第15話 ロザリンデの決意
旅装束を身にまとったロザリンデが、ライナーと共に国王執務室の扉をノックした。
顔を上げたアルベルトがロザリンデの顔を見て、驚いたように目を大きく見開いた後、立ち上がり、顔を歪ませ、小さく呟いた。
「姉上……本当に……行くんだね」
「あぁ。前々から考えていたんだ。様々な国を一旅人の目から見て、情報を自国に持ち帰る。そして国王に奏上して国を良くしてもらう、という第二の人生をな」
「……」
ロザリンデは弟の両肩にゆっくりと手を置いた。
「そんな顔をしないでくれ、アル」
「でも……姉上は……ずっと私のために何もかも……」
弟の目を見つめて、姉は首を何度も横に振った。
「これだけははっきりと言っておく。私は恋愛も結婚も出来なかったわけじゃない。必要としていなかったんだ。だから無理もしていないし、何も犠牲になどしていない。だから……そんなに自分を責めるな、アル。私は私の意思を貫けたことを、こうしてアルが立派に即位してくれたことに感謝すらしているのだから」
そう言って、ロザリンデは弟を抱きしめた。いつの間にか自分よりも大きく立派に育った弟の背中を軽く叩く。
そして、アルベルトの顔を見つめて破顔した。
「こうして見ると、やはり姉弟なのだな。似ていると思わないか?」
ロザリンデはくるりと振り返り、その場にいたエグランティーヌとカイを見る。
「えぇ、長い御髪のお義姉様ももちろんお綺麗でしたけど、今の短い髪も本当に素敵。何なら陛下よりも素敵かもしれませんわ」
腰まであった長い髪を、ロザリンデは切り落とした。もう、王女殿下でも、継承権持ち(スペア)でもないのだ。
(私は……私だ)
そう、この胸の鼓動は、痛んでいるのではなく、新しい旅路に心が躍っているのだと自分に言い聞かせた。
「では、行こうか、ライナー」
そう言って振り返ると、いつの間にか護衛騎士が消えていた。
「ライナーなら、『旅の支度を整えて来るから馬車の前で落ち合いましょう』とのことです」
「まったく、あいつは本当に自由だな」
言付けを預かっていたらしいカイにロザリンデは苦笑した。馬車まで送ると言い続ける弟夫婦に仕事しろ、と言い置いてロザリンデはエルナに先導されて馬車へと向かう。
「エルナ……いい加減泣き止んでくれないか?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃのエルナが振り向いた。
「だって~。どうして殿下がひとりで国外に行っちゃうんですか~~~。どうしてうちの団長はあんなにヘタレなんですか~~~っ!!!」
嗚咽まで始まってしまった。
ロザリンデはエルナにハンカチを握らせてやる。
「私が去った後も、あんまり長いことコンラートがヘタレているようなら一発殴って目を覚めさせてやってくれ。……でも、年を取るとな、好きだけじゃどうにもならないこともあるんだよ。特に私もコンラートも大事なものが多いからな。全てを放り出して幸せに……とはいかないんだ」
「そんなの……私の数多くの恋愛小説のどこにも書いてませんでしたよぉぉぉっ!!」
どこまでも真っ直ぐな女騎士の涙を、ロザリンデは拭ってやった。
「では、エルナがそんな素敵な恋物語を実行してくれ。私はそれを楽しみにしている」
エルナの目から更に涙があふれ出る。
「なんで……なんでそんなに男前なんですか、姫様は! その百分の一でも団長にあれば!」
ロザリンデは笑いながら首を横に振った。
「コンラートはあれでいい。……あれがいいんだ」
そう言ったところで、馬車停めに着く。ライナーと騎士団詰所の門番少年騎士がいた。
「本当に、行ってしまわれるのですか?」
「あぁ。行ってくる。でも、一生戻らないわけじゃないから、次に会える日を楽しみにしているぞ、ペーター」
「……はい」
その確かな返事に頷いて、ロザリンデはライナーを見た。
「旅の支度は終わったのか?」
「はい。ばっちりです。では行きましょう、姫様」
そう言ってライナーが開けた馬車にロザリンデは足を踏み入れた。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
コンラートは自宅のベッドに腰を下ろしたまま、窓から降り注ぐ朝の光に目を細めていた。
自ら辞職を申し出てから何日経ったのだろう。国王陛下からは何の返事もない。辺境伯がどうなったのかも分からない。
騎士団長である自分に、爵位と引き換えに息子のポストを用意しろと言っただけで、どんな罪に問われるかも分からない。もしかしたら、罪にすらならないかもしれない。
けれども、コンラートが揺れたこと、それ自体が確実に有罪であった。
ロザリンデが幼い日に、何気なく放ったコンラートの言葉を大切にしてくれている、と知ったあの日。その想いの深さを知ったあの日。その真っ直ぐ過ぎる心根の美しさが、爵位ばかりを気にして蹲っていたコンラートの心の汚さを白日の下に晒した。
『だからお前が嫌でなければ、共に生きて欲しい。コンラート』
あの日のロザリンデからの告白は、コンラートにとっては人生で一番嬉しくもあり、人生で一番、自分を憎む理由にもなった。
(殿下は……今頃、どうしてるんだろうな。俺のことを聞いて、どう思っただろうな。愛想尽かしてくれてりゃいいが)
一日に二百四十回くらい考えてしまうことを、頭を振って追い出す。おかげで連日頭がふらふらである。
「団長」
まだ人も動き始めていない早朝。けれど誰かが外から確実にコンラートを呼んでいる。
「誰だ? 俺は謹慎中だ」
「俺です、団長。陛下からの言付けをお持ちしました」
国王陛下が王太子殿下だった頃からの専属護衛騎士、カイであった。コンラートは玄関の鍵を外し、漆黒の騎士を中に入れた。
「座り心地の悪い椅子だが、座ってくれ」
そう言って自分も向かいの椅子に座ってテーブルに腕を置いた。覚悟はできている。辞職の意思も伝えている。
(どうにでもなれ。あの方さえお元気にいてくだされば俺はそれでいいのだから)
しかし、カイから聞かされた内容は、コンラートの想像をはるかに超えていた。
「……辺境伯が……借金ごと俺をつぶした後に……殿下を?」
「はい。団長と結婚しているであろうロザリンデ王姉殿下を、オルティエのどこかの貴族に大金と引き換えに引き渡そうとしていたそうです。複数のオルティエ王国貴族や商人が同様の話を聞いていた、と」
コンラートの視界がぐらりと揺れた気がした。怒りでどうにかなりそうだった。グライフェンベルク辺境伯に対して、そして自分自身に対しても。
「しかしクラウス副団長の情報収集により、その話が事実だと分かり、ライナーが伯爵親子を捕縛しました、よって、団長に対して何か懲罰が下されることはありません。陛下より『辞職は保留だ』と言伝を預かっております」
カイの言葉もどこか遠くから聞こえるようだ。
(誰か、俺を……阿呆な俺を罰してくれ……)
自分が愚かにも乗りかけた話の先に、ロザリンデの売買計画があった、という事実に打ちのめされ、カイがいつ出て行ったのかすら、コンラートには分からなかった。




