氷の公爵令嬢はだてじゃない
「セラフィナ・ヴィンテール公爵令嬢! きみとの婚約を破棄させてもらう!」
煌びやかな夜会の会場。
響き渡った第三王子ルシェルの怒号に、宮廷楽団の演奏はぴたりと止まる。
「……理由をお聞かせくださいませ」
ルシェル第三王子の目の前に立つ公爵令嬢 ── セラフィナ・ヴィンテールは毅然として訊ねた。
静かな声だ。
取り乱すこともなく、泣くこともなく、怒鳴ることもない。 その落ち着きぶりは、かえって会場の空気を緊張させた。
「きみはリリアンナを階段の踊り場から突き落としたそうだな!」
「しておりませんが」
ルシェルの右腕に両腕を絡ませ、しっかりと巻きついているリリアンナに、セラフィナはチラリと視線を送る。
「ひっ!」
怯えて声を上げるリリアンナ。さらにきつくルシェルの腕に巻きついた。桃色の唇を噛みしめてプルプルと震えている。
リリアンナ・タイトはタイト男爵の庶子だった。数年前にタイト男爵家に迎えられて貴族籍を取得し、王立学園に通うことになった少女だ。庇護欲をそそる愛らしい顔立ちにくわえて、華奢で小柄な体格をしており、表情もくるくると変わる。
「かわいそうに……リリアンナはこんなにも怯えてしまって。純真可憐なリリアンナによくもそんな非道な行いができたものだな。さすがは『氷の公爵令嬢』だ」
リリアンナとは対照的に、セラフィナは感情を表には出さない。取り乱したセラフィナの姿など、ルシェルでさえも見たことはない。いつでも沈着冷静、泰然自若。それがセラフィナだった。
そのために、ついた通り名は『氷の公爵令嬢』。
「私はそのかたを突き落とすなどしておりません」
「まだシラを切るのか!?」
「していないことを認めることはできません。それとも証拠があるというのでしょうか? どなたかが証言に立たれるとか? そうするとそのかたも偽証罪に問われるかもしれませんわね?」
詰め寄るルシェルの勢いも、さらりと受け流すセラフィナ。
しばらくの間、ルシェルはセラフィナをきつく睨みつける。と、深くため息をついた。そしてボソリと呟く。
「……そういうところだ」
「どういうところでしょう?」
セラフィナは小首をかしげる。不思議なものを眺めるようにルシェルに訊ねた。
「きみには可愛げがないんだよ!」
我慢がならないというように、突然にルシェルは叫んだ。
「今の流れでそれを仰るのですか?」
「またそれだ! またそれだよきみは!」
ルシェルの頬に一気に赤みが差す。
「いつでも隙がなくて完璧ぶって自分が正しいように振る舞って! 狼狽えることもなく、私に助けを乞うこともない!」
「……それは、ルシェル殿下の婚約者として当然では?」
苛立ちのために舌打ちをしたルシェル。勢いよく隣のリリアンナの腕を掴み、高く持ち上げた。
「見ろ! リリアンナはちゃんと震えているだろうが!」
「それはルシェル殿下が急に腕を持ち上げたからですわ」
「違う! 怯えて震えているんだよ!」
ルシェルはリリアンナの腰をぐいっと引き寄せると言い放つ。
「私はこういうのがいいんだよ!」
リリアンナはその勢いにびくっと身体を震わせた。
「頼ってきて! 弱くて! 儚げで! 私が守ってやらないとダメで!」
セラフィナはほんのわずかに目を細めた。それから長く白い指を顎におく。
「……なるほど」
「きみは違う!」
セラフィナに指を突きつけながら、ルシェルはなおも叫ぶ。
「きみは私がいなくても平気だろうが!」
その一言は会場の空気をさっと変えた。
ひと呼吸おいたのちに、セラフィナはゆっくりと口を開く。
「ルシェル殿下……ほかになにか仰りたいことはございますか?」
「きみは完璧すぎる!」
「まあ、ありがとうございます」
「それと怖い!」
「あら、心外です」
「なにを考えているのか分からない!」
「よく言われますわ」
そのときに、ルシェルの隣で震えていたリリアンナが小さく手を挙げた。
「わ、わたし……」
「あなたもなにか仰りたいことがあるのかしら?」
「あの……突き落とされてません……」
蚊の鳴くような弱々しい声だった。
「……は?」
狐につままれたようにルシェルは問い返す。
「最初はつまずいただけで……。でも、突き落とされたんじゃないかと、殿下はとても心配してくださって……」
「はい」
セラフィナは静かに相槌を打つ。
「否定しづらくて……」
「ええ」
「その……心配してくださることが、ちょっと気持ちよくなってしまって……」
「率直でよろしいですわね」
「でも……! 偽証罪とか……そんなつもりは全然なくて……!」
思いもよらないリリアンナの告白に、顔面蒼白となったルシェル。リリアンナを呆然と見つめる。
「そんな……では……私は……なにを信じたのだ」
「ルシェル殿下ご自身の願望かと存じます」
セラフィナは至極真面目な表情で答えた。
「……分析するのはやめろ」
うなだれてしまったルシェルに代わり、セラフィナが場を取り仕切る。
「では改めまして。ルシェル殿下の主張は『嫌いだから婚約破棄したい』。それでよろしいですわね?」
「……ああそうだ! 私はきみが嫌いだ!」
ルシェルはすでに自暴自棄である。
「ええ、存じております」
「……知っていたのか」
「態度に出されておりましたので」
ルシェルは一瞬、言葉に詰まった。だが、すぐに言い直す。
「いや違う! ちゃんとほかにも理由はある!」
「後付けでございますね」
「そうじゃない! 断じて違う!」
「『嫌い』というのは、非常に簡潔で分かりやすい理由です」
「……褒めているのか。それは」
「ええ」
セラフィナはこっくりと肯く。
「無理に飾られるより、よほど誠実でございます」
ルシェルはもう、ぐうの音もでない。
「ですので……婚約破棄を受け入れましょう」
セラフィナの答えは、実にあっさりとしたものだった。
「……いいのか」
「はい。望まれていない婚約に価値はございません」
セラフィナの覚悟に、会場は水を打ったように静まり返る。
「ですが」
「なんだ」
「理由は記録させていただきます。『嫌いだから』と」
「それはやめろ!」
セラフィナは駄々をこねる幼子を諭す口調で言った。
「安心なさってください」
「……なにがだ」
「とても印象に残る理由ですわ」
ルシェルは頭を抱えるしかなかった。
数日後 ──
ルシェルとセラフィナの婚約は滞りなく解消された。
婚約の解消理由は『価値観の違い』。
しかし ──
『嫌いだからという理由で婚約を破棄した王子』。
その事実はしっかりと裏の記録として残された。
「……単純な断罪劇でしたわね」
セラフィナは午後のガゼボで紅茶を飲みながら、陽光を浴びて咲き誇る花を眺めていた。
「……嫌い、ね」
ひとりごちて、氷の公爵令嬢は「ふふふっ」と微笑む。
「でしたら……最初からそう仰っていただければ、もっと面白くして差し上げましたのに」
ルシェルは永遠に知ることのないセラフィナの呟き。それは花たちを渡るそよ風に、溶けるように淡く消えていった。
読んでくださってありがとうございます。
すこしブラックよりのコメディなのかなぁ°゜(´-`*)?
安定のジャンル迷子になりました。ので、「その他」ジャンルへ投稿します。
2026/04/23
誤字報告をありがとうございました!
個別にメッセージでお礼を送ろうと思ったのですが、誤字報告を適用させたらユーザーさまのIDなどが消えてしまいまして……<(__;)>
こちらでお礼を申し上げます。
何回も読み直したのですが、ゴジラにはなかなか気がつかないもので……。とても助かりました!
ありがとうございます(*´˘`*)




