも。
そっと凰士の背中に手を回した。胸の鼓動を聞きながら、瞳を閉じる。あぁ、気持ち良い。
「うぅん?」
頭が痛い。うぅ、もしかして、二日酔い?もう一度、寝ちゃおうかな?でも、遅刻しちゃう?今、何時何だろう?
ベッドから腕を伸ばし、目覚まし時計を漁る。
「あれ?あれ?」
いつもの場所にない。もしかして、私、煩くて、放り投げちゃった?って事は遅刻?
「痛ぁ。」
勢いよく起き過ぎた。頭がずきずきする。
「あっ、起きた?」
「へ?」
目ざまし時計と関係ない声。吹雪やお父さんじゃないよね?ちょ、ちょっと待って。もしかして凰士?
「えぇぇぇ。」
その通り。凰士がこちらに歩いて来る。
嘘だぁ。私、もしかして、凰士と?ベッドの中を覗き込むと服を着ている。
「ふわぁ。」
一気に力が抜け、間抜けな声と共に溜息が零れ落ちる。あぁ、頭痛が蘇ってきた。
「ほら、二日酔いの薬。」
「ありがとう。」
素直に受け取り、くぃっと一気飲み。
「うげぇ。」
眉間に皺を寄せ、もがき苦しむ。すぐに右手にコップが渡され、これまた一気に飲み干す。それでも不味さは口に残る。
「そんなに不味いなら、この薬を買ってこなければいいだろう。」
「不味いけど効くのよ。」
「あぁ、そうかい。」
呆れた顔でベッドに腰掛ける凰士。普通に話してるけど、これでいいのかな?
「じゃあ、続きしようか?」
私の顔を覗き込み、不敵に微笑んだ。
えぇ、続きって何よ?私、何をしていたの?
「白雪、面白い。冗談だよ、冗談。」
お腹を抱え、笑う凰士。
ムカつくぅ。私をからかって楽しんでいるのね。
「まぁ、冗談はいいとして、覚えてる?」
「凰士の部屋に来て、烏龍茶のウイスキー割を飲んでいたのは覚えているわよ。それで、私、いつ寝ちゃったんだっけ?」
「ほんの三十分前です。せっかく良い雰囲気で抱き締めあったのに、次の瞬間には鼾をかいているんだもんな。参っちゃうよ。」
「えっ、あっ、ごめん。」
謝るのもどうかと思うけど、つい口から出てしまったのよね。
「いいよ。白雪の寝顔を見られたから。」
「えぇ、見たの?悪趣味。」
「見なければ、ここまで運べないだろう。鼻提灯、出てたよ。」
「えっ、嘘。」
「嘘。」
くそぉ、凰士に振り回されているぞ。ダメだ、主導権を取り戻さないと。
「もう飲まないだろう。送っていくよ。」
「でも、凰士。飲酒運転。」
「俺、飲んでない。」
「えぇ?」
「どうせ、白雪を送っていくようだと思ったから、烏龍茶を飲んでいた。」
「そうなんだ、ごめん。」
「いいって。気にしなくて。」
本当に凰士はズルい。いつからこういう気の回し方を覚えたんだろう?
「お姫様抱っこして、車に乗せてやろうか?」
「結構ですっ。自分で歩けます。」
「それなら、良かった。」
手を貸してくれ、ベッドから抜け出す。
「ありがとう、凰士。」
消えそうな声で呟き、そっと凰士の手を握り締めた。
本日、二話目の投稿です。