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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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26/51

Record: 22『泥を落とす指先』

 どれほど泣きじゃくっただろうか。  ルルナの膝の上で、ドラクロワがゆっくりと顔を上げた。  月はさらに高く昇り、宿の中からは楽しげな笑い声さえ聞こえなくなっている。静まり返った裏庭で、彼女の目に映ったのは、ドブのヘドロと涙で無残に汚れた、白銀の髪と自分の服だった。


「……明日……着るものが、ありませんわ……」


 その呟きは、絶望ではなく、ひどく現実的な困惑だった。  かつては脱ぎ捨てれば、翌朝には清潔で香り高いドレスが用意されていた。けれど今は、自分が手を動かさなければ、明日は汚れと悪臭の中で過ごすことになる。王女であることを捨てた代償は、こうしたあまりに些細で、あまりに重い「生活」の労苦となって現れた。


「……わたくし、洗いますわ。……ルルナ、わたくしに……その『洗濯板』の使い道を、教えてくださいな」


 腫らした目のまま、ドラクロワは震える左手でゴツゴツとした木の板を掴んだ。    そこから始まった、深夜の格闘。  ルルナに教わりながら、冷たい井戸水に石鹸を溶かし、不自由な左手で布を擦り合わせる。指先はすぐに赤くなり、冬の訪れを予感させる水の冷たさが骨まで染みた。けれど、力を込めるたびに少しずつ泥が落ち、本来の布地の色が見えてくるその過程は、彼女の濁った心を削り出す作業のようでもあった。


「……っ、……まるでおじさま達の執着のように、しつこいですのよ、この汚れ……っ!」


 不自由な右手で布を押さえきれず、歯噛みしながらも彼女は手を止めなかった。  そんなドラクロワの横顔を、ルルナは自分の服を洗いながら、眩しそうに見つめていた。


「……ふふ。……本当に、そうですね……。でも、こうして洗えば……いつかは必ず、落ちるものですから……」


 冷たい水にさらされた二人の手は、等しく赤く、そして等しく「生」の熱を帯びていた。

 翌朝。中庭の物干し台には、少しシワの寄った、けれど確かに白さを取り戻した二人の服が、朝露に濡れながら並んで揺れていた。それを見上げて、素振りを終えたノクスが「……ふん。少しはマシな顔になったな」と短く吐き捨てて通り過ぎる。


 氷晶の止まり木に、二人の「生活」が、ようやく根を下ろし始めていた。



 

 「汚れを落とすこと。……それは、……新しい自分を……書き始めるための、……準備運動……」

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