表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/51

Record: 5『黒鉄の処刑者』

 地理は熟知しているはずだった。けれど、黒い汚染に蝕まれ、沈黙した森はかつての面影を失っている。  変わり果てた故郷の姿に方向感覚を狂わされ、闇雲に逃げた末に、熟練の冒険者さえ足を踏み入れない深い森の最深部へと迷い込んでいた。

 だが、そこで彼女を待ち受けていたのは、魔物の咆哮ではなく、金属同士がぶつかり合う不気味な響きと、鼻を突く「焼けた鉄」の匂いだった。

 

「ひ……っ、あ……」


 茂みを抜けたサーヤの目に飛び込んできたのは、返り血を浴び、正気を失いかけた数人の兵士たちだった。彼らは村を焼いたあの非情な組織の紋章を纏っている。だが、その顔には傲慢さはなく、底知れない「恐怖」に支配されていた。

 

「生存者だ! こいつも、あの……北から来た『黒い化け物』の仲間か!?」 「殺せ! 殺さないと、俺たちが消される……あいつに、全員細切れにされるんだ!!」


 極限状態の兵士たちが、震える手で槍を突き出す。  マッチはもうない。左手で胸元の小瓶を壊れ物のように抱きしめ、感覚の消えかけた右手で、重い手斧をただ夢中で振り回す。攻撃ではない。ただ生に縋り付こうとする、惨めなまでの足掻き。


 その瞬間。 何かが爆ぜる高い音が響き、視界が漆黒の炎に包まれた。


(あぁ、だめだ。……私、死ぬんだ)


 意識の遠のく中で、そう確信した。カサリ、と落ち葉を踏みしめる乾いた音が聞こえる。 倒れた視界に映ったのは、黒い外套を纏い、感情の欠落した瞳で見下ろす一人の女だった。  風に揺れる金色の長髪。凛とした立ち姿。性別を超越したその美しさは、死の淵にある目に死神の幻影を見せるほどだった。


「……面倒だな。焼死体なら身ぐるみを剥ぐだけで済んだものを。生きているのか、お前は」


 女は血に濡れた獲物を、カチリと音を立てて漆黒の鞘へと収めた。  アストレイアの騎士が振るう両刃の直剣とは異なる、片側にのみ刃を持つ、緩やかに湾曲した未知の「黒い剣」。その一振りが、数人の兵士を瞬く間に物言わぬ骸へと変えていた。

 

「なぜ、お前だけが生きている。あの掃討を、なぜ回避できた」


 氷のような視線で射抜かれる。 答えようと口を開くが、喉が張り付いて声が出ない。ただ、泥だらけの手で、胸元の小瓶を握りしめることしかできなかった。


 女は興味を失ったように、まだ息のあった兵士の残党へと向き直った。 抜き放たれた刀身が、空気を切り裂く。 刃が描く円弧に沿って、ドロリとした漆黒の炎が尾を引き、兵士たちの叫びを飲み込んでいく。


 無駄のない足運び。最短距離で急所を焼く切っ先。 それは魔法というより、研ぎ澄まされた「機能美」だった。


 絶望的な蹂躙が終わると、女はそのまま背を向け、闇へと消えようとした。


「ま、待って……!」


 その圧倒的な「強さ」に希望を見た。恐怖で震えながらも、泥だらけの手で女の裾を掴む。


「連れて行ってください……っ! お願いです、じゃないと私……あの人たちに見つかって殺されるか、魔物に食べられちゃいます!」


 女は眉をひそめ、冷徹な声を浴びせた。 「断る。お前のような弱者に用はない。私はただ、使える駒か、換金できる荷物しか連れて歩かない」


「じゃあ、駒でいいです! 荷物でもいい! 何でもしますから……!」


 あまりの必死さと、泥にまみれてなお燃える瞳の色に、女はわずかに足を止めた。 「……いいだろう。すぐに死ぬだろうが、勝手についてくる分には構わん。ただし、足手まといになった瞬間に置いていく」


 数日後。焚き火のそばで、女が無機質な携帯食を口にしようとしたとき、遠慮がちに、けれど真っ直ぐに彼女を見上げた。


「あの……その、革袋の水を、少しだけ分けてもらえませんか? 川の水は、あの魚たちみたいに黒ずんでいて……使えなくて」


 女は無言で、腰に下げた革袋を投げ与えた。  短く礼を言うと、森で必死に集めた野草とキノコ、そして大切に持っていたレシピの記憶を頼りに、小さな鍋でスープを煮出し始めた。


 立ち上る湯気が、冷え切った森の空気に溶けていく。 干し肉の切れ端と野草だけの、粗末なスープ。けれどその香りは、殺伐とした森の中で異質なほどの「日常」を主張していた。

 

「……まともな具材もミルクもないけれど、少し分けてもらった干し肉をおじさんのレシピで煮出してみました。毒は入っていません」


 差し出されたスープを、女は無言で受け取り、一口。 眉が、わずかにピクリと動いた。 そして、最後の一滴まで無言で完食した。

 

「……味は、悪くない」


「……っ、よかったです! ねえ、今の剣の振り方、もう一回見せてください!」 「……盗めと言っている」


 突き放すような言葉とは裏腹に、抜刀から残心に至るまでの動作は、その軌道を追い切れるよう、ほんのわずかだけ正確に、ゆっくりと繰り返された。


 パチ、と焚き火が爆ぜる音だけが響く静寂の中。 瞬きさえ忘れて、その美しい「死の軌跡」を瞳の奥へと焼き付けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ