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「魔女殿」

女官長が扉に手をかけたとき、暗い廊下に男の声が響いた。

声の方を振り返ったローレンは、そこにいた人物を確認したとたん、驚きに眼を見張った。

「バーデナー公爵様…!」

女官長までもが思わず声を上げる。

そこにいたのは王弟である王族公爵、バーデナー公爵だった。

現王の年の離れた腹違いの弟であり、余継が王子一人しかいない今、王位継承権第二位の人物でもある。そしてまだ若い公爵は、凛々しい面差しと聡明さで民にも大変人気のある人物だった。

慌てて膝をつこうとしたローレンたちを制しながら、公爵は近づいてきた。

こんな夜更けにどうしたのだろうかとローレンが疑問に思っていると、近づいてきた公爵は小さな魔女の前で足を止め、突然頭を下げたのだ。

ローレンたちはぎょっとした。

「な…ッ!公爵様!?」

「魔女殿、私はグレイス・バーデナ―と申します。先ほどは私の部下が失礼をいたしました。どうかお許しください」

いかなる時も冷静沈着、というより感情に乏しく冷たい表情を崩すことのない女官長が目を見張り、顔を強張らせている。

そう言えば、とローレンは謁見の間でのことを思い出す。

(フードを取るように、と言っていたのは公爵様の直属の部下だったか)

件の人物は普段からあまり評判が良い人物ではなかったと思う。上の者には媚びへつらい、下の者には陰湿な嫌みを言う。要するに、典型的な小物だ。

先ほどの発言も、声を上げた行為自体は勇気ある行為と言えなくもないが、実際は皆、思っていても魔女がどのような行動に出るかわからず、見極めようと黙っていたのだ。なのに彼はおそらく優秀な(・・・)自分を王に見せたいがために発言したのだろう。

ローレンですら思わず舌打ちしたくなるほどの愚か者だ。

正直なぜこのような人物が、バーデナ―公爵の部下にいるのかローレンには謎だった。

そんな部下の不始末に、王族である公爵様が直々に頭を下げているのだ。

女官長の顔が強張るのも頷ける。

ローレン自身も次の行動に迷っており、結局その場に立ち尽くすことしか出来ずにいた。

困惑する女官長とローレンに構うこと無く、公爵は深々と下げていた頭をゆっくりと上げ、返事を返さない魔女を見つめる。

ローレンも魔女の行動が気になった。深い森の奥にいたという魔女には、おそらく公爵様が直々に頭を下げた事の重大さはわかっていないだろう。

何か無礼があってはならない。そう思い、ローレンは困惑を残しながらも女官長に合図を送る。

それに気づいた女官長も己の役職を思い出したようだ。姿勢を正し、魔女の方へ足を踏み出そうとした。

しかし、魔女の行動はそれよりも一瞬早かった。

公爵にもこの状況にも興味なさげに無言で踵を返し、さっさと部屋の中へと引っ込んでしまったのだった。

「な…!も、申し訳ございませんっ、バーデナ―公爵様…!すぐに連れ戻し――」

魔女の行動に息を呑んだ女官長は、慌てて公爵に謝罪する。

だが公爵は苦笑しながら魔女のあとを追おうとした女官長を引き留めた。

「よい、魔女殿にとってはこの城で誰が偉いのかなどということは関係のない話だろう。こうして城まで来てくださって、殿下の呪いを解いてくださるというのだ。それだけでありがたいことだ」

「公爵様…」

女官長は公爵の寛大な態度に感激したように言葉を詰まらせる。

引き留めてしまってすまなかった、とローレンたちに声をかけ公爵は静かに去って行く。

その姿が廊下を曲がり見えなくなるまで、ローレンと女官長は頭を下げ続けた。

そして女官長は表情を引き締め、部屋に入った魔女のもとへ向かう。

ローレンも続いて部屋に入ると、魔女はベッドに腰掛けぼんやりと空を見つめていた。

「魔女さま、お言葉だとは思いますが申し上げます。永らく森で暮らしていたという貴方様には身分というものはわからないかもしれませんが、ここは王城。王族や貴族の方々がおられる場所なのです。城には城の決まりというものがございます。先にお伝えしていなかった私どもの落ち度ももございますが、先ほどの態度はあまりにも礼を欠いたものです。謁見の場におられた方々は皆身分の高い方たち、せめてその方たちにお会いしたら頭を下げなければなりません」

女官長は苛立たしげに魔女に厳しい言葉を放つ。

ローレンはその後ろで息を詰めて魔女の反応を待っていた。

未だ道の存在であるこの魔女は、はたして牙をむいてくるのだろうか。腰の剣を意識しながら、ローレンは二人のやり取りを見守る。

空気が緊張をはらんだような気がした。

その空気の中、先に動いたのは魔女だった。

思わずローレンは女官長をかばうように前へ出る。が、魔女の行動は予想外だった。

女官長に一瞥もくれず、魔女は靴を脱ぎ棄て、そのままベッドに潜り込んだ。

ローレンたちはあっけに取られしばし呆然としたが、やがて女官長が大きくため息をつき、それを合図に二人は部屋をあとにしたのだった。






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