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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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22/51

Record: 18『契約とスパイス』

「――はい、これが今回の『命のお値段』よ」


 一階のラウンジ。テーブルの上に広げられた法外な請求書を前に、サーヤが悲鳴を上げた。

 

「金貨50枚!? ……薬屋さん、いくらなんでも、それじゃ国が買えちゃいますよ!」


「命を救った代償は、金貨で払えるほど安くないわよ。……それとも何か、このお姫様の命は、その辺の石ころ以下の価値しかないのかしら?」 

 薬屋の意地の悪い問いに、サーヤはぐっと言葉を詰まらせた。傍らに立つノクスは何も言わず、ただ一歩前へ出て、冷徹な視線で机上の紙を見下ろす。その無言の圧力に、黄玉トパーズの瞳を持つ薬屋は面白そうに肩をすくめ、万年筆を置いた。


 「いいわ。お金がないなら、働いて返せばいいじゃない。死体掃除に実験の助手、やることは山ほどあるわよ。……まずは『契約書』に名前を書くことね。呼び名くらい、はっきりさせましょう?」


 薬屋の視線が、まずは壁際に立つ金髪の剣士へと向けられた。


「……ノクスだ」  短く、それだけを答える。


「……へぇ、そっけないわね。次は、そっちのシーフの小娘ちゃん?」


「サーヤ・ベルです!」  サーヤは、ギルドで受け取ったばかりの銅板をぎゅっと握りしめて答えた。 「ノネット村から来ました。今は、ししょーの弟子です。掃除も洗濯も、料理も……任せてください! 働いて、必ず返しますから!」


 薬屋は「はいはい、健気なことで」と鼻で笑い、次にベッドから降りてきたばかりの、震える二人の少女へ視線を移した。ルルナが、大切な人の前に一歩踏み出し、深く頭を下げる。


 「……私はルルナ。神官見習いをしていました。……この方を助けていただけるなら、私はどんな汚い仕事でも致します」


 「……ルルナ、もういいわ」  背後から、爛れた腕を抱えた少女が、痛みに耐えながらも背筋を伸ばした。 「……ドラクロワ・ド・ラ・ヴァリエール。……それが、わたくしの名前ですわ。今はもう、守るべき民も、跪く臣下もいない……ただの亡霊の名前ですけれど」


「へぇ、随分と長ったらしいわね。今のあんたの身の丈には重すぎるんじゃない?」  薬屋が、わざとらしくため息をついて契約書に目を落とした。 「……ドラクロワ、ね。……長いわ。今日からあんたは『ドラ子』よ。その方が、死体掃除の呼び出しにも便利でしょう?」


 「……っ、なっ……!? ドラ……ドラ子!? ……ふざけないで、誰がそのような安っぽい名前を……!」

 

「いいじゃないですか、ドラ子ちゃん! 呼びやすくて可愛いですよ!」  サーヤが屈託のない笑顔で割り込むと、ドラクロワは毒気を抜かれたように、怒りで震える唇を震わせた。

 

 「……っ……わたくしは、認めませんわよ……。認めませんから……っ!」

 

「あはは、怒らなくてもいいじゃない。ね、ドラ子ちゃん。……あ、それとも、ヴァリエール様って呼んだ方がいい?」


「……っ。……その、ヴァリエールという名を、軽々しく口にしないで。……不愉快ですわ」


「じゃあ、やっぱりドラ子ちゃんだね! 決まり!」


「……っ……もう、勝手になさい……!」ドラクロワは悔しげに視線を逸らしたが、否定しきれない自分の状況を悟り、力なく肩を落とした。それを見たサーヤは、さらに無邪気に問いを重ねる。

 

 「……で、えーと、そっちのトパーズ色の瞳の、お姉さんは?」

 

 サーヤの問いに、女は唇を歪めて笑った。


「ルナリスよ。元・聖職者の錬金術師くすりや。世界を『契約と利害』でしか見ないリアリスト。……貴女たちのことは『バグ』か『実験体』としてしか見ていないから、仲良しごっこを期待しないでね」


 最後の一人。  カウンターの奥で、一切の感情を排した瞳でそのやり取りを見つめていた店主が、白い吐息を吐いた。


「……ラピス。……この宿の主。……それ以上の情報は、必要ないわ……」


 彼女はそう言って、カウンターの下に隠すように置かれた、使い古された万年筆と、書きかけの童話集にそっと指を触れた。その表紙には、彼女自身の筆跡で『忘れられた星の物語』とだけ記されている。 


 剣士、シーフ、聖女、王女、薬屋、そして静寂を纏う店主。共通点など何一つない。ただ一つ、全員が「何か」を喪失し、この霧の街に流れ着いたという事実を除いて。

 「……よし! 全員の名前、覚えました!」  サーヤが、パンッと両手を叩いてその沈黙を破った。

 「お腹が空いてると、みんな怖い顔になっちゃいます。……店主さん、キッチンお借りしてもいいですか? 私、まかない作ります!」


 サーヤの不意の申し出に、ラピスはきょとんと目を瞬かせ、やがて諦めたように小さく息を吐いた。


「……ふぅ……。……どうぞ……。……ここには……冷たい氷と……忘れられた備蓄しか……ないけれど……」


「氷漬けなら鮮度はバッチリですね! いただきっ!」


 サーヤは元気よくカウンターの奥へ飛び込むと、霜の降りた棚からカチカチに凍った根菜や干し肉を次々と発掘した。

 トントントン、と。 氷のように静まり返っていた宿に、軽快な包丁の音が響き渡る。 やがて、コトコトと鍋が煮える穏やかなリズムと、根菜の甘い香りが、凍てついた空気を優しく溶かし始めた。

 カウンターの奥で、店主は少しだけ眩しそうに目を細め、白い吐息と共にそれを静観していた。


「……はい、お待たせしました! ありあわせの材料で作りました!」

 

 運ばれてきたのは、不揃いな根菜と、安っぽいスパイスだけで作られた、名前もないスープ。 けれど、木匙で掬い上げた時に立ち上る湯気は、この宿の誰一人として持っていなかった「生活の匂い」をさせていた。


 並べられたスープを最初に口にしたドラクロワが、熱さに顔を綻ばせ、ルルナがそれを見て微笑む。ノクスは無言で味を確かめ、ルナリスは毒がないか探るように匙を運ぶ。


「……あら……。……お腹が満たされると、……記録が……重くなるわね……」

 

 ラピスが、ふぅ、と白い息を吐きながら、スープに映る自分のサファイア色の瞳を見つめた。


 ――『○月○日。……五つの絶望が、……一つのスープを……囲んでいる。……それを……家族と呼ぶには……、……まだ……少し、……熱すぎるけれど……』

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