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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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Record: 3『二人の宝石』

(インクの色を変えましょう。……これは、冷たい青ではなく、……泥の中に沈んだ、鈍い黄金の記憶だから)


 「黄金の煤が舞う夜、わたくしたちは出会った。」


 ――それは、黄金の煤が舞う黄金の都の、最も冷たい夜の記憶。 サーヤがノネット村を焼く熱風の中にいたその時、遠く離れた地で、ドラクロワもまた「かつての炎」を思い出していた。


 原因不明の急襲。平和な家路は唐突に瓦解し、幼きルルナは泥にまみれながら、下層スラムのゴミ捨て場へと逃げ延びた。頭上から降り注ぐ黄金の煤は、空っぽになった少女の心など知らぬげに、ただ冷たく、きらびやかに降り積もっていた。

 

 一方、王宮の退屈な儀式を抜け出し、王族のみが知る「古き脱出路」を探索していた幼き第二王女、ドラクロワ。彼女が暗い地下道を抜けて目にしたのは、降り積もる黄金の煤の中で、今にも消え入りそうな命の灯火だった。


「……見苦しいわね。王都の隅で、ただ朽ち果てるのを待っているつもりかしら?」


 王女が声をかけたのは、慈悲からではなかった。すべてが予定調和な王宮の中で、泥にまみれてなお「生きたい」とあがく強烈な意志。その「異質な輝き」に、たまらなく心惹かれたからだ。


「あ……どらくろわ……さま……?」


 これには、王女も驚愕した。スラムの娘がなぜ、極秘で外に出ている自分の正体を看破したのか。 泥に塗れ、視界も霞む中で、少女はぼんやりとこちらを見上げていた。  そして、目の前の美しい少女を「幻」か何かだと思ったのか。震える手で、泥だらけの前髪を直そうとしたのだ。


 死の間際にあっても、目の前の相手を敬い、少しでも綺麗な姿で対面しようとする。  その滑稽で、けれど痛いほど愛おしい「少女の意地」が、王女の胸を強く打った。


「その呼び方は、今はよして。わたくしの名はドラクロワ。……さあ、わたくしの後ろへ来なさい」


 差し出した白皙の手。しかし、弱々しい少女はその手を一瞬、見つめたまま動かなかった。


「……わ、わたくしのような汚れた者が、貴女様のような光の側にいては……いけません。わたくし、ここで……」


 自分の汚れが、目の前の美しい少女を汚してしまう。そんな少女の控えめな「遠慮」に、彼女は鼻で笑うと、ふわりとドレスの裾を汚しながらその場に膝を折った。 王女が、ゴミ捨て場の泥に膝をつく。少女と同じ「泥の目線」まで降りてきたその瞳は、有無を言わせぬ強さでその手を伸ばした。


「……黙りなさい。わたくしを汚せる者がこの世にいるとしたら、それはわたくし自身だけ。お前のような小さな者が、わたくしの誇りを測るなど百年早くてよ」


 掴んだ少女の手。 ずっと冷たい石床を這い、凍えるような恐怖の中にいた少女にとって、その掌は恐ろしいほどに「熱かった」。 ドラゴニュートの血がもたらす高い体温。それは人生で初めて触れた、生きる意志そのものの温度だった。


「お行きなさい、わたくしの後ろへ。——そこが、この世で最も安全な場所ですわ」


 その傲慢なまでの響きは、絶望の底にいた少女にとって、神の福音よりも力強く響いた。 少女は、熱を帯びた王女の掌を、壊れ物を扱うように、けれど二度と離さないという意志を込めて握り返した。


「……お前。名は、なんと言うの」


  王女の問いに、少女は震える唇を噛み、一度だけ深く俯いた。何者に追われ、なぜ独りぼっちになってしまったのかさえ分からぬまま。自分の名さえ闇に居場所を告げる合図のように感じて、息を潜めていた。けれど、目の前の「熱」がそれを許さない。少女は顔を上げ、泥に汚れながらも、その瞳に翠色の光を宿して答えた。


「……ルルナ。ただの……ルルナ、と申します」


 苗字すらない、空っぽの自己紹介。 けれど彼女は満足げに目を細め、その細い手をさらに強く握りしめた。


「ルルナ。いい名ですわ。……覚えておきなさい。苗字など、後でわたくしがいくらでも相応しいものを考えて差し上げますわ。今はただ、その名がわたくしの誇りの一部となったことを喜びなさい」


 黄金の煤が舞う暗闇の中で、その名が初めて「誰かの宝物」になった。 スラムの片隅で、世界で最も気高く、最も脆い『家族』が誕生した瞬間であった。


 ――けれど。 今、雨漏りのする安宿でルルナの手を握りしめているドラクロワの手は、あの夜のような熱を失い、ひどく震えている。


  「……ルルナ。手を、離さないで。わたくしが眠るまで……いいわね?」 「はい、ドラクロワ様。大丈夫ですよ、私がいます」


  暗い寝室。立場が逆転したかのような静寂の中で、かつて救われたルルナの温もりが、今度は王女を繋ぎ止めていた。

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