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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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31/51

Record: 27『柘榴石の食卓』

 『氷晶の止まり木』のキッチンから、濃厚で芳醇な香りが漂い始めていた。

 それは、ただの肉を焼く匂いではない。赤ワインの酸味、炒めた玉ねぎの甘み、そして何種類ものスパイスが複雑に絡み合った、この宿始まって以来の「ご馳走」の香りだった。


「……ふぅ。……今日は、……一段と……匂いが重いわね……」


 店主ラピスが、カウンターで頬杖をつきながら、困ったように、けれど少し楽しげに白い吐息をこぼす。 ロビーのテーブルには、すでにその「完成」を待ちわびる三人の姿があった。


「……信じられませんわ。この貧相な宿から、王宮の晩餐会のような香りがするなんて……」


 ドラクロワが、ごくりと喉を鳴らす。 その隣で、ルルナも落ち着かない様子でカトラリーを並べ直している。そしてノクスは、壁際で腕を組んでいるものの、その視線は何度もキッチンの方へと彷徨っていた。


「お待たせしましたー! 今夜のメインディッシュです!」


 サーヤが、湯気の立つ大鍋を両手で抱えて現れた。テーブルの中央にドン、と置かれた鍋の蓋が開けられる。


 ――ふわぁっ、と立ち上る真紅の湯気。


 その中にあったのは、ごろごろとした肉塊と、赤い根菜がとろとろになるまで煮込まれた、宝石のように艶やかなシチューだった。


「名付けて、『ミストラル牛のガーネット・シチュー』です!」


 サーヤが得意げに胸を張る。皿に盛られたシチューは、照明の光を受けて、まさに深紅の柘榴石ガーネットのように輝いている。


「ガーネット……。ふふ、素敵な名前ですね」

「ええ。……色は合格ですわ。問題は味ですけれど」


 全員が席につき、手を合わせる。 スプーンでスープと肉を掬い、口へと運ぶ。


 ――静寂。


 次の瞬間、ドラクロワの瞳が大きく見開かれた。 口の中でホロホロと崩れる肉の繊維。濃厚な脂の甘みを、赤ワインの酸味が上品に引き締め、後からスパイスの香りが鼻に抜ける。


「……っ!?」

「……美味しい……! サーヤちゃん、これ、凄いです……!」


 ルルナが頬を赤らめて感嘆の声を上げる。ノクスは無言のまま、猛烈な勢いでスプーンを動かし始めた。そのペース配分は、明らかに「おかわり」を計算に入れたものだ。


「……ふん。廃棄処分の肉にしては、悪くない処理だ」

「えへへ、でしょう? 師匠がくれたお肉が最高だったから、私、頑張って煮込んじゃいました!」


 そこへ、地下室からルナリスがふらりと現れた。


「……何よ、この匂い。換気扇が壊れたのかと思ったわ」


 毒づきながらも、自分の席に用意されたシチューを見ると、彼女は鼻をひくつかせた。


「……成分分析。タンパク質、脂質、ビタミン根菜……。……悔しいけど、栄養価のバランスだけは完璧ね」


「あ、ルナリスさん! 『はねうさぎのピリ辛フリット』もありますよ! お酒に合うように、スパイス強めにしておきました!」


 サーヤが追加で出した小皿には、カリッと揚がった一口サイズの肉料理。それを見たルナリスは、観念したように肩をすくめ、とっておきの葡萄酒の瓶を開けた。


「……仕方ないわね。今日のところは、このカロリー爆弾に屈してあげるわ」


 カチャカチャと、食器が触れ合う音。

 「おかわり!」「わたくしもですわ!」「私がよそいますね」「……おい小娘、私の分が少ないぞ」


 外は冷たい霧に包まれた夜。

 けれど、この深紅のシチューを囲むテーブルだけは、世界のどこよりも鮮やかで、温かい「赤」に満たされていた。


 カウンターの奥。

 ラピスは、自分用に小皿に取り分けられた「ガーネット」色の液体を、静かに見つめていた。


「……ガーネット。……『真実』と『情熱』、そして……「友愛」の石……。……あの子たちの血の色に……よく似ているわね……」


 彼女は一口、その熱を喉に流し込むと、日記の余白にサファイア色のインクで短く記した。


 ――『○月○日。……赤いシチュー。……それは、……凍えた身体を内側から溶かす……魔法のような、……命の味……』

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