孤寂
本作をお目に留めていただき、誠にありがとうございます。
本作は、原作者タラニ・センサルマ(Tarani Sensarma)が執筆した短編怪談小説を、J・バサパディヤイ(J Bandopadhyay)が日本語に翻訳したホラー作品です。
インド・西ベンガル州のカルカタ(コルカタ)近郊にある、かつての静かな農村を舞台に、深い闇と不気味な「音」がもたらす理屈を超えた恐怖を描いております。
皆様のご期待に添える物語となれば幸いです。どうぞ最後までお楽しみください。
ベラリ、すなわち私たちの故郷から勤め先まではかなり距離があった。そのため、帰宅する頃にはいつも夜が更けていた。
当時のベラリのような農村では、夜十時ともなれば、ほとんど真夜中も同然だった。
あの夜は、おそらく運に恵まれていたのだろう。最終の渡し舟に間に合い、自分は幸運だと思いながら川を渡ってこちら岸へ着いた。腕時計を見ると、時刻は午後十時半だった。
本来なら、ボルダーが迎えに来るはずだった。しかし、こちら岸には彼の姿も、彼が何よりも大切にしていた自転車の姿も見当たらなかったため、私は一人で歩き始めた。
左手には、果てしなく地平へと溶け込んでゆく人気のない野原が広がり、右手には、闇に傷ついた黒い川が絶え間なく水音を響かせていた。そのせせらぎは、月光のどこか物悲しくも優しい淡い輝きに包まれ、辺り一帯をまるで夢の冷たい支配の中へ閉じ込めてしまったかのようだった。その光景は、優しさと恐ろしさを同時に湛えていた。
ふと気がつくと、私はずいぶん長いこと歩き続けているような気がした。しかし、目的地は本来それほど遠い場所ではない。それでも歩き続けているうちに、あらゆるものが静まり返っていることに気づいた。川のせせらぎさえも聞こえなくなっていた。
その静けさは、ごく普通のものではなかった。
それは、見覚えがあるようで見覚えのない、死そのものがもたらす沈黙のようだった。
仕事と長旅の疲れが身体にも頭にも影響しているのだろうと思い、私は歩みを止めなかった。
そのとき、不意に耳が捉えた。
蹄の音だった。
こんな夜更けに、蹄の音だと?
私は一度振り返った。
だが、誰もいない。
時間が経つにつれて、その音はますます鋭く、そして落ち着きを失ったように響き始めた。
山賊でも現れたのだろうか。
そう思った私は道を外れ、野原へ降りると、隅にあった藪へ身を潜めた。
さらにしばらく時間が過ぎたが、誰の姿も見えなかった。
何気なく腕時計へ目を落とした瞬間、心臓が大きく震えた。
見ると、すでに午前三時十五分前になっていた。
私は、五時間近くも歩き続けていたというのか。
その耐え難い蹄の音が、私の人生からその約五時間を、私に気づかせることもなく、永遠に消し去ってしまったかのような感覚に襲われた。そして私は、そのことにまったく気づいていなかった。
そのときだった。
蹄の音が止み、代わって悲痛な叫び声が響き始めた。
まるで誰かが耐え難い苦痛の中で、命の恐怖に叫び続けているかのようだった。
しかし、その叫びは人間のものではない。
何か別の存在の叫びだった。
やがて叫び声は止み、再びあの不快な蹄の音が鳴り始めた。
その瞬間、道の右側から何かが近づいてくる気配を感じた。
巨大な獣。
いや、あれは別の何かなのか。
人から聞いた話というものは、時に信じ難く思える。しかし、この世には理屈や原因では説明できない出来事もある。自分のこの目さえ欺いているのではないかと思えることがある。
その実感を覚えたのは、あの巨大な黒い影をほんの一瞬だけ目にした時だった。
牛のような何か。
だが、頭がない。
首があるはずの場所は、鮮血で赤く染まっていた。
再び、血も凍るような叫び声が響いた。
その怪異は、耐え難い苦痛にもがきながら駆け抜けているように思えた。
そして次の瞬間には、その一連の出来事はまるで幕を閉じたかのように消え去った。
だが、あの蹄の音だけは残っていた。
どれほどの時間だったのか分からない。
虚無だけが支配する人気のない道を、私はただ呆然と見つめ続けていた。
すると再び、静まり返った道の右側から、あの蹄の音がいっそう激しく響き始めた。
その時、私の心臓は止まってしまうかと思った。
あの怪異は、先ほどよりもずっと私の近くまで迫っていたのだ。
その冷え切った血と腐った肉の悪臭が、私の全身から力を奪っていくようだった……。
激しい雷鳴が轟き、暗闇に包まれていた部屋が一瞬、眩い光に満たされた。
「カカバブ、あなたのお茶です」
ドアを開けて入ってきたルクミニは、その一声で、この暗い部屋を満たしていたすべての悲愴な空気を静めてしまったかのようだった。
「ああ、そこに置いておくれ」
すると、ビルジュが口を開いた。
「それで、そのあとどうなったの、おじいちゃん?」
意識を取り戻したとき、ボルダーが私の顔に水をかけてくれているのが見えた。ほかの者たちも、ある者は私をあおぎ、ある者は私の腕をさすっていた。
皆に支えられながらようやく家へたどり着くと、私はひどい熱を出した。
家の年長者たちに事の一部始終を話すと、彼らはこう語った。
「あの場所の近くでは、昔、村の牛が死ぬと、そこへ埋められていたのだ……」
その場にいた全員が思わず声を上げた。
「それで、あの首のない牛は!」
「いや、あの日を境に、その姿が再び現れることはなかった。それでも、ときおりあの蹄の音だけは、今なお私の心を震え上がらせるのだ。」
最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
本作は「夏のホラー2026」の公式企画に参加するために投稿いたしました。異国の地に伝わる独特な空気感や、目に見えない怪異の気配を日本の読者の皆様に感じていただけましたら幸いでございます。
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今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




