Record: 25『赤いリボンと、黄色い約束』
ルルナの細い指先が、サーヤの髪を丁寧に分ける。 耳より高い位置。左右対称に結い上げられた「赤」は、まるで春を待つ野うさぎの耳のように、サーヤの動きに合わせてぴょこぴょこと跳ねた。
「……はい、できました。……とっても似合っていますよ、サーヤさん」 「わぁ……! ありがと、ルルちゃん! いつもより、リボンがしゃきっとしてる気がする!」
サーヤが鏡の前で首を振ると、ツインテールが軽やかに揺れる。 ルルナは満足そうに微笑むと、膝の上に置いていた編みかけの毛糸――ドラクロワのために編んでいる、右腕を冷やさないためのサポーター――を丁寧に畳んだ。
「お礼に、と言ったらなんですけれど……。……これ、一緒に食べませんか?」
ルルナがベッドの脇から取り出したのは、小さな紙包みだった。 そっと開くと、そこには不揃いだけれど、香ばしく焼き上げられた『ベリーのクッキー』が並んでいた。
「えっ! ルルちゃん、これ作ったの!?」 「はい。……皆さんが寝静まったあとに、一階のキッチンを少しだけお借りして。……サーヤさんが仕入れた、あの酸っぱい野苺をジャムにして混ぜてみたんです」
二人は顔を見合わせ、声を潜めて笑った。 この宿には、鼻の利く『黒鉄の処刑者』もいれば、「不健康な間食」に目がない錬金術師、それに行儀作法を説き始めそうな「元」お姫様もいる。 見つかったら最後、せっかくの静かな時間が台無しになってしまう。
「……いただきます」
サクッ、と。 小さな咀嚼音が、静かな部屋に響く。 口の中に広がるのは、バターの素朴な甘さと、摘みたての野苺の鮮烈な酸味。
「……おいしい。……ルルちゃん、すごい。私、煮込みは得意だけど、こんなに優しくて甘いものは作れないよ」 「ふふ。……編み物と同じなんです。一つひとつ、祈りを込めて形にするだけ。……甘いものは、心を柔らかくしてくれますから」
ルルナは自分の分を小さく齧ると、翠玉の瞳を細めた。 ポニーテールの先が、嬉しそうに揺れる。
「……あのね、サーヤさん。……リボンを編んでいる時も、クッキーを焼いている時も、私、不思議と怖くないんです。……世界はまだ暗いけれど、私の指先だけは、温かいものを作っているんだって、思えるから」
サーヤはクッキーを飲み込み、ルルナの少し冷たい手を、自分の温かい手で包み込んだ。
「……ルルちゃん。明日もまた、リボン結んでくれる?」 「……はい。喜んで。……その代わり、今夜――いえ、もう今日ですね。夕飯は、あの『黄色くて、ふわふわしたもの』がいいです」 「あはは、オムレツのこと? ルルちゃん、いつもそう言うよね」
「だって、名前で呼ぶのがもったいないくらい、温かくて……。……あれを食べると、心が日向ぼっこしてるみたいになれるんです」 「……っ、了解! 任せて!とびきり『ふわっふわ』なやつ、お皿に乗せてあげるからね!」
「……ふふ。楽しみにしていますね」
窓の外では、ミストラルの霧が冷たく街を包み込んでいる。 けれど、小さな部屋の隅。 赤いリボンの少女と、翠の瞳の少女の間には、焼き立てのクッキーのような、甘くて温かな「日常」が確かに息づいていた。 二人の笑い声が、クッキーの粉と一緒にシーツの上にこぼれる。
「……しーっ、サーヤさん、声が大きいです」 「あ、ごめんごめん。……ねえ、ルルちゃん。そのふわふわしたのを作る時、隠し味にミルクも少し入れてもいい?」 「……はい。きっと、もっと優しくなりますね」
窓の向こうの冷たい霧さえ、今は二人を包むカーテンのように見えた。 明日になればまた、重い武器を握り、泥にまみれる時間が来る。
だからこそ、今、指先に残る温もりだけは。 二人は小さな秘密を抱きしめるようにして、静かに灯りを消した。




