第18話 旅立ち
「殿下、まだ出航までは時間ありますよ? もう乗っちゃうんですか?」
何度も後ろを振り返ろうとするライナーの背中を、ロザリンデはおもいっきり叩いてやった。
「早めに乗船することの何が悪いんだ? それに……旅に出てから、何度も何度も後ろを振り返っているが……何の真似だ? ライナー」
自分よりも、コンラートよりも背丈のある大男を睨みつけながらロザリンデは言った。
本当は分かっている。王宮を出る前、ライナーがロザリンデから少し離れたあの時間。ライナーはコンラートにこの旅のことを伝えに行ったに違いない。でなければ、このように何度も何度もしつこいくらいに後方を確認する必要もないし、早めの乗船を拒む理由もない。
「コンラートは来ない。あいつは、恐らくまだ落ち込んで動けないはずだ。今頃も『今更どの面下げて』と頭を掻きむしっているよ」
「団長は……カッコいいですから、遅れて登場するタイプなんですよ」
「だから……来ないと言ってるだろう?」
「……」
ライナーは納得いかないという表情を隠そうともせずに、もう一度だけロザリンデの頭越しに後ろを見てから、がっしりとした肩を落とす。
「ほら、もう諦めろ」
ライナーの背を押すようにして船に向かう桟橋へと足を進めた。同じ船に乗船する客は思っていたよりも多く、人の波がなかなかに激しい。背の高いライナーでさえ、一度見失うと分からなくなりそうだ。
それでも、ロザリンデは気を抜くと下を向いてしまう。王位継承権持ち(スペア)ではない人生を、それでも国の為に、より良い治世の為に、旅をすることで情報を自国に持ち帰る。これも幼い頃から思い描いていた夢だった。心躍るはずなのだ。なのに……。
そんなことばかり考えていたものだから、桟橋の辺りに歩を進めたところで、前を歩いていたライナーが、急にロザリンデの前から離れたことに気づくのが数秒遅れた。外で護衛騎士が自分の傍を離れるなど、今まで一度だってなかった。思わず呼び止めようと手を出そうとした瞬間。
「!?」
ふいに後ろからがっしりした腕が伸びてきて、ドンッと背中に何かがぶつかるような衝撃と共に、ロザリンデは強く、抱きすくめられた。
心臓が、跳ねた。
この腕、この指、背中に触れる身体の感触……知っている。ずっと幼い頃から知っている温もりだ。
コンラートだ。コンラートが……来てくれた。
けれど、ロザリンデは抱きすくめられたまま、下を向いた。ぐっと唇を強く噛みしめる。
「……何をしに来た、コンラート」
低い、拒絶の声を放った。……けれど、この身を抱きしめる腕の力は変わらない。その上、耳元で声がした。
「あんだけ人のこと追いかけまわしといて、急に黙って消えるなんて、酷かないですか?」
胸に刺さる一言に、思わずロザリンデはコンラートの腕の中から逃れて振り向いた。
「コンラート……お前……」
目の前の男はボロボロであった。息が切れて、肩で息をしながら、額から汗は流れ、全身泥と埃まみれ。船に乗る人々が次々と歩いてくる中、ロザリンデとコンラートの二人だけが、桟橋の上で立ち止まっていた。
コンラートはロザリンデの視線を追うように自分の身体に目を向けた瞬間、あっ、と声を上げた。
「す、すみません、こんな格好で……」
汚れたまま触れてしまったことを謝っているのだろうが、ロザリンデにはそんなことはどうでも良かった。こんなになるまで必死で、自分の意思でこの男はここまで来たのだ。
胸がいっぱいになっているロザリンデが何も言えないでいると、コンラートは唇を真一文字に引き締め、それから息を吐いてから口を開いた。
「殿下欲しさに、グライフェンベルク辺境伯からの話にぐらつきました。あまりに情けなくて、申し訳なくて、お傍を離れようともしました。でも……やっぱり……」
そう言ってからコンラートはロザリンデの金色の瞳を真っ直ぐに見つめて、はっきりと言葉を告げた。
「どうしても、アンタが欲しい」
「!」
「……です」
息を呑むロザリンデに、コンラートは少しだけ視線を逸らしてから小さく文末の言葉を付け足したのだ。
あまりにも正直で誠実で、柔らかな――ロザリンデが求め続けていたコンラートその人らしすぎる台詞で……。
胸が苦しい。唇が震えて止まらない。目がなんだか熱いし、喉の奥から何かがせり上がってきた。居ても立ってもいられず、ロザリンデはコンラートの胸に飛び込む。
「で……殿下!? 俺、汚いし、それより何より、めっちゃ見られてますからっ!」
そう言って離れようとするけれど、離してやらなかった。更に力を込めて抱きしめる。
コンラートが……コンラートが来てくれた。自分の意思で。その事実だけで息が詰まりそうで、痛いくらいに胸がしめつけられて、喉の奥から嗚咽が漏れる。目から熱いものが流れた。
だから、コンラートの服におもいっきり顔を押し付ける。
「……殿下? もしかして、泣いてます?」
「……泣いてない」
「……さようですか」
あまりにいつもの飄々としたコンラートがいて、ロザリンデは泣いているのか、笑っているのか自分でも分からなくなってしまった。
すると、そっと背に温かで武骨な手が触れた。とんとん、と、あやすように優しくロザリンデの背中を撫でるように叩く。
呼吸が整うのを待ってから、ロザリンデは抱きついたままコンラートを見上げた。顔を覗き込むと、コンラートの目じりも少しだけ濡れていた。お互いに顔を見合わせて、また、おもいっきり笑う。
そしてコンラートに告げた。今度こそ、共に歩むのだ。
「行くぞ、コンラート」
その言葉を聞いたコンラートが、一瞬眩しいものを見るかのようにロザリンデを見つめて、破顔した。
そして頷く。
「――はい、どこまでも共に参ります。もう絶対に離れませんし、離しません」
その言葉にロザリンデも力強く頷き、右手を差し出す。コンラートはロザリンデの手をじっと見つめてから、小さく笑って自分の左手を服でごしごしと拭う。
先ほどの言葉をその武骨な手が再度伝えるかのように、固く握りしめてくれた。
海鳥の声が聞こえる青い空が、どこまでもどこまでも続いていく。その果てしない空の下、二人は船へと続く人の列に紛れ、並んで歩き始めた。その手は、互いに強く、しっかりと握られていた。
<了>




