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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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Record: 1『さよなら、ひだまり(前半)』

 ノネットを出て数日。サーヤは空の荷車を引き、一本道を牧場へと向かっていた。 街道の茂みから、野兎がひょっこりと顔を出す。そんな見慣れた光景が、今は何よりも愛おしい。


「……うん。やっぱり、ここの空気が一番落ち着くなぁ」


 荷車で揺れる、街で奮発したレモンの香りが鼻先をくすぐる。背中のカゴには、村のみんなが待っている「お土産」と「頼まれもの」がずっしりと詰まっていた。


「……ん、あの子。またあそこにいる」


 街道沿いの草むらで、一匹の野兎が耳を立てていた。 敵を察知した瞬間の、バネのような後ろ脚の溜め。重心を低く保ったまま、斜め前へと弾け飛ぶ急加速。 彼女はその動きを目で追いながら、自分の足の筋肉を小さく収縮させた。(あの膝のバネ……。お盆を持ったまま急停止する時に使えるかも)本人は仕事を楽にするための「真似っこ」のつもりだが、その瞳は一瞬だけ、彼女の血液と同じスピネルの鋭い輝きを宿していた。


 目的地である『ペルラ牧場』では、白い花々が風に揺れている。 「おじいさーん、おはよう! 手伝いに来たよ!」 「おお、サーヤちゃんか。例の新作タルトの材料、探しに来たんだろ?」

「うん! おじいさんの所のチーズじゃないと、ダメだと思ったの」 牛の背中を撫で、搾りたてのミルク缶を荷車に積み込む。新鮮な卵と大きなチーズ。どれもおじさんが見たら、目を丸くして喜んでくれるはずだ。


 ――そして、帰路。 ふと立ち寄った小川で、足を止めた。 いつもは透き通っているはずのせせらぎに、魚が数匹、浮いている。その体は墨を流したように不気味に黒ずみ、鱗の瑞々しさは失われ、まるで最初から黒い石を削り出した細工物であったかのように、硬く、無機質に固まっていた。


「……病気、なのかな」


 ふと見ると、川岸の湿った砂利の上に、奇妙な黒い破片が落ちている。  まるで川から吐き出された異物のようだ。拾い上げようとした瞬間、指先に刺すような冷たさが走った。


「……ひゃっ」


 思わず手を引く。けれど、彼女はそれをエプロンの端で包むように拾い上げ、ポケットの奥へと押し込んだ。水を飲みに来た野兎や牛が踏んだら危ないし、村に帰ったら物知りなおじさんに見せてみよう。ただ、それだけのつもりだった。


 坂道を登る足音が、いつの間にか、砂を噛むような乾いた音に変わっていた。


 ふと、街道の端でこちらを見ていたあの野兎と目が合う。 いつもなら、サーヤの「まねっこ」を面白がるように鼻をひくつかせるあの子が。 一瞬、耳をぴたりと後ろに伏せ、何かに怯えるように茂みの奥へと音もなく逃げ去った。


「……あ、待って……っ」


 引き止める声さえ、乾いた風に吸い込まれて消える。 生き物の気配が、潮が引くように消えていく。


 ――焦げ臭い。

 

 風に乗って、鼻をつく異臭が漂ってきた。料理の焦げた匂いではない。もっと不吉な、鉄と油が焼けるような匂い。  心臓がドクリと跳ねた。

 

 「……おじ、さん?」


 彼女は肺を焼くような息苦しさを堪え、一気に丘の頂上へ駆け上がる。 荷車の中で、ミルク缶がガタン、と不安な音を立てた。

 

 視界が開ける。 だが、そこで彼女が目にしたのは――。

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