Ep6-1 夏休み
猿島要塞攻略レイドから帰還後、英太は高校2年生の夏休みを忙しく過ごしていた――
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「麗子さん。もうすぐ逢えるよ。ようやく貴方に伝えることができる……」
暗くした洋館の豪奢な一室にしつらえた銀幕に、十六、七歳の少女の映像が映し出されている。少女は戸惑いを隠すようにはにかんだ微笑みを浮かべて少し目を伏せている。白磁のような透明な肌が今にも動き出しそうなほど瑞々《みずみず》しい。
窓にはどっしりと重みを感じさせるベルベットのカーテンがかけられており、唯一の光源である幻燈機の光が銀幕を眺める初老の男の横顔を暗闇に浮かび上がらせている。男の眼光は年齢に衰えることなく、いまだ野望の炎を宿している。すべてを自分の意のままにしてきた男の目だった。
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夏休みに入って早、三週目に突入した。
夏の高校野球が始まると夏休み中盤と感じるか、もう折り返し地点と感じるかは人それぞれである。まあ、たいていの高校生は前者だけど。俺はもちろん前者だ。毎日をダラダラと過ごし、積み上がったままで切り崩していない宿題の高い山を頭の奥に押し込んで忘れたふりをする。クソ暑い日差しの中をまめまめしく遊び回るほど陽キャではないが、夏祭りとか花火大会のお誘いがあれば友達と連れだっておおいに楽しむタイプだ。
が、環境が人を変えていく。
高い目標を持つヤツは早くも受験勉強モードに入っている。早々にあきらめて適当に選んだ専門学校をとりあえずの進学先に選ぶ者も、昨年までの心の底からバカ騒ぎするような楽しい気分になり切れない。誰もがこの先に待つ『子供』と『大人』を隔てる壁に不安を感じつつ、否応なしに進んでいく時間という名のベルトコンベアーの上で、助走をつけて走り出したり、現実を受け入れずに後ろ向きに進んだり、途方に暮れてただただ立ち尽くしたりしてあがいている。俺は――。
俺のベルトコンベアーはどうやら他の連中とは違う方向に進んでいるようだ。前には向いてはいるが、一般社会から外れて斜めに向かっている。だけどこれは自分で選んで飛び乗ったベルトコンベアーだ。少々幅が狭くて自動車並みのスピードで進む危なっかしいルートだけれど、全力でしがみ付いてこの道が行きつく先を見届けたい。……落っこちたら怪我では済まない気がするし。
高校二年生の夏休みは、そんなふうに今までとはひと味違う苦味を伴ったものに感じられた。
ポコン、とメッセージアプリの通知音が鳴る。レイダース関係の連絡先は違う音に変えてあるので、これはクラスメイトの誰かからのメッセージだ。
「カトウか」
取り上げた携帯電話の表示を確認して内容も読まずにすぐに机の上に伏せる。
俺のベルトコンベアーは動き出した。夏休みといってもだらけている暇はない。レイダースとしての訓練が毎日のようにあり、親には夏期講習と言って外出をごまかしている。だからこそこういう空いた時間で宿題をきちんと終わらせて、勉強が捗っている実績を見せねばならない。やれと言われて積まれた宿題は苦痛だけど、やることがあって済ませておかなきゃとなると苦痛を感じる間もなく手を動かすことになる。結局、夏休みの宿題なんて人生の課題に比べたら鼻くそみたいなものだ。なんてね。おおかた片付いたからこそ言える台詞だな。
ポコン……ポコン……
気が付くと日が落ちて、窓の外が薄暗くなっている。南東に向いた自室の窓からは夕焼けは見えない。ギラギラとした西日が差さないから助かるが、そのせいで日が落ちたことに気づかなかったようだ。レースのカーテンを開けると、窓の左半分は薄い群青色に染まり夜の気配が混じり込んでいる。右半分はまだ空の高いところに夕焼けの光が残っているのか、赤に淡い桃色が混じる柔らかい色をしていた。
「朱鷺色、か」
気になってネットで検索するとすぐに回答が表示される。この時間の空の色をそう呼ぶらしい。
手にした携帯端末の画面がメッセージアプリの着信通知に切り替わり、桃色髪のメイド服姿のキャラアイコンが表示される。
ティロリ ティロリ ティロリラ、タラン…ティロリ ティロリ ティロリラ、タラン…ティ……
「はー、はいはい」
『英太ぁ、なんでメッセージ見てくんないの?』
カトウである。
「必要性を感じなかった」
『ひ、ひどい……』
「うそだよ、ちょっと宿題に集中していて気づかなかったんよ」
円滑な人間関係には小さな嘘も必要って、ネットに書いてあったな。
『おお、やっぱり頼れるのは英太大先生だなあ。もう宿題をおやりになってなさる』
「どの時代の誰だよ、おまえ」
椅子にもたれて天井を仰ぐ。
「言っとくけど、宿題は見せないからな。小学生じゃないんだから、自分でやりなさい」
『あー、そっちのほうはまだいい。時間あるから』
ん?時間があるのは確かだが、まだいい、とな?よし、八月三十一日になっても絶対に貸さんぞ。
『探求学習の課題のほうだよ。英太、もうやった?』
「あー、そっちはまだだな」
いくら心を入れ替えたとはいえ、去年までは俺もカトウと同じ側の人間だったのだ。そう何もかも夏休み前半で終わらせられるほど基本スペックは高くない。
『はぁー、ダメかぁ……』
「ダメも何も、探求学習の課題は丸写しなんてできないぞ」
『そりゃそうだけどさあ、こう、ちょちょっとモジって一部分だけ書き換えるとかすりゃ、何とかなんね?』
それって簡単か?別のスキルが高くないとできないんじゃないか?
「ならいっそ、『他人のレポートをベースに低コストで自分のレポートを作成する手法』とかっていう課題に取り組んでみれば?ほら、『夏休み最後の一日まで宿題やらなかったら家族がどう反応するか』っていう自由研究でバズったノリでさ」
『それいいな。ふむふむ。誰かのレポートをもらって改ざんする過程をそのまま記録する、か。なるほど……』
「じゃ、そゆことで、がんばれよー」
『ちょいちょいちょい、ちょっと待てって!』
通話を切ろうとする俺をカトウが引き留める。
「なんだよ。そろそろ晩御飯だから切るぞー」
『どこの坊ちゃんだよ。メシより友達との会話が優先だろう、普通』
「そうか?マズイ会話より、ウマイ飯だろう、普通。で、なに?」
ぶっきらぼうに告げるが別に本気で切ろうとしているわけじゃない。コキミヨイ会話ってやつだ。カトウも分かっているのか、気にすることなく用件を続ける。
『改ざんのベースにするレポートが欲しい。くれ』
「やだ。ガチャン」
『切るなって。だってさあ、誰もレポート出来てないって言っててさあ。みんなまだテーマも決めてないっていうからお手上げなんだよ。助けてくれよぉ』
「俺だってまだ書いてないって。次の終末に美術館回って資料を集めるんだから……」
あ、しまった。
『えっ?英太、テーマ決まってんの?それを早く言えってーの。まったく、ツンデレなんだから』
「いや、デレてねぇし」
『で、どんなテーマ?』
「……『地元商店街を活性化するための持続可能な取り組み』」
『おー、いいねぇって、それ、俺が夏休み前に借り提出したタイトルじゃん。美術館関係ないやつじゃん』
ちっ、気付いたか。
「借り提出したならその線でやればいいじゃんか」
『そりゃあな。でもよく考えたらオレ、地元商店街なんて使ったことないし。そもそも最寄り駅に商店街ないし。持続可能って意味わかんねーし』
「じゃあ、『今まで利用したことがなかった僕が一日一個でいいから無理のない範囲で何かを買うようにします。その輪を広げれば、地元住民の利用が増えて商店街の活性化を実現可能です』って書いて提出すれば?」
『そんなレポート、通用しないだろうが』
まあそうだろうな。そもそも持続できなかったから衰退しているんだし。いわゆるSDGsってヤツは頭の悪い優秀な役人が目先の言葉だけ拾い集めて作ったうわごとみたいなものだってウチの父親も言っていたしな。
『なあ、いいじゃん、減るもんじゃないし。教えろよテーマ』
そろそろからかうのもウザくなってきた。本当に晩御飯の時間になりそうだし。
「明治大正期財閥の美術品コレクションの傾向と文化財保護に果たした役割、だよ」
『……何それ、カッコイイ。英太、おまえ何か悪いモノでも食った?』
「……うっせぇ。まあ、カッコイイのはタイトルだけだ。美術館を適当に回って、収蔵品のリストをちょっと抜粋して、あとはめぼしい文化財の来歴なんかをいくつか載せて、結論として『大財閥のおかげで日本近代化の混乱期に貴重な国宝の流出を阻止し、一般に公開することで日本の伝統文化と西洋文化の理想的な融合に貢献した』ってまとめる予定だ」
『すげぇ!英太様。ぜひそのお知恵のおこぼれを矮小なわたくしめにもどうか恵んでくださいー』
「うざい、うざい。そんなもん、自分で考えろ」
『えー、ケチ。じゃあさ、せめて美術館について行っていいか?なあ、何かレポートを書くきっかけが欲しいんだよぉ』
「まあ、ついてくるぐらいなら。でも案内はしないぞ。勝手に見て回れ」
『おお、サンキュー。助かったよ、英太。じゃあ、他にも声かけてみるな。みんな探求学習が進まなくて困ってっからさ。じゃ』
ブツン
勝手なことを。本当は特別な用事があるんだけどな……。まあいいか。高校生が場違いな美術館に一人で行くより、友達と連れだって行くほうが学生のフィールドワークっぽくてごまかしが効きそうだ。
旧財閥系美術館巡り。
夏休みの課題に必要なフィールドワークであることは事実だ。だけどそこを調査の舞台に選んだ理由は別にある。
次のレイドのターゲットが、『旧財閥の隠し資産』なのだ。
俺は一週間前のミーティングを思い返した――
時間は少し遡って一週間前。英太はノクターナルのミーティングに参加して今後の予定などを話し合っていた――




