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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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Record: 45 『残り火の抵抗、灰の記録』

 宿のロビーは、もはや「室内」ではなかった。  天井からは黒い煤煙が滴り、壁という壁が『影』の侵食によってドロドロと腐り落ちている。


「……あ、あああぁぁぁっ!! 熱い、……熱いですわ、腕が……燃えてしまいそう……っ!!」


 ドラクロワの絶叫が、バグったノイズをかき消した。  彼女の右腕――包帯が弾け飛んだそこには、もはや人の肌は存在しない。血管は灼熱のルビーへと変質し、そこから溢れ出す「宝石血液」が、彼女自身の肉を内側から焼き、蒸発させている。  その代償として放たれる鮮血色の奔流が、宿を埋め尽くす影を強引に焼き払い、一時的な「道」を切り開いた。肉が焦げる臭いと、宝石が脈打つ不気味な光が、絶望に赤黒い色彩を添える。


「ドラ子ちゃん! しっかりして!」  サーヤが泣きながらドラクロワの腰を支えるが、その熱気でサーヤの手の平までが焦げていく。それでも、彼女はスリングを離さなかった。皮膚の焼けるパチパチという音が、死の接近を告げている。


「……チッ、再生が早すぎるわ! ルルナ、浄化を重ねて! 出力を絞り出しなさい!」  ルナリスが怒鳴り、自らも劇薬を足元に叩きつける。だが、その背後はすでにノイズの海に飲み込まれようとしていた。


「……一撃で……霧散させねば、こちらが削られる……ッ!」


 ノクスの声に、いつもの余裕はない。  彼女の愛刀『黒曜の焦土』が、もはや視認不可能な速度で空間を切り裂く。物理を超越した影に対し、彼女は自らの「殺気」と「魔力」を剣身に無理やり定着させ、一振りごとに己の魂を削るような超高速の剣閃を繰り出していた。  刀を振るうたび、彼女の鼻と目尻から一筋の血が垂れる。神経を極限まで加速させた代償――世界がスローモーションに見える代わり、彼女の心臓は破裂寸前の鐘のように鳴り響いていた。


「……店主! ……まだか……ッ!」

 

 ノクスの問いに、ラピスは答えなかった。  彼女はカウンターの裏、宿の心臓部である『暖炉』の魔導回路を、剥き出しの万年筆でこじ開けていた。指先は冷気で青黒く変色し、感覚などとうに失っている。


「……ここを……通せば……。……この宿ごと、……ミストラルの霧を……焼き払える……」


 ラピスの指先は、冷気で感覚を失い、青白く凍りついている。  彼女が大切に守ってきた、静かな冷蔵庫のような宿。その『止まり木』を自ら焼き払うという選択。


「……店主さん、何をして……っ」  振り返ったドラクロワの目に、ラピスの静かな、けれど決絶とした瞳が映った。


「……記録の……終わりは、……私が……決めるわ……。……たとえ、……それが……灰色のページに……なろうとも……。……おやすみなさい、……私の……宝物たち……」

 

 ラピスが回路を短絡させた瞬間、宿の床下から地鳴りのような咆哮が上がった。  青白い炎が、影を、腐った壁を、そして彼女たちの思い出が刻まれた家具たちを、すべて等しく飲み込み始める。


「……全員、……裏口へ!! ……止まり木が……落ちるわ……ッ!!」


 崩落する天井。  燃え盛る宿を背に、満身創痍の五人は、霧の海へと身を投げ出した。  転がり落ちた雪の上で、ドラクロワは見た。    かつての居場所が巨大な火柱となって、夜の空を真っ赤に染めながら崩れ去る。  愛した洗濯板も、まかないの匂いも、冷たい紅茶も。  すべてが「記録」という名の灰になって、暗い空へと舞い上がっていくのを――。

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