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はっと我に返り、あわてて頷いた。
「は、はい…ッ」
「珍しいことだ」
「は?」
脈絡のない言葉に、士長は首を傾げた。
「この森や私の事を代々の魔術士長が語り継いでいるのは知っている。だが、実際に尋ねてきた者などいなかった。信じていなかったのか、それとも恐れていたのか」
「は、はあ…」
「何が望みだ」
「え?」
わずかだが硬くなった声で魔女が問いかけた。だが展開についていけていない士長は、しどろもどろになりながら必死に言葉を繋ごうとする。
「いや、私は…その、ただ…この目で見て、確かめてみたかった、のです…」
「ほう。確かめたかった?」
「は、はい。正直私はここに来るまで魔女様の話を、存在を信じてはおりませんでした。魔法の最高位とあがめられる魔術士長達が己の力が及ばず、何かに縋りたくて結果的に生み出された存在だと…まやかしだと思っておりました」
魔術士長と呼ばれる存在とて所詮は人間。不安にかられる時もあるだろう。そんなときにおすがりする存在として『魔女』というものが創られたものだと思っていた。
だが―――――それは間違っていた。
目の前の人物から感じる膨大な魔力。魔女は、本物だったのだ。
士長の言いたいことを理解したのだろう。魔女はふぅ、と少し呆れを滲ませたようにため息をついた。
「それは、また何とも無鉄砲な男が魔術士長になどなったものだ」
士長は身体を小さくして視線を魔女から逸らした。
そうだ、確かにこれは考えなしの、浅はかな行動だ。立場ある人間が取るべきものではなかった。
城の者たちに自分の不在を不審に思われたらどうする、魔女の秘密が漏れてしまったらどうする…。
自分が情けなくてたまらなくなった。
「も、もうしわけ」
「だが面白い」
「は?」
慌てて口にした謝罪の言葉を、魔女は淡々と遮った。思わず視線を上げると、魔女の肩のあたりが小さく揺れ、く、く…と小さな声も聞こえてくる。
それは笑い声のように聞こえて、士長は耳を疑った。
だがぽかんとしたまま見つめる先で、魔女は確かに笑っていたのだ。
恐怖がじわりと霧散していく。
「誰かと言葉を交わすなど、いつぶりだろうか」
「…やはり魔女様は、永い時を生きておられるのでしょうか?」
「ああ。もう年月など数えることを止めて久しいがな。それより、その呼び名…」
だがそう言ったきり、魔女は黙り込んでしまった。
(どうしたのだろか…何か気にさわったか?)
魔女という存在のことは伝え聞いているが、詳しい素性等は一切残されていない。なので当然名前もわかる筈がなく、「魔女様」と呼びかけるしかなかったのだが。
「あ、申し訳ございません。お気に召しませんでしたか?」
「魔女、というのは誰かの呼び名ではない。たとえ世界に魔女という存在が私一人だとしても、それは私を区別するだけのもの」
ほんの少しだが、魔女の声に不快さが滲んでいるような気がした。
「とは言っても、名を教えるわけにはいかない。名とはその者の存在そのもの。軽々しく出していいものではない」
それは今の魔術師たちにとっても同様だ。術に力を与えるのが己の名前。奪われれば死につながる可能性すらあるのだ。
魔女はしばらく黙りこみ、やがてふむ、と小さくうなずいた。
「よかろう。私の元を訪ねてきた初めての、そして奇特な魔術士長よ。お前が気にいったよ」
「は?」
今、魔女は何と言っただろうか……。
士長は再び自分の耳を疑った。
「お前に私の通り名を教えてやろう。お前が私に害を為さない限り、その通り名を呼ぶことを許そう」
士長が驚きに目を見張る。
魔女の口元が、楽しげににんまりと弧を描くのが見えた。風が止み、木々のざわめきが遠くなる。
「私の通り名は―――チャルナ。そう呼ぶがいい」
チャルナ――――その意味は黒。
まさしく彼女のことだった。




