第9話 異変と困惑
「我が辺境伯の爵位に興味はないかね?」
想像もしなかった辺境伯からの提案に、コンラートの思考は一瞬止まっていた。
「……は?」
辺境伯の言葉の意味が分からず、間の抜けた返事しかできない。
「我が辺境伯の爵位を団長殿に引き受けていただきたい」
再度、辺境伯が言った。一度目よりもはっきりと――。
「いやいやいや、息子さんが……」
「これは駄目です。まともに治めることなどできません」
本人の前で何ということを言うのか、と他人のコンラートでさえ腹立たしく思ったのに、当の本人は気にしていないのか、表情ひとつ変えなかった。
「父の言う通りです」
他でもない自らの父親に『駄目』という烙印を押されているというのに、フリッツは無表情のままだ。
「な……」
「しかし、こんなのでも息子は可愛い。どうだろう。騎士団で適当なポストに就けてやってもらえないだろうか?」
(適当って……ふざけてんのかよ……)
「……そんなことは」
自分たちの仕事が、どうでもいいように言われていることを感じ取り、俄に眉根を寄せたが、辺境伯は下卑た笑みをコンラートに向けてきた。
「辺境伯の爵位があれば、王姉殿下ともお似合いでしょうな」
「!?」
抗議しようと開きかけた口が、凍ったかのように動かなくなった。腕すら動かない。耳奥からは自身の心臓の音が聞こえてくるようだ。
馬鹿げている。自分の欲望のために、国の機関である騎士団にこんな呆けた男を入れるなど。
そう頭では分かっているのに、拒絶の言葉が口から出てこない。喉が詰まったように苦しい。即刻拒否するべき状況だというのに。
ぐっと強く瞼を閉じる。
『行くぞ、コンラート』
そう言ったロザリンデの顔が浮かんだ。その直後の、何か大切なものを手放したような不安げな顔がコンラートの胸を更に締め付けた。
爵位があれば……どこまでも彼女と共に行くことができるのではないか。 あの時、何も言えなかった返答を、爵位を手に入れた後でならば返せるのではないだろうか。
いや、こんな方法で爵位を手に入れたとして、ロザリンデが喜ぶはずがない。
しかし、こんなチャンスでもなければ自分が爵位を名乗ることなど、もう二度と巡ってこないことだけは確かだ。
爵位があれば……他を圧倒できる力があれば、誰からも傷つけられず、誰かを――ロザリンデをも傷つけずに済むのではないか?
強張るコンラートの顔から何かを感じ取ったらしい辺境伯が、隣の息子にニヤリとした笑みを向けてから、口を開いた。
「……すぐに断らないということは、考える余地があると判断させてもらっても良いかな?」
「……」
そう確認する言葉にすら、コンラートは肯定も否定の言葉も、動きすらも返すことが出来なかった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「今日も行くんですか~?」
騎士団詰所への道を先導するエルナが嫌そうな表情を隠しもせずに、ロザリンデを振り返る。ロザリンデは黙って頷いて見せた。その隣でセラフィーナもため息を吐く。
「姫様……毎日毎日ひとりの殿方の元に通い詰めるのは……少々はしたないかと」
「もうこんな年なのだから、誰も気にしないわ。それにね、少々はしたなくとも、私はコンラートに諦めないと伝えたのだから、こういうのは有言実行でないと」
「姫様……お言葉遣いはお上品であらせられますが、内容が男前すぎます」
セラフィーナが再度ため息を吐く。
いつもいつもロザリンデが団長室に入りびたっては人払いをするものだから、様々な場所で色々な人々の口から、王姉殿下の想い人はコンラート・フォン・アイゼンベルク騎士団長なのではないか、という一派と、いやいや、きっと王姉殿下は英雄ライナー・フォン・ゾンネンフェルトとの結婚を騎士団長に直訴しに行っているのだ、という一派が毎日あちらこちらで戦っているらしい。
「その噂を毎日毎日確認される私の身にもなってくださいませ。今日こそは姫様が諦めるかアイゼンベルク様が白旗を上げるのか、私がこの目で確かめさせていただきますからね!」
「コンラートが白旗上げるってどういう意味なのかしら? 私の気持ちを受け入れるのは彼にとっては敗北ってことなの?」
「それはそうですよ。姫様はご存じありませんものね。アイゼンベルク様が姫様の護衛を外れてからどんな様子だったかなんて」
「え?」
聞き返そうとしたところで、騎士団詰所の入り口に到着してしまった。もう顔なじみになった門番のペーターがロザリンデの顔を見た途端、泣きそうな顔になる。ロザリンデは胸の奥がざわつくのを感じた。
「王姉殿下。団長が……団長がおかしいんです!」
「え?」
「ものすごい爽やかににこやかに挨拶するし、書類仕事も完璧にこなしているし、訓練だってサボらずに参加してるんです。クラウス副団長に聞いても、こんなの団長が就任して一週間後から見なくなった姿だって……」
ペーターは不安そうな顔をして口元を歪ませる。本気でコンラートの様子を心配している。しかし。
「……え?」
ロザリンデは、意味が分からず、もう一度首を傾げることしかできなかった。




