Record: 41『散歩当番』
朝の光が、霧の街ミストラルを白く塗りつぶしていた。 宿屋のカウンターに貼られたラピスの付箋には、『ピピ:散歩当番・ドラクロワ』と書かれている。しかし、その前に立ち塞がる影があった。
「……待て。その装備では、ピピの安全を担保できん」
ノクスが、愛刀を腰に差し、硬質な空気を纏って言い放った。その視線は、ドラクロワが羽織る地味な布――王族の象徴であった豪華な刺繍を捨て、旅の汚れに馴染むよう選ばれた装いの「傷」を射抜いている。
「……な、なんですの、藪から棒に。これはわたくしのマント、そしてわたくしの当番ですわよ」
ドラクロワが不快げに眉をひそめ、懐に潜り込もうとするピピを抱き寄せた。だがノクスは、一歩も引かずにその機能性を指摘する。
「……そのマントは、雛の爪に耐えられるよう設計されていない。……引きずった裾は泥を拾い、機動性を著しく損なう。……散歩という名の『訓練』には、不適格だ」
ノクスはそう言うと、どこからか取り出した「頑丈な革製のポーチ」を差し出した。サーヤに与えたものと同じ、実用性のみを追求した無骨な旅の道具だ。
「……これで運べ。……機能こそが、命を救う」
「お断りしますわ! この子は、わたくしのマントの温もりが一番安心すると言っていますの。……貴女のその……血生臭い革袋など、この子の産毛が傷んでしまいますわ!」
ドラクロワが頬を赤く染めて反論する。かつての豪華なマントを失っても、ピピに「熱」を伝えるための大切な媒介としての誇りまでは捨てていないのだ。
二人の間に、火花が散るような沈黙が流れる。 機能美としての合理性を説く剣士と、情操的な温もりを守ろうとする王女。その様子を、カウンターの奥でラピスが白い吐息と共に眺めていた。
「……(ふぅ……)。……賑やか……ね……。……洗濯板を……鳴らす前に……、……お茶を……淹れなくては……」
結局、二人の決着はつかなかった。 サーヤが「あはは、じゃあ二人で行けばいいじゃないですか!」と、まかないの準備をしながら笑い飛ばすまで、宿のロビーには「規律」と「執着」が混ざり合った、奇妙なほど真剣な空気が漂い続けていた。




