Ep6-6 成金・山下久兵衛(2)
山下久兵衛が所蔵し、きっと本人が愛用したであろう茶器に触れられる。それが何かのヒントになるはずと期待を胸に白田は美術館に向かう――
茶器イベント当日、白田は汗の染みたワイシャツを気にしながら美術館の受付でイベント参加の手続きを済ませ、上の階にある部屋に案内された。茶会の形式をとると思っていたので四、五人でお茶をいただくのかと想像していたが、どうやら一人ずつのようらしい。茶道の作法は文字で読んだだけでほとんど知らないから正直助かる。やがてスーツ姿の比較的若い男が現れ、これから出す茶器に関する簡単な由来の説明をして、リラックスして自由なスタイルでお茶と茶器を楽しんでほしいと告げ、お茶のセッティングを終えると部屋から出ていった。
「お茶会ってこんな感じもあるのか……」
釈然としなかったが自分の目的は山下久兵衛につながる茶器に触れることにあったので、周囲の目を気にせずに行動できる状況は大歓迎だった。
とりあえず両手で抱えるように持って、茶器を上から覗き込む。お抹茶が控えめに入れられていて内側の模様が見えない。
白田は不調法を承知でぐいっと一気にお茶を飲み干す。きめ細かな泡が口当たりをまろやかに彩り、ぬるめに点てられたお抹茶が喉をするりとくぐり抜ける。夏場の汗をかいた体にはほんのりと塩味が感じられて温かいお茶なのに喉の渇きが癒される。
旨さに感動して思わず目を閉じる。そのとき、誰もいないはずの部屋で声が聞こえた。
『わしを知りたくば、次に入ってきた者にわしの声が聞こえたと告げよ。さすれば、その者が答えのもとへと案内してくれるだろう。楽しみに待っているぞ――』
面食らってハッと目を開く。一気にあおったので天目茶碗をお面のように顔に被せた姿勢になっていた。茶碗の底にある十二の大星紋がキラキラと輝きを放っていた。外からの光を反射するのではなく、星紋自体が光を放っているのだ。驚いて見つめるうちに輝きは収まり、茶碗の内側は薄黒く濁った靄に覆われたように煤けた姿に変わってしまった。
「今のは幻聴?やけにはっきりと聞こえた気がするが……」
山下久兵衛のことを考えながら飲んだせいで山下本人の声を聴いたというのだろうか?
「ばかばかしい……」
茶器を置いて戸惑っていると、部屋の扉が開いて先ほどの男が近づいてきた。
「いかがでしたか?楽しんでいただけたでしょうか」
次に入ってきた者って、この男のことか?こいつのいたずら?いや、そんなことをする理由はないし。戸惑いながらも白田の口は幻聴が促した通りの言葉を発していた。
「あの、なんていうか……声が聞こえました」
ほんの一瞬、片づけを進める男の所作が止まる。
「山下久兵衛という人をご存じでしょうか?」
白田の問いに、男はニコリと微笑んでいった。
「はい、存じております。お客様には、こちらへお越しください」
何らかの合図があったのか、別の女性が入室して片付けの続きを引き継ぐ。男は白田を別室へと案内した。小ぢんまりとしていて窓はないが快適な椅子とライディングデスクが用意されている。あの幻聴は本当だったのか?
「こちらへ」
ライティングデスクに座るように促される。混乱を出来るだけ面に出さずに案内人の指示に従う。
目の前には古びた和装の帳面が置かれており、すぐ横に万年筆と新品のノートが添えられていた。万年筆はアンティークの逸品とわかる質感を備えており、キャップの先端には奇妙な幾何学模様が金象嵌で描かれている。円と数本の斜線に小点が一つ。なんだろうか。
案内人の顔を伺い、和装の帳面を開く。中には角ばった筆跡で山下久兵衛の半生が詳細に綴られている。
「これは?」
「あなた様が追い求められておられた山下様の手記です。彼自身の言葉で彼自身のすべてが書かれていると伺っております」
「伺っている?あなた自身は読んでいないのか?」
「はい。こちらの手記は山下久兵衛の声を聞いた者のみが触れることを許されております」
よくわからないが見せてくれるというのならありがたく閲覧しよう。パラパラとめくる白田を案内人の男がじっと待っている。
思ったよりも量が多い。厚手の帳面にびっしりと記述されている。
「……あの、コピーをもらってもいいかな?」
「残念ですが、この部屋からの持ち出しは禁止です。写真撮影もご遠慮ください。その代わり、そこに用意がありますノートへ書き写す分には問題ありません」
なるほど、そのためのノートと万年筆か。
白田はまっさらなノートを開き隣に和装の帳面を開いて万年筆のキャップを外す。あとで見返すことを考えて、最初の文字から丁寧に一字ずつ万年筆でノートに書き写していく。
ワンセンテンス書き写すごとに、言葉が脳の記憶領域にしみ込んでいくようでただ黙読するより理解が深まっていく。
これはいい。
白田は次第に没頭していき、休むことなく写本を続ける。
一心不乱に写本する白田は次第に自分の記憶と山下の手記の内容が混濁していき、記憶の境界が曖昧になっていくことにも気付かないまま、何時間も作業に没頭し続けた。
白田は気付かないままに、得体のしれない大正時代の成金実業家の思惑に絡め取られていく――




