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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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33/51

Record: 29『虚無の市』

 異変は、静かに、しかし確実にミストラルの「生活」を蝕んでいた。 表通りの市場。ルナリスは、空になった薬草の棚を睨みつけ、苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをした。


「……また『入荷未定』? ふざけた流通管理ね」「も、申し訳ありません! ですが、最近『特定の効能』を持つ薬草だけが、市場からごっそり消えているんです。……卸値も先週の三倍で……」


 店主の悲鳴のような言い訳を無視し、ルルナを伴って路地裏へと足を向けた。

 

「……ルナリス様。石化を遅らせる『月光草』だけでなく、ただの解毒草まで……。これは、明白な『独占』でしょうか?」「偶然なわけがないでしょう。……どこかの誰かさんが、この街の『死』と『生』の相場をコントロールしようとしているのよ」

 

 ドラクロワの治療に必要な素材も、表のルートでは完全に遮断されていた。正規の手段が封じられた今、彼女たちに残された道は一つしかない。


「……行くわよ、ルルナ。法の光が届かない場所へ」


 ***


 ミストラル裏路地、通称『虚無のボイド・マーケット』。 下層街が吐き出す霧は、重油のような黒ずんだ紫に濁っている。


「……いい、ルルナ。指先の魔力を絶やさないこと。この『毒血』は、あんたの清浄で包んでいなければ、数秒と持たずにただの汚泥に変わるわ」


 ルナリスは外套を深く羽織り、トパーズ色の瞳を鋭く尖らせた。その隣で、ルルナは外套の下で、ルナリスが対価として用意した小瓶を、両手で壊れ物を扱うように包み込んでいる。


 傾いた時計店の扉を開けた瞬間、カビと鉄錆の臭いが鼻を突いた。店主の鳥嘴ちょうしの男は、カウンターの奥で防毒面の奥からカタカタと乾いた笑い声を漏らした。


「……『竜骨のドラゴニック・アッシュ』か。いいだろう。だが、足りないな。……あそこにいる『純度の高い聖女』を、一晩貸してもらえるなら、おまけしてやってもいい」


 男が指を鳴らす。  背後の闇から、ぬらりと三つの人影が滑り出た。 右には、肉が不自然に膨れ上がり、皮膚の下で何かが蠢いている大男。 左には、両腕が異様に長く、錆びた外科用メスを指の間に挟んだ「解体屋」。 そして退路を塞ぐ扉には、全身を包帯で巻いた、腐臭を放つ男が立っていた。


 完全な包囲。逃げ場はない。

 

「……計算外ね。ただの飢えた野良犬にしては、連携が取れすぎているわ」

 

 ルナリスは懐からクロスボウ『鉄爪の弦』を抜き放つと同時に、紫色の液体が滴るボルトを装填した。

 

「交渉決裂よ。……死になさい」

 

 ヒュン、と風を切る音。  ボルトは正確に解体屋の喉元を貫いた。即効性の神経毒。数秒で呼吸筋が麻痺するはずだ。

 だが――男は止まらない。  喉に矢が生えたまま、首を傾げ、ニタニタと笑いながら距離を詰めてくる。傷口から流れるのは血ではない。サラサラと乾いた、黒い砂だった。

 

「……ッ!? なぜ効かないのよ!?」

 

 男たちの呼吸音が、おかしい。解体屋だけではない。大男も、包帯男も、呼吸音が異常だった。 ヒュウ、ゴォ、という生体音ではなく、石臼を挽くような、ジャリジャリとした摩擦音。彼らは人間ではない。宝石血液の汚染を限界まで取り込み、精神と肉体の一部を「石」に変えることで、痛みと死を克服した成れの果てだ。


 「殺せ! 女を捕まえろ!」

 

 ルナリスは舌打ちし、黒い球体――高濃度の神経ガスを床に叩きつけた。  ボフッ。重油のような黒煙が視界を奪う。常人なら肺が焼け爛れる猛毒の霧。  しかし、煙の向こうから聞こえてくるのは、苦悶の声ではなく、確かな足音だけ。


(……嘘でしょ。肺まで石だなんて……)

 

 毒が通じない。痛覚がない。 ルナリスの最大の武器である「効率的な無力化」が、根底から否定された。 煙を切り裂き、大男の丸太のような腕が迫る。

 

「……くっ!」


 ルナリスは反射的に身を屈め、カウンターの影に滑り込む。だが、その隙を突いて、包帯男がルルナへと躍りかかった。


「ひっ、……いや……っ!」


 ルルナが悲鳴を上げ、瓶を抱えてうずくまる。 包帯男の手には、汚れたナイフが握られていた。


「――っ、この、役立たずが!!」


 ルナリスは、とっさに手近にあった「凍結薬」の瓶を、包帯男の足元へ投げつけた。 パリン。硝子が砕け、床の水分が一瞬で凍結する。包帯男の足首から下が氷に固定され、男は前のめりに転倒した。


 直後、耳を覆いたくなる音が響いた。 包帯男は、表情一つ変えず、自分の「凍りついた足」を力任せに引きちぎったのだ。 メキ、ベリリ、と肉と骨が裂ける生々しい音。足首から先を氷に残したまま、男は血の混じった黒い砂を撒き散らし、芋虫のように這ってルルナへと迫る。


「執念深いストーカーね……ッ!」


 装填が間に合わない。 大男が迫る。解体屋がメスを構える。這い寄る包帯男がナイフを突き出す。 計算では「全滅」。生存確率ゼロ。

 (……私が、ここで死んだら。) (誰が、あのバカ(ルルナ)を守るのよ)

 思考より先に、体が動いた。 合理性を捨て、ただの「肉の盾」として、ルルナの前へ割り込む。


 ザシュッ。


 鈍い音が響き、ルナリスの二の腕が深々と切り裂かれた。 鮮血が舞い、ルルナの白い頬を汚す。


「ル、ルナリス様……!?」「……ッ、走りなさい!!」


 ルナリスは激痛に顔を歪めながらも、クロスボウの銃床で、這い寄る男の側頭部を殴りつけた。 ゴガン、と石が砕ける音がして、男がようやく沈黙する。

 「……ルルナ、行くわよ!」


 煙幕弾の残りをすべて爆発させ、腕を引こうとした瞬間――手が空を切った。

「……ッ、何してるのバカ!」


 ルルナは震える足で、あろうことか敵の目前、カウンターへと走っていた。  店主が怯んで落とした『竜骨の煤』。それを泥だらけの手でひったくり、胸に抱きしめる。


 「……これがないと……ルナリス様の血が、無駄になりますから……ッ!」 「……っ、この……!」


 ルナリスは舌打ちと共にルルナの首根っこを掴み、煙の中へ強引に引きずり込んだ。


 ***

 

 深夜。宿の裏口。 安全圏まで逃げ延びたルナリスは、壁に背を預けてずるずると座り込んだ。 左腕の袖が、べっとりと赤く染まっている。


「……はぁ、はぁ……。……最悪ね。……計算が、狂いっぱなしだわ……」「ルナリス様、血が……! 私のせいで……っ」


 ルルナが泣きそうな顔で駆け寄る。その手は震えているが、翠玉の瞳には強い光が宿っていた。


「……動かないでください。……今、塞ぎます」「……よしなさい。あんたの魔力も限界でしょう。私の薬で……」「いいえ、治します! ……ルナリス様が、私を守ってくれた傷ですから!」


 ルルナはルナリスの腕に手をかざす。 「……ヒール・ウーンズ」温かな光が傷口を包み込み、裂けた肉を繋いでいく。その代償として、ルルナの顔色はさらに白くなったが、彼女は安堵の息を漏らした。そして、懐から煤けた小瓶を取り出し、おずおずと差し出した。


「……ルナリス様。これ……」「……」「ルナリス様が……命がけで戦ってくれましたから……。これだけは、置いていけませんでした」


 ルナリスは、ルルナの手にある『竜骨の煤』と、彼女の泥だらけの指先を見つめた。 心臓が、計算外の早鐘を打っていた。自分が「損」をして誰かを守ったこと。そして、その誰かが「損」を承知で自分のために動いたこと。 「……本当に、たちの悪いバグね、あんたは」 ルナリスは小瓶を受け取ると、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

「いい、ルルナ。次にこんな場所へ来る時は、せめて相手の首をへし折るくらいの力を見せなさい」


「……護身術、ですか? 私が……?」


「そうよ。……祈るだけで自分を守れないなんて、戦場じゃただの的よ。……少しでも生存率を上げなさい。明日から、私の実験を手伝うついでにしごいてあげるわ」


 ルナリスは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、ルルナが潤んだ瞳で小さく笑った。


 カウンターの奥。サファイア色の瞳のラピスが、夜の静寂の中で二人の帰還を静かに見守っていた。


(……インクが、……より黒く……重くなっていくわ。)

……あの子たちは、……まだ気づいていない。……この先……待っている……絶望の形に……。

……けれど……、……痛みを分かち合う……この不器用な『温度』があれば、……凍った世界でも……まだ……呼吸ができるのかしら……。

……ふふ。……夜霧が、……少しだけ……苦いけれど……温かいわね。

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