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その日のことはおそらく長くこの国の歴史として語り継がれることだろう。
いや、もしかしたら皆口をつぐんでしまうかもしれない。
それほどの出来事だった。
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「申し上げます!!」
慌ただしい様子で壮年の男が駆け込んできた。
皆一斉にその男の方を振り返り、固唾をのんで男の言葉を待った。
「ざ、残念ながら…城中の魔術師の力を持ってしても、王太子殿下の容態は…」
男の言葉は尻すぼみに消えていったが、その内容は全員に伝わり、皆言葉なくうつむいた。
「何故だッ!」
椅子の肘おきを叩きながら呻いたのは、この国の玉座に座る男だった。
雄々しく輝く金色の髪も、今は心労のせいかくすんで見える。
ぐしゃぐしゃとその髪をかきみだしながら叫ぶ。
「な、何をしている!!お前たち!!何か、もっと他に手はないのか!!」
王の叫びに、答えられる者はその場にはいなかった。
「陛下。大臣方」
重苦しい沈黙が続く部屋に、静かな声が響いた。
空いた扉の向こうにいたのは、真っ白なローブを纏った初老の男だった。その胸には緑の石がはまった首飾りが揺れている。それはこの男の位を表わすのも。
「魔術師長…」
王の口から苦々しい声が漏れる。
「何をしに来たというのだ。まさかわざわざ失敗の報告に来たのではあるまいな。余は今そんなことを聞いている暇はない」
役立たずが――と全身で語っていた。部屋にいた大臣たちも王の苛立ちをさらに増すようなこの男の登場に困惑した。
しかし魔術師長はまったく動じることなく、静かな動作で頭を垂れた。
「お待ちください、陛下。私はそのような報告に来たのではありません。王太子殿下を治療出来るかもしれない者について、心当たりがございます」
「なに…?」
王は訝しむように男を見る。男は頭を下げ続けたまま、王の言葉を待った。
しばらくして、王は男に発言の許可を与えた。
「申してみよ」
「はい。王太子殿下の様態については我々では歯が立ちません。それには理由がございます」
「それは何だ」
「殿下は病ではなく、呪いを受けておいでなのです」
ざわり、と部屋の者たちは騒ぎ出す。だが王がひと睨みすると、部屋にはまた静寂が戻った。
「…呪い、だと?しかしそれはすでに滅んだ魔法では…?」
「いいえ、魔術書や陣を消しただけであって、完璧に滅んだわけではないのです。呪いとは黒魔法、ですが今この国には白魔法が溢れています。故に誰も知る機会は無いと思われたのですが…何者かが古の術を復活させてようです。今回のこと、我々白魔術師には打つ手がありません。何故なら誰も黒魔法を知らないからです」
部屋はしんと静まり返った。
まさか…いや、しかし王子のあの不可解な様態は…。
皆心の中で魔術師長である男の言葉を反芻する。受け入れがたい事実であった。
王もまた、口を閉ざしていた。
「しかしながら、私は黒魔法を使えるかもしれない者を一人、知っております」
「…それは誰だ」
「北の森に住む、魔女にございます」
ざわめきが起こった。
「…余もその噂は聞いたことがある…しかし、実際には森に魔女がいるのかどうかもわからないらしいではないか」
それはこの国の人間が幼いころに一度は聞いたことがある言い伝え。
―――悪いことをすると、北の森の魔女に呪われてしまう―――
呪いなどとうに忘れたこの国で、呪いの言葉だけが語られている。
「いいえ、魔女はいるのです」
「なに?」
「代々、魔術師長になる者だけがこの事実を受け継ぎます」
静かに男は告げる。皆とうとう言葉を忘れた。
「で、ではっ、その魔女が王子を呪ったのではないのかッ!?」
やがてひとりの大臣が魔術士長に問いただす。その言葉に我に返ったように、そうだそうだと声が上がる。
王も魔術師長の言葉を待った。
「確かに、現時点で黒魔術が使えるだろう人物は魔女一人。それは事実です」
「ならばッ!」
「ですが魔女に頼らざる得ないのもまた事実です。それに、もし本当に魔女が犯人ならば、解けるのは魔女だけです」
我々の力不足ゆえ、陛下ならびに大臣方々にご心労をお掛けして申し訳ないと、魔術師長は再び深く頭を下げた。
そして翌日、北の森に王城からの兵が向かった。




