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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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Record: 43 『世界のノイズ』

 ミストラルの中央広場。噴水のそばでピピが水飛沫に驚いて飛び跳ねるのを、ノクスとドラクロワが左右から見守っていた。その二人の視界の外、露店の影から、ルナリスが手帳に鋭いペンを走らせている。


「……血液の拍動、安定。……外部刺激に対する反応、良好。……そして、何より」


 ルナリスはレンズを調整し、ドラクロワの横顔に焦点を合わせた。 「……被検体(ドラ子)の精神的安定による、刻印の沈静化。……ふん、非効率な愛情論だと思っていたけれど。……副次的な治療効果としては、認めざるを得ないわね」


 ルナリスが呟き、姿を現そうとしたその時だった。  ピピが急に動きを止め、金色の瞳を街の入り口――霧が一番濃く淀んでいる方角へと向けた。 「ピィ……」  怯えたような、小さな鳴き声。


「……ピピ? どうしましたの?」  ドラクロワが怪訝そうに眉をひそめた瞬間。  音が、消えた。


 噴水の水音も、雑踏の話し声も、遠くで鳴っていた馬の蹄の音も。  まるで世界の再生が一時停止したかのように、不自然な無音が広場を支配する。  ノクスが無言で刀の柄に手をかけた。その指先が、微かに震えている。恐怖ではない。空間そのものが孕んだ「異常な重圧」への生物的な反応だ。


 「……空気が、変わった」


 ノクスの短い言葉と同時に、霧の向こうから「ノイズ」が聞こえ始めた。  それは金属音ですらなかった。古いラジオが壊れたような、あるいは何千人ものすすり泣きを高速で再生したような、耳の奥を掻き毟る不快な音。


「……散歩は、ここまでね。……急いで『止まり木』へ戻るわよ」  ルナリスの警告に、ドラクロワはピピをマントの中に強く抱きしめた。 彼女たちの視界の端、霧の向こう側に、黒い陽炎のような影がゆらりと立ち上がる。


 それは形を持たず、ただそこにある光を吸い込むように、周囲の景色を歪めていた。影が触れた街路樹は、枯れる間もなく白く凍りつき、まるで時間が止まったかのように静止する。


「……逃げるわよ。あれに……『意味』を求めてはダメ。……あれは、ただの『終わり』よ」  ルナリスが吐き捨てるように言い、三人は駆け出した。

 

 木漏れ日が消え、再び霧が支配する街。  彼女たちの背後に忍び寄るのは、兵士でも騎士でもない。  この世界の「システム」を塗りつぶしにきた、形を持たない「欠陥」そのものだった。

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