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第16話 リレー開始




 どれくらい長い時間、茫然としていたのか分からない。コンラートは、玄関のドアをドンドンと無遠慮に叩く音と自分を呼ぶ声で我に返る。しかし、動けなかった。


(もう、誰も俺に構うな……放っておいてくれよ……)


 机に突っ伏し頭を抱えていると、今度は家中が揺れるほどの激しい音が鳴り響いた。


「な……な……っ!?」


 慌てて音の元に駆け付けてみれば、コンラートの寂しい一人暮らしの家の玄関扉のドアノブ部分に穴が空いていた。鍵は鍵の役割を放棄し、簡単に扉が開かれ、そこにはルミナス王宮騎士団随一の実力を持つ男、ライナーが立っていた。


「あ、団長。居たんすか? 返事が無いから無理やり入って手紙でも置いて行こうかと」


 上司の家を破壊しておいてこの言いぶりである。


「お前、他に言うことないのかよ……」


 あまりの言いように、コンラートもこれしか言えない。


 しかしライナーはコンラートの顔を見つめて真面目な顔で言った。


「今から、ロザリンデ王姉殿下の外遊に、護衛として共に参ることになりました。明日の夜、港があるモルゲンハーフェンの町に泊まり、明後日の朝出航です。いいですか? 明後日の朝、モルゲンハーフェンですよ」


「は?」


 今、外遊、と言ったか? ロザリンデが? 外国に? ライナーを連れて?


「……俺は、いや、殿下も待ってますからね、団長」


 大混乱の只中にあるコンラートを置いて、ライナーはそれだけを言ってドアの穴はそのままに去って行った。






・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 どうして、この状況でロザリンデが国外に出ることになっているのか。


 コンラートは、家の中を落ち着きなくうろうろと歩き回りながら考えていた。恐らく、今朝コンラートが聞いた内容を、ロザリンデも聞いたはずである。馬鹿な男がしでかしたことに呆れたことだろう。だからと言っていきなり国外に出るだろうか。


 考えても分からない。分からないけれど、ロザリンデがこの国からいなくなる、ということだけは分かった。胸の奥がざわつく。この感情は何なのだろうか。そんなことを考えていたから、いつの間にか家の中に誰かが入ってきていたことに気づけなかった。


「団長」


「うぉぁあっ!?」


 いきなり声を掛けられ、コンラートは飛び上がる。


「ペーター!?」


 騎士団詰所門番騎士、ペーターが家の中にいた。


「王姉殿下、行ってしまわれましたよっ!」


「……らしいな」


 人に言われてしまえば、それだけのことなのだとコンラートは思った。それだけのことだ。どうしようもない。


「何こんなところでジメジメしてるんですか 早く追いかけないと! ロザリンデ殿下のこと、お好きなんでしょう?」


「……」


 少年におっさんの恋心がバレていたことに動揺しつつも、コンラートは大人のふりをした。


「これでいいんだよ。気持ちだけじゃどうにもならんこともあるんだ。お前も大人になりゃ分かるさ」


 少年はキッとコンラートを睨みつけた。本気で怒っているようだった。


「そんなつまらない人間になるのが大人になるってことなんですか!? 団長のクソ馬鹿ヘタレジジイっ!!!!」


 ペーターは泣きながら、思いつく限り叫んだのであろう罵詈雑言を、コンラートにぶつけて去って行った。


「クソ馬鹿ヘタレジジイか……」


 あまりにもぴったりすぎて、コンラートは乾いた笑いを漏らしながら、ベッドに崩れるように座り込んだ。


 窓の外から町のにぎやかな喧騒が聞こえてくる。天気も良いようで窓からは明るい日差しが入ってくる。それなのに……ほんのり暗いのだ。


(殿下が行っちまったせいか……)


 ロザリンデがいないと思うだけで、色が褪せて見える。感情の波も小さく平坦になる。


 コンラートは、大きくため息を吐き、背を丸めた。振り払っても振り払っても、ロザリンデの顔、声がコンラートの胸を叩く。必死で考えないようにしている内に、窓の外はだんだん暗くなっていく。


 部屋の中の輪郭が暗闇にまぎれてしまった頃になっても、コンラートは明かりをつけることも、ベッドに横になることもなく、ただただ茫然と時が経つのに身を任せていた。





・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


「朝……か」



 ベッドに腰かけたまま、再び朝の光に目を細める。こんな色彩を欠いた毎日を、これから永遠に繰り返しながら俺は過ごしていくんだろうか。そんなふうに考えていると、また玄関の向こうからノックの音がした。


「開いてるよ。勝手に入れ」


 コンラートが力なく言うと、扉が開いた。入ってきたのはエルナだった。


「お前……男の一人暮らしにのこのこ入ってくるんじゃねぇよ」


 エルナは泣き腫らしたのだろう顔を、ベッドに力なく座っているコンラートに向け、黙ったままつかつかと近づいてきた。


「な、なんだよ」


 思わず身を引いたコンラートに、エルナはすっと身を屈め、右手にこぶしを握り、脇をしめた。そしてわき腹からえぐるようにして繰り出した右手を……。


「ぐっ……」


 コンラートのみぞおち目掛けて押し込んだのだ。


「これは、私と、セラフィーナ様と、殿下からの気持ちです! 団長がいつまでもヘタレているようなら殴ってやれって許可いただいてますからっ!!」


 それだけを言ってさっさと部屋から出て行くのを、コンラートは痛みに呻きながら見送ることしかできなかった。


「殿下……が?」


 自分がいなくなった後のコンラートの様子を気にかけていたということか?


 それなのに、俺はただぼんやりベッドに力なく座って、何をしている?


 思わず立ち上がった。まだみぞおちには鈍い痛みが残っている。その痛みに早く、早くと急き立てられるかのようにコンラートは手早く荷物をまとめた。


「モルゲンハーフェンだよな」


 馬車では一日半かかる。馬なら一日あれば十分だろう。


『……俺は、いや、殿下も待ってますからね、団長』


 ライナーの声を思い返した途端、一気に現実に引き戻される。


「今更……どの面下げて会えるっていうんだよな」


 くっ、と自嘲めいた笑いが込み上がる。ロザリンデを人身売買に巻き込むところだったのだ。許されるはずがない。何よりも自分自身が許せない。


 まとめた荷物をテーブルの上に投げ、固い椅子に身体を投げ出すように、崩れ落ちるように、コンラートは座り込んだ。


 その時。


 破壊された扉をノックする音が、コンラートの耳に届いた。

 


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