第3話 コンラートの後ろ姿
即位式の夜。ルミナス王宮の大広間では、新国王即位記念パーティーが煌びやかに開催されていた。
見上げるほどに高い丸天井の下で、管弦楽団の軽やかな音楽と人々の楽しげな声が交わり、パーティー会場独特の熱気を作り上げていた。
フロアでは、新国王、新王妃と繋がりを持ちたい者たちが国内外から集まり、パーティーの主役と話す機会を窺っている。
そんな貴族たちを遠目に見ながら、ロザリンデの後ろから呆れたような声が聞こえてきた。
「全く……一生に一度しか着ないドレスにどれだけの手間と金を掛けるのやら」
辟易したような物言いに、ルミナス王国の花たるロザリンデ・ド・ルミナスを完璧に演じているロザリンデは、扇で口元を覆いながらくすくす笑い声を立てた。
「あら、ライナー、分かっていませんのね。一生に一度しか着ない、この豪奢なドレスを作成する料金と時間と手間そのものが、国の素晴らしい職人たちを成長させるのですよ。文化を発展させるのも、持てる者の義務でもありますから」
深い紫色の滑らかな生地に刺繍された細やかな金色の模様と、散りばめられた無数の細かな有色石が、動きに合わせてふわりと揺れてドレスの裾を彩る。ロザリンデは己の身を彩る美しい芸術品に指先をなぞらせて、ゆったりと微笑みながらライナーを振り返る。
「そういうもんですかね。俺には非常に難しい話でございますね」
肩をすくめて見せる今夜この場だけの護衛騎士に、ロザリンデはため息を吐いた。
「そうでしょうね。ライナーはこういう場所での護衛よりも、王国の剣として外で魔物を屠る時の方がきっと生き生きなさっているのでしょうね」
おっとりと笑うロザリンデに、ライナーは声を低くしながら両腕を寄せて震えるような仕草をした。
「普段の殿下を知ってる身からいたしますと、こういう時の殿下のお振舞いに、鳥肌立ちそうなんですけどどうしたら良いですかね」
「我慢なさい。これが私なりの戦闘服なのですから」
そう。ロザリンデの仕事は社交の場における水面下での戦闘である。高価なドレスも宝石も、美しく整えた我が身も立ち居振る舞いも、全てが己の剣となり、盾にもなるのだ。
「相変わらずカッコいいお姫様ですね」
わざと震えるようなふざけた仕草を止め、ライナーは目を細めてロザリンデを見下ろした。兄が妹を見守るような、そんな温かさを感じてロザリンデも目元を緩めた。そして周りに聞こえないように、低く呟く。
「お褒めの言葉として有難く受け取っておくわ。それよりもライナー、知っていて?」
「何をです?」
「今日の騎士褒賞の場で、貴方が私に求婚するっていう噂」
「はぁっ!?」
ライナーが素っ頓狂な声を上げる。
周りにいた貴族数名がこちらに視線を向けたが、ロザリンデが口元を隠したままその視線を真っ直ぐに受け止める。同時に相手は、気まずそうな笑みを浮かべてすぐに立ち去って行った。その後ろ姿を見送ってから、ロザリンデは短く息を吐く。
「有り得ないわよね。誰がそんなこと言い始めたのか、私、とっても興味がありますの」
すっと目を細めて広間内に視線を走らせるロザリンデの視界を遮るように、ライナーはロザリンデの目の前に立ち塞がった。
「怖い怖い。俺らの噂なんて護衛騎士だった昔からあったじゃないですか、なんで今さらそんなことに目くじら立てるんです? 『ブンブンうるさく飛びまわる虫どもなど放っておけ』ってご自分がカッコ良く言ってたの、お忘れですか?」
忘れてなどいない、とロザリンデはかぶりを振った。
「誰が再び言い始めたのかは分からないけど、その話が出た理由は分かるの」
「理由、ですか?」
ロザリンデは頷いてから続けた。
「今日だけ、私の護衛騎士を貴方が務めることになったから、かしらね。そんなの褒賞を授与するのだから、褒章を受ける騎士を護衛にしてしまえば、出勤は一人で済むっていう、単なるシフト上の話ですのにね」
「ま、そんな噂を作ったり広めたりする暇人なんて、今まで通り無視でいいんじゃないですか?」
ライナーは興味無さそうに言い置いて、今度はロザリンデの前をゆっくりと歩き始めた。その背中に向けて、ロザリンデが言う。
「そうなんだけど……私、コンラートに求婚した立場だから、やっぱりそういう噂が広がると良くないんじゃないかって」
ぴたり、とライナーの足が止まり、くるりと勢いよく振り向いたその顔を見ると、目が大きく見開かれていた。
「……は? 初耳なんすけど!」
「初めて言ったもの」
ライナーの驚いた顔は、数秒ロザリンデを見つめた後、じわじわと心底嬉しそうな満面の笑みに変わっていった。
「そりゃ団長、泣いて喜んだんじゃないっすか?」
そうだったらどんなに良かったか。そう思いながら、ロザリンデは首を横に振った。
「固まって動かなくなったところまでしか私は見てないけれど、明確な返事はまだもらえてないわ」
あの時、コンラートは本気で動揺していた。正直、あそこまで拒否されるとはロザリンデ自身思っていなかった。愛されているとは思わないけれど、嫌われてはいないと思っていたのだ。
もちろん、今日の求婚の場では拒まれたということも分かっている。しかし、コンラートの口からはっきりと『お断りします』という言葉を聞くまでは、一歩たりとも引く気はない。……が。
(とんだ自意識過剰だったってことか……)
内心で苦く思いながら、ロザリンデは首を傾げる。
「ライナーはどうしてコンラートが泣いて喜ぶと思ったの?」
「そりゃ、殿下に告白されたら大概の男は喜んで舞い上がるでしょうよ。俺は遠慮願いますけど」
「……ライナーもコンラートも、大概の男ではなかったということね。まぁ、いいわ。私、まだコンラートを諦めるつもりはないもの」
「殿下のそういうトコ、嫌いじゃないっす。応援してます」
ライナーの言葉がくすぐったいような、嬉しいような気がして、ロザリンデは小さく笑うのだった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「これより、騎士褒賞授与に入る」
新国王アルベルトが声高らかに宣言すると、王宮管弦楽団がファンファーレを高く鳴らした。
授与の役を仰せつかったロザリンデは、侍従が捧げ持つビロードの滑らかな手触りのクッションから重たい勲章を手に取り、目の前で騎士らしい所作で跪くライナーの肩マントに慎重に留めてやった。
「数々の魔獣から多数の村を護った英雄、ライナー・フォン・ゾンネンフェルトに、勲章を」
そう口に出した途端、大広間に大きな歓声と拍手が沸く。ライナーは貴族たちはもとより、国民からも英雄として慕われている。男女問わずに人気があり、多くの民を守る力も持っている。
だからこそライナーには自分だけでなく、多くの人を護る騎士になって欲しいと思ったのだ。そのために、四年前ロザリンデはライナーに己の護衛騎士を辞させた。自分一人が王国の剣を独占していてはいけない、と。
(あの時の判断は、間違っていなかった)
そう考えた自分を誇らしく思えて、その期待に応えてくれたライナーに感謝しながら、ロザリンデは目の前で立ち上がったライナーを見上げ、心からの賛辞を込めた笑みを送った。
その瞬間、大広間に複数の口から感嘆の息が漏れる。
「やはり王姉殿下は英雄のことを……」
「絵になるお二人ですわ……」
さざ波のように、同じような言葉があちらこちらで聞こえ始める。
(全く……素直にライナーを褒めるだけで良いものを……)
呆れながら大広間全体をゆっくり見回した時、奥の扉からひとり静かに出て行く騎士団長の背中が見えた。
(コンラート……? 何か、あったんだろうか)
今はまだ褒賞授与の式典の途中である。もし不測の事態で何かあったのであれば、コンラートだけでなく他の騎士も一緒に動くはずだ。しかし、出て行ったのはコンラートひとりだけ。
彼らしくない。部下の晴れ舞台を見る時には、最後まで嬉しそうに、けれど邪魔にならないように会場の奥の方でひっそりと祝うのがコンラートという男である。
ロザリンデはざらりとした嫌な気持ちを覚えながら、次の騎士に褒賞を授与するために、コンラートのことを頭から追い出すために、扉から視線を外した。




