12
全く何も考えられずに一週間が過ぎてしまった。
そんな急に凰士を一人の男として見ると言われても困るだけだ。
そう、よく恋愛小説であるじゃないか。幼馴染の男の子が急に大人っぽく男らしくなって、それを意識し過ぎちゃって、ぎこちなくなる女の子。あっ、それは違うな。何て言うんだろう?
とにかく、私は何をどう考えればいいのかわからずに、この一週間をいつも通りに過ごしてしまったのだ。
「おはよう、白雪。」
「おはよう。」
今日の私はご機嫌だ。久しぶりに恋人の聡からメールがあり、外で食事の約束。こんなに放っておかれたら、浮気しちゃうぞ。なんて言ってみても、出来そうにないけど。
「ねぇ、白雪。はい、これ。」
凰士から真っ白な封筒を手渡される。満面の笑顔付きで。
「何?」
「毎年恒例の誕生会。」
「あぁ、はい、はい。」
そう、凰士の家では親バカ、ううん、子供思いの御両親が誕生パーティーを開催する。贅沢な料理に凰士の友人や知人まで出席する、結構大きなパーティーだ。私や吹雪も毎年招待状を頂き、のこのこ出かけている。
「沙菜恵さんもよろしければ、どうですか?」
「でも、私なんかが行っても平気なの?」
「それは豪勢な食事にありつけるわよ。立食式で和食、中華、イタリアン、フレンチもあるかな。本当にすごいのよ。私、このパーティーの後、二キロ位太った事もあった。」
「気兼ねせずにいらしてください。」
「じゃあ、行ってみようかしら。」
「はい、お待ちしています。自宅でやるんですけどわからないようでしたら、場所を指定していただければお迎えにあがります。」
「私の家に来て、一緒に行きましょう。ねっ。」
「うん。」
「じゃあ、凰士、いつもの時間にお迎えよろしくね。」
「かしこまりました。」
始業のチャイムが鳴り響き、恒例の念仏を聞くために集合する。
今日は男性陣が不自然なにこやかさで立っている。
「何かあるの?」
「新しくここに配属される女性がいるんだって。ほら、新入社員が三人も辞めてしまったじゃない。男の子達。」
「あぁ、沙菜恵の担当した女の子は残っているのに、凰士以外の男の子は辞めちゃったのよね。教育が悪かったのかしら?」
「かもね。」
「こほん。」
部長が偉そうに咳払いして、全員の顔を確認するように見回す。
「今日からこちらに配属される人を紹介します。この会社で幾つもの功績を持っている方で即戦力になる女性です。一週間ほど姫野くんと凰士さんと一緒に行動してもらおうと考えています。しっかり、営業の基本を教えてください。」
「はい。」
聞いてないよぉ。面倒な仕事は私達に差し向けるのね。念仏部長様。
「ご愁傷様。」
沙菜恵が笑いを堪えながら、私に視線を向ける。
嫌だなぁ。元々ここにいる人の教育って何をすればいいわけ?
「紹介します。」
営業の事務所と廊下を繋ぐドアが開き、ハイヒールの音が登場。辺りがざわめく。
「見えない。」
男共が身体を伸ばし、彼女を見ようと必死のため、後ろにいる私達には頭の形さえ確認できない。
「凰士、見える?」
「森美人。」
呆然と凰士が呟くので、はっと思い出す私。
そう言われれば、移動になると言っていたわね。すっかり忘れていたわ。
「そう。美人なの。じゃあ、安心ね。」
気楽なモノ。美人なら営業に移っても上手くやっていけるわ。
「秘書課から営業に移動になりました、森美人です。営業は初めてですので、わからない事ばかりです。みなさんに教えていただく事ばかりだと思います。よろしくお願いします。」
「森さんはご自分で営業を志望されたそうです。即戦力になる人材ですが、初めの事なので、皆さんに協力を願います。これにて、解散。」
男達は名残惜しそうに美人をみているが、美人は知らん顔。さすが、普段から熱い視線を受けている人は違うわ。
「姫野くん、凰士さん。」
前の方から部長の声。私と凰士は男達が退いて出来た道を前に進む。
「はい。」
「あとはよろしく。」
「はい、かしこまりました。」
丸投げかよ。部長はさっさと自分の席に戻って行ってしまう。まったく。
美人に視線を向けると、微笑みを見せ、小さくお辞儀をした。
「これからよろしくね。」
「こちらこそ、よろしく。」
笑みを交わしながら、二人同時に凰士に視線を向ける。凰士が美人を睨みながら、私を庇うように身体を前に出した。
「もう、大丈夫よ。あんな事はしないわ。白雪とは友達なの。私、こう見えても友達は大切にするのよ。本当に凰士くんは、白雪が大切なのね。」
「油断させて、なんて、そんな事をしないですよね?」
「しないわよ。ねっ、白雪。」
「本当に大丈夫よ、凰士。美人は無駄な足掻きをいつまでも続けるほどバカじゃないわ。」
「まぁ、いいです。俺が白雪を守ればいい話ですから。」
「怖い、怖い。」
美人が肩を竦めながら、苦笑を零す。
「さぁ、営業先に行きましょう。今日、美人は今後の参考のために見ていて。」
「うん、そうさせてもらう。」
営業に出ても休憩時間もぴったりと私の横から離れない凰士。本当に美人を信用していないのね。まぁ、いいけど。
「お疲れ様。」
書類は残っているけど、美人も疲れているだろうし、私もデートだから定時間で上がり。今日くらいは許されるだろう。
「あっ、白雪」
「うん?」
「真っ直ぐ帰るの?」
「ううん。ちょっとね。」
「そうか。」
残念そうな凰士。ちょっと、ほんのちょっと罪悪感を抱かせるような、その表情、反則だぞ。
「何か用があった?」
「そうじゃないんだけど。」
「また、明日にでも、ねっ。」
「わかった。じゃあ、またね。」
「うん。お疲れ様。」
会社の出入り口で凰士と別れ、聡との待ち合わせ場所まで急ぐ。
本当に外での待ち合わせなんて久しぶり。ワクワクしちゃう。
駅前のカフェは、会社帰りと思われる人達で賑わっている。
壁際の二人掛けの席に、聡の姿を発見。大きな身体で小さなテーブルは狭苦しそう。
「聡、お待たせ。」
「あぁ、姫野。」
今まで弄っていた携帯を急いでポケットに仕舞い、引き攣った笑み。
「出るか。」
「あっ、うん。」
聡の前にほとんど手を付けていないアイスコーヒーがあるのに、さっさと立ち上がる。
私だって、何か飲んで少しでも落ち着きたいのに。
「いつもの居酒屋でいいか?」
「うん。」
もう少しお洒落な場所に連れて行ってくれても良さそうなのに。なんて、我儘かな?
どうしてだろう?聡相手だと言い辛い。
「いらっしゃいっ。」
元気の良い店員の声で迎えられる。ここはテーブルごとに壁で仕切られていて、他のお客様に気を使う事なく飲めるので、声が大きくおしゃべりな聡のお気に入り。
生中と適当なおつまみを注文してしまうと、沈黙が流れる。いつもの聡らしくない。
「お待たせしました。」
どうしたの?そう尋ねるのを躊躇っていると、店員が中ジョッキを持って現れる。
「ごゆっくり。」
店員が下がると、乾杯もせずに、さっさとビールを飲み干す聡。
そういう気は使えないのに、やけに私の視線を気にしている。
「あのさ、姫野。」
「何?」
言い辛そうにやっと口を開いた。
私はジョッキを置いて、視線を向ける。
「俺達、付き合ってないよな?」
「へ?」
間抜け過ぎる質問。何?その確認?告白とか改めてなかったけど、自然に付き合い出したよね、私達。違うの?
「なっ、何を言っているのよ?」
「そうだよなぁ。今、同棲している子がいるんだけど、前にお前と一緒のところを見掛けたらしくって、疑っているんだよ。」
「同棲?」
「やっと落ちた子なんだけど、我儘なところもあるけど、そこが可愛くて、さ。」
聡が短く刈り込んだ自分の頭に触れながら、照れ笑いを零す。
テーブル挟んで前にいるはずなのに、凄く遠くに感じる。声もぼんやりしていて、自分が座っている場所がわからなくなりそう。
「ほら、お前って、女らしい可愛げがないと言うか、さばさばしたところがあるだろう。だから、女に見えないし、俺達の間で付き合うとか有り得ないよなぁ。」
女らしくない?女に見えない?じゃあ、どうして、私と関係したのよっ。それも一晩限りの間違いじゃないわよ。
心の中で毒気付く事は出来るのに、声には出せない。
「お前も独り身だし、俺も淋しかったし、なんとなく一緒にいたけど、もう終わりな。」
それって身体の関係が終わりって事ね。
でも、おかしいわね。浮気したと責める私と平謝りの聡。そんな事があったのに、付き合っていないと言えるのかしら?あっ、そうか。聡はそれさえも認めたくないんだ、きっと。私と付き合ったと思うのが、嫌なんだ。
「私、帰るね。」
「急にどうした?」
今の彼女の惚気話を初めて、気分上々の聡が意外な顔で私を見ている。
「用があるのを思い出したの。まぁ、せいぜい彼女とお幸せに。さようなら。」
私なりの強がりを見せ、さっさと立ち上がる。バッグを持ち、ヒールを履いていると、後ろから聡の声。
「飲み代、置いて行けよ。」
ケチくさぁ。はい、はい。わかりましたよ。置いていけばいいんでしょう。
財布からもうほとんど見る事のない二千円札を取り出し、テーブルに置く。
「これでいいでしょう。」
「まぁ、いいよ。じゃあな。」
ムカつくヤツぅ。最後くらい奢る優しさはないのか?
冗談じゃないわ。あんな男を恋人だと想っていた私が間違っていたわよ。
何よ、同棲だって?ふざけんなよっ。
私が女らしくないと言うなら、アンタの方が男らしさの欠片もないわよ。