第6話 使えない騎士団長
「王姉殿下、団長は?」
固まってしまったコンラートを放置したまま扉の外に出た途端、部屋の外で待機していたらしいエルナが、ロザリンデの姿を見るなり足早に近づいてきた。
ロザリンデは黙ったままひとつ頷いてから、周りを見回した。
「ライナーは?」
「ライナー様は訓練場に。『殿下なら何とかしてくれるから大丈夫だ』って言って」
ロザリンデは苦笑しながら再度エルナに頷くことで、言外にコンラートは大丈夫だと伝えるに留めた。周りに不特定多数がいる状況で、口にできることは少ない。
その時、廊下の奥から規則正しい固い足音が聞こえてきた。ロザリンデとエルナが音の方に目を向けると、銀色の長髪をひとつにまとめて眼鏡をかけた神経質そうな騎士が、こちらに歩いてくるところだった。手元を見れば、書類の束が重ねられている。
「ごきげんよう、クラウス様」
対外用ロザリンデの皮をかぶり、スカートの裾を少し持ち上げて、ロザリンデは優雅に片足を一歩引き頭を下げた。
「王姉殿下、今日もいらっしゃっていたのですね」
クラウス・フォン・ジルバーヴァルト。ルミナス王宮騎士団副団長の職にある男だ。ロザリンデは微笑を浮かべた口元に手をあて、愛らしく見えるように首を傾げながら、くすくすと声をあげた。
「えぇ、今日も、参りました。騎士団の皆さまには、ご迷惑をおかけして申し訳ないですわ」
「いえいえ、王国の花たる殿下が足しげく連日我らが団長の元までわざわざ来てくださるのは、我々騎士団一同、望外の喜びでございます」
「クラウス様にも喜んでいただけるのであれば、また寄らせていただきますわね、では失礼いたします」
ロザリンデは再び礼をする。エルナを伴いクラウスから離れてから、我知らず力が入っていた肩を下ろした。
「相変わらずあの眼鏡男は嫌味しか言わないな……」
そう、楽しげに呟きながら。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
ロザリンデとの毎度の嫌味の応酬を終えたクラウスが、その足で団長室の扉をノックしてから開けると、途中でガンっと何かにぶつかって止まった。
「痛ぇっ!」
それが、この部屋の主であり、上司の声だと気づいたクラウスは、身体を横にして狭い隙間を通って中に入り、扉を閉めるとにこやかな笑顔を無理やり作った。
「おや、新しい壁が入ったのかと思えば団長殿でしたか」
「……お前は、もう少し年長者を敬えんのか」
額を抑えたまま、コンラートはクラウスを軽く睨んだ。
「敬える上司がいらっしゃる方が羨ましくてなりませんね」
そう言いながら眼鏡を押し上げ、クラウスは持ってきた書類の束を執務机の上に投げるように乗せた。思わず感情が漏れてしまったのか、数枚の紙がぐしゃっと音を立てる。
「なんだそれは」
机の上に視線を向けてコンラートが訝しげな顔をするから、クラウスはひくつくこめかみを指先で揉みながら答えた。
「団長殿が作成した書類です。差し戻されました」
「はぁ? 何で?」
「スペルミス、判別不能の文字、押印場所の間違い、インクの染み……アンタ一体何歳なんですか? こんなミス、門番の少年でもしませんよ。有り得ません」
「……」
「しかも、この書類……。どこかの誰かさんが溜めに溜めまくってるものだから、即位式は出なくていいからまず片付けるように私が申し上げてお渡しした書類ですよね? 何でこんな二度手間になるようなことになるのか私にはさっっっぱり、理解できませんが」
「……」
「……」
コンラートの視線が明後日の方向に向いている。これは心当たりがあるに違いない、とクラウスは思った。昨日から今日にかけてのコンラートの動き、騎士団の日誌、関係者からの報告を目まぐるしい勢いで脳裏に呼び戻す。
昨日の即位式、その後の即位記念パーティーでのコンラートの様子、そして先ほどの、いつも通りにクラウスの嫌味を意にも介さないような王姉殿下の口元が、微かに緩んでいたことを思い出した。
「……昨日、この書類を処理している時に王姉殿下に求婚でもされましたか?」
「!?」
言った途端、それまで面倒くさそうに書類を見返していたコンラートが、手にしていた紙を全て床にばらまいた。
適当に言ってみただけだったのだが……どうやら図星らしい。クラウスは片眉を上げた。
「おや、当たりでしたか? 王姉殿下がやたらこの部屋に入って来る、団長と二人きりになる、昨日から団長の様子がおかしいという門番からの報告は間違っていなかったということですね」
「お前ら……」
「別に門番は私に告げ口したわけではありませんよ。日誌に正しく、起こったことをありのままに報告をしてくれているのを、日々お忙しいらしい団長の代わりに私が確認しているのです。私に日誌の確認を投げたこと、まさかお忘れではないですよね?」
「う……」
コンラートは気まずそうに腕組みをして天井を見上げた。その姿をクラウスはうんざりした気持ちで見やった。
この上司は、騎士団の中で特に体躯が良いわけでもなく、身長が特別高いわけでもなく、知識が豊富なわけでも、戦術作戦組み立てに特化しているわけでも、魔法が得意なわけでもない、冴えないくたびれたひょろりとした中年の男である。
なのに騎士団のトップに立ってから既に四年が経っているのだ。そんな特に秀でたところもない団長を支えざるを得ない副団長クラウスは、この無能上司に苛立った時期もある。けれど、知れば知るほど、関われば関わるほどに、理解できてしまったのだ。コンラートが騎士団団長職に在り続ける理由を。
「済まなかった、クラウス。お前にまた手間をかけたな」
コンラートが、部下である自分に深く頭を下げたのだ。クラウスの胸の底でチリっと鈍い痛みが走る。
(こういうところ、だよ。アンタのずるいところは)
憎みきれないのである。騎士団にありがちな、力で部下を従わせるでもない。階級で黙らせるのでもない。
「お前がいてくれるから、俺はこうやってへらへらしてるだけで一日を終えられるんだよな」
そう言って、年下であろうと年上であろうと、素直に感謝し、正直に謝ることのできる希少な人間なのだ。
ため息を吐きながら上司が盛大に散らかした書類を拾おうと身を屈めると、コンラートがこちらを手で制し、自分で拾い始めた。
「ほんと、すまんな。ここんとこ、殿下の質の悪い遊びに付き合わされててな」
「質の悪い遊び? 求婚がですか?」
「っ!?」
クラウスが尋ねた途端、再び書類が宙を舞った。集めた書類を手にしたまま、コンラートが落ちた書類を踏んで滑ったのだ。
「あぁ、もう! 何なんですか? 今日のアンタはその辺の酔っ払いより使えないですよ。正気に戻ってください」
叱咤するも、コンラートは悪い悪い、とへらへら笑いながら、書類を拾ってはその端からまたその書類を落として歩く。
こめかみ付近の血管が、そろそろ限界を迎えそうだと思ったクラウスは、最終手段を取ることにした。
つまり、コンラートを捕まえて訓練場に引きずって行ったのだ。そして汗を流して鍛錬している同期の名前を呼んだ。
「おい、ライナー! 団長がお前と真剣で手合わせ願うってさ」
「マジでっ!?」
三度の飯よりも真剣勝負が大好きなライナーが目を輝かせて振り向いたのと、顎が外れそうなほどに驚愕の表情を浮かべるコンラートがクラウスに視線を向けたのは、同時のことだった。




