第1話 いきなりの求婚
「コンラート、私と結婚してくれ」
ルミナス王宮騎士団詰所にて、団長室の大きな机に身を乗り出すようにして両手をついたロザリンデ・ド・ルミナスは、目の前で椅子に座っている男、コンラート・フォン・アイゼンベルクに、そう言って求婚した。
溜め込んでいた書類に辟易しながらサインをしていたコンラートは、ペンの先を思いっきり押しつぶしてしまったものの、何食わぬ顔でロザリンデを真正面から見返し微笑んだ。
「ロザリンデ王女殿下? 今、何と仰いましたか?」
さらりと流れた金色の長い髪を片手で耳にかけながら、ロザリンデは再度口を開く。
「私と結婚してくれ、と頼んでいる。そして私はもう王女ではない。アルが先ほどの即位式をもって国王になったのだから、私は王の姉だ。つまり、王姉殿下、だな」
「……」
コンラートは、インクまみれの手を気にもせず、机に肘をついて頭を抱えていた。たっぷり十五秒。
そして再度震える手を机に置き、天井を仰ぎ、書類の山を見てから、再度ロザリンデを脂汗まみれの顔で見上げた。
「殿下。お戯れが過ぎます」
「戯れなどではない」
「いやいや、殿下、俺が何歳だかご存じですか?」
「四十二歳だろ? 私は二十七歳になった」
腕を組み、仁王立ちになったまま、ロザリンデは愛しい男の顔を見下ろしながら悠然と笑んで見せた。一方で、コンラートは濃い灰色の固そうで短い髪をぐしゃぐしゃと両手で掻きむしり始める。そして机に思いきり手を叩きつけたかったのだろうが、一瞬の間の後、結局そっと机に下ろすに留まった。
この男の、そういう柔らかいところも、今思えばロザリンデが心を寄せる一端になったのかもしれない。そう思うと自然に口元が綻んだが、その緩みをコンラートは見逃さなかったらしい。
「……何にやけながら普通に答えてるんですか? この流れ、お断りしているっていうの、雰囲気で分かりますよね? 殿下は分かった上でふざけてますよね?」
年上らしく諭そうとしていることは伝わったが、今、この話の舵取りを譲るわけにはいかない。だからロザリンデは再度机に手をついて、他人からは美しいと言われる自分の顔を少しだけコンラートに近づけ、不安そうに揺れている騎士団長の瞳を見つめて言った。
「お前は私が嫌いなのか?」
ロザリンデの問いに、コンラートはウッと声にならないうめき声を上げてから、首を横に何度も振る。
「……そういう問題ではないでしょう。年も離れすぎ、家格だって離れすぎです。俺は子爵家の出ではありますが、次男なもんで、騎士団長ではありますけど爵位すら持っていないのですよ、そもそもこんなこと、上王陛下も王太后様もお許しにならないでしょうが」
ロザリンデはニヤリと口の端を上げて、持っていた紙をコンラートの目の前にぶら下げた。
「お前はそう言うだろうと思ってな。父と弟から先ほど贈られたものだが、これがあれば問題ないだろう?」
ちらりと紙に目を向けたコンラートの顔から、一瞬で血の気が引いた。そして、ゴンっという思いきり固そうな音を立てて、彼は机に頭を突っ伏してしまった。
「今の一瞬では読めなかっただろう? 私が代読してやるからよく聞け、コンラート」
そう言って、ロザリンデはわざとらしく咳払いしてから、王からの勅令を読む大臣よろしく、よく通る声で紙に書かれた内容を読み上げた。
「『ロザリンデ・ド・ルミナスが選んだ結婚相手について、我々は一切の異議を唱えないものとする。上王ヘンドリック・ド・ルミナス。国王アルベルト・ド・ルミナス』ほら、よく見ろ、二人の王様の玉璽魔法印付きだぞ?」
コンラートの頭上で紙をひらひらさせる。
「……殿下」
「なんだ?」
「何故……俺なのですか?」
机に突っ伏したままの騎士団長の固い短髪をそっと撫でながら、ロザリンデは笑った。
「人生を共に歩む誰かを選んでいい、とアルに言われた時にな……お前の顔しか思い浮かばなかった」
「……」
コンラートはピクリとも動かない。いきなりの求婚はさすがに性急過ぎただろうか。ロザリンデはひとつ息を吐いた。
「急に悪かった、コンラート。しかしな、私が本気だということだけは理解してくれるとありがたい。とりあえずは帰るが、また来る」
ロザリンデはそう言い置いて、団長室を静かに後にした。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
コンラートは机に突っ伏したまま、ロザリンデの足音が遠ざかっているのを聞きながら、九年前のあの日を思い出していた。
ロザリンデが学園を卒業した日。コンラートが騎士団の後輩ライナー・フォン・ゾンネンフェルトに、王女付き護衛騎士の後任を託した日のことを。
「長い間お世話になりました、殿下」
「あぁ。こちらこそ世話になったな、コンラート。私が五歳の頃から今まで、よく守り通してくれた」
ロザリンデはいつも通りのカラっとした笑顔で、しんみりと別れの挨拶を告げるコンラートに右手を差し出してきた。
(殿下が五歳の時からってことは……十三年。十三年も一緒にいたってのに、このお姫さんは全く寂しがってくれねぇんだな……)
コンラートは自分の心の内に少しの隙間風が通り過ぎるのを感じながら、差し出された手に自分のそれを恐る恐る差し出してみた。
すると、ロザリンデは笑顔から真顔になり、強く、ぐっとコンラートの手を握った。女性にしては力強すぎる握力に苦笑しつつ、余計なお世話だろうとは思いながらも、ほろりと言葉を零した。
「殿下、よくお分かりとは思いますが……。そのサバサバしたカッコ良すぎる言動は、時と場所をお考えくださいよ。せっかく『おっとりして可愛らしくて、それでいて無邪気な妖精のような姫』と言われるくらいには、お上手に猫を数十匹かぶれるようになったんですから」
ロザリンデは、しなやかな細い手で、武骨で固いコンラートの剣だこだらけの手を握ったまま頷いた。
「分かっている。しかしな。そもそも、お前が言うところの『カッコ良すぎる』今の私を作り上げたのはお前だぞ、コンラート」
「え?」
「覚えていないのか? 私が五歳の頃、庭を駆け回るアルが羨ましい、と不貞腐れていた私にお前が言ったんだぞ? 『殿下も走ればいいじゃないですか』とな」
「そうだったんすか、先輩」
目を丸くするライナーに、首を傾げて見せてからコンラートは苦笑する。
「覚えてないですよ、そんな昔のこと。……いや、でも、言ったとしてもですよ! 俺より男前にお育ちになるなど、想像できるわけないでしょうが」
そんなぼやきに、ロザリンデが笑い、ライナーが吹き出したのを見て、コンラートも小さく笑った。それから、小さく苦笑しながら、ロザリンデの手に握りしめられたままの、自分の右手を揺らしてみた。
「……殿下、いつまで俺の手を握りしめてるんですか」
「……」
わざとらしく言ってみたのに、ロザリンデは何も言わないまま頭一つ分背の高いコンラートを見上げ、それから指を解いた。急に、右手がひんやりとした。
「身体に気をつけて、いつまでも息災でな」
今度は、少しだけロザリンデの声に寂しさが沁みているような気がして、コンラートはフッと笑った。
「もったいないお言葉でございます、殿下。殿下もいつまでもお健やかに。このライナーは騎士団一の腕前を持つ男。何かありましたら、躊躇なく盾にしてやってください」
ロザリンデは小さく笑んで頷く。そして言ったのだ。
「行くぞ、コンラート」
と。
「!?」
その場にいた全員が止まった。誰も何も言わなかった。……言えなかった。
ただの言い間違いだ。何せ自分とロザリンデは十三年間共にいたのだ。口が『コンラート』と自然に動いてしまうのは仕方ないことだ。
けれど何も言えなかったのは、自身の言い間違いに気づいて、こちらを振り返ったその表情があまりにも寂しそうだったからだ。
繋いでいた手を突然離された幼子のようで、目を大きく見開いて泣くのを必死で堪えている子どものようで、その顔を目にしたコンラートの方が、胸を強くぎゅっと握りつぶされるかのような痛みを覚えた。
「……行くぞ、ライナー」
「……はっ」
低く言い直した王女の声。それから感情を押し殺したようなライナーの声。コンラートだけが何も言えず、何もできずに、その場に取り残された。
コンラートはその時、自分の心に気づいてしまったのだ。
ロザリンデの表情で。己の心臓を抉るような痛みで。
どれだけ彼女の存在が、声が、表情が、仕草が、自分の心の内を占めていたのか。いかに己が彼女を欲していたのか。
気づくと同時に、苦いものが込み上げる。
(いや、いくら何でも不敬過ぎるだろ、俺……)
自分の気持ちに驚きながらも、反射的に心にすぐに蓋をした。
もちろん、誰にも知られぬように慕うだけならば……そう考えなかったわけじゃない。
しかしそれではダメだったのだ。
ダメだと気づいたのは護衛騎士を辞して数週間も経たない頃だった。ロザリンデとライナーが笑い合っているのを見るだけで心が波打った。馬車から降りるロザリンデの美しくほっそりした指が、ライナーの手に乗せられた瞬間を思い出しただけで、剣筋が乱れるようになった。
(忘れなければ。こんな気持ちを抱くことすら、俺には許されない)
そう己に言い聞かせたコンラートは、それからがむしゃらに仕事するようになった。余計なことを考えないようにするために。
それが功を奏したと言うか何と言うべきか……結果として、ルミナス王宮騎士団長職を賜ってしまった。
コンラートは、団長室の大きな机に自ら打ち付けた額の痛みを今更ながらに感じながら、大きく長く息を吐いた。
(そんなふうにして九年。九年かかってやっと……なのに)
ロザリンデが出て行った室内でひとり、コンラートは椅子にもたれ天井を仰いだ。
「どれだけの年月をかけて忘れたと思ってんですか……こっちの気持ちも知らねぇで……」
片手で顔を覆い、奥歯をぐっと噛みしめながら呟いたコンラートの言葉は、誰にも届くことなく、消えていった。
すみません、元社畜OLの番外編で4/1から連載開始と申し上げていたのですが、思いのほか早く完結までたどり着きましたので、本日より投稿開始します。今日は3話、明日からは1話ずつの投稿で18話までです。元王女殿下もよろしくお願いいたします。




